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  2中 4中 4A 4B 4C 5中 6A 6B EX PH
紅魔郷 ルーミア 大妖精 チルノ 紅美鈴 小悪魔 パチュリー 十六夜咲夜 レミリア フランドール  
妖々夢 レティ アリス リリー ルナサ メルラン リリカ 魂魄妖夢 幽々子
永夜抄 リグル ミスティア 慧音   霊夢 魔理沙   てゐ 鈴仙 永琳 輝夜 妹紅  

花映塚 射命丸 文 メディスン・メランコリー 風見 幽香 小野塚 小町 四季映姫・ヤマザナドゥ   スーさん リリーブラック 幽霊「無名」
文花帖 (射命丸) 鴉 大ガマ  

萃夢想 萃香 香霖堂 霖之助 妖々夢 妖忌 レイラ 上海人形 毛玉 蓮台野夜行 蓮子 メリー
花映塚 ひまわり娘 三月精 (三月精)  

 


 

一日一東方

 

九月二十日
(花映塚・射命丸 文)

 


『嘘とホントとネタの旅人』

 

 ネタが無いからと言ってネタネタ連呼していると、そのうちモノクロームな魔法使いから「誰と寝たんだ?」等と揶揄されそうな気がするので、最近は独り言を吐くこともなく淑やかに煩悶することにしている。そうしたら、目出度い巫女から「生理が来ないの?」等と本気で心配されたために、何かもういろいろ嫌になって疲れた身体を池のほとりに預けてみた。要するに、只の休暇である。
 まあ、周りからすれば仕事も遊びみたいに見えるだろうし、射命丸文本人も娯楽のひとつだと捉えているので、別段休息を取る必要性も感じられないのだが、それはそれ、公私混同はしない主義らしい。
「……は〜」
 溜息をひとつ吐いてみても、蓮の花は何も答えてはくれない。答えられても困るし、というかまだ満開に咲いてるし。無縁塚の船頭は何をやっているんだか、今度その怠慢ぶりを示すために霊と花の減少率をグラフに表してみようか、等と益体も無いことを考えるほど、つくづく自分は仕事人妖なのだなあと感嘆する文であった。
「……それはそうと、やっぱり小ネタしかないですねえ」
 振り仰げば、大ガマの口に上半身を突っ込んでいる氷精が見える。このネタは過去に数度扱ったことがあるが、あまり反響は良くなかった。一部の妖精には非常にウケたが、その他の人妖にはよくあることだと綺麗に流されてしまった。これでは良くない。氷精のワンパターンな芸ばかりでは読者が飽きてしまう。なので、ここはどうにしかして氷精自身の力で脱出してもらいたいものだと、文は香霖堂から仕入れたカメラを腹ばいになって構えるのだった。
 その間も、巨大な蓮の上で大ガマと氷精の分かりにくい戦闘が繰り広げられている。大ガマは頑として動かず、氷精は自らの羽と足をじたばたと動かして、その度に氷結した雫がきらきらと虚空に舞い散っている。
 どちらかというとそっちの方が綺麗だったので、文は即座にフレームをずらし、季節外れのダイヤモンドダストを写真に収める。
「んー。やっぱりグロテスクな画像よりは、ミステリアスな情景の方が受け入れられやすいですからねー」
「もががががががががが!」
 何処からか、限りなく必死な叫び声が聞こえて来る。それを壮大に無視してシャッターを切り続けていると、突然景気の良い破裂音が鳴り響き、それと同時に氷精らしき影が逆向きにフレームイン、そしてすぐさまフレームアウトして池に不時着した。時間を撒き戻したかのような飛行形態を、文は寸分の狂いもなくカメラに収めていく。
 大ガマの口から氷精が吐き出される瞬間と、逆向きに飛来していく様相、ざばーんという清々しい着水音を立てて池の底に沈みゆく氷精の末路まで、一世一代のスタントを如実に刻み込む。さようなら、短い間だったけど、あなたの勇姿は忘れない……。
「妖精と言えど、最期は華々しく散るものなのですね……」
「がぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!」
 何処からか、致命的な悲鳴が響いて来るが、記者は事件の記述のみに留まり、その追究には極力関わらないものなのである。なので、ボヤを消すためにバケツリレーを手伝うよりか、その様子を写真に収め記事に表す方が大切なのである。かしこ。
 激しい水しぶきと凄惨な絶叫が、泡沫の泡となって消え失せようとした時、氷精が沈んだ水に異変が起こる。冷やしすぎた硝子の器が砕けるような音と共に、形の無い水が明確な意志に従って固定される。罅割れるように固着し、出来上がった孤島の縁に小さな手のひらが引っ掛かる。
「……ッぷはぁ!」
 その瞬間を、フレームに収める。
 同時に、

『氷精溺れる』

 アホな見出しが頭に浮かんだ。
「没です」
「……な――」
 氷の島に這い上がり、一通り呼吸を整えた氷精――チルノは、詰まらなそうに吐き捨てる文に堂々と啖呵を切る。
「なぁ……! なぁにが没なのよ、この濡れガラス!」
「いや、濡れているのはあなたの方ですし」
 淡々と切り返し、続けざまにシャッター。咄嗟にポーズを取ってしまうところにチルノらしさを感じてしまうのは、おそらく文だけではないだろう。何とはなしに微笑ましさ(あるいは憐れみのようなもの)を覚え、更にもう一枚。
「いいですねー、情感が溢れてますよー。それじゃあ、次はもっと大胆に行ってみましょうか」
「え、えー……。でも、事務所からはここまでだって言われてるし……。
 ――て、事務所って何よ!」
「知りませんけどー」
 事のついでにもう一枚、としたところでチルノがすっ飛んできた。残念、やはり溺れても妖精のようだ。
「馬鹿にすんなぁー!」
「よっ」
 取材道具を剥奪しようとするチルノの突進をかわし、顔面スライディングをかましたところを受け身と同時に激写する。飛べばいいのにと思うのだが、やはり溺れかけたショックから完全に脱し切れていないと見える。起き上がり際、何度も咳をしていた。
「は、肺に水が……!」
「妖精なら、エラ呼吸ぐらい出来るんじゃないですか?」
「馬鹿にすんなー!」
 振り向きざまに放って来た氷弾をかわし、あおっぱなを垂らしているチルノの表情を捉える。文が本気を出せば、チルノの痴態を蒐集することぐらい朝飯前なのである。需要と供給の調和が取れていないから、幻想郷には出回っていないのだが。
 一通り水を出し切ったチルノは、涙目になりながらも文句を言うのは忘れない。何だか可哀想になってきたので、文も事のついでだからと清聴を心掛ける。二割くらいは自分のせいだし。
「はぁ、はぁ……。全く、あんたのせいでえらい目に遭ったじゃないよ」
「少なくとも、大ガマに顔を突っ込んでいたのはあなたの責任だと思いますよ」
 あの方もそう言っています、と蓮の上で胡坐を掻いている(ような気がする)大ガマを指す。おそらくはチルノの氷弾を体内に喰らったのだろうが、見た感じダメージを負っているようには見えない。多分本気でチルノと戦ったら勝つかもしれない、今度特集を組んでみようかとネタ作りに思いを巡らしている最中にも、チルノの弁舌は続く。
「そもそも、明らかにピンチなんだから助けてもくれてもいいじゃない。いや、助けない方がどうかしてるわ。こういうの、人権無視っていうの? あ、でも人じゃないから妖精権無視? ……ていうか、妖精権って何よ。あんた知ってる?」
「少々物事に対する洞察力が無くてもそこそこ生きられる程度の権利です」
「……何となく、馬鹿にされてることだけは分かった」
「ご立派ですねえ」
「やっぱりそうかー!」
 真っ赤になって猛進して来るチルノをかわし、勢い余って池に落ちたところを再び激写する。チルノはやはり盛大に溺れていたが、文は自らの本分に立ち返り、彼女に救いの手を差し伸べない方向で行くことにした。
「がぼぼぼぼぼぼぼぼ!」
「ベタですねえ……。まあでも、ベタはベタなりに味があると言いますしー。ふむ、今回はこれで行きますか」
 巨大な蓮に腰を下ろす大ガマと、可憐に咲き誇る蓮の池を背景に、水しぶきをあげていざ沈まんとしている妖精の姿を思う。少女が今際の際に天空へ腕を突き出した瞬間、文は自然にシャッターを切っていた。

 

 

 後日、文々。新聞の号外が無料配布された。
 見出しは、

『湖上の氷精、はぢめての濡れ場リポート』

 だった。
 射命丸文の独断と偏見で綴られたこの体験記は、創刊以来かつてないほどの売れ行きを見せた――ということもなく、特に何事も無かったかのように流されてしまったそうな。
 ちなみに射命丸文及び氷精チルノは、この件に関する一切のコメントを拒否している。

 



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一日一東方

 

九月二十一日
(花映塚 メディスン・メランコリー)

 


『壷毒』

 

 薄暗く、湿気も多けりゃ埃も臭い。
 蔵書が多ければ多いほど死角は増え、盲点は等比数列に増大していく。本棚は壁となって光を遮り、埃の温床を生み出し続ける。だが、そのために本が死滅することはない。彼らも、自分らが誰のお陰で存在していられるかを知っているから。
 完全に管理が行き届かずとも、管理を放棄するのは好ましくない。無論、侵入者を許すなどもってのほかだ。
 それなのに、光の差し込まない施設の中を、人形めいた影がふらふらと進んでいる。
 コンパロコンパロと本人にしか理解できない呪文のようなものを呟きながら、その傍らにまた一体の人形を携えて。足取りは軽く、目的地を見据える瞳に胡乱な闇は存在しない。
「にんげんーなんてららーらーららららら〜」
 ぼやく。
 少女は侵入者ではあるが、自らの体質から魔法図書館の自衛機能に迎撃されることもなかった。メディスン・メランコリーは、一路この図書館の主のもとへと急ぐ。
「……うーん、しっかし寂れた図書館ねぇ。ていうか、図書館がどんなもんなのかよく知らないんだけどー」
「だったら、速やかに帰ってもらえませんか」
「うん?」
 気楽に飛んでいたメディスンの前に、黒い翼を広げた悪魔らしい影が推参する。
「あ、悪魔だー」
「そうです。なので、ここから出て行ってください」
「悪魔って初めて見るわー。やっぱり口が悪いんだねぇ」
「……話が通じませんね」
 説得を断念し、小悪魔は手元に漬物石大の魔力塊を浮かび上がらせる。言葉が駄目なら実力行使。メディスンはいまいちピンと来ていない様子だったが、悪魔が敵意剥き出しで自分を睨んでいることに気付き、得心が入ったとばかりに手を叩いた。
「あー、なるほど。なんだかんだ言って、あなたも私を攻撃したい訳ね?」
「言いたいことがよく分かりませんが……。落とされたいのなら、いつでも」
「それじゃー、行くわよスーさん!」
 咆える。
 それに応えるように、小悪魔は唇を歪めた。相手が誰か知らないが、小悪魔は負けるつもりで勝負を挑んだことはない。右腕に溜めていた魔力塊を、数弾に分けて射出する。普段相手にしている魔法使いより幾分か的が小さく、その分だけ密度を濃くする必要がある。
 メディスンはその場に留まり、巨大な弾の隙間を次々に縫っていく。その間、メディスン自身は何も攻撃せず、ひらひらと軽快に身を躍らせているのみ。小悪魔は腕を休めることなく、右腕のみならず左腕にも新たに魔力塊を生み出そうとし。
「――ッ!」
 不意に、左上空の毒々しい気配を察知する。メディスンよりも数段小柄な人形が、彼女には相応しくないほどに大きく口を開き――否、顎の関節を綺麗に外して、その奥から禍々しい毒霧を吐き散らした。
 紫色に淀んだ煙幕は、反応が遅れた小悪魔の全身を即座に包み込む。何らかの毒であると判断し、寸でのところで自発呼吸を停止。だが、毒の成分は皮膚からでも十分に吸収される。ほんの一瞬、ふっ、と意識が点滅した。
 直後、楽しそうに両手を翳しているメディスンの姿を確認する。遅い。が、身体は命令を受け付けてはくれなかった。
「ま――」
「喰らっておきなさい。毒も薬も似たようなものだから、さ」
 小悪魔が放ったものと同じ、放射状に広がる無数の弾丸。他人の状況などお構いなく、次々に発射される弾の中に埋もれそうになって――。

 

 

「騒々しいわね」
 突如として、遮られた。
 邪険な口調が発せられると同時に、毒の霧と小悪魔が放った弾丸、小悪魔に襲い掛かっていた弾丸の一切が消滅する。図書館の天井と壁と床が不自然に揺らいでいるところから察するに、ある結界の一種だろうと小悪魔は判断した。それでいて、生物には何の影響も及ぼさないのだから、彼女の力が知れるというものだ。
 調子はさほど良くないのか、低空飛行を維持しながら、対峙する両者を一瞥する紫の魔女。竦み上がる小悪魔とは違い、メディスンは大した動揺を来たしていない。
「ところで、あなたはいつまで仕事をサボっているつもりなのかしら。人形と戯れるのは結構だけど、そういうのは夢の中だけにしてもらいたいわね」
「も――申し訳ありませんでした! 只今、現場に戻ります!」
「ここも現場なのだけどね……ああ、聞こえてないか」
 言うが早いか、緊張感の漂う場から脱出する小悪魔。その忙しない背中を一通り眺めた後、新しい侵入者に焦点を合わせる。
 メディスンも、高低差があっては話し辛いと感じたのか、徐々にその高度を下げていく。小悪魔を窮地に陥れた人形も彼女のもとに舞い戻り、あるべき形に収まる。
「おー、もしかして?」
「もしかして、何かしら」
「引きこもり?」
「面と向かって言うことでもないわね。まあ、否定する必要もないけど」
 ひとつ咳を挟み、自らの境遇を明らかにする。パチュリー・ノーレッジは本の側にいなければならない。特にそういう契約をされた訳でもないが、そういうものだと自分では思っている。
「やっぱりー」
「やっぱりとか言われると、それはそれで腹立つわね」
「不思議と、全然そういうふうには見えないんですけど」
「不思議ね」
 ふしぎふしぎー、と喧しく喚き立てる。うるさい黙れと排斥するのは容易いが、パチュリーもあまり調子は良くない。――否、かつて身体の調子が万全な日が一日とあっただろうか。パチュリーはかぶりを振る。
「どうしたの? 頭に毒が回った?」
「そういうあなたは、全身が毒で侵されてるようね……いえ、違う。むしろ、毒を取り込んでいる……?」
「ご名答ー。噂通り、あなたってば頭良いね」
「それはどうも。初対面だけど、あなたは頭が悪そうね」
「僻んでるのね、毒の力を」
 力強く胸を張ると、隣の人形もまた同じ動作をする。いつか、森の人形師が似たような人形を携えていたことを思い出す。
「ところで、あなたは何の用事?」
「あ、そうそう。今日はね、遠路はるばるパチュリーさんに会いに来たのです」
 自信満々に答える理由がよく理解できない。他人の思考とはそういうものだと、パチュリーは結論付ける。まして、予測が正しければこの少女は――。
「ふうん。下らない用事でも重要な用事でも等しく拒絶するけど、それで良かったら話ぐらいは聞きましょう」
 喉の調子もほんの少し良くなって来たし、実を言えばかなり暇を持て余している。部外者の話を聞くのも悪くはない。特に物を奪いに来た訳でもないだろうし。
 と、別段素っ頓狂な提案がなされた訳でもないのに、メディスンは何故か酷く驚いたような顔をしていた。隣の人形も同様に。
「あなた、攻撃して来ないのねー。これは、もしかして?」
「何かしら」
「実は良い魔女?」
「かもしれないわね」
「でも、良い魔女は引きこもったりしてないかー」
 自己完結してしまった。
 つくづく他人の気持ちを考えない人形である。
 だが、パチュリーは自分も似たようなものだからと、相手を責めるのはやめておいた。
「まあ、いっか。歪んだ性格はいつか治るからね」
「歪んでいた方が便利なものもあるのよ。魔法使いとか、幽霊とかね」
「ふーん。でも、私は人形だから別にいいや」
「……で、本題は何かしら」
 話が先に進まないので、パチュリーは先を促す。すると、メディスンの顔が不気味な笑みを形作る。絶対に何かを企んでいる顔だ、永遠亭に住む面子は大抵みなこんな表情を晒している。
 子どもっぽい笑顔の裏に、一体如何なる野望を抱いているのだろう。さして興味はないが、話を振った手前付き合わない訳にはいかない。
「さあ、隠さないでさっさと言いなさい」
「仕方ないわねー」
 ふふふ、と分かりやすい笑みをこぼしながら、メディスンは雄々しく人差し指を突き出す。

「ねぇ――。あなたと私で、引きこもり同盟でも作らない?」

 

 

 後日、永遠亭の蓬莱山輝夜に引きこもり同盟の推薦状が届いたという事実が文々。新聞によってスッパ抜かれたが、嘘か真かは幻想郷の住民にとっちゃかなりどうでも良いことであった。
「なんでー!? 私たちのこと注目してくれないのー!」
「そりゃあ、引きこもりの生活なんか面白くもないものね」
「……うわー、完全に開き直ってるー」
「あなたもでしょ」

 



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一日一東方

 

九月二十二日
(花映塚・風見幽香)

 


『ぐるぐる』

 

 太陽を直視するのはあまり目に良くない。
 けれども、若い向日葵は無数に存在する瞳で太陽を見詰めている。飽きもせず、悔やむこともなく、ただひたむきに。
 ――呆、と生きているつもりだった。
 目的などなく、生きる理由もなく漫然と日々を過ごし、時には暴れ、あちちこちらに出て回っては喧嘩を吹っかけ、それに飽きては自分の館で眠りこけていた。
 今は、向日葵の海にいる。とりあえずは、そういうことになっているらしい。まあ、向日葵は好きだから特に問題はないが。ただ、最近は不法侵入者が増えたように思う。
 幽香は、向日葵畑の上に浮き、目を閉じていた。かといって、眠っている訳ではない。
 聞こえて来るのは幽かなざわめき。人間が放つ明確な意志に基づいた言葉ではないが、それぞれが何らかの想念を込めて放った声。幽香はそれを聞くのが好きだった。語りかけるなどという野暮なことはしない。ただ耳を傾けているだけでいい。今は、それが好きだ。
「あら」
 向日葵のさざめきとは異なる、賑やかな気配に目蓋を開ける。感じ慣れた空気ではあったから、特に害はないだろう。同様に益も無かろうが、浮かれた妖精というのも珍しい。妖精は基本的に騒がしく悪戯っぽいものだが、どうやら此度の異変――実はそうでもなさそうなのだが――に中てられて、いつもより高揚しているようだ。
 耳を塞ぐことも出来たが、こういう事態も珍しい。幽香は妖精たちに問い掛けた。
「こんにちは」
 こんにちは、と律儀に返される。言葉を持たない妖精たちの声も、耳を澄ませばそれとなく聞くことが出来る。妖精たちも、幽香の存在に怯むことなく自らの意志を伝える。
 この花を、持って行きたいの。
 彼女たちは、儚げにそう呟いた。
「向日葵、ねえ」
 足を組みかえ、物憂げに頬杖を突く。持って行かれること自体は苦ではない。ただ、向日葵がどう感じるかの問題だ。彼らのことは彼らにしか分からない。いかに力があるとはいえ、彼らのことを完全に理解しているのだと、自惚てしまうほど全能でも愚かでもない。声に出していることが全てではない、その裏に、隠さなければならない思いが確かにある。人間にも、人形にも、向日葵にも。
「それは、どうして」
 向日葵に代わって、幽香はふらふらと浮いている妖精たちに問う。はしゃぎ周り、悪戯して回ることに大した意味はない。妖精であるならば、当たり前のように行なわれる行動だ。自然の気紛れにも似て、それは他の生物に害を成すこともあれば、なくてはならない益と化す場合もある。
 だが、幻想郷が生きたまま輪廻する今においては。
 自然の象徴である妖精も、人間が抱く程度の詰まらない理由なんてものを準備しているかもしれない、と思ったのだ。
「どう? 特に見当たらないのなら、無理にとは言わないわ。それに、貴方たちに理由など必要ないのでしょうからね」
 くすり、と口の端で微笑む。いつの間にか、穏やかに笑う術を覚えた。
 妖精たちに動きはない。同じ場所に停留し、眼下の花々と眼前の幽香を交互に見比べている。空の真ん中にも巨大な向日葵があるというのに、そちらの方は見ようともしない。ああ、成る程。太陽も自然の一部だから、同じ構成素である妖精は見向きもしないのだ。
 ならば、妖精と霊はどういう関係にあるのだろう。ふと、思い巡らしてみる。
 ――と、その前に。妖精たちが、おもむろに意志を伝える。
「……ああ、なるほど」
 納得した。
 やはり、彼女たちにもそれなりの理由があったのだ。いつもは何も考えずに動き回っている妖精も、今回の事変の影響を受けていたのである。外から大挙して押し寄せた外の者の幽霊が、花々に取り憑いては一斉に開花させた。内と外、幽霊であることこそ同じだが、やはり外から来る者は珍しいのだろう。妖精も、それを胸に掻き抱いてみたいと思ったようだ。
 あるいは、罪深き者たちへの憐れみを抱き、献花として捧げるつもりなのかもしれないが。
 果たして、妖精にそれだけの精神が備わっているものなのか――妖精でない幽香には、到底知り得ない領域であった。
「いいわ。何処へなりとも持って行きなさい。……と、私の許可なんて本当は必要ないのだけどね。私は管理者でも守護者でもない、只の向日葵愛好者だから」
 肩に掛けた傘を、少し後ろにずらす。若干バランスの悪いハンモックが出来上がったところで、目の前の妖精たちが向日葵畑に舞い降りる。人の話なぞ半分も聞いちゃいない。本当はこれが普通なのに、いつになく聞き分けが良いせいで騙されてしまった。……やれやれ、自分も随分と丸くなってしまったものだ。しばらく経ったら、あちこちちょっかいを出しに回ってみるとしようか。
 忘れ去られるというのも、幽霊同様悲しいものだ。
「ああ、そうそう」
 向日葵の花を抱き締めている妖精たちの背中に、言い忘れていた言葉を背負わせる。覚えていてほしいとは思わない。どうせ忘れるだろう。が、伝えることよりも、口に出すことそのものに意味があると幽香は思う。
「貴方たちが持っている花は、いつか土に還るものよ。だから、いつとは言わないけれど。思い出したら、それを土に還してあげなさいね」
 最期に、意地悪く笑ってみせる。
 それが切っ掛けとなり、潮が引くように妖精たちが飛び去って行く。後に残されたのは、空と太陽と向日葵と、あまり大自然と溶け合っているようには見えない一匹の妖怪のみ。
 この構図がやけに不自然で、幽香は誰憚ることなくクスクスと笑みをこぼした。どこぞの誰かが見れば、気色悪いと顔をしかめそうな光景だが、その誰かの表情を思い浮かべると、更に笑いが止まらなくなるのだった。
「……ッ、はぁ……。全く、ねぇ。妖精たちだって、いつかは消えるのに。自然の一部とされているものさえ、自然に還ってしまうのにね。それなのに、私たちは何時までのんびり暮らしているつもりなのかしら。……ねえ?」

 ――さて、ね。そんなこと、知ったこっちゃないわ。

 何処からか、不躾な文句が聞こえる。
 はてさて、この声は何処かで聞いたような気もするし、初めて耳にするようにも思える。結局はそのどちらも一緒なのだから、深く考えることはせずに目を閉じた。
 物思いに耽るのにも、些か飽きが来た。だからもうしばらくは眠っていよう。とどのつまり、自分は眠っているのが性に合っているようだ。もしかしたら、向日葵よりか竹の花の方が似合っているのかもしれない。芯が強く、なかなか折れない。人が忘れた頃に咲き、束の間に騒ぎを起こす。
 再び自分が目覚めるときは、竹林に潜んでいるのだろうか。そうそう都合の良いことはないだろうが、意味のない夢を見るのも面白い。
 耳を澄ませば、向日葵のざわめきが耳に届く。
 笑っているような、泣いているような。得体の知れない声を子守唄に、幽香は花の海にその身を預けた。

 ――向日葵ぐるぐる 向日葵ぐるぐる
 ――向日葵ぐるぐる ひと回りー……

 



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一日一東方

 

九月二十三日
(花映塚・小野塚小町)

 


『My heart will go on』

 

 小野塚小町は死神であるが、そうぽんぽん人を殺している訳ではない。そもそも殺すという言葉に語弊があり、死神は人間に来るべき死を告げる役割があるだけで、故意あるいは過失により他者を死に至らしめることは滅多にない。死神もまた神の属性を備えるものであるから、徒に生死の天秤を揺らすことはしないのだ。
 ただ、死神といえども自我のある一個体であって、腹が立つこともあれば悲しみに咽ぶこともある。人並みに好奇心もあるし、嫌な仕事を嫌だと拒絶する権利もあるはずなのだ。まあ、彼女の上司に言わせれば、それは言い訳以外の何物でもないのだろうが……。
「あたいーのーふねはぁよ〜……ってかー」
 小町は気楽に船を漕いでいる。後ろの座席には幽霊がひとつ、座るでもなく浮いていた。
 一回の渡しにつき幽霊一人、という明確な規約がある訳ではないが、彼女の船は一回一霊で通している。忙しい時はその限りではないが、一霊ずつにした方が仕事量を分散出来、簡単に言うとたくさん働いたような雰囲気を出すことが出来る。
 尤も、彼女の上司はずっと前からそれに気付いており、しかる後に罰でも下そうかと企んでいるのだが、浮かれ気分のまま仕事に精を出している振りをしている小町には、その謀略を察知出来るはずもないのであった。
「はーとうぃるー、ごーおーん、えーんど……っとと。悪いねえ、お客さん。あたい一人で浮かれちゃって」
「……」
「……ん、気にすんなって? あぁいや、でも旦那の話も聞いておかないとさ。積もる話もあるだろうし、それに……」
 櫓を漕ぐ手をとめ、三途の河のそのまた先を仰ぎ見る。
 前方に広がる白く濃霧は、一寸先とは言わないが、三途の道程を限りなく困難に仕立て上げる。三途の川幅は故人の徳によって大きく変わり、善人の逝く道は人生の長さに反して酷く短く、悪人の進む道は隘路になる場合が多い。
 その負担は、橋渡しを勤める小町に強く圧し掛かる。本当は恨み言のひとつやふたつ吐くべきなのだろうが、それは船頭の仕事ではない。それに、この気紛れさが面白いと思ったのだ。まあ、たまにはしんどいと感じる時もあるけれど、その分だけ面白い話が聞けるのだと考えれば良いだけだ。
 小町は、鎌の代わりに櫓を担ぎ、幽霊に向けて密やかに告げる。
「ほら、まだまだ先は長いみたいだよ。……さてはお前さん、随分と厭らしいことをして来たようだね?」
「……」
 実に厭らしく笑う小町の横顔を、幽霊は物憂げに見詰めている――ように、小町には見えた。
 先は長い。……そうだ、先は長いのだ。人生という長きに亘る旅を終えたのに、事此処に至りその末路を引き伸ばされてしまう。徳が多ければ簡素に終わる船旅であるのに、全く悪いことは出来ないものである。小町は櫓を流水に浸して、新たな歌を歌いながら彼岸航路を開拓する。
「まーわるー、まーわるーよーじだいーはまわるぅ〜……ってねー」
「……」
 無縁の観客は幽かな声で語りを紡ぐ。
 彼の独白に無粋な合いの手は必要ない。耳に届けばそれは独特の旋律を刻み、小町が知らずと歌にする。それはきっと故人が聞いたことのある歌で、過去を懐かしむこともあるだろう。走馬灯に浸る間もなかった幽霊も、ここでならば憧憬に還ることを許される。
 三途の川とは、そのためにあるのだろうと小町は思う。
「あーあ〜……。かわのながれのよーに〜……。
 おーだーやーかにー……、このみをまーかせてーいたいー……」
「……」
「お客さんに次があるのか、あたいには分からないけどさ」
 櫓を漕ぐ手はとめず、霧の中に船を泳がせる。
 彼岸に付けば、わずかの後に裁きが下る。その先に何が待っているのか、閻魔様でも分かりはない。彼女はただ、その道行きを示すだけだ。
 だからこれは、暇な死神の希望的観測に過ぎない。そもそも、死んだばかりだと言うのに次回の橋渡しを懸念するのも妙な話だとも思うのだが。幽霊ひとつひとつに情を移していたら切りがないけれど、縁の無かった者たちの間に、些細な縁を作るのもいい。
 それが、船頭としての役割ではないかと、小町は密かに思う。
 櫓の重みが腕に伝わる。口ずさむ歌は、幽霊が教えてくれる。
「この次は、早く渡れたらいいね」

 ――そうだなぁ。

 そんな、声無き声を聞いた気がした。

 



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一日一東方

 

九月二十四日
(花映塚 四季映姫・ヤマザナドゥ)

 


『罪深き愛奴のための鎮魂歌』

 

 目を開けたら、上も下も分からない世界にいた。
 それどころか、前も後ろも縦も横も分からない。光も無ければ闇も無し、当てに出来るのは自身の意識だけという曖昧さ。白黒はっきりさせなければ気がすまない映姫にとって、このふわふわ感はどうにも据わりが悪かった。
「参ったわね……」
 コメカミを乱暴に掻こうとしても、手足への命令が上手く伝わらない。そも、四肢そのものが欠けているような錯覚さえ抱く。目を身体に向けようとしても、はて、自分に眼球などという臓器があったかと思う。今さっき口に出した言の葉も、本当に声帯から紡ぎ出されたものだったか。同じく耳に届いた音波にしろ、脳が勝手にそう解釈してしまっただけで、本当は四季映姫という自分の身体に、もはや五感を感応するための組織は備わっていないのではないか。
 精神死、という言葉が脳を過ぎった。ひとまず、頭だけは無事であるらしい。
 不安なのか、冷静なのか。それすらも曖昧だ。映姫はこの混沌の中にあって、相変わらず爺むさい溜息を吐いてみる。「息を吐いた」という実感は無くとも、映姫がそう意識したのならばそれは真実。そう思い、曖昧な世界の海に自我の油を垂らす。
「これだから、曖昧っていうのは気に入らないのよ……」
 人知れず愚痴を垂れる。
 何が起こっているのか、等と益体もないことを考えたりはしない。最低限、夢か現のどちらかではあるだろうから、その境目を露にする必要は今のところ無い。
 はっきりさせるものは、もっと別なところにある。
「面白いですか、面白いのでしょうね……。でなければ、他人に干渉などして来ないもの」
「あら、それはどうかしら」
 声。
 耳朶に刺さる波長の類ではなく、脳に響く無音の共振。テレパシーのようなものだと、映姫は当たりを付けた。これが得意技でもないから、音波を逆探知して相手を探るという真似は出来ないが。
 それでも、この世界の主犯が女性であることは、何とはなしに理解できた。
「もしかしたら、貴方を亡き者にしようと企んでいる輩の仕業かも知れませんよ?」
 クスクスと、耳触りの良い笑い声が響く。人間を酷く好みそうな妖怪の台詞だった。小馬鹿にしているのか、煙に巻こうとしているのか判然としない。捉えどころがない、というのは実に煙と似ているのだが、正面切って対話する場合は、これほどややこしい相手もいない。
 映姫は、物をはっきり言うタイプである。それでも、この相手の本質を見抜くのは若干の時間を必要とするだろうと思った。まして、感覚が剥ぎ取られている空間に身を預けている現状では、普通に話をするだけでも困難極まりないというのに。
「だとしたら、貴方はよほどお暇な妖怪のようね。遊びでなく、私を閻魔と知ってこのような所業に及んだのならば、即座に息の根をとめるなり思考能力を停止させるなりするのが理想でしょう。それとも、貴方は殺す相手にいちいち名乗らなければ気が済まない性質?」
「いえいえ、私めはそのような面倒臭い生き方はしておりませんわ。もっと単純に、分かりやすい生き様を演じておりますの」
「胡散臭い……」
「お褒め頂き、誠にありがとうございます」
 褒めてないわ、と言うのは却って調子付かせる結果になろう。映姫は口を噤み、相手の出方を待つ。目を瞑り、両腕を組んで、自己を中心とした結界を作るイメージ。感覚が頼りにならない世界では、想像力が一番の武器になる。霊力や魔力といった人外の能力は、つまるところ想像の延長線上にあるものだと映姫は解釈している。
 それはいわゆる、幻想と化した力だ。
「……押し黙られると、詰まらないですわ」
「……」
「いざとなれば、貴方の自我を崩壊させることも出来るのですよ。私の指先一つで、永遠の闇の底に誘って差し上げましょうか」
 脅しや誘惑は、元より何の意味もなさない。
 闇なら闇で、一つの確立した世界だ。そこがもし地獄であっても、こんな不明瞭な世界に閉じ込められるよりは数倍マシというもの。
「……詰まらないですわ」
 飽き始めたようだ。声色にわずかな苛立ちが浮き上がる。
 完全とは言い難いが、今はこれくらいで十分。突破口は開けた。
「本当は、ですね」
「……?」
「貴方がどういう存在なのかは、ここに来た時点で予測が付いていたことなんです」
「あらあら。罪の重さを量る閻魔様ともあろうお方が、一介の妖怪と勝手気ままに戯れていて宜しいので? それでは、部下に示しが付きませんわ」
「今一度、自分の胸に手を当てて確かめなさい。量るべき罪が、一体何処にあるのか」
 一瞬、自然な間が空く。きっと、実際に胸に手を添えて考え込んでいるのだろう。映姫には見えやしないのに、よほど悪ふざけが好きな妖怪と見える。
「ちっとも分かりませんわ」
 そのわずかな間の後に、いけしゃあしゃあと言ってのける。
 なるほど、噂通りの抜けた妖怪だ。間が抜け、感覚が抜け、予測が抜ければ相手から本質を悟られることはまずない。巧妙に仕組まれた生き方が、素なのか、演じているものかまでは分からないが。
「貴方は、本当に……」
「お褒めに与り……」
「まだ何も言ってない」
 恐ろしい妖怪だ、と映姫は思う。
 あまり関わり合いになりたくないが、こうして接触してしまった以上、今後も必要・不必要に拘らず、この胡散臭い妖怪と付き合っていくことになるだろう。不意に嘆息しかけて、閻魔の肩書きに相応しくないな、と身を引き締める。
「もうそろそろ、いいでしょう。やはり、境界が定まらない世界は私に釣り合わない。私の前で、見せ掛けだけの誤魔化しや偽りが通用すると思わないことです」
「とか言って、最初は不安がっていたくせに」
「……初めから、貴方はそれを見ていたのですね」
 あるかどうかは分からない――否、あると信じて己が右腕を振り上げようとした直前、厭らしく微笑む妖怪に釘を刺す。この悪戯に何か意味があるとすれば、おそらくはそういう意味のないことなのだろうと思う。
 また少し、実に理想的な間が空いて。
「さぁ、何のことだか」
 白々しく言ってのける妖怪の手のひらが、彼女の頬から顎を撫で付けようとする刹那。
 ――ざぁ、と混沌が一斉に引いていく。
 不確かな世界は、明確な闇へ形を変える。光の失せた世界に、ふたつの影が女性の形に切り取られる。夜の中でも、人は物を見ることが出来る。音を聞き、匂いを確かめ、味を知り得る。物を考え、眼前にある物の正体を解析する。
 あぁ、やはり。
 はっきりした世界というのは、実に居心地が良い。
 映姫は、ここに来てようやく笑むことが出来た。
「……ふぅ、やっぱり閻魔は閻魔ね。お堅いことで」
 妖艶な女性の影が、次第に明確な輪郭を失っていく。これは、徐々に世界が終わりつつあるということだろう。映姫の力により妖怪が形作っていた結界が崩れ、現実に戻ろうとしているのだ。
 肩に傘の芯を引っ掛け、彼女は皮肉げに言い放つ。
「貴方は、少し物事をはっきりさせたがる」
「……」
「物事は、曖昧なくらいが丁度良いのよ」
 クスクスと笑う涼しい声が、いやに耳に通る。耳が痛いとまでは思わないが、そういう考え方もあることは理解している。だが、それはそれだ。
「残念ね。私は、貴方の世界が堅苦しくて仕方ない」
 妖怪は、唇の端を釣り上げるに留めた。
 よりいっそう、彼女の姿が薄くなる。これが最後になることを祈って、映姫は別れの言葉を告げた。
「まさか、私に悪夢を見せることの出来る者がいるとは思わなかった。世が世なら、貴方は稀代の英雄になっていたことでしょう」
 感嘆の意を込めて、消え行く傘と流麗な髪に話しかける。
 その去り際に、彼女は全く愉快だと言わんばかりに嘲り笑う。
「冗談。それは、大罪人と同義でしょう」
 確かに、と心の縁で同意して、映姫は静かに崩壊していく世界に別れを告げた。

 

 

 ――がくん、と首が落ちたのは覚えている。
 次の瞬間、額が机に激突したことも、残念ながら。
 ついでに言えば、間の悪いことに、その一連の流れを小町に目撃されてしまったことも。
 ゆっくり、頭を上げる。ころころと、横向きになった冠が、飛散した書類の上を転がっている。小町は小町で、何の用事か知らないが、鎌を担いだまま開け放った扉の向こうに突っ立っていた。
 あぁ、この気まずい沈黙と来たら、忌々しいことに全くの真実であるらしい。
「……」
「……」
「おはよう」
「……お、おはようございます、四季様」
 もう昼ですけど、という言葉を言いそうになったのは、顔色を見て分かった。
 それと、小町が次に発するであろう台詞も。
「四季様」
「……なに」
 今度こそ、しっかりとコメカミを掻く。
 聞きたくは無かったが、耳を塞ぐ訳にもいかない。五感があるというのは素晴らしいものだ。あぁ、本当に。

「お仕事、サボっちゃだめですよ」

 

 



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一日一東方

 

九月二十五日
(花映塚・スーさん)

 


Suicide Escape(スーサイド エスケープ)

 

 風が吹いても、鈴の音は鳴らなかった。
 ただ、鈴蘭の花たちが、しなやかになびいていた。

 

 初めは、ひとつの種から始まり、芽を出し、花となり、実を付けて種をバラ撒いた。
 やがて花々はひとつの空間になり、種子と一緒に毒を撒き散らしながら、同じようなことを何度も繰り返していた。
 そんなことが、幾度となく繰り返された。
 誰も彼も、飽きることなく続けていた。

 

 雨が降っていたから、その日はとても見通しが悪かった。
 歩きか馬車か牛車かは分からないが、鈴蘭畑に人形が打ち捨てられていた。
 捨てた者の姿は見当たらなかった。足跡も轍も雨粒に塗り潰され、匂いもあっという間に掻き消されていた。
 人形は死なず、ただ消え去るのみ。
 鈴蘭は、雨ざらしになっても鈴の音を奏でることなく、何処かの誰かには聞こえるような、幻想の音を鳴らしていた。

 

 人形だから、綻びることはあっても腐ることはない。
 体躯の周りには幾本もの花が隙間なく生え揃い、時に関節の隙間にも茎を伸ばし、人形の身体を鈴蘭で埋め尽くした。
 金髪に絡み、洋服を剥ぎ取りながら天に向かって伸びていく鈴蘭の花を、硝子の瞳が呆と眺めていた。
 もう何処に人形が捨てられているのか分からなくなってから、鈴蘭畑に人間が来るようになった。髭を生やした男から、生まれて間もない子ども、年老いた女。その次は、髭を倒した猫、後ろ足の一本を無くした山犬、片目が取れた烏。
 生き物たちは、鈴蘭畑に現れてしばらく経つと、生き物ではなくなった。鈴蘭と同じ植物のようなものになった。
 かつて生き物だったものは、肉が腐り、腐臭を放ちながら地面に溶ける。
 その頃にはもう、ここに生き物がいたことなどみんな忘れていた。

 

 鈴蘭が群生していると知り、人間は遠くに離れて行った。そのせいか、前よりは人が訪れることは少なくなった。
 ある日から、長い金髪を携えた壮年の女性が、鈴蘭畑に現れるようになった。
 毒気に中てられないよう、遠くから分厚いレンズを通して、辺り一面に広がる花畑を眺めていた。
 畑の近くに捨てられていた家に住み、日がな一日、代わり映えもしない鈴蘭の海を見詰めていた。時折、マスクを掛けて鈴蘭畑の中に分け入ったりもした。
 たまに、家族らしい人間が家に押しかけ、一言二言告げてから、食べ物や身の回りのものを置いていく。
 元の家に引き返していく娘と孫の背中を、老婆は申し訳なさそうに、けれども何処となく嬉しそうに眺めていた。
 時が経つにつれ、老いた女性は鈴蘭畑の奥深くにまで踏み入るようになった。
 食い入るように鈴蘭の根元を眺め、たまに枯れ細った指で土を掘り返してみたりもする。
 彼女は、何かを探しているように見えた。
 一日の終わり、諦めて家に帰ろうとする背中は、朝の時よりもいっそう丸く曲がっていた。

 

 鈴蘭の中を歩き回っているうち、老婆は肺を患った。
 医者から外出を固く禁じられ、嵌め殺しの硝子窓から鈴蘭畑を眺めていた。
 老婆の家族が、空気の良い場所に移りましょうと説得に訪れても、彼女は首を横に振った。孫娘も、一緒に暮らそうと手を握った。それでも、首を縦に振ることはなかった。
 寂しそうに俯く孫娘が可哀想だったから、その代わりに、何処にでもいる女の子と人形の話をしてあげた。

 


 ――女の子は、自分と同じ色の髪と髪型をした、とても可愛い人形を貰いました。
 姉妹がいなかった女の子は、その子を妹のように思い、いつも一緒に遊んでいました。
 自分と同じリボンを付けて、自分が好きな服を着せて。髪型も少し変えて、鏡に映せば姉妹のようだとみんなに言われるくらい。
 女の子は、その人形のことが大好きでした。
 けれど、ある日のこと、友達の男の子から自分の髪を馬鹿にされてしまいます。
 泣きながら家に帰って、自分の部屋に閉じこもってぐずっていると、棚の上に自分そっくりの人形がありました。それが、無性に腹立たしくて。こんなもの要らない、見たくもない、何処かに捨てて来て……と言って、親に投げ付けてしまいました。
 両親もしばらく迷っていましたが、仕方なく、街の外れにあった毒々しい花畑に、その人形を捨てることにしました。
 ただ、女の子が自分の手で捨てることを条件に。
 その意味をあまり深く考えていなかった女の子は、その畑に着いてすぐに、可愛がっていた人形を放り投げました。
 矢継ぎ早に作業を終えて、馬車は女の子に家に引き返します。
 車の中で、女の子は眠っていました。人形のことも、自分がしたことも忘れて。
 そうして、何年もの月日が流れました。
 女の子は人並みに恋をして、自分の子を身篭りました。
 十月十日の日が過ぎて、自分と似た子どもを産みました。
 その時に、遥か昔に捨てたはずの人形のことを思い出しました。
 あの人形は、女の子にとって妹のような存在でした。あるいは、鏡のような存在でした。
 それを、簡単に捨ててしまった。
 まだ泣くことしか出来ない子どもを抱き締めながら、成長した女の子は泣いていました。
 そして、必ずこの罪を償おう、と。許されるためではなく、あの人形が少しでも安らげるように。
 自分の娘が育ち、成人し、恋人と呼べる人が出来、彼女がまた子をなすまで。
 自分が、自分のために生きられる時間が出来る日まで、人形に与え続けた罪を背負ったままで。
 途中、夫が自分の許を離れてしまったのが残念でならなかったけれど、罪の清算が終わった後で、必ず再会しようと心に誓い。
 人形との再会を果たすために、あの畑に足を運んでいるのです――。

 

 

 数年後、鈴蘭のすぐ側の家に住んでいた女性が、長きに亘る人生に終わりを告げた。
 彼女の身体は、鈴蘭畑の入口に埋められた。
 彼女が願い続けた人形との再会は、最期まで果たされることはなかった。
 それから何年もの時間が流れ、しばらくは彼女の冥福を祈っていた家族も、やがて鈴蘭畑に訪れることもなくなった。
 誰も住まなくなった家は徐々に廃れていき、窓硝子は割れ、壁は痛み、土台は腐り、倒壊しないのが不思議な有り様になっていた。
 その数十年後にはもう、ここに鈴蘭畑があり、自殺の名所だったことや、ある女性が住んでいたこと、彼女が人形を探し求めていたことなど、みんなとっくに忘れてしまっていた。

 

 

 風が吹くと、女の子の声が鳴った。
 もう一度、鈴蘭を揺らす涼しげな風が吹き、緩慢な仕草で、小さな女の子が起き上がった。
 女の子は、何故自分がここにいるのか分からない様子だった。身体をぺたぺたと触ったり、発声練習をしたり、関節を無理やり動かしたりしていた。
 その確認作業にも飽きた頃、またひとつ、強い風が吹いた。
 舞い上がった毒の花びらを手に取り、その匂いを確かめてみる。
 この花は、酷く自分に似ている。身体の中に巡っている力の源が、この周辺に広がっている鈴蘭にあることを、女の子はすぐに感じ取った。ありがとう、と頭を下げてみる。
 ここには、鈴蘭の他に一軒の寂れた家があった。都合が良かったので、女の子はそこに住もうと思った。雨ざらしになるのはもう嫌だった。
 まだ記憶に混乱はあるけれど、そのうちに慣れるだろう。
 そうすれば、これから自分が何をすればいいのか、きっと分かるに違いない。
 備え付けの椅子に腰掛け、割れた硝子の向こう側に広がっている鈴蘭畑を眺めてみた。
 いやに生暖かい風が、ベッドの横に置いてあった、変色していて酷く読み辛い雑記帖を、勝手にぺらぺらと捲っていた。

 


 ――昔、人形にそっくりだった老婆は、まだあの人形を見付けられないでいます。
 そのうち、彼女は思うようになりました。
 あの人形は、もうとっくに人間になってしまったんだ。
 そして、私に復讐しようと待ち構えているんだ。
 もしそうなのだとしたら、それでも構わない。
 私は、会いたい。
 会って、もう一度あの子の名前を呼んであげたい。
 その日が来るまで、私はずっとここで待っていよう。
 たとえ死が二人を別っても、決して離れることが無いよう、この身体を鈴蘭の海に預けて。

 ――×××××・××××××

 

 



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一日一東方

 

九月二十六日
(花映塚・リリーブラック)

 


『ひがんばな』

 

 ――ねぇ、知ってる?

 

 天高く馬肥ゆる秋、鰯雲を見て涎が出るほど倹しい生活はしていないが、人知れぬ墓場でちびちびと酒を飲んでいる身分としては、あまり大きいことは言えないのだった。
 霊夢は、風化して粗が目立ち始めた石段に腰掛け、どこぞの家紋が刻まれた御影石を背にお猪口を啜る。
 墓地にて酒を嗜むのが無礼の極みであるように思うのは、死者の目で物を考えているからだ。墓碑も献花もお供え物も、生きている者が心の隙間を埋めるために成している代償行為なのである。
「ま、それを卑下する理由も無いんだけどねぇ」
 言って、また一口。
 獣が満ち溢れている森の中にある霊園に、供物をそのままにしておくのは衛生上まずいことのようによく言われる。が、霊夢以外誰も知り得ないこの場所に、人間が計った清潔さを気にするような生き物も死に者もいない。
 墓石の裏には、幾本もの彼岸花が咲いている。誰が植えた訳でもないのに、勝手に咲き誇っているのだから性質が悪い。が、自然とは往々にしてそういうものだ。気にするだけ損である。
 ぴー、と鳶の鳴き声が耳を掠める。上を見ても、たおやかな枝葉が見える程度で、大空に翼を広げる鳥の雄姿までは窺えなかった。一富士二鷹三茄子、には程遠いが、そもそもその格言は正月限定ではなかったか。思い返そうとして、特に目出度く仕立て上げる必要もないかと、一番目出度い格好をしている霊夢が、寂れた霊園を見渡しながら呟いた。
 結局は、安穏とした日々の一欠けら。
 然る後に、何者かの邪魔が入るのもまた、有り触れた日常の裏返し。
「おや」
「はいはい」
「お隣、邪魔してもいいかい?」
「どうぞご勝手に」
「じゃあ、勝手にするぜ」
 言って、魔理沙は霊夢の隣に腰を下ろす。手には清酒と茄子と向日葵。自由研究の成れの果てかとも思えるが、ここが墓所であることを考慮すれば、多少無理はあるにせよ、魔理沙がどういう意図でそれらを抱えているかは十分に推測出来る。
「柄にも無いわね、彼岸の参りなんて」
「ん、そう見えるか。これでいて、なかなか神殿仏閣には馴染みがあるんだがな」
「それはうちの神社だけでしょ」
 そうか、と魔理沙は立ち上がる。迷うとこなく、目的の墓碑に辿り着く。石に刻まれている文字が何なのか、霊夢の位置からはよく読み取れない。魔理沙の神妙な顔付きと、柄にもない寂しそうな背中が見えるだけだ。
 くい、と猪口を傾ける。残りは、もう後わずかだった。

 

 ――何を?
 ――冬の終わり、春の始まりを告げる妖精がいるのは、知ってる?
 ――うん、教えてもらった。
 ――そう、偉いわね。
 ――……へへ。

 

 九月も終わりに差し掛かっているというのに、身体が妙に火照っている。
 その理由は、片手の器に乗せている透明な液体にある。手持ちの酒が無くなったと見るや、隣のお人好しが自分の酒を勧めて来た。断るのも変な話なので、誘われるままに飲んでいるうち、次第に頬が照って来た。
 しかし、この酔いが存外心地良くもある。
 自己を見失うことに恍惚を覚えるのも、つくづく妙な生き物だと思う。
 ひょろろろ、と鳶の鳴き声。続けざま、繰り返される歌に空を仰げば、番いの鳶が気持ち良さそうに蒼い天空を旋回していた。二羽の行方を目で追っていると、彼らが青い枝葉の陰に隠れた辺りで、首の後ろが変な軋みを立てた。
「ぐ……」
「もう歳だな、霊夢」
「……いや、そんなでもないし。大体、墓参りしてる方が元気無くしてどうするのよ」
 それもそうか、と魔理沙は嬉しそうに杯を呷る。元々がっつり呑むつもりだったのか、魔理沙が用意していたのはそれなりの深さを誇る杯だった。そろそろ一升は行きそうだ。霊夢には考えられない。
 頚椎を押さえながら、背中にそびえる等身大の墓石を見る。年に数回は手入れを施しているせいか、周囲の墓碑よりか随分と綺麗なように見える。角が綻び色が褪せてしまっていることくらいは、大目に見てもらいたいと思う。
「――あら」
「――むむ」
 そう言えば、もうすぐお彼岸も終わる。それなのに、鎮魂歌のひとつも聞いていなかった。魂はとうに慰められ、癒しを与えられているかも知れないが、それは死者にしか分からない。生きている者は、何も知らずに音を紡ぐしかない。
 遠く、騒がしい曲が聞こえる。ヴァイオリン、トランペット、キーボードがそれぞれに重なり合い、ひとつの旋律を紡いで行く。彼女たちの姿こそ見えないが、この曲が聞こえるのなら特に問題はない。霊夢と魔理沙は、言葉もないまま霊園を包む曲に耳を傾けた。
 悲しいような、楽しいような、儚いような、嬉しいような。
 果たしてこれがレクイエムに属するかどうか、霊夢には判別が付かない。ただ、鳶の鳴く声が丁度良い笛の音に聞こえたなら、それはきっと素晴らしいことなのだと思った。
「……良い曲だねぇ」
 囁くような声に、霊夢は目を閉じて頷いてみる。
「少し、騒がしいけどね」
 そうだな、と意地悪く笑っていた。

 

 ――実はね、秋の短い時期にもあの妖精は現れるの。
 ――そうなの?
 ――そうなの。本当に、運が良くないと見れないんだけど。
 ――見たこと、ある?
 ――えぇ。とても綺麗で、それでいて儚くて。
 でも。

 

 一時間程で演奏は終わり、奏者は姿を見せないままに霊園を後にしたようだった。
 魔理沙の酒も底を尽き、火照った身体も秋風に晒されているうち、適当な温かみに収まっていた。気が付けば、空の色もやや黄金色にくすみ始めている。酒で誤魔化している時は忘れていたが、お腹を擦れば、適度な空席を確保しているのが手に取るように分かる。
「そろそろ、お開きかなぁ」
 千鳥足もやむなし、と言った格好で、箒を肩に担ぐ魔理沙。その調子では、空の上で人身事故を起こすのもやむなしと言った風情だが、終業時間をずらす霊夢にとっては半ばどうでもいいことではあった。
 ただ、霊夢にはまだ帰れない――帰りたくない、詰まらない理由があった。
「……帰るの?」
「ん、やることは終わったからな。レクイエムも聞けたし、とりあえず心残りはない」
「死ぬの?」
「アホか」
 一蹴された。
 言われっぱなしも癪なのか、魔理沙は重い腰を上げようとしない霊夢に話し掛ける。
「そういうお前も、墓に入ろうとしてるんじゃないかと思うほど、墓地の背景がよく似合うぜ」
「それはどうも」
 適当な世辞を吐いて、移り変わろうとしている空を見上げる。掌のお猪口は既に冷めていて、風が吹くたびに身を切る寒さが袖から伝わって来る。
 それでも、ここを動くことは出来なかった。
 もう少し、あと少し。
 根拠など無いけれど、今年こそは会えると思ったのだ。
 何となく、賭け事に没頭する人間の言い訳みたいな響きがあって、自分でも可笑しくなるけれど。
「……どうした、空に鰯でも浮いてるのか――――」
 魔理沙も、霊夢につられて空を振り仰ぐ。
 そのまま、固まって動かない。
 ああ、確かに。
 とても綺麗で、だからこそ儚くて。
 でも。

 

 ――でも、とても楽しそう。

 

 大空に黒い百合が咲く。
 春を告げる時と同じように、その羽根を大きく広げて、思いの丈を空に振り撒く。
 ただ、赤や青や白や黒の弾が、地面に落ちることはない。空を彩る花火のように、弾けたと思えばすぐに消え去る。
 そんなことを、何度も繰り返しては、ゆっくりと空を飛んで行く。歩みは遅々たるもので、掴もうとすれば簡単に掴むことが出来る。どこぞの記者がいたのなら、この珍しい姿をフレームに納めることも出来ただろう。
 けれど、それをするのは無粋に思えた。
「なんてこった……」
 魔理沙も初めてこの光景を目の当たりにし、文字通り声を失っているようだった。
「お前は……。これを、知っていたのか」
 霊夢は、空のお猪口に視線を落として、静かに首を振ってみせる。
「私は、話を聞いただけ。本当は、生きているうちに会えればいいと思っていたんだけど」
 思いのほか、早く会えちゃったわね。
 そう呟いて、そっと目元を拭った。

 

 

 ――その妖精は、死んだ人の魂で出来ているんだって。
 ――そうなの?
 ――分からないけど。もしそうだったら、素敵でしょうね。
 ――どうして?
 ――それはね。
 彼岸に渡っても、そうして楽しく振る舞えていられるのは。
 生きている人たちの祈りが、その人に届いたって証だから。
 だから、もし、その妖精に出会えたら。
 それはきっと、幸せなことなんだと思うの。

 

 



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一日一東方

 

九月二十七日
(花映塚・幽霊『無名』)

 


『枯れ木に咲かせ、愛の花』

 

「……」
「……」
「……」
「……」
「……いや、分かんないからさ」
 たまらず、小町は突っ込みを入れる。当の幽霊たちは、何故横槍が入ったのか理解できない様子で首を傾げている――ように見えた。
 小町には分かるが、人間がこの光景を見たら馬鹿みたいなんだろうなあ、と白黒の魔法使いを思い浮かべながら考えたりする。小町にすれば、人形と会話出来る者の方がよっぽど異常であるが、まあ結局のところ、小町が死神である限り杞憂に終わる話題なのであった。
「そんじゃまあ、点呼取るよー」
「……!」
「……?」
「…………」
「……」
「あーもーうるさーい……」
 四人だけだとしても――正確に言えば、四体とか四匹とか四霊とか言うべきだろうが、まだ裁きを受けていない身分としてはやはり四人の方がしっくり来る――、性格の異なる者が四人集まればそれなりに騒がしい。
 陽気な者やら、物分りの悪い者、暗い者に始終笑っている者。幽霊にしても様々だ。尤も、その細かな仕草まで見分けられるのは、小町くらいなものだそうだが。
「えーと、団体さんはみんな仲良くご臨終? だからそんなにじゃかあしいの?」
「……!」
 活きの良い奴が頭を尖らせる。幽霊になると、感情が表に出易いから面白い。
 彼の話によると、旅の途中で出会って意気投合したから、どうせなので一緒にやって来たらしい。珍しいこともあるもんだと、小町は納得することにした。よく見れば、後ろの二人も活きの良い奴の言葉を聞いて、何となく照れているところもあるし。
 相変わらず、物分りが悪そうなのはいまいち話に付いて行けてなさそうだが。
「んー、そういうこともあるかねぇ。まあさ、ここまで来たらどいつもこいつもみな同じ、ただの浮きだまになってるんだ。目くじら立てるより肩を組むのが得策だろうさ」
「……!」
「……」
 元気な奴が同意とばかりに頭を突き出し、後ろの一人がへらへらと笑っていた。
 大抵は一人ずつ応対しているので、一度に大勢と相対するのは結構大変だ。なるべくのんびりと仕事したいタイプの小町は、これから長く短く付き合うであろう四人に少し閉口していた。
 まあ、いろいろな奴がいるから、この仕事が面白いと思えるのだが。
「それじゃ、手持ちのお金をみんな出してね。渋らない方が身のためだよ」
 全員が全員、金をどう取り出すのか迷っているようだった。活きが良いのと、笑っているのは自力でお金を取り出したが、残り二人はいまだにピンと来ていないようだった。仕方ない、と小町は指を鳴らす。
「……?」
「…………」
 幽霊の身体から、じゃらじゃらとお金が噴き出して来る。死神の鎌で刈り取ることも出来るが、無理に幽霊を脅かすこともない。見た感じ、真に性の悪い人間はいないようだし。
 お金を手の中に吸い込み、幽霊ごとにその試算を出す。
 全員、航行するには問題ない。多少運行時間に差は出るだろうが、さほど待ち時間も長くはならないようだ。
「順番は、まあ並び順で良いね。結局、誰も彼も同じところに向かうんだし」
 さて――と、小町は空いた手を腰に当て、幽霊たちに宣言する。
 三途の川の渡り方は、その実難しいことではない。お金さえ払えば、何をしなくても簡単に渡ることが出来る。それもそのはず、ここで重要なのは生まれてから死ぬまでの生き方なのだ。無論、死後に橋渡しの渡航金を渋るなど、お金を授けてくれた人に対する背信行為があればまた別だが、基本は死ぬ前に終わった話だ。
 だからこそ、幽霊は人間だった頃の自分と真摯に向き合わねばならない。
 小町が示すのは、その心構えに過ぎない。裁きを与えるのは、この次の段階だ。
 毎度毎度のことだけれど、小町は事此処に至って常に緊張する。マイペースだと言い聞かせてはいるが、この感覚はいつまで経っても慣れやしない。だが、まあ、それでいいのだろう。これに慣れてしまったら、死神としても、生き物としても失格だと思うから。
 小町は、死んでしまった者たちへの畏敬を込めて、正々堂々、この道を説く。


「人によっちゃあ、三途の航路は長いものとなるだろう。だが、別に悲観するこっちゃない。どうせすぐに終わる旅だ、少なくとも、齷齪と生きて来た人生ってな旅に比べれば。悲しいかな、お前さんたちはもう死んでしまった。だから、もう取り返しは付かない。後戻りも出来ない。未練が、後悔が、絶望があったところで、それを逆行することはどうしたって出来やしない。死ぬってのは、そういうものだ。
 残された人が流す涙は、握っていた銭になる。天に向かってなされた祈りは、三途を渡る体になる。
 死者のためになされることに、何ひとつとして無駄なものはない。お前さんたちのために悲しむ人がいなかったら、そもそも幽霊にだってなれやしない。死ぬことを拒まれたからこそ、お前さんはここにいる。そして、この先の行き道を与えられている。
 親がいただろう。恋人がいただろう。子どももいただろうし、仲間だっていた。そいつら全員とはいかないけれど、そのうちの誰か、あるいはたった一人でもいい。お前さんは想われている。お前さんが死んだってことを、ちゃんと認めてくれている。
 嬉しいじゃないか……。愛されているのさ、誰も彼も。本当に孤独な奴なんて、誰一人としていやしない。そういうことを言う奴は、自分がどんだけ愛されているのか全く分かっちゃいないんだ。ふん、だから、そういう阿呆な奴らのためには、あたいが代わりに泣いてやるのさ。もう二度と、愛されてないなんて糞馬鹿なことが言えないようにね」


 言い切って、幽霊たちに背を向ける。
 今回は、涙を流さずに済みそうだ。
 皆が皆、愛されているみたいだから。
「それじゃあ、さっさと行くよ! 彼岸を辿るは幽霊の特権だ、生者にゃ見えねえ、幻想の一欠けらをとくと見るがいいさ!」
 気前良く言い放ち、船べりに強く足を掛けた。
 幽霊たちは、変わらずふわふわと浮いている。思うことはあるだろう、誰もみな人生の旅を越えた者たちだ。ここを越えれば、終わりに近付く。生に、死に、過去に、未来に、孤独に、愛に、寂しさに、虚しさに、喜びに、思うことがないはずもない。
 ただ、悲しいかな、それは既に終わってしまった。
 だが、悲しむなかれ、幽霊にはまだ先があるのだ。
「さあ、次の世は夢見た先に広がっているよ! 辛気臭くなるない、生きてる奴らより呑気に行きましょうぜ!」
 景気良く啖呵を切って、船の櫓を肩に担ぐ。
 そうして、元気の良い幽霊が頭を突き上げた。それでいい。この先に未来はある。記憶は失えど、思いは常に繋がっている。
 だからこそ、この仕事は面白い。
 生者が恐れる三途の川にて、死神が霊を渡していく。
 生から死へ、過去から未来へ、絶望から希望へ。
 生きる人々と、死んだ者たちの願いを先に繋げるために。

 

 



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一日一東方

 

九月二十八日
(文花帖・鴉)

 


『カラスの行水』

 

 かぽーん……。
 という音は、結局のところ何を起因としているのだろう。あるいはそれは原住民の心にしか響かない幻想の音なのだろうか。この場にはタライもなく、代わりに響くものと言えば。
「あー……」
 立ち昇る湯気の中、腑抜けた表情を湯船に浮かべている女性がひとり。
 二の腕の辺りまでをお湯に浸けて、今にも鼻歌か何かを歌い出しそうな風情である。
 ここは天然露天風呂、時折かぽーんという謎めいたバックグラウンドミュージックが鳴り響くところからも分かるように、当たり障りも嘘偽りもない健全たる入浴風景が織り成されている。
「うー……」
 背に預けた岩の堅さすらも心地良いのか、身体を揺するごとに恍惚の吐息を漏らす。
 頭に赤い四角を置いて、その上に真っ白な手ぬぐいを乗せて、仄かに頬を赤らめながら、硫黄の海に埋もれている。
 柔肌は白く、お湯の熱に感化されて多少なりとも赤みを帯びている。健康そのものといった体躯は、彼女が動くたび揺れる水面と虚空に舞い泳ぐ湯気によりて、その美しくも艶かしい全体像を拝むことはままならない。
 彼女――鴉天狗であるところの射命丸文は、外見から感ぜられるままの年齢ではない。少女に見せるその体躯も紛い物、けれどもそう魅せようとする心意気はまさに乙女の成せる業と言えよう。無論、何物かを誘惑せんと着飾っているのではないだろうが、発展途上の生娘を彷彿とさせる矮躯を前にすれば、よほど鈍い器でない限り、あるいは分かっているにせよ、些か誤解をしてみなければ失礼に値するというものだろう。
 騙されることが幸福に通ず、とはよく言ったものだ。否、言ったのは因幡の白兎だったか。
「ふやー……」
 ふやけている。同時に、二の腕から肩口、すべらかな鎖骨と、か細い首もとまで温泉の浸食を許す。その隆盛が艶やかな下唇に達しようかという風情に、文は半ば塞がれていた目蓋を無理やりこじ開ける。
 水面下にて膝を立たせ、侵入者の姿を窺う。
 鴉の浴場と聞くと、少しばかり獣臭い雰囲気と捉えてしまいがちだが、場合によっては文のような鴉天狗や鬼なども好んで湯に浸かる。それなりに年を喰った者たちには、温泉がもたらす漠然とした効能に癒されるのだろう。何ぶん、普段は力を抑えて生きている者たちだから。
「お、先客かー」
「……むー」
 文は口をへの字に結ぶ。出来得るならば、一人で溺れていたかったのだろう。
 彼女は特に孤独を好む性質ではないが、一人になりたいと思う時もあろう。まして、今の今まで只の腑抜けた少女と化していたのだ。ここで霧雨魔理沙という人間と相対すれば、否応無しに仕事のことを思い浮かべてしまう。
 幻想郷のトラブルメーカーは、やはりその身にひとつの布も纏っていない。霧雨印の手ぬぐいひとつ、従来通り頭に乗せて、生来の金髪をかすかに波打たせながら、文が浸っている楽園に侵攻して来る。
「あなた……」
「……ん〜? まあまあ、細かいこと言うなよー……。何も、温泉は獣だけのもんじゃないだろ〜……?」
「それは……そうですけど〜……」
「まあ、堅苦しくなるなよ……。気楽に行こうぜー、きらくに〜……」
「……むー……」
 少女の身体が、ゆっくり水面に浸透する。文もいい加減に観念したのか、立ち上がりかけた腰をそっと落としていく。再び、その白い肌が薄く赤らんでいく。自慢の黒髪も熱い水に浸していると、ワカメみたいだなと魔法使いが茶化して来る。あなたこそ――……と何か皮肉ろうとして、緩やかなウェーブが掛かった金の糸では、何をしても褒め言葉にしかならないように思えたのか、そのまま口を噤んでしまった。
 両者の体躯を比較しても、どちらが優勢という判断は安易に下せない。人は時に形や触り心地といった主観的な事情を引き合いに出すが、それこそ客観的な真実として語れるものではない。少女という範疇において、程好く小ぶりに纏まった双丘やら、首筋から背骨の曲線、その殿を務めながら、あくまで控えめに主張する腰回り、俗にいうヒップラインやら、その全てが成長の半ばにある生娘たちの特徴であり、どちらが優れているということもない。
 文の黒髪もまた、魔理沙に引けを取らないくらい輝かしい財産なのであるが、それを虚仮にされた手前、皮肉を返さなければどうにも据わりが悪い。あまりに具合が悪いので、赤く染まった唇を水面に浸し、水の中にぶくぶくと呼気を吐き出したりもした。汚いなあ、と魔理沙が言ったところで気にも留めない。
 確かに、気は抜けているようだ。先程危惧していたような、取材対象が居るから身体が硬くなるということもない。まるで酒を呷っているかのような酔い具合に、もしかしたら霧雨魔理沙のエキスがお湯に溶け出しているのではないかとさえ思う。
「全く、これだからカラスってのは――……あぁん?」
「ぶくぶく……」
 魔理沙の視線が、粗雑な岩肌を抜けた先にある枝葉に注がれる。
 それにつられて文もその方角に目をやるが、すぐにまた細い身体を湯に戻していた。一方、魔理沙は小ぶりな胸元の辺りまで付けていた身体を、一気に顎の下まで浸していた。
「……どーしましたー……?」
「おいおい、酔っ払ってる場合かよ……。ちゃんとお仲間の管理ぐらいはしとけよな、お前らは身内同士で羞恥心もないんだろうが……」
 魔法使いは柄にもなく照れているようだったが、温泉の効能とも考えられる。ネタになるかどうか曖昧なところだ。
「あー……。あれは、特に問題ありませーん……。只の鴉ですしねー……」
「分かっちゃいるがな、射命丸さんよ……」
「一応、オスらしいですけどねー……」
「やっぱりかよ! こっちじろじろ見てるじゃないかあの馬鹿!」
 今度は、魔理沙が口元まで水面に沈む。汚いですよー、と文が言っても全く気にしない。
「鴉なのに馬鹿とは、これまた言い得て妙なー……」
 虚ろな瞳で呟く文に、突っ込みを入れる者は誰も居なかった。
 遠く、かぽーんという謎の音響が聞こえて来る。
 それを耳に焼き付けて、この瞳は白い湯気と白い素肌を追っている。たとえ道具と言われようが、魔法使いと熾烈な戦いを繰り広げようが、鴉というだけで言われもなき迫害を受けようとも、この眼は彼女を追い、彼女の矮躯、その柔肌に付き従う。こう言うと只の変態鴉に聞こえてしまうのが恐ろしいところだが、本当は鴉天狗の命によりてしっかりと周囲を警邏しているのだ。もし覗かれでもしたら天狗の威信に関わることだし、そりゃあ不味いだろう、いくら何でも。
 このお方は永らく幻想郷を生きる者だが、見た目はこんな感じに装っているので、何も知らない阿呆が近寄らないとも限らない。人間の振りをしているだけでふらふらと寄って来るのは人間くらいなものだが、それでもやはり、この方の裸身を拝む権利は何人にも与えられない。
 私は例外である。なにせ、道具ごときに明白な自我など無いのだから。
 ああ、なんて不幸なのだろう。どうして私は鴉なのだろう。いや全く、この湯気になれたらどんなにか幸せだろう。……くそ、やはりボトルネックはこの湯気のようだな……。

 

 



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一日一東方

 

九月二十九日
(文花帖・大ガマ)

 


『氷と油』

 

 程好く棲んだ池の前に、小さな妖精が佇んでいる。
 前に一人と後ろに一人、胸を張っているのと不安げに顔を歪ませているのと。
「や、やっぱりやめた方が……」
「何言ってるのよ! ここで怖気付いたらあいつの思う壺よ!」
「いや、もう壺に嵌まってる気が……」
 緑の髪を片方に纏めた妖精が、控えめに進言するものの、水色の妖精は全く譲らない。
 眼前には、巨大な蓮の上に胡坐を掻いている――ように座っている、大ガマが居る。
 妖精たちを睥睨するでもなく、口を開けて餌を待ち構えているでもなく、ただしんみりと虚空を睨んでいるのみ。ごつごつした肌と異様に盛り上がった眼球、ひとたび鳴けば辺り一面虫の音が消え失せるのではないかと思うほど、彼の存在は圧倒的であった。
 それと比較して、水辺に佇む妖精たちの矮躯。
 過去に数度、前を行くチルノはこの大ガマに呑み込まれている。それでいてしぶとく生き延びる生命力は特筆すべき箇所ではあるだろうが、そもそも簡単に呑まれているようでは話にならない。
 後ろを守る大妖精も、その点を考慮して忠告しているのだが、思うがままに生きる妖精は基本的に他人の話を聞かない。それと知りながら注意する大妖精も、我ながらお人好しだなぁという自覚はあるのだが、だからと言って簡単に見過ごせるほど薄い関係でもない。
「だって、あのウサギは何て言ったと思う? 『大ガマに喰われるのが精々な妖精じゃあ、ガマの油なんて取って来れやしないわよねぇ……』よ! 信じられねえ、あの黒髪!」
「チルノちゃん、口悪いし……。あと、髪の色は特に関係ないような……」
「そもそも、ガマの油って何よ!」
「あ、もうそこから分かんないんだね……」
 同情の溜息が漏れる。
 威勢良く大ガマを指差すのはいいが、相手方はチルノを完全に無視している。その横柄な態度が癪に障ったのか、チルノは蜂のように羽根を振るわせる。あ、まずいな、と大妖精が他人事のように思った途端、氷の妖精は大地を蹴り一直線に大ガマへと特攻していた。
「あー……」
「だから、こっち見ろって言ってん――!」
 ぱくっ。
 ……もごもご。
 無言。静寂。
 突っ込んでくる氷精の体を舌で絡め取り、瞬く間に口内へ放り込む。
 まさに神業と言っていい。場合が場合なら拍手すら送りたくなる捕獲と咀嚼の光景だが、当のチルノと大妖精はそんなやいやい騒いでる場合ではなく。
「……」
『……もがもが』
 悲鳴が聞こえる。喰われた本人も、あまりの鮮やかさに一瞬喰われたことを失念していたようだ。
「きゃあー! ち、ち、チルノちゃーん!」
『もぎゅぎゅぎゅ……! ぎ、ぎ、ゅ、ぅ……――』
 徐々に悲鳴が小さくなる。なかなかの窮地に立たされているようだ。
 大妖精も、おろおろしている場合じゃないと判断し、ミイラ取りがミイラにならないよう、遠巻きに接近を試みる。
「せいッ!」
 いやに膨らんだ大ガマの腹部目掛けて、出来得るだけの弾丸を叩き込む。疲労や限界など考えていられない、今ここで彼女を失う方がよっぽど怖いし、何よりこんな阿呆な死因で三途の向こう側に送られたら、チルノも死ぬに死に切れない。多分、彼女は己の死因さえ覚えていないのだろうけど、それはそれだ。
 無数の弾が丸まった腹に着弾し、そのたびにガマの眼球が出たり引っ込んだりする。それなりに動揺はあるようだが、餌を吐き出すような衝撃は与えられていない。まずい、いろいろとチルノの命やらがピンチだ。
 ごく、と大妖精は息を飲み、最終手段に打って出る。とりあえず、信じてもいない神のために十字を切って。
「……行きます!」
 大ガマの死角から、小さな弧を描きつつ突進する。
 大きな目がぎょろりと動き、斜め後ろから接近する大妖精に目を合わせる。来た、と彼女は覚悟を決め、猛進しながらタイミングを見計らう。一、二、三……。
 口が、わずかに開く。それと同時、視認を許さない速度で射出される舌を、
「――っ!」
 呼吸をとめ、真下に落ちることで回避。水面すれすれに落下し、慣性に逆らった代償として全身に急激な負荷が掛かる。舌を噛むことでそれを緩和し、ここからは一直線、睨むものは大ガマの腹ただ一点、チルノにも匹敵するスピードで、真一文字に突っ切る――!
 その時、大妖精は一陣の風になった。
 天狗をも黙らせる、風の化身に――。
「えぇーいっ!」
 両手からではなく、肩口から突っ込む。全身が体液にまみれるのはお構いなし――とは言い切れないのが正直なところだが、それでも友達のためなら何とやらである。大ガマも、流石に妖精一匹分の渾身の体当たりには目を引っ繰り返した。
「ギョ……」
「……ぎょ?」
『もががががががが!』
 様々な声が複雑に絡み合い、形容するのが躊躇われるほどの音響と共に、それはそれは物凄い勢いで一匹の妖精が大ガマの胃から吐き出された。なまじ大ガマの身体が大きく、胃腸もそれなりの長さを誇っていただけに、消化に時間が掛かるのだろう。
 様々な消化液らしいものにまみれながら、氷の妖精はガマの口から吐き出され、でかい蓮の上に着地し――ぬめった液体で滑っているうちに池に落ちた。
「がぼぼぼぼぼぼぼ!」
「ああ、チルノちゃん……」
 溜息を漏らしながら、大妖精は濡れそぼった身体のままチルノを助けに行く。何だか無駄に疲れているような気もするが、そう思うともっと疲れるからいっそ何も考えないことにした。ついでに、去り行く自分の背中を大ガマが黙って観察しているのも壮大にシカトする。
 これが人生を楽しく生きるコツよ、とか何とか、どこかのウサギが言っていた気がする。
「チルノちゃーん……」
「かぼぼぼぼあぁぁっ!」
 もがき続けていた手がようやく蓮の縁に収まる。どうにかこうにか、上半身を蓮に預けることに成功した氷精は、何度か咳き込んだ後に、
「……ふ、今日はこのくらいにしといてやるわよ……」
 と、大ガマを睨み付けながら言ったので、大妖精は何となく頭を叩いておいた。

 

 陸に上がって、大妖精はまず自身の状態を嘆く。
 全身にまとわりついた謎の液体は、俗に言うガマの油の原料だろう。労せずして、とは到底言えないけれど、結果としてそれを入手できた訳だ。だが、そのために失ったものは少なくない。ねとねとになった髪と羽根、服の内側まで染み込んだ蛙の体液にまみれた彼女は、絶対泣こうと心に決めていた。
「あーもう、びしょびしょ……」
「蛙の匂いがするわねー」
 しれっと言ってのける氷精は、本当のところ馬鹿か大物のどっちなのではないかと思う。九分九厘前者だろうが、本人はおおよそ後者だと思いこんでいるものだ。
「うぅ、ぬめぬめして気持ちわるい……」
「池の中で泳いでくればいいんじゃない?」
「そうするー……」
 と、涙目になりながら池に引き戻ろうとした彼女の背中に、
「ちょっと待ったー!」
 雄々しい一声が掛けられる。
 知ったこっちゃない、と池にダイブしようと試みる彼女の肩を掴み、地面に引っ繰り返すは一匹のウサギ。名を、因幡てゐと言った。
 黒髪の詐欺師を前に、チルノは少女らしからぬ叫び声を上げた。
「うあー! お前はー!」
「はいはーい、ちゃんとガマの油を取って来たんだねぇ、やっぱり氷精は凄いねー、見直したよー」
「え、ぇ……。そ、そう?」
「凄いよねぇ……。よっ、大統領!」
「ふ、ふん! そんなの当たり前じゃないの! 馬鹿にしないでよ! ところで大統領ってなに?」
 一転、あっさりと丸め込まれる氷精チルノ。大妖精も、てゐに馬乗りにされながらげんなりと呟く。
「チルノちゃーん……。あと、てゐさんもちょっ……。あのー」
「はいはい、もう少しで気持ちよくなるからねー」
「それは誤解を招きそう……あ、ちょ、あはははは! かっ、かゆ、うま……」
 いろいろぬめぬめする液体を、てゐが身体の隅々まで専用の刷毛で掬い上げてゆく。片手に一個の小瓶を掴み、次々と液体を中に垂らしていく。その様は職人芸と言うより他なく、大妖精はなんかもうどうでもいいやーと思うようになってしまった。変な意味ではなく。
 その間も、チルノを茶化すのは忘れない。やっぱり、このウサギは人を騙すプロだなあと、身体を撫でられまくりながら思ってしまう大妖精だった。
「はい、じゃあこれで終わりねー。ご利用ありがとうございましたー」
「大統領……。大統領! いやだから大統領って何さ!」
「よっ、大統領!」
「へへん、そんなこと分かってるわよ!」
「チルノちゃーん……」
「じゃあねー。手土産手土産ー」
 一通り、やりたい放題散らかしておいて、因幡てゐというウサギは何処か飛んでいってしまった。残されたのは、有頂天の妖精と、何やらいろいろ汚されてしまった感のある妖精。しおしおと、大の字に倒れながら涙を流す大妖精は、果たして自分が何故泣いているのか全く見当が付かなかった。
 情けなくて泣いているのか、恥ずかしくて泣いているのか、汚されて泣いているのか――いやいや、最後のはおかしい。別に変なことをされたんじゃ、されたんじゃ……ない……。
「どしたの、かお赤いよ」
「――ばっ、そんなワケないじゃない! いやだもうチルノちゃんのばかー!」
 恥ずかしさのあまり、掌底を放ちチルノの首を150度くらい捻じ曲げる大妖精。不自然な位置に首を据わらせながら、チルノも何だか分からないけど痛いなあと言ってみた。痛いし。
「もう帰ろう! やっぱり湖の方がいいよ、涼しいもん!」
「そうだねえ、なんか首も痛いしー」
 ぱたぱたと、二人の妖精が池を後にする。その背中を、大ガマは泰然たる構えを維持したまま、のんびりと眺めている。身体の一部分が妙に涼しいが、そのうち慣れるだろう。少し腹も減っているが、これも補充すればいいだけの話。
 暇なのは相変わらずで、たまに妖精が来ればそれなりに騒がしい。
 そんな訳で、大ガマの棲む池は概ね平和なのだった。

 

「ふむふむ、公衆の面前でウサギと妖精がくんずほぐれつ……。ガマの油で……」

 

 



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