一日一東方

二〇一〇年 八月一日
(儚月抄・門番)

 


『依姫様のお尻を撫で回し隊!』

 

 

「――は、本日を持って解散することになった」
 事後報告の後、しばしの静寂。
 そして、静まり返った居酒屋に飛び交う怒号。
 渦中の門番隊壱番は、投げつけられる徳利を避け、コップを掴み、生卵は空中で割ってお酒の中に飛び込ませた。どこからか拍手が湧く。
「静粛に!」
 隣に控えていた門番隊弐番が一喝すると、喧騒は一時的に収束する。だが、ざわめきはそこかしこに根付いている。誰もが納得できる説明がなければ、暴動が再発するのは明白だった。
 壱番は、小さく咳払いをし、浴びせかけられる不審の眼を一様に見返す。
「唐突のことで、皆も驚いたと思う。だが、この報告は紛うことなき事実であり、覆しようのない現実であることを皆に理解してもらいたい」
「ばかな! まだ誰も隊の理想を体現していないのだぞ! それを、紙よりも軽い一言で消し去るなど……到底許されることではない!」
 そうだそうだ! と腕を振り上げて抗議の意を唱える隊員たち。まぶたを閉じ、その罵声を甘んじて受け続ける壱番と弐番。
 総勢十名で結成され、「性欲は健全な情動である」を基本理念とした『依姫様のお尻を撫で回し隊』は、ものの三ヶ月で大きな節目を迎えることになってしまった。
 依姫のお尻を撫でるためなら如何なる苦難も乗り越えようと固く誓い合った彼らの絆に、もはや修復の利かない罅を与えた一撃とは何だったのか。
「……いいか。よく聞いてほしい」
「おまえは依姫様のお尻なんてどうでもいいっていうのか!」
「……うるせえ! おれだって触りたいわ! いや今となれば見ているだけでも十分かもしれない!」
「いや俺は触りたい」
「アホかおれだって触りたいわ」
「だろうな」
「やはり気が合うな」
「いいから本題進めましょうよ」
 弐番に促され、壱番は呼吸を整える。頭の中に浮かんだ依姫のお尻を一旦振り払って、代わりに凛として張り詰めた美貌を想起する。
「……おれの情熱はいささかも衰えていない。だが、世の中にはどうあっても突破できない壁というものがある。今回もまた然りだ。目標が高みにあればあるほど、崇高なる意志を持ち、我々の活動を邪なるものとして蔑みの目で見下しているとなれば、溶岩をも凌ぐ熱意が冷え固まってしまうのもやむを得ないところだろう」
「ま、まさか……」
 隊員たちに戦慄が走る。ざわめきは低い呻きと共に伝播し、壱番の呑んだ唾が隊員たちの動揺を助長させた。
 そして、決定的な一言が放たれる。
「……要するに、依姫様にばれた」
「ぎゃー!」
 慟哭。
 みな一様に、刀を振りかぶる依姫の勇ましい姿を思い浮かべる。無論、振り下ろす対象は彼らの首であり、介錯と呼べる程の慈愛は一切感じられぬ、彼らを存分に甚振るための撫で斬りであった。
「こ、殺される……! 完膚なきまでに……ッ!」
「落ち着け! 落ち着くんだ、いいか、依姫様が本気ならば、おれはここに戻ってこれなかった。依姫様は機会を与えて下さっている! 進退が窮まっているわけではない!」
 必死に隊員を宥める壱番だが、隊員はこの期に及んでも依姫(のお尻)に対する執着から逃れられないでいる。だがそれも無理はない、壱番でさえ、解散という結論に至るまでに血の涙を流さんばかりの葛藤があったのだ。今この瞬間に残酷な結末を知らされ、強制的に受け入れなければならない彼らの絶望は如何ばかりか。想像するだにおぞましい。
「愚か者め……! それが破滅だというのだ! 依姫様のお尻を諦めて、のうのうと生きていくことが我らの幸せだというのか!」
「ああ、愛するべきものに殺されるよりはいい! 眼を曇らせるな、依姫様のお尻は決して無くなったわけではない……! ただ、永遠に届かなくなってしまっただけだ……」
 唇を噛み切り、血を垂らしながら壱番は叫ぶ。世の理を知らしめ、希望を捨て、妥協して生き続けろと絶叫する。
 けれど、誰もが打ちひしがれて沈み込んでいるわけではない。
 いつの世も、理不尽な弾圧に反逆する者は存在する。
「いいや、我慢ならんね。おれは依姫様に斬り殺される羽目になろうとも、依姫様のお尻を撫で回したいという願望を抱えて生きていきたい。理想を抱くのは自由だ。思想も自由であるべきなんだ。たとえそれが邪と断じられようが、おれはおれが抱いた希望を信じていたい」
「……死ぬことになってもか」
「ああ。むしろ、依姫様の手に掛かって死ぬのなら本望さ」
「馬鹿野郎……そんなの、全然格好良くねえよ……」
 門番隊伍番は、散りゆく者の業を背負っておおらかに笑う。けれど、誰も彼を無様と笑えない。彼は、死ぬまで戦い続けることを選んだのだ。この真なる勇者を、誰が笑い飛ばせるだろう。
 怒号も慟哭も鳴りを潜め、みな極度の疲労に苛まれて肩を落としていた。かすかな希望に縋るのも、絶望に深く沈み込むのも、どちらを選んでも心が潰されんばかりの険しい道だ。ならばいっそ、何もかも忘れて新しい道に逃げられたら……と、そう思う者も少なくなかった。
 そこに、一筋の禍々しい光が差す。

「話は聞かせてもらったよ」

「……貴様」
 壱番が振り向くと、そこには居酒屋の扉を開け放って飄々と構える男がひとり。
 門番隊拾参番、裏切りの番号をその身に刻んだ彼もまた、「健全な精神から健全な性欲が生まれる」の基本理念とする、とある組織を立ち上げていた。
 その名も。
「……『豊姫様のおっぱいを揉みしだき隊』が、一体何の用だ」
「いやなに、随分と求心力が無くなったと思ってね」
 にひひ、と厭らしい笑みを浮かべ、店員に席を用意するよう頼む。総勢十名、依姫以下略隊と同等の規模を持つ組織だ。
 ただし、彼らには依姫隊にはない強みがある。
「どうだろう。きみたちも豊姫隊に来ないかい」
「ばッ……!」
 激昂し、立ち上がったのは壱番と伍番のみで、他の隊員は困惑に顔を見合わせていた。絶望による疲労が限界に達した頃、絶妙のタイミングで救いの手が差し伸べられる。そっちの水は苦いぞ、こっちの水は甘いぞ、と。
 隊員は明らかに揺れていた。
 だが、解散すると宣言した手前、壱番には彼らの選択を制限することはできない。
「豊姫様はたいそう寛容でね……私たちの活動をお知りになった後でも、『隙があればいつでもいらっしゃいな』と機会を与えてくださった。永遠に叶わず、届いても届かずとも死が待っている依姫様のお尻に傾倒するより、夢いっぱいの豊姫様のおっぱいに心を埋めた方が、より幸福だとは思わんかね」
 両腕を広げ、布教に励む彼に対し、店員が気まずそうに声を掛けていた。
 店内で尻や乳の話題を全力全開で展開し続ける客の迷惑加減ときたら想像を絶するものがあるだろうが、一応は綿月姉妹が雇っている門番たちであるため、あまり邪険にもできないのが辛いところである。
「……我々は、依姫様のお尻を愛している。隊を離れても、その一心は変わらない」
「どうだかね。心は移り変わるものだ。それが悪というわけでもあるまい」
「豊姫様の乳は大きい。それは認めるが、依姫様のお尻には張りがある。決して乳に劣るものではない」
「はッ。乳と尻を比べることがそもそもナンセンスなのだ。比べるなら純粋に乳を比べたまえ。それとも何か、乳では依姫様に勝てる要素がない、とそんなご無体なことを考えているのかね?」
「いいや、違うな。巨乳の時代は終わった。我々は尻に目を向けるべきだ。大きさが世界を支配するのではない。質が世界を牛耳るのだ。その柔らかさ、感触、形、張り……そして、何よりそれを晒されることを恥じらう彼女たちの羞恥心を!」
 解散の憂き目に遭った依姫隊を鼓舞するように、壱番がテーブルを叩いて熱弁を振るう。その後先を顧みない雄姿に、隊員たちは心動かされる。
 ……そうだ、自分たちは一体何を夢見て生きていたのか。おっぱいの大きさでは姉に一歩後れを取るが、そのお尻には定評がある依姫。そして時折、彼女が見せる恥じらいの素顔。性に不慣れな立ち振る舞い、それでいて男たちにすら容易く見せる無防備な姿勢。
 その全てを、我々は愛していたのではないか。
「隊長……!」
「おれたち、間違ってました……!」
「お、おまえら……畜生、こんなときに結束が強まったって、依姫隊は解散だっていうのに……!」
「いいえ、終わりにさせませんよ。たとえ隊が別れても、我々の精神は深いところで繋がっています」
 弐番が力強く頷く。依姫隊は死なない。誰の目を見ても、その意志が強く感じ取れた。
 期せずして、壱番の目から涙が零れ落ちる。
「うぅ……畜生、今日は飲み明かすぞー!」
「うおぉぉぉー!」
「依姫様ばんざーい!」
「お尻さわりてー!」
 依姫隊が勝手に盛り上がってしまったため、拾参番を含む豊姫隊は半ば取り残された状態になってしまったが、ともあれ飲みに来たのは変わりないので、案内された席に着いて豊姫のおっぱい談議に花を咲かせることにした。
「いや、やっぱりおっぱいだって……なあ」
「揉みしだきたいね。揉んで、しだきたいね」
「でも依姫様のお尻なら揉んでみたいかも」
「貴様」
「よせ」
 喧々囂々、ともあれ喧しいことには変わりなかった。
 ちなみに席に着く際、ものすごく迷惑がっている店員を豊姫隊に誘ってみた拾参番であったが、そのとき店員の口から信じがたい台詞を聞くことになる。

「いえ、ぼくはレイセン派なので……」

 レイセン派。
 これが後に、第三の勢力として前述の組織を脅かすことになろうとは、まだ誰も知らなかったのである……。

 

 

 

 



レイセン 綿月依姫 綿月豊姫
SS
Index

2010年8月1日  藤村流
東方project二次創作小説





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