一日一東方
二〇一〇年 八月五日
(儚月抄・綿月豊姫)
『Princess Peach! ×2』
見渡す限りの桃、桃、また桃。更に桃。加えて桃。まさに桃。
桃尽くしであった。
むせ返るような果物の匂いにも、席に着いて山盛りの桃を眺めるふたりは余裕綽々である。
綿月豊姫と、比那名居天子。
「……準備はよろしいですね」
場を取り仕切っているのは、自称空気が読める女、永江衣玖。
判定員として綿月依姫や因幡てゐ、ただ酒が飲みたいだけの伊吹萃香、暇を持て余しただけの蓬莱山輝夜などが彼女たちの雄姿を見守っているが、本当にただ見守っているだけなので特に役割があるわけでもない。
基本的に、どれだけ桃を早く美しく食べ切れるの勝負だ。制限時間は無し。ギブアップは認める。
ふたりが頷き、衣玖が白い旗をゆっくりと振り上げる。
「――はじめ!」
号令と同時に旗が振り下ろされ、ふたりの手が視認しがたい速さで桃に伸びた。
事の起こりは、およそ二時間ほど前に遡る。
現場は永遠亭、依姫がてゐに兎のまとめ方を聞いていたら、空から巨大な岩が降ってきた。突然であった。
注連縄が巻かれたそれには腕組みをしたたいそう偉そうな少女が乗っていて、落ちてきた岩のせいで中庭がそこはかとなく酷い有り様になっていることなど気にも留めず、依姫とてゐを見比べて、「ふうん」と鼻を鳴らした。
てゐは、鈴仙から不良天人の話を聞いていたからある程度の予想はできたが、月のエリートである依姫には比那名居家のやんちゃ娘の噂は届いていない。不遜な態度を取る彼女に対し、反射的に挑みかかるような態度を取ってしまったのは、当然のことではあるが些か迂闊であったと言わざるを得ない。
「不法侵入、器物損壊の挙げ句、開き直りともいえるその態度。此処がどのような場所か理解しての行動ですか」
「永遠亭、でしょう。十分に理解しているわよ。あなたが得物を振りかざしたいと思っていることも含めて」
あからさまな挑発だった。返答如何によっては抜刀も視野に入れていた依姫は、これで刀を抜くことが難しくなった。抜けば、自身が浅慮であると証明することになる。
「私は比那名居天子。ちょっとした縁で、遊びに来たわけなんだけど……騒ぎを起こしても出てこないとなると、今日はいないのかしら。別に、あなたたちと遊んでもいいんだけど……歯応えがなさそうだし」
依姫とてゐを睥睨し、わざとらしく口を押さえて「ぷっ」と笑う。
ついカッとなって柄に指を掛けた依姫を、てゐがやんわりと抑える。
「まあ、あとはあの人がなんとかしてくれるよ。天人なんか斬っても、桃か酒しか出てきやしない」
こう、さりげなく毒を吐くのが兎の怖いところである。聞こえなかったはずはないが、天子は何も言い返さない。
その訳は、わざとらしく板張りの廊下を軋ませて登場した、ひとりの女性を見ていたせいだろう。
「小人閑居して不善を成す」
このとき、初めて天子の眉が跳ねた。
「暇を持て余すとろくなことをしないのは、地上に棲む者の性かしらね」
綿月豊姫である。
天子と豊姫が対すると、醸し出す雰囲気は豊姫の方が圧倒的に優雅だった。これも年季の差か、不良天人と呼ばれる者の日頃の行いゆえか。
「また変なのが出てきたわね。天人を地上の民と同視するなんて、少し不勉強が過ぎるんじゃないかしらね」
「己の理解が及ばないものを非とみなす。地上にしか、天にしか人がいないと断ずる。無意識であるとはいえ、一体その目でどれほどの世界を見ているのやら。その視界に、悠然と佇む月は在るのかしら」
月で兎が餅を搗いていると嘯きながら、月の民などいないと吼える。
その浅ましさを豊姫は笑い、比那名居天子は呆気なくそれに釣られた。
依姫は、我が姉ながら敵には回したくないなあと戦いたりしていた。
「……これはこれは。遠いところからよくぞおいで下さいました」
「歯の浮くような台詞ね。頬が引き攣っていますよ」
「天人だからね。初めから浮くようにできてるのよ」
舌戦は、豊姫が有利かに思えた。このまま会話を続ければ、天子が折れて腰の剣を振り回すことになる。そうすれば、豊姫の勝利である。永遠亭は修復を余儀なくされるだろうが、それを考慮するのは豊姫ではなく永遠亭の兎たちだ。
が。
涼しい態度を崩さない豊姫が、天子の帽子に付いている桃を見て、かすかに表情を曇らせた。
「……桃」
「あぁ、天界にあるのは桃くらいだからね。でも桃ならいっぱいあるわ。ていうか桃しかない。あとお酒」
「月にも桃はたくさんありますよ。まあ、味は比較にならないでしょうが」
「月みたいな辺鄙なとこにある桃が美味しいわけないでしょうが」
「空気の薄い天界に生えている桃が瑞々しいわけないでしょうに」
両者の視線が衝突し、にわかに火花が散る。
珍しく、豊姫が怒りを露にしている。お互いに誇りだけは高いものだから、それを傷付けられると普段の優雅さから考えられないほどヒートアップすることになる。
そして、当人が盛り上がれば盛り上がるほど、外野の熱は冷めてくるものである。
依姫は何も聞かなかったことにして永遠亭の中に引っ込んでいたかったが、踵を返したところで豊姫に首根っこを掴まれた。
「依姫。全面戦争よ」
「お姉様おちついてください」
「衣玖ー! 段取りお願いー!」
「なんですか、総領娘様は私が呼べば必ず来るとでも思っているのですか」
竜宮の使いが現れた。
明らかに渋々といった体ではあるが、着々と準備を整えるあたりは出来る女といった印象が窺えた。
かくて、興味本位に集まった観客を周囲に置き、月人と天人の威信を掛けた戦いが始まったのである。
戦いは熾烈を極めた……のだが、表面上は静かなものだった。
天子も豊姫も、生まれた時から隣に桃があり、桃と共に成長した桃の申し子である。好きか嫌いかという感情的な判定すら無意味であるくらいに、彼女たちは身も心も桃であった。
ただし桃尻なのは依姫だけだった。
「なかなかやるわね……」
「あなたこそ」
用意された桃は、天界のものと、月のものがちょうど半分ずつ。
手を伸ばし、皮を向く手間を疎んでそのままかぶりつく。汁を撒き散らしてはいけない。顎に汁が垂れ、手のひらが汁にまみれてもいけない。手元に布巾が置かれているものの、両者ともにそれを使用した形跡は見られない。
食べる速度は決して速くはないが、確実に桃を減らしていく桃喰いたち。
観客は、その静かな戦いに飽きて各々勝手に暇を潰していた。
桃も振る舞われたが、あまり食べ過ぎるとお腹が膨れるので消費量は少ない。
萃香は最前列で飲んだくれていた。
「でも、最後に勝つのは私よ」
「この勝負に勝ったものが、桃に愛されたといっても過言ではない」
「同感ね」
「事此処において気が合うとは、ふふ、これも桃の成せる業かしら」
戦いの中に生まれる奇妙な友情。
衣玖は桃をかじりながら戦況を眺め、依姫は衣玖から桃を頂いてそれを食べている。今のところ、勝負を真面目に見ているのはふたりしかいない。
「……あ、おいしいですね。天界の桃も」
「月の桃も、かなり瑞々しいです。総領娘様は、ああいう性格なので売り言葉に買い言葉となってしまいましたが、私はおいしいと思いますよ」
私は、というところを強調するあたり、立場を明確にしておきたかったようだ。
その気持ちは、少しだけ理解できる。
「ありがとう。やっぱり、褒められると嬉しいものですね」
「もし機会がありましたら、またそちらの桃を召し上がりたいものです」
「私も、是非。そう頻繁に来れるわけではないけれど」
「ですねえ。まあ、長い目で」
「はい。楽しみにしておきましょう」
穏やかに、ふたりは微笑む。
蚊帳の外に置かれた者たちにも、小さな縁が生まれたところで、いよいよ桃の数は残りわずかとなった。
それぞれの皿に残った桃は、最後のひとつ。
手を伸ばすのはほぼ同時、桃を喰らい、嚥下して喉を鳴らした時点で瀟洒が決まる。旗を持つ衣玖の手に緊張が走る。依姫は桃が喉に詰まって咳込んでいた。若干うるさい。
そして。
「あ」
息を飲んだのは、果たしてどちらだったか。
おそらくふたりともだったのだろう。
「ももー」
萃香が、残された桃を両手で掴んでいた。
ふたつとも。
「もぐもぐ」
おまけにふたつまとめて口の中に放り込む。
「うめえー」
ハムスターみたいになっていて、少し微笑ましい。
その代わり、口の隙間から汁がこぼれてだいぶ酷いことになっていた。
「そこまで!」
沈黙する天子と豊姫に代わり、衣玖が華麗に旗を振り上げる。
それは、勝負の全てを清算する絶対的な宣言である。
「この勝負、引き分け!」
澄み切った声で、仰々しく幕が引かれる。
口内に桃を詰め込み、それを酒で流し込んだ萃香は、即座に倒れ込んで眠りに入っていた。依姫はどう声を掛けたものかとおろおろしていたが、当の桃喰いたちは、いやに清々しい顔でお互いの雄姿を称えているようだった。
やり切ったといったふうな雰囲気で、握手など交わしたりしている。
勝負の前後で、こうも態度が変わるものか。
依姫は、感心するやら困惑するやらで、とりあえず月のものか天界のものかわからない桃を口に含んでみた。
「……おいしい」
依姫には、味を見てどちらのものかすぐには判断できないが、美味しいか否かを判定することはできる。
今のところは、それだけで十分だろう。
会場は、勝手気ままに酒を飲んでいる者の喧騒と、眠りに落ちている者のいびきが重なり合い、宴会の空気に移り変わろうとしていた。
門番 レイセン 綿月依姫
SS
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2010年8月5日 藤村流 |
東方project二次創作小説 |