一日一東方

二〇一〇年 八月四日
(儚月抄・綿月依姫)

 


『青天井』

 

 

 時の流れから切り離され、永遠に変わることのない時間に漂う――その意味を冠する永遠亭は既に形骸化し、安住の地かに思われたこの場所も徐々に穢れが進んでいる。
 かつての月の姫、その従者は寿命も意味を持たないだろうが、此処に棲む兎はいつか死ぬだろう。それは鈴仙も例外ではあるまい。
 八意様のやることだから――と達観することはできても、その意図が読めない限りは不安であることに違いはない。そも、穢れを嫌うのなら八意永琳は月から出るべきではなかったし、この屋敷に施された永遠の呪を解くこともなかった。
 地上には穢れがある。生と死に満ち溢れている。
 その事実を自覚した上で、彼女の真意を計らなくてはいけない。
 推し量ったところで、理解が及ぶかどうかはまた別としても。
「……全く、お姉様も懲りないわね……」
 日当たりのよい縁側に正座をし、綿月依姫は湯呑茶碗に手を添えて息を吐く。
 綿月の職務上、月の都から離れるのも地上に何度も行き来するのもあまり褒められたことではなく、ましてや八意永琳に会いに行くのはまた要らぬ噂を呼ぶおそれがある。ならば姉の我がままを抑えるのが妹の役目なのだろうけど、永琳に対する憧憬が強いためか、さほど強く止めることもできず、監視役と称して一緒に付いてきてしまう始末。
 情けない。
 依姫は深々と溜息を吐いた。
「……まあ、鈴仙の顔を見れたのは良いことだけど」
 臆病者で、自分勝手で、最後には戦争を恐れて月から逃げ出していったひとりの兎。
 依姫をして才能があるといわれた兎でも、性格は戦いに向いていなかった。かくて兎は地上に降り立ち、永琳に匿われることになったというわけだ。突然の再会を果たした鈴仙は、嬉しいやら切ないやら、どうにも形容しがたい表情を浮かべていたが。
 そんな兎でも、綿月に仕えていた者ならば相応の愛着がある。鈴仙が、あの頃の生活をどう感じていたのかはわからないが、最終的に逃げ出してしまったのだから、他に比べようもなく幸福だったというわけではなかったのかもしれない。
 小さく首を傾けて、まぶたを閉じ、少しだけ眉間に皺を寄せる。
「難しいわね……」
 兎が戦いに向かないのは知っているが、それにしてももう少し役立てるようにしておきたいのだが。何度言っても鍛練はサボるし、勉学は頭に入っていかないし、すぐ寝るし、歌うし、いや歌うのはそれなりに上手いからたまになら良いのだけど。
 そんな益体もないことを考えながら、月の空にはない空の青を眺める。
 これを美しいと呼ぶのかは知らない。地上の美は月の美と必ずしも一致しないのだ。
 ただ、青いなあ、と。
 そう素直に感じることが美しいというのなら、確かにこの空はとても美しい。
「……あまり、こそこそするのは感心しませんね」
 びくッ! と廊下の物陰から恐れ戦く兎の小さな悲鳴を聞く。
 その正体など簡単に予想できるが、凝視していると却って出辛いかと思い、あえて目線は中庭に投げたまま、彼女たちが自主的に登場するのを待つ。
 五秒、十秒ほど経過して、おそるおそるといった足取りで、ふたりの兎が廊下の板を軋ませながら近付いてくる。
 鈴仙・優曇華院・イナバと、レイセン。
 かつて月に在った者と、今も月に在る者。
 その違いは少なくないにしても、表面上は人の姿をした兎である。
「あは、あはは……」
「その、すみません……」
 愛想笑いと、意味のない謝罪が右の耳に流し込まれる。はっきりしない物言いは、依姫の好むところではない。あまり厳しいことは言いたくないが、締めるところは締めなければ他の兎に示しが付かない。ここは月の綿月邸ではないが、そう易々と性格が変えられるわけでもなし。
「何ですか。言いたいことがあるのなら、はっきり言いなさい」
「は、はい!」
「ご、ごめんなさい」
 丸まっていた背筋がピンと伸び、それでもレイセンは謝っていた。他者の怒りに慣れていないのかもしれない。綿月に仕えるのなら、これくらい慣れてもらわないと後々辛くなるだろうが、それもレイセンの性格だ。
「え、えぇとですね。豊姫様が、依姫様を探していらっしゃるご様子でして」
「呼んできなさいと言われたので、その、でもあんまり邪魔するのも悪いかなーと」
「だから、廊下の隅からこそこそ見ていたわけね」
 いやまあ、と鈴仙は口ごもる。
 依姫はただ座ってお茶を飲んでいただけなのに、声を掛けるのが躊躇われるというのも問題かもしれない。それだけ彼女たちが臆病だともいえるが、一応は主にあたる人物に声も掛けられないのは、依姫の主としての資質が問われかねない。
 依姫自身は真面目に職務をこなしていると思っているだけに、これ以上どうすればいいのかよくわからない。
 さっき傾けた方とは逆に首を少し傾けると、後ろで纏めた髪が肩に掛かった。月と地上では環境が異なるため、髪の手入れも苦労する。月と地上で、兎のまとめ方にも違いはあるのだろうか。永遠亭にも、地上の兎を纏めている兎がいるそうだから、話を聞いてみるのもいいかもしれない。
「あの、依姫様?」
 おずおずと、不安そうに声を掛けてくるレイセン。
 別に意地悪をするつもりではないが、依姫は素直に思ったことを口にしてみた。ほんの少し、首は傾けたまま。髪は肩に引っ掛けたままで。
「……もしかして、私って取っつきづらい?」
「えっ」
「えっ」
 ほぼ同時だった。
 よくわかった。
 よくわかったが、依姫は少し悲しい。
「……そうですか」
「あ、えっ、いや、別にそういうつもりでは」
「そ、そうですよ! ただちょっと、刀を振り回しながら追いかけてくるのは怖いかなとか、そんな難しそうな顔ばっかりで皺が増えないのかな、とか」
 傷口をえぐるのはやめてほしい。
 依姫だってひとりの女性である。
「……あなたたち、ちょっと付き合いなさい」
「あ、いえ、でも豊姫様が……」
「どうせお腹が空いたとかそのあたりです。そんなことより、世間話でもしましょう。他愛のない話がいいわね。何かこう、天気の話とか趣味の話とか」
「いい天気ですねー」
「そうね」
「……あ、話が終わっちゃった……」
 鈴仙が、今までにないくらい気まずそうな顔をしていた。
 レイセンは、あたりを見渡して何か必死で話題を探しているようだった。
 心なしか、依姫も少し申し訳なくなってきた。
 思えば、こうして兎たちと意味のない話をすることがあっただろうか。記憶を探っても、あまり思い付かない。こんな気分に浸るのも、地上の空気の成せる業だろうか。
 なればこそ、やはり地上は月とは違う。
 けれども、その差異は必ずしも斬って捨てるほど惰弱でもない。

 地上の空は、抜けるくらいに青く澄んでいる。
 真昼の空に月は昇らず、今は太陽の天下である。
 いつかこの空に月が昇れば、月が懐かしく思えるのだろうか。
 今はまだ、地上の空に身を任せていよう。
 そうでなければ、味わえぬものがあると知ったから。

「いちばん、レイセン、うた歌います!」
「それは一発芸」
「うーみーはーあおいーなーおおきーいーなー」

 聞いちゃなかった。
 兎も角も、兎とは自分勝手なものである。

 

 

 

 



門番 レイセン 綿月豊姫
SS
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2010年8月4日  藤村流
東方project二次創作小説





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