Index


  2中 4中 4A 4B 4C 5中 6A 6B EX PH
紅魔郷 ルーミア 大妖精 チルノ 紅美鈴 小悪魔 パチュリー 十六夜咲夜 レミリア フランドール  
妖々夢 レティ アリス リリー ルナサ メルラン リリカ 魂魄妖夢 幽々子
永夜抄 リグル ミスティア 慧音   霊夢 魔理沙   てゐ 鈴仙 永琳 輝夜 妹紅  

花映塚 射命丸 文 メディスン・メランコリー 風見 幽香 小野塚 小町 四季映姫・ヤマザナドゥ   スーさん リリーブラック 幽霊「無名」
文花帖 (射命丸) 鴉 大ガマ  

萃夢想 萃香 香霖堂 霖之助 妖々夢 妖忌 レイラ 上海人形 毛玉 蓮台野夜行 蓮子 メリー
花映塚 ひまわり娘 三月精 (三月精)  

 


 

一日一東方

五月九日
(妖々夢・レティ)

 


『グラヴィティ・ブレス』

 

 紅魔館を取り囲む湖では、妖精氷精その他それっぽい妖怪たちが、うようようじゃうじゃボウフラのように発生しては消滅している。基本的には長生きなので、飽和状態のように見えて実は均衡が取れているとかいないとか。
 湖のほとりに、冷気を司る者たちが集まっている。季節は冬真っ盛り、わざわざ寒いことを言わなくても勝手に身体が冷たくなるシーズンなのだが。
「レティー、ちょっと太ったー?」
 気軽に致命的な発言をするチルノ。こめかみに青筋が走るレティ。
 悪気はないと知りつつも、ついついその頬を抓り上げ更にどぎつい捻りを加えてしまう。
「うー! うー!」
「ふふふ、チルノは面白いこと言うわねー?」
「めー! めがこわいー!」
 いつになく目が本気なレティに、吸血鬼と遭遇してしまった時くらい戦慄するチルノ。
 曰く、誰にでも触れられたくないところがあるとかないとか。
 チルノにしても、自分が馬鹿だと言われるのは嫌だ。しかしそう言われたことも三分過ぎれば綺麗さっぱり忘れてしまうので、もはやどうしようもないことではある。
「全く……。そんな下らない情報に踊らされているようじゃ、チルノもまだまだね」
「情報っていうか、見た目が太いなあというそっちょくな感想なんだけど」
 レティは無言でチルノの頭を殴る。
 いきなりだったのでチルノはむちゃくちゃ舌を噛んだ。
「ぐ、ぐーで!?」
「恐ろしいわ……。きっとチルノは悪魔に憑かれているのね。早いとこ湖に沈めてワカサギに悪魔を啄ばんでもらわないと……」
「わー! わー! 助けてだれかー! へるぶみぎゃ!」
 また舌を噛んだ。慣れない言葉を使ったせいかもしれない。
 襟首を捕まれた状態でもがき苦しむチルノを見ていると、沸騰した頭も自然と冷めて来る。不思議だ、これもチルノ効果というやつだろうか。
 何だか急にどうでもよくなって、チルノを解放するレティ。
 今度はテンションが下降しすぎて、ざらついた砂に「の」の字を書き始める。違う意味で怖い。
「いいわよ、もう……。畜生、ぽっちゃりしてて何が悪い。着膨れするタイプなのよわたしゃ」
「そ、そうよ! 蛇も蛙も熊もスキマ妖怪も、冬眠する時には食いだめするじゃない!」
「フォローになってねえ……」
 レティの周りには、天気が良いのに何故か吹雪が舞っていた。丸まった背中が哀愁を誘う。
「チルノはいいわよねえ……。ちっこいし、細いし、可愛いし、風邪ひかないし、考えが浅いし……」
「後半は褒めてない気がする」
 チルノの文句も無視して、レティは歯を軋ませながら地面に拳を叩き付けた。歯がゆい、歯がゆすぎる。
「く、それもこれも前世が悪いのか!? 力士や栄養士だったとでもいうのか!?」
「レティ、だいじょうぶだよー。太くたって死なないからー。早死にはしそうだけどさー」
「だからフォローになってねえっつの。……チッ、こうなったら全幻想郷ぽっちゃり化計画を発動するしかないようだわ」
 神経が浮かび上がるくらいに強く拳を握り締め、決意を新たにするレティ。
 そもそも自分が痩せようなどとは最初から思っていなかったようだ。
「うわぁ。ろくでもない企画だねー」
「出鼻を挫く感想ありがとう。でも、私は決して諦めない。平均体重が上昇すればもっと私の生きやすい世の中になるはずよ!」
「その前に痩せる努力をすれば……」
「妖精は魂が具現化した存在だからそうそう見た目も体重も変えられないのよ!」
「いや、レティって妖精だったっけ……?」
「さぁ、手始めにチルノを改造してみましょう!」
「ひとの話を聞けえー! わー! わー! なんだそれ! そんなもん食えるかー!」
 湖に、妖精たちの絶叫が轟く。
 幻想郷は寒い寒い冬真っ盛りだったが、その中でも、レティという妖怪だけはさほど寒くも感じなかったとか。それは一体どうしてなのか、本人の名誉のためにもその答えは伏せておくことにする。

「うわぁぁぁん! あたしもレティ化しちゃったー!」
「レティ化って言うなー!」

 めでたしめでたし。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十日
(妖々夢・橙)

 


『シュレディンガーの黒っぽい猫』

 

 悪戯をしよう、と思ったのはいつものこと。
 どうもマヨヒガの黒猫が水に弱いというので、陽当たりの良い岩の上で丸くなっているところに、早速チルノ特製水風船を投擲する。
 ぱしゃん、と小気味良い音を立てて破裂した風船から、相当な量の水が橙の全身を濡らす。
「う…………きゃぁぅ!?」
 覚醒し、自分の身に何が起こったのか理解して、橙は凄まじい勢いで身体を震わせた。
 隣りでは、猫驚かしの主犯であるチルノが腹を抱えてゲラゲラ笑っているのだが、それを〆るのは後に取っておく。何もしなくても自分の主で完膚なきまでにシバいてくれるだろうけど、復讐は黒猫の十八番だ。
 とかなんとか思っている間に、身体に付着した水滴は全て排除できた模様。しかしながら、服はびしょ濡れ靴はぐしょぐしょ、肌も頭も湿り気は抜群。今すぐにでも服を脱ぎ捨てて全身を太陽に晒したいのだけど、ひとつ問題が生じたことに気付く。
「あ……」
「あははははははっ!」
「あーもーうるさいー!」
 叱責と共に紅い弾を放つべく指を振るう。
 が、紅く伸びた爪が払うのは空気とチルノの笑い声のみ。他に目ぼしいものは何もなかった。
「あ、ぅ……。やっぱり……!」
「はははっ、変な橙ー」
「うー、チルノに言われたくないー……」
 涙まで零して馬鹿笑いする氷精に一発くれてやりたい気持ちはあれど、ここで弾幕戦をしたところで待っているのは橙の敗北のみ。
 何故かといえば、それは橙の身体の変化に隠されている。
「折角、藍さまが付けてくれた『式』なのに……。剥がれちゃった……」
 濡れて色が濃くなった岩の上に座り、肩を落とす。
 橙の陰鬱な表情を目の当たりにして、流石のチルノも馬鹿騒ぎしていられなくなった。今更自分のしたことの重大さを知り、とりあえずおろおろしてみる。その次に、まず自分が何を言わなければならないかを悟る。
「あ、い、その……。ご、ごめん! だから、その、泣かないでよ。泣かれたら、なんかどうすればいいか分かんないし……ね?」
 両手を岩に垂らし、しゃくりあげる橙を優しく宥める。チルノとしても、相手を悲しませるのは不本意なのだ。
 謝ってもなかなか顔を上げてくれない橙に、チルノも只事ではない空気を感じ取る。
 恐る恐る、彼女の顔を下から覗き込んでみる――と。
「ふ、ふ、ふ……」
「ちぇ、橙……?」
 泣いているかと思いきや、黒猫は不気味に笑っていた。
 チルノは自分が氷精であることも忘れ、背筋がビキビキと凍りつくのを感じた。
「ふふ、久しぶりの顕界だわ……」
「え、え?」
 普段とはまるで異なる橙の口調に、チルノは戸惑うしかない。同年代の(というか行動レベルが同位の)友人として遊んでいた時には聞いたことのない、子猫らしからぬ艶かしい声だった。
 目蓋もやや落ちて、股の間に両手を挟み、背中も猫らしく撓らせている。
 おかしい。いくらチルノでもそれくらいはわかる。しかも水が滴っているせいか余計にイヤラシイ感じに仕上がっているのですが、そこんとこ如何なものでしょう。
「ありがと。あなたが解放してくれたのねぇ」
 人差し指で上唇を撫でられる。ゾッとした。なんか変な感覚が芽生えてしまいそうだ。
「か、解放って……。あんた、橙じゃないの? いつもの前転したり後転したりほやほやだったりする黒猫じゃないの?」
「それは表の橙ね。もっとも、昔は私が表を司っていたんだけど、今の主に封印されちゃって。八雲藍の式の『橙』として、仕えやすい性格に変わったの」
「じゃあ、その式が外れたから、橙は……」
「安心して、別に死んだ訳じゃないから。私もたまには外に出てみないとね、不感症になっちゃうから……」
 うーん、と背筋を伸ばし、どうしたらいいか全く分かっていないチルノに接近する。
 獲物を狩るように慎重に、愉悦と威嚇を織り交ぜて、相手に「逃げられない」と悟らせる。
 初めから硬直しているチルノを捕らえるのに、さほど労力は要らなかった。
「ひぃっ!」
 片腕は肩に、片腕は首に。足を絡めて押し倒してあげるのも人情だとは思ったが、加速しすぎるのもよくない。徐々に徐々に、ゆっくりとペースをあげていくのが良い。
「だからこれはお礼。怖がらなくてもいいのよ、優しくシてあげるから……」
「す、するって何を――ひくぅ!」
 うなじから首の横を撫ぜ、最後の指が顎筋に触れる。不思議と伸びた爪は氷精の滑らかな肌を傷付けることはなく、適度に性感を刺激する興奮剤となった。
 その指を突き出した舌で舐め、逃げることすら出来ないチルノの頬に添える。手のひらから感じる熱と、氷精特有の冷気が絶妙な融和を生む。
「敏感なのね……。感じやすい子は好きよ、その方が気持ちよくなれるから」
「なれるから、じゃねー! うわ、なんだこの展開! 大人しくしときゃいい気になって――わきゃあ! く、くひのなかにゆびをひれるなぁー! いやー! 犯されるー!」
「処女?」
「ばかー! そんなの知るかー!」
「ふふ、照れちゃって、かわいい……ちゅ」
「ひゃあぁ! き、き、き……。ばかー!」
 もはや言葉にならない。ただただ喚き散らし、首を左右に振って橙の唇から必死で逃れようとする。
 しかし、それも限度がある。橙の両腕にがっちり頭をホールドされたチルノは、否応なしにとろんと目を潤ませた橙と向き合うことになる。
「う、う、うー!」
「はぁぁ、なんだか本気になっちゃいそう……」
 頼むから本気にならんでくれ、というチルノの願いも虚しく、橙の唇が一直線にチルノのそれに降下してくる。
 ――目を瞑るな、頬を朱に染めるな、あとはえぇと、うちらは友達なんだかこういうことしちゃマズイし、あぁでも性は誰にでも開かれてるって慧音が言ってた……って、誰だそいつは。あたし知らない。というかこんなこと考えてるうちに近い近い近いってわー! わー! わー――!

「……びっくりした?」

「…………はへぇ?」
 自分でもアホな声だったと思う。が、それも仕方のないこと。
 今の今までチルノを押し倒して新世界への扉を開き心の貞操帯の鍵を回す寸前だった橙が、目蓋をぱっちり開き、女らしいしななど一切ない子どもっぽい仕草で、へらへらと笑っているのだ。確かに、人が困惑する姿を見て苦笑できる性格は、大人の意地の悪さに値するのかもしれないが。
「チルノ、意外とだいたん……」
 勝手に抱き付いて来たくせに、被害者ぶって余所余所しく身を離す橙。
 さしものチルノも、今回ばかりは呑み込みが早かった。悪戯をして回る妖精がここまでコケにされたのは前代未聞だ。本当は彼女の知らないところで散々コケされているのだが、知らない方が幸せなことも多分にある。
「あ、あ、あ……」
「あるつはいまー?」
「違うわ! よくもあたしを馬鹿にしてくれたわね! この恨み、晴らさでおくべぎぎゃ!」
 難しい台詞回しだったので舌を噛んでしまう。ププッ、と吹き出す友人に、本気で殺意が沸き起こる。
「笑うなー! どいつもこいつもあたしを馬鹿にしやがって、しまいにゃ革命起こすわよ! スペルカード四枚くらい使って!」
「それは無理じゃないかなぁ」
「冷静に言うなー!」
 逆上して飛び掛ってくる妖精の攻撃を、猫特有のしなやかな捻りをもって回避する。ぼぐ、と岩に頭から激突するチルノを置き去りにして、橙は素早く彼女から距離を取った。
「へへ、安眠を妨害した罰だよー! 水は本当に嫌いなんだからー!」
「む、ぐぐぐ……」
 呻きをあげるチルノに、橙はさよならの意味合いも込めて。

「じゃあね。また、一緒に遊びましょう?」
 中途半端に、色っぽい言葉を送ってあげた。

 ……取り残された氷精は、激しく痛む頭蓋骨を押さえながら、最後の台詞の意味を噛み締める。
 とりあえず、もう二度と橙の式を外すのはやめておこう。
 でないと、次は冗談で済まなくなりそうだから。
「覆水、盆にかえりゃれぎゃ……ってことね」
 やっぱり舌は噛むのだった。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十一日
(妖々夢・アリス)

 


『孤独論』

 

 自分が孤立していることに気付いたのは相当な昔であるが、だからといって周囲に溶け込み、見るからに喧しそうな連中と迎合する気にはなれなかった。そもそも、孤独を意識しすぎるのは根本的に間違っている、と私は思う。
「いらっしゃい」
 鍵の掛かった扉を苦もなく開く影に、横目で話し掛ける。
 その人影は不満そうに靴を鳴らし、溜息まで漏らしてくれる。
「順番が逆だ。私がただいまと言ったら、アリスがお帰りなさいと」
「ここは一体誰の家かしら?」
「うむ、とりあえず私の家じゃないみたいだな」
 帰れと命じない私も悪いのだろう。害虫は一撃必殺がセオリーだ、下手に情を見せると次に見た時はその数十倍にも増殖している。魔理沙にしても、一ヶ月に一度だったのが二週に一度、最近では週に一度のサイクルで私の家から何かしらを奪い去ろうとする。その度に交錯する弾幕の中で、自然と、満ち足りている自分を認識するのである。
 我が物顔で椅子に腰掛け、早速テーブルに載せられた魔導書を物色する魔理沙。上海人形に何事か命令しているようだが、やんわりと拒絶される。次は蓬莱人形だろうから、私は先手を打って彼女たちに引き下がるよう命じた。
「おいおい、今日はやけに積極的だな。いつもはもうちょっと泳がしてくれるのに」
「少し前までは研究に忙しかったからね。ちょっとしたフリーマーケット気分であんたを迎え入れてたのよ」
「なるほど分かった。じゃあこいつをタダでくれ」
「あんたはfleaとfreeの意味を三百回ぐらい確認した方がいいわね」
「そんなに捲ったら紙と一緒に指の皮が剥けるぜ。でなくても、ミス・ネグリジェから目ぇ付けられてるってのに」
 魔理沙は背もたれに思い切り寄りかかり、首と背中をコキコキと鳴らす。
「四つも付いてたら便利そうね。目」
「フランドールが八人に見えるな」
 特に羨ましくもない。戯言だと思って聞き流す。
 積まれた幾つかの魔導書を持ち去る気配もないので、私は彼女の対面に腰掛ける。珍しい行動に動揺する魔理沙も、私が何もして来ないのを知り、だらりと手足を投げ出す。
「で、何の研究をしてたんだ?」
「ゴキブリが来なくなる魔法」
「ほほう。殺さないでおくところが何とも慈悲深い」
「七代祟ってついでに子種が絶える効果が売りよ」
「凄いな。そんなのが幻想郷に蔓延したら、世のゴキブリは死に場所を求めて博麗神社に殺到しかねん」
「大丈夫よ。滞りなく霊夢にも譲るから」
「んじゃ、私の家が真っ黒になる可能性も高いから私にもくれ」
 それは嫌、と首を振る。それでは魔法の意味がない。
「元々真っ黒じゃない。魔理沙と魔導書と、あとは八卦炉の焦げカスやら腹黒さやらで」
「おっと、魔法の森の陰鬱さを忘れてるな」
「付け足されてもねぇ……。余計不憫になるだけよ」
「ふん。この霧雨魔理沙、他人から施しや哀れみを媚びるほど落ちぶれちゃいないつもりだぜ」
「その割りに、毎回毎回うちの魔導書かっぱらって行くわよね」
 不意に、魔理沙が黙り込む。視線は窓の外の鬱蒼とした木々に向けられていた。
 これもまた、都合の悪い時に見せる彼女のポーズ。細かな仕草の意味まで理解してしまっている自分にまず驚き、いきなり立ち上がって何冊かの魔導書を奪い去る魔理沙に二度驚かされる。
「さらばだ諸君! 今は去るが、いつか必ずお前の野望を打ち砕きに来るからな!」
「はいはい、好きにしてよ。もう……」
 室内で箒にまたがり、窓を突き破って逃走する魔理沙。吹き込む風は多少湿り気が多かったのが、それなりに心地の良いものだった。
 私は彼女を追い掛けようともせず、崩れた魔導書の山に目をやる。全て贋作とはいえ、贋作を製作するのにも労力がいる。件のゴキブリ拒絶法にしてもそうだ。その過程自体を楽しんでいる自分がいるのも確かなのだが、些か趣味が悪いと思わないでもない。
 ついでに、粉々に砕け散った窓ガラスと木の枠を見やる。
 割れた硝子を弁償しろと迫るより、手前で修復した方が労力は抑えられる。なにせ、家には働き者の人形たちがわんさか自分の出番を待っているのだ。これを利用しない手はない。
 早速、仕事を求めて人形たちが部屋に戻ってくる。その中の一体が、何を思ってか私の胸に飛び込んで来た。
「おっ、とと……。どうしたの? 今の話を聞いてた?」
 こくりと頷く。紅いワンピースを纏った人形は、私の腕の中で私だけに伝わるメッセージを解き放つ。
『アリス、それでいい?』
 真摯に問い掛けてくる人形は、もはや意志の欠けた無機物ではない。
 親友、家族、同類。何と表すべきかは判然としないが、やはり『人形』が尤も嵌る。
「……何が? と聞くのは野暮かしらね。まあ、改めて思うことは無いけど。
 そうねぇ。別に誰かを求める必要もないし、拒む理由もなし。あんなのでも暇潰しにはなるでしょ。目を付けたアーティファクトを横取りしようもんなら、あいつの眼球八分割しても足りないくらいだけど」
 フランドールが十二人に見えるぜ、と皮肉る魔法使いの姿が目に浮かぶ。
 きつく抱き締めた腕の中で、人形が不意に微笑む。感情表現が豊かな人形は、物持ちが良くて助かる。

 私は孤独である。
 それ自体に意味はなく、ただ、そう在るという現象に過ぎない。
 孤独を寂しいとも辛いとも思わない私が異常なのか、その言葉に過剰に反応する者が異常なのか。私は好き勝手に生きているだけだから、別にどちらでも構わないのだが。
 そういう考えだから、こんな孤独に至ってしまった。そう考えれば、それはそれで頷ける結果だ。
 思うように生き、その結果がこれだと言うのなら、私の生涯もなかなかのものなんじゃないだろうか。

「あら、お帰りなさい」
「あぁ。ところで、ここは一体誰の家なんだろうな?」
「まあ、私の家ではあるようね」
 今日もまた、閉められた扉が開く。
 素敵な人生は、まだまだ続くようだ。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十二日
(妖々夢・リリーホワイト)

 


『翼を広げて』

 

 淡色の空に妖精が舞う。
 真っ白な翼をめいっぱい広げ、空高く飛んで春を伝える。
 多少どんくさい人間でも、春が来たことなど寒暖の差や新緑の色付きによって理解できるものだが、かの妖精が春を伝えるのはひとつの儀式みたいなところがあり、幻想郷に住む者たちにとっては祭事に等しいのだった。
 言語を持たない、春にしか現れない、成長しない、妖精ではない、など諸説あるが、まあ積極的に調べようとする者もいないため、彼女は彼女、誰が呼んだかリリーホワイト。という感じに収まっているのである。
「あんれまあ、もうこないな季節だっぺなやー」
 畑を耕していた人間が、上空で炸裂する紅白の花火に目を奪われる。
 鯉が空を泳ぐように、笹舟が川を下るように、桜が束の間に咲き乱れるように。
 彼女は現れ、弾を撃っては空を飛びゆく。
「元気だなやー。こげな花弾や初めてだわ」
「そげなこと言って、去年も一昨年もほだなこと言ってたっぺし」
「んだなこと、とっくに忘れちまったでよー」
 なははは、と笑いあいながら、空から落ちてくる弾を爽やかに回避する。
 地面に触れた直後に軽く爆発するので、耕す手間が省けると農民の方々には大好評。
 たまに避けるのが遅れて数mほど吹っ飛ばされたり、大玉が落ちて来て尋常じゃないくらい掘り起こされたりすることもあるが、それもまた、季節の風物詩ということで。

 

 巫女と魔法使いは喧嘩する。
 些細なことで争い合うのはいつも顔を突き合わせている者たちの特権だが、負けが込んでいる魔理沙にとってはあまり嬉しくない権利だった。たまに勝利の味を噛み締めないと、自分が何のために生きているかわからなくなる。というのは少し言いすぎだが。
 一面畑だらけの畦道で、魔理沙と霊夢は向き合う。
「今日こそはお前に土を付けてやるぜ! 覚悟はいいなっ!」
「別にいいけど……。土を付けるって、丸めた腐葉土を投げ付けるって意味じゃない気がするんだけど、そこんとこどうなのよ」
「解釈の違いだな」
「そんな泥臭い解釈、嫌だなぁ……」
 そうは言いながら、霊夢もそこいらの畑から腐葉土を拝借する。手が汚れるとか多少臭うとか細かいことは気にしない。
「あと、服が汚れたらちゃんと弁償してよね」
「お安い御用だ。って香霖が言ってた」
「まあ、どっちにしても只なんだろうけど」
 それなら賽銭の方が良かったかしら、と畦道の上で対峙しながら、ぼんやりと上空で打ち鳴らされる花火を聞き――。
「あ」
「どうした? 怖気付いたのならさっさと有り金おいて消えるん――――!」
 だべぎゃ、という不可解な破壊音を残し、霧雨魔理沙は何処からか飛来した大玉に吹き飛ばされ、懸命に耕されていた栄養たっぷりの畑に頭から落下した。
 霊夢は、どこまでも青い空を見上げ、白い雲に溶けるように滑空している純白の妖精に手を振った。
「ありがとー。戦う手間が省けたわー」
 どういたしましてー、と彼女が言ったかどうかは分からないが、派手に紅弾と白弾を打ち鳴らしたことから察するに、とりあえず気持ちだけは伝わったらしい。霊夢は満足げに頷き、そこいらの農民に救出されている魔理沙を置いて神社に帰って行った。

 

「迎撃よーいっ!」
 紅魔館門番長・紅美鈴の命により、正門を中心として門番兵たちが幾重もの列を組む。
 つい先程、第一種リリーホワイト空襲警報が轟いたばかり。前年のような第二種クラスの警戒態勢ではないが、それでもある程度の危険は覚悟しなければならない。
 紅魔館を取り囲む湖、その周辺には上昇気流が巻き起こり、春妖精を上空に高々と舞い上げる。
 しかし、気流のエアポケットとなった紅魔館上空にさしかかると、春妖精は突如急降下を始める。それも例のように弾幕を照射しながら。
 民家の畑に大した被害が出ないのは、春妖精の高度が高いからに他ならない。
 紅魔館に勤める人妖そのものはともかく、流石に建物自体は動かせない。故に、この時期は紅魔館の守衛が全身全霊をもって春妖精の弾幕を相殺するのである。
 目には目を、弾幕には弾幕を。
 美鈴は自ら先陣を切り、遥か上空から特攻してくる春妖精の弾幕に立ち向かう。

「総員、構え! A班、一斉掃射!
『極彩颱風』!」

 紅白の乱舞を迎え撃つ虹色の旋風。
 これは落とすための戦いではない。守るための戦いだ。
 敵はリリーホワイトにあらず。紅魔館を傷付ける弾丸そのものにあり……!

「B班、C班続け! 目標は城砦左舷上空! F班とG班迎撃準備――!」
「隊長ーっ! 例年に比べて弾の直径が500mmから1000mmほど大きいです! このままでは城砦背面が守りきれませんっ!」
「何ですってぇ――きゃぁ! ちょっとD班、弾幕薄いわよ! 何やってるのー!」
「隊長ーっ! A班からE班に負傷者数名! やっぱり弾でかいっすよー!」
「泣き言を言わない! 限られた武装でどうにかするしかないんだから――っと。
 F、G、ついでにH、I班! 構え、一斉掃射! 右舷からも増援行って! 旋回する虞があるから七割は残すこと!」
「らじゃー! メイド部隊から増援来ました! 中距離砲いつでも行けます!」
「左舷から背面に回ってちょうだい! くれぐれも同士討ちはしないように!」
「いえっさー!」

 一方その頃、紅魔館の主たるレミリア・スカーレットとその従者である十六夜咲夜は、自室の窓から騒々しい花火合戦をのんびりと眺めていたそうな。
「またやってるわねぇ。毎年毎年、喧しいったらありゃしない……」
 ふわぁ、と欠伸をひとつ。
「仕方ありませんよ。年中行事みたいなものですし……。それに、季節外れの花火というのも乙ではありませんか?」
「季節に沿った花火だと思うけどね。まぁ、華々しいというのは認めるわ」
 美鈴たちにとっては一種命がけの花火だということも知らず、レミリアはまたひとつ大きな欠伸を漏らした。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十三日
(妖々夢・ルナサ)

 


『仲良きことは』

 

 ちんどん屋、などという喧しい職業に就いているプリズムリバー三姉妹の中でも、長女であるルナサは比較的低いテンションを維持している。三人寄れば姦しいとは言うが、実際に喋っているのは次女のメルランかそれにつっこみを入れている三女のリリカのみで、ルナサは聴くともなく聞いているという感じである。
「……なのよー。って、姉さん聞いてた?」
「いや。聞いてない」
「もー。今度の白玉楼花見大会の打ち上げで、何を披露するかでしょー?」
「打ち上げは、別に今決めなくてもいい気がするけど」
「だめだめ! ちんどん屋たるもの、いつ如何なる時も全力を尽くさないと! そうじゃなきゃ優勝商品をゲット出来ないんだからー!」
「……やっぱり、それが目的なんだね」
「あ」
 口が滑った、と言わんばかりに唇を押さえる。隣りでリリカが舌打ちをしたのも見逃さない。
 やれやれ、と心の中で肩を竦めて、ルナサは席を外す。気分転換でもしてこよう。
「あ、ちょっとどこ行くのよ姉さん! 話はまだ終わってないよ!」
「何を催すかは二人で決めて。私は、ちょっと頭を冷やしてくる」
「えー? さっきまでぼーっとしてたくせに……。て、本当に行っちゃうの――」
 メルランが止めるのも聞かず、ルナサは後ろ手に扉を閉める。古い木の扉に背中を預けると、部屋の中から何やら言い争う声が聞こえて来る。やれリリカのせいだとか、やれ桜餅は食べたくないのとか。
 妹たちにも困ったものだ。しかし、これくらいでなければ妹という気もしないが。
「……行こ」
 頭がひりひりするのも事実。こめかみを指で押さえながら、一人屋敷の外へ出る。

 

 風が心地良い。たったひとり、小川の流れる草原で体育座りをしているのもなんだかなーと思うが、これがいちばん穏やかな気持ちになれる方法なのだ。
 真面目に、長女らしくあり、元気な妹たちのまとめ役となり、今まで何とかやって来た。
 今更、その役目を降りたいとは思わない。第一、あんな喧しいのを野山に放ったら、方々に要らぬ迷惑を掛けてしまうのは火を見るより明らかだ。
 ただ、考えることはある。
「なんか、損してる気がする……」
 ぼそっ、と呟いた声は風に流れて、川下の小さな滝に消えてしまった。
 損害の大きさについてはどうでもいい。問題は、その頻度である。姉である以上、妹の我がままは多少なりとも聞いてあげたいという思いがあるのは確かだけれど、それが策謀ともなるといくら姉とはいえ黙ってはおけない。
 特にリリカは性質が悪い。漁夫の利などで済めばマシな方だ。メルランをけしかけてルナサと潰し合うのが毎度のパターンで、中にはお得意様である西行寺の当主まで巻き込んだサスペンスを演じようとしたこともあり(それは何故か失敗に終わったのだが)……。
 何にせよ、苦労が絶えない。どうしたものか、言って聞くようなタイプではないし。
「しかし、言わなければ始まらないしな……」
 よし。ここは心を鬼にしよう。
 今まで何だかんだと言い訳を付けて、厳しく責めるのを避けていたような気がする。一度ビシッと言い付けておかなければ、後々手痛い目に遭うのはリリカなのだ。
 そうと決まれば、体育座りをしている場合ではない。まだ少し頭はひりひりするけれど、それよりも妹の未来が心配だ――。

「姉さーん」

 固い決意を胸に秘め、重い腰を上げた時、館のある方角から二つの影がふよふよと近付いて来た。あの見覚えのありすぎる姿は、我が妹たち。または騒動の種。
「やっぱりここにいた……。もう、勝手に出て行かないでよ。姉さんがいないと、話し合いも決着つかないんだから」
 メルランはやけに疲れている。リリカと話していると、力が吸収されているような気がするのは誰しもが感じることのようだ。
「それはそうと、リリカ」
「え、なに?」
 まさか自分に話を振って来るとは思わなかったのか、戸惑いを隠せないリリカ。
 それでも、情けは掛けずに凛とした口調で問いただす。いくら真剣でも糸目ではあるのだが。
「ここ最近、あなたの権謀術数ぶりは目に余るものがあると思うんだけど、何か言い遺すことは?」
「いきなり死刑!? あの、ちょっと待ってよ! 弁解の余地くらい与えてくれてもいいんじゃない!?」
「……私、あんまり器用な方じゃないから。言葉だけだとすれ違っちゃう虞があるし、何より腹に据えかねている部分があるというか、ほら、まじめっ子がキレると怖いってよく言うでしょ?」
 満面の笑みで、リリカの退路を断つ。
 自分でも、怖い笑顔をしてるんだろうなあという自覚はあった。
「そ、そんな笑顔で言われても――! って、ちょっとルナ姉スペルカードはほんと勘弁――!」
 じりじりと後退るリリカ。だが、スイッチが入ればそう簡単に止まらないのがルナサ・プリズムリバー。エンジンが掛かるのは人一倍遅いが、入ってしまえば音速を超えるコンコルド。
 リリカの敗因は、ルナサを一人で泳がせたこと。
 後は、ルナサが妹を想う心を甘く見ていたことくらい。

「構えて。間違っても、リリカを手に掛けたくない。
 ――涙を流すために生き、夢を見るために逝く。
『グァルネリ・デル・ジェス』――」

 何処からか、ルナサのヴァイオリンが浮かび上がる。
 我関せず、既に撤退を決め込んだメルランの背中を恨めしそうに見詰めながら、リリカもまた覚悟を決める。

「あ゛ー! ルナ姉の頭でっかちー!
 ――揺らげ、魂の旋律!
『ファツィオーリ冥奏』――!」

 絶叫と喧騒が弾幕を彩り、安全域で観戦しているメルランのトランペットがそれを助長する。
 仲良きことは美しきかな。
 色とりどりの弾幕を見れば、姉妹たちがどれほど仲が良いのか手に取るように分かる。
 たとえ、それが生傷を伴う争いだったとしても――。
 それなりに美しいんじゃないかなあ、とメルランは桜餅を食べながらぼんやり思うのだった。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十四日
(妖々夢・メルラン)

 


『降りしきる雨の中で彼女が拾ったもの』

 

 掻霊と言えども、実体化している以上は簡単に物を擦り抜けることは出来ない。
 例えば、壁は抜けても、雨は遮れない。自然と透過するとは、すなわち成仏することと同義であるから。尤も、プリズムリバーの三姉妹は何か未練があって現世に留まっている訳ではないが――。
「……ん?」
 傘を傾けて、メルランは視線の先にあったものを確認する。
 成仏を恐れなければ、この豪雨を無視して通り過ぎるだって容易い。しかし、それでは傘を差す楽しみが失われることになる。
 天空からの恵みを弾き、不安定で落ち着きの無いメロディを刻む傘の張り。
 唄い出したくなるような旋律の果てに、打ち捨てられた人形が目に留まった。
「うわ、勿体ない……」
 物持ちの良くないメルランでさえ、思わず声をあげてしまうほどの完成品。
 よくプリズムリバーの長女が不貞腐れている河原の端に、それは雨に打たれて座っていた。首を前に垂らし、白と青を基調にしたフリルのドレスを肌に染み込ませて。
 打ち捨てられたそれも、この雨が続けば氾濫した泥流に呑まれてしまうだろう。
 メルランは、足首まで伸びた雑草を蹴り払いながら、袖が濡れるのも構わずに冷め切った人形を掬い上げる。大した動機があった訳ではない。捨てられたままの塵は見るに耐えないし、これは汚い泥に埋もれるような存在ではないと思ったから。
 消え去るにしても、最後まで生きてからにした方がいい。
 人形とて、形がある限りはこの世に存在する権利を与えられているのだし。
「……似てるのかな、私たちと」
 よくは分からない。分からないが、久しぶりに詰まらないことを考えてしまった。
 捨てられていたのなら、これは自分のもの。所有権は我にあり。今まで人形遊びなどやったことはないが、試しにやってみるのも面白いかもしれない。その程度の気紛れにすぎない、とメルランは思い込んだ。
 降り注ぐ雨を遮って、一輪の傘が小道を進む。
 小さな子どもをその手に抱いて、調子外れの鼻歌を響かせながら。

 

 メルランが妙なものを拾ってきたというリリカの密告を受けて、ルナサは長女の使命をもって彼女の部屋を窺うことにした。ついでにリリカも付いて来ているのだが、害もなさそうなので放っておく。
 姉妹の部屋へと続く階段を、忍足で上っていく。手すりや壁に付着した水滴と泥の粒が、不気味加減を増長させる。
「中身が何なのか、確認してない?」
「それがねぇ、一張羅の服でご丁寧に包んでたし。さっさと二階に上がって行っちゃったから。不発弾とか妖刀とかでも驚かないよ、わたしゃ」
「……使い捨ての呪符なんかもあったからね。用心するに越したことはない、か」
 小声でやりとりをしているうちに、メルランの部屋の前に辿り着く。彼女は物事に集中すると周りが見えなくなるタイプなので、少しばかりドアが開いても滅多なことがなければ気付きはしない。
 耳を澄ますと、薄い扉の向こうから微かに話し声のようなものが聞こえて来る。まさか本当に気が触れたのか、躁病の気は前からあったし、ちょっと行き過ぎて鬱病も併発してしまったとか……。などと物騒なことを考えるルナサを尻目に、リリカは立て付けの悪い扉を丁寧に開いていく。
 リリカはリリカで、姉の弱味を掴めさえすればいいという不埒な思考を展開していたのだが――。
「…………マジ?」
 目の前に映し出された光景は、リリカの想像を遥かに超えるものだった。

 

「――うーん、こっちの服も良いと思うんだけどねー。赤、赤って言うのも派手じゃない? そうでもないの? まぁ、詳しくは知らないんだけど……。んー、だったら森の人形遣いに服でも借りて来ようかなあ。……え、あんまり行きたくないの? 物騒だから? そりゃあ、私も近付きたくない場所だけど。というか、魔法の森自体がね。ほら、なんかいろいろいるじゃん。ヘンなのが、たくさん。
 それじゃ、どうしよっかねー。姉さんならちっちゃい服なんか持ってそうだけど、貸してくれるかしら。なんかヘンな目で見られそうだし、リリカにバレたらまた妙な交換条件持ち出して来そうだし……う〜ん……」

 

 とりあえず見なかったことにして扉を閉めようとするが、ルナサがその隙間に指を挟んで来たので、この謎めいた空間からの即時撤退は失敗に終わった。
 メルランが、薄汚れた洋人形を着せ替えしたり熱心に話し掛けたりしている様は、普段の彼女を知る者からすれば異常としか言い様のないミステリィである。怖い。躁状態が極まって脳みそだけ成仏してしまったのかと思わせるほどの妖気が、この狭い空間に充満していた。
 ルナサは、次女の変貌ぶりを半ば食い入るように見詰めて――。
「……ちょ、姉さん……! な、なに泣いてるのよ! だだ、大丈夫だって! すぐにまたいつものメル姉にバックドラフトするから! 多分!」
 堪えきれずに、瞳を潤ませていた。たまらずリリカもフォローするが、内心では二人の姉がテンパってろくでもないことになっちゃって、こりゃあ私の時代が到来か? などと不謹慎な願望を唇の端に歪ませたり。
「ちがう……」
「え? あぁ、うん。だいじょぶ、あれはメル姉じゃなくて、悪魔かゾウリムシかどっちかが取り憑いたネオメルランとかそんな感じ」
「そうじゃなくて……。良かった……」
 リリカは耳を疑う。まさか、ルナ姉もプリズムリバー家の乗っ取りを企んでいたのか?
 とか思ったが、そういう訳でもなく。
「メルランが、あんな女の子らしい遊びをして……」
「……う? ここってもしかして感動の名場面? 私も泣いちゃった方がいい?」
 姉二人の奇行に、流石のリリカも状況が把握できずに錯乱していた。
 冷静に考えると、メルランは生まれつき元気が有り余っている傾向があり、女の子らしい遊びには全く興味を持たず、いつも野山を駆け巡って兎を追い回したり川を泳いだり雪山で遭難したりしていたから、それを知っているルナサは、メルランももう少し落ち着いてくれれば……と溜息まじりに思っていたということか。
 でも、泣くことないじゃん……。
 これだから現実を知らないまじめ少女は、とリリカは人知れず苦笑する。
「ルナ姉、ちゃんと現実を見ないとダメだよ。あれはメル姉の皮を被ったネオブラックタイガーとかそんな感じの亜種だから」
「……いや、何故にそこまで実の姉を扱き下ろせるのかも理解しがたいけど……」
「ルナ姉も案外酷いこと言ってたと思うけど。メル姉は野山を荒らす山姥だとか」
「言ってない」
 話し合いが平行線に達したところで、二人の視線は再びメルランに向く。彼女はまだ人形に話しかけている最中で、わずかに開いた扉の隙間などには全く気を払っていないように見える。
「……まぁ、いちばん良い解決方法は」
「……そうだな」
 せーの、と二人は小声で頷き合い、全ての秘密を扉の向こうに封印することにした。
 見なかったことにする、という暗黙の了解。リリカがいる限り、その秘密が外部に流通してしまうのは目に見えているが、その時までメルランと人形の平和が乱されることはないだろう。
 誰も居なくなった扉の向こうからは、楽しそうな一人の話し声が夜遅くまで響いていたとか……。

 

「――むぅ。やっぱり難しいわね、無機物に魔力を通すのも……。トランペットとはまた違うかぁ。気を抜くとすぐに漏れちゃうから、何か栓でもしとかないとダメかな。……え、口はやめろって? じゃあどこにすりゃあいいのよ。どこなのよー? ちゃんと口で言わないと分かんないんだから……」

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十五日
(妖々夢・リリカ)

 


『ハピネス』

 

 三女。
 三番目に生まれたから、何か損をしたかと言えば決してそんなことはない。というのも、リリカには損をしている実感があまりないからだ。
 何故なら、両親の寵愛は四人の娘全員に等しく与えられていたし、何よりも、リリカは寄与されることでしか幸福を得られないような、実直にも軟弱な思考はしていなかった。
 足りないのなら、補う。コップの水が空になり、蛇口から何も出て来ないのなら、自分で川を探しに行く。あるいは、見知らぬ他人の善意に期待する。そのためには演技が必要だ、人は善意や良心のみでは動かない生き物だと、回数を重ねるごとに理解する。
 自分は姉たちより数歩遅れて生きている。だから、その数歩先を読んで歩かなければならない。
 でなければ、彼女たちに追い付き、ましてや追い越すことなど出来ないから。
 幸福を。
 時間すら追い越して、姉たちが得た分の幸福まで手に入れてやる。そうじゃなきゃ嘘だ。自分だけが不足しているのなんて認められない。自分より遅く生まれた妹は、「それでもいい」と簡単に笑っているけれど。
 ――嘘だ。
 時間も、幸福も、生命も不平等だ。もし平等なら、姉たちが感じたもの、過ごした時間、手に入れた幸福は、自分や妹にも与えられてしかるべきだ。与えられないのなら、手繰り寄せなければ嘘だ。
 それなのに、レイラは。
 「それでも構わない」と言って、笑って、姉たちより先に何処か訳の分からない場所へ行ってしまった。
 ――馬鹿。
 利巧になれ。狡賢く生きろ。誰よりも得をして、人よりも先に進め。
 レイラは、損をしていた。自分でも分かっているはずなのに、我武者羅に何かを欲しがりはしなかった。唯一、姉たちの幻影を欲した以外には、何も。
 足りなかった分を補うには、まだまだ、まだまだ長い時間が必要だったのに。
 命の正流に沿って、レイラ・プリズムリバーはその生を終え――。

 

 一方、生み出された幻影は幻影のまま、確たる形を維持し続け。
 気楽にどんちゃんやりながら生活している。

 

 霊奏を終えた直後は、このまま逝ってしまいそうなほどに呆けていた。
 ルナサが声を掛けなければ、リリカは日が暮れるまで呆然と空を仰いでいただろう。それでも、メルランが館に戻った後も、リリカは一人で暗澹たる雲を眺めていた。
 鍵盤を宙に漂わせたまま、音を奏でるでもなく直立不動に見上げる空は、亡き霊魂を送るには些か無粋と思えるほどに濁っている。しかし、過ぎ去った悲しみに暮れるためには、これくらいの情景が似合っているのかもしれない。
 もし雨が降り出しでもすれば、いくらでも涙を誤魔化すことが出来るのだし。
「リリカ」
 ルナサの声に、一拍遅れて振り返る。
 黒装束を着るのはもう何度目になるのだろう。回数を重ねるごとに、妹が遠ざかっていくのを感じる。それは仕方のないことだとしても、悲しかった。
「風邪ひくよ」
「うん。ちょっと冷えるね」
「……今日は、良い演奏だったね」
 うん、とリリカは爽やかに頷く。何の打算も含みもなく、感情のままに答えを告げる。
 これだけ素直になれるのは、この日をもって他にあるまい。
「いつか」
 ぽつり、ぽつり、気を利かせた空が涙の雫を垂らす前に、ルナサが語り出す。
 相変わらず、リリカは鍵盤を浮かせたまま、何もしない。
「あなたは、誰よりも得をしたいと言ってた」
「そうだったね」
 否定はしない。悪いとは思っていないし、何より既に過ぎ去ってしまった哲学だから。
 丘の上にある墓標を、夕べの風が撫でる。風化して崩れ落ちそうな木の杭も、親切な人間の手助けでどうにか刺さった状態で留まっている。
 とはいえ、来年あたりには朽ち果てそうな予感もある。
 生命の流れは、誰にも逆らえない。引き延ばすことは出来ても、無為に逆行することは、誰にも。
「レイラが居なくなって」
「うん」
 唐突かもしれない一言は、驚くほど素直に受け入れられた。
 それもまた、今日という結界が成せる奇跡。悲しみを痛みで無くする呪術。
「あなたは、レイラの分まで得をしたいと言った」
「そうだね」
 肯定する。その哲学は未だに変わらない。
 浮き沈みする鍵盤に手のひらを翳し、出せる音階を順に鳴らしていく。
 葬霊曲にしては手抜きだが、一番初めに覚えた曲がこれだった。
「あの子、何も欲しがらなかったからさ」
「でも、幸せだって言ってたよ」
「それは知ってる。私がどうこう言える問題じゃないってことも、分かってるよ。子どもじゃないんだから。ちゃんと」
 声を荒げてしまったことを、少し悔やんだ。
 妹のこととなると、本気になってしまうきらいがある。胸を押さえて、溢れそうになる感情を堪える。
「けどね。やっぱり嘘なんだ。もっとやりたいことがあったんだよ、あの子。楽しかったからさ、みんな一緒だと。もっと、ずっと一緒に、笑っていたかったんだ」
「……幸せだったよ、きっと」
「うん。幸せだった。でも、その先があるって信じてた。続きが見たかったんだって、そう思ってあげたいんだよ」
 ――だから、と続けようとした言葉は、喉の奥で止まってしまった。
 いつの間にか、空から透明な粒が落ちていた。ひとつ、ひとつ、切りがないくらいに。
 丘の麓を流れる川に、微かな波紋が広がっていく。その様が太鼓を打っているようだと感じた時、リリカは自分が泣いていることに気付いた。
「だからさ。あの子の分まで得をしてやるって決めたの。
 幸せはいくらあっても足りないから。いつかあの子のところへ逝った時には、きっと世界中の誰よりも幸せになってるよ」
 笑うのは、おかしいと思った。死者を悼むのなら、泣いていなければ嘘だ。
 こんな崩れた泣き顔を見ることが、レイラの望みだとは思わないけれど。それでも。
「そうだね」
 ルナサは、妹の意図を汲んで、ただ頷きだけを返した。他には何も言わず、自分もまたヴァイオリンの弦を指でなぞる。
 雨は冷たく、体温を見る間に奪っていく。
 しかし、奪われる体温のない幽霊は、何も失うことなく雨粒に晒されている。
 身体を濡らすには細く、頬を拭うくらいには激しく。
 失われたものを慈しむように、ただ、雨が降っていた。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十六日
(妖々夢・妖夢)

 


『ホオキとプライド』

 

 刀を振る背中が逞しく、自分もそうありたいと願った。
 果たして、今の自分が在りし日の師に迫っているのか、一体誰に問えばいいのだろう。
 己に問うのは鏡に話しかけているようなもので、主に語るのは賞賛を欲しがる下郎のようで気が引ける。
 それとも、やはり褒められたいだけなのだろうか。
「……ふっ!」
 刃を落とす。鬱積した迷いを、腰に挿した小刀で一閃する。
 今日も今日とて、二百由旬に亘る白玉楼の掃除に精を出す。剣客という誇りよりも、庭師という称号が妖夢を突き動かす。主の命令に逆らえない自分も恨みながら、理不尽な指令に従い、被害者を装うことで自分を慰めている。
 思量、事此処に至り、女々しい甘えに虫酸が走る。
「嫌な女……」
 小刀の白楼を仕舞い、与えられた得物で庭に落ちた葉を薙ぎ集める。
 携えるのは剣ではなく箒。魔法使いが構えるような魔力の通りやすい材質ではなく、只の竹を割って加工した単純な掃除用具である。背に楼観、腰に白楼を挿してあるとはいえ、一見してこの少女が刀の使い手と考える者は少ないだろう。
 ひとつ掃いては庭のため、ふたつ掃いては我が師のため、三、四は飛ばして主のため……。
 重力と季節に任せて降り注ぐ木の葉の群れは、箒を振るたびに腰が曲がっていく庭師の少女を嘲笑うかのよう。枯れ落ちてもなお、これ程に激しく舞うことが出来るのだから、全く命というものは実に果てしない。妖夢は、生きながら死んでいる身の上だからこそ、その輝きに惹かれた。
 茶と黄に染まった命の欠片を集め、魔法の粉でも振り掛ければ新しい命でも生まれるだろうか。いつまで経っても駆逐できない遺骸たちを見下ろし、唾を吐く代わりに空を仰いでみた。素晴らしいことに、空からはまだまだ茶色い木の葉が舞い落ちてくる。天の住むというぐうたらな神々は、妖夢に巨人でも精製しろと言いたいらしい。
「……いくら冥界だからって、ねえ」
 嫌気が差す。泣き言のひとつも言いたくなるが、この道を選んだからには何かを吐くことは許されない。掃くのは木の葉か桜の粒か、あるいは雪の雫で充分だ。
 広くも美しい庭を一周し、直線上に集めた木の葉の列を、楼観の一閃で消し飛ばす。
「一念無量劫――……」
 薙いでも足りない、斬っても足りない。風を纏い、空を泳ぐ木の葉を前にしては、剣の舞など取るに足らないお遊戯である。ならばと、妖夢は楼観の一撃に弾幕を付す。
 斬り、潰し、突き、刺し、抜き、放ち、貫き、断つ。
 土気色の塊を、鈍色の閃光が押し潰す。極彩色に煌きを放つまで分割された木の葉の粒は、昇天という浄化をもって極楽へ気化する。妖夢が楼観を鞘に返した時、振り向くまでもなく地に伏せていた死骸が滅却されたことを理解する。
「浄霊、完殺」
 締めの台詞を零し、白玉楼のもう一辺を始末しに向かう。まだ天から零れる葉の数は留まるところを知らないけれど、それでも己が集めたゴミがチリと化する様からは例えようのない達成感を得る。
 箒を無造作に肩に担ぎ、白玉楼の正門から側面へと足を這わせる。武術としての摺り足を体現している訳ではなく、ただ、足が弾むほど楽しくはない作業の最中だからである。
 故に。
 冥界外から参上仕った、明らかに霊体ならざるもの、簡潔に言えば普通の人間と遭遇したなら、嫌でも顔を顰めてしまうというもの。むしろ、嫌だからこそ表情は歪む。
 魔法使いは箒に跨り空を飛ぶ。それは箒という媒体に一定の魔力を通し、または風に含まれる微量の魔力因子を揚力として飛行するという例があるが、基本はどちらも風を必要とする。ならば、ならばどうだというのか。
「よぉ、妖夢。ちょうど庭掃除に忙しい季節だと思ったから、この私が気前良く薩摩芋なぞを配達しに来てやったぞ。馬鈴薯じゃないところがミソだな」
 聞いても居ない講釈を、箒の上から延々と垂れてくれる。その間も、箒を中心に一定の風が舞い起こり、すなわち妖夢が先程地面に掻き集めたばかりの木の葉が、再び宙へ舞い戻っていることを意味し。
「……白玉楼は、二百由旬」
「知ってるぜ。地球の胴回りと同じくらいだ」
「違う」
「じゃあ、月のウェスト」
 面倒だから、それでいいやと頷いておく。本題はそこではない。
 二百由旬のうち、一辺分の死骸は完殺した。それで良しとしよう。今更一辺分の木の葉を集め直すのも同じこと。どうせまた、明日になれば同じ数だけの死骸が地に打ち捨てられているのだろうし。
「……」
 その惨劇を想像して、ふ、と思わず溜息が出掛かる。舌先まで垂れ落ちた弱音を、寸でのところで嚥下した。
「どうした。芋、嫌いか?」
 黒ずくめの魔法使いが、一見心配そうに尋ねて来る。しかし現実は残酷だ。彼女は妖夢の容態を憂いているのではなく、己の取り分が増えるかもしれないことに喜びを隠せないでいる。
 全く、逞しい思考である。これが生きるという力、図々しさということか。後者のみならば妖夢の主も生者に負けぬくらいの積極性を秘めてはいるが、やはり、餅は餅屋だ。
「いや、嫌いじゃない。だから、早速」
「おう」
「その箒で、庭の木の葉を掻き集めて来て」
 私がか! と驚愕する人間を尻目に、妖夢は箒を木に立てかける。
 働かざる者、食うべからず。それは人間にも妖怪にも、幽霊にも言えること。
 文句や愚痴を吐きながら、それでも木の葉を掃き続ける魔法使いを見、妖夢はその背中が切な過ぎて何だか笑ってしまった。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十七日
(妖々夢・西行寺幽々子)

 


『太陽』

 

 死とは何だろうと考えて、生きていないことだとすぐに結論付けた。
 少なくとも、西行寺幽々子はそれ以上でもそれ以下の存在でもないから。
 下らないことを考えたら、小腹が空いた。幽々子は白玉楼の庭師を呼び付ける。
「妖夢ー。朝ごはんをお願いー」
 庭の彼方から、分かりましたという元気の良い返事が返って来る。半ばヤケクソ気味に聞こえたのは気のせいだろう。それをネタにいびるのも鬼姑然としていて楽しくはあるが、空腹が紛れる前に他人をからかう余裕もない。
 従順なようで、妖夢もなかなか反骨精神が旺盛だし。半人前半人前と揶揄される昨今でこれ程なら、一人前、あるいは一霊前となったらどれ程の器に成るのか。幽々子は楽しみで楽しみで仕方なかったが、このまま手の掛かる半人半霊で在っても充分に楽しいけれど、と胸中で密やかに付け足した。
 朝露の薫りが残る縁側で、静かに昇る太陽の橙を見上げている。
 吸血鬼は日の光に弱いというが、朝に感じる陽光の暖かさを知らないというのは少し不憫にも思える。しかし、その分だけ彼女らは月の冷たさを存分に謳歌しているのだし、下手に同情するのも得策ではないような気もする。
 もとを糺せば、幽霊の方が夜の歩き方を熟知していてしかるべきなのだが、幽々子は早寝早起きを座右の銘としているから、生憎と日が落ちてからのことは詳しくないのである。
 と、そこへ忙しなく妖夢が駆け込んでくる。流れている汗の量からして、早朝の鍛錬と言ったところか。
「……はぁ、はっ。お待たせ致しましたー」
 完全に呼吸を整い切れていないところが、少女の未熟さと懸命さを露にしている。幽々子はあえて細かいことを言わず、指先だけで朝食の準備を指示した。
「かしこまりました。……でも、今日はお早いですね。仏滅でしたっけ?」
「大安よ。それに、他に言うことがあるでしょ?」
 妖夢はやや首を傾げて、すぐさまに深々と頭を下げる。
「おはようございます、幽々子さま」
「はい、よくできましたー。一日の始まりは元気な挨拶と美味しいごはんと言うことで、早く用意しないと四分の三くらい幽霊にするわよ?」
 妖夢の髪の毛が一瞬ぞわりと浮き上がる。幽々子としてはさほど殺意を込めた訳ではないのだが、熱意が有り余って殺意に転じてしまったのだろうか。注意が必要だ。
 玄関に回り、死に物狂いで食事の準備をこなしている妖夢を背中に、さっきより幾分か高い位置にある太陽を仰ぐ。地平線から高々と打ち上げられた紅い恒星は、留まるところを知らぬまま加熱し続ける。冥界に住む者の体温、冥界そのものの温度がどれだけ低かろうと、太陽の灼熱から逃れうることは到底できない。
 それでも現世とは日向と日陰ほどの温度差があるようで、たまに畏れを知らない人間や妖怪が避暑地代わりに白玉楼を訪れることもままある。妖夢などは、彼女たちの相手が忙しいと箸を振り乱しながら力説しては、幽々子に頭を小突かれると言った寸劇を繰り返している。
 普通の幽霊は不幸だ。
 太陽の光を浴びなければ、生きているかどうかはともかく、存在しているという実感を得ることは難しい。夜の間だけふよふよふわふわ浮いていたところで、この世にもあの世にも在るか無いかよく分からないではないか。
 それを言えば、幽々子は今こうして此処に存在している実感がある。
 生きていることだけが存在の証ではないのだ。人間はそれを勘違いする。だから、幽霊を「無いもの」と判断する風潮が未だに残っているのである。
 嘆かわしいとは思わないが、自然と分離しすぎて、自然を見失うのもどうかしら、と幽々子は稀に考える。
 ――考えるが、朝餉の芳しい香りに遮られ、それ以上の深みに嵌ることはない。
 思考は生きている者の本分。死んだ者は深く考察しない。なぜなら、死んでいるからだ。
「幽々子さま、朝餉の準備が整いましたよー」
 妖夢の整った呼吸が伝わる。
「あら。随分と早いわね」
「あんな脅しを掛けられたら、誰だって神速になりますよ……」
 茶碗に白米をよそいながら、苦笑を浮かべる妖夢。見慣れた表情も、朝一のそれは新鮮に見える。
 一日一日が輪廻する。二度と同じ日は巡らず、二度も同じ太陽は昇らない。
 ――さて。今日も一日、元気に行こう。
 さしあたっては、「いただきます」から始めようか――。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十八日
(妖々夢・八雲藍)

 


『Close Your Eyes』

 

 ……眠い。
 仕方がないという諦念と、そんなことでどうするという自制心が鬩ぎ合う。悪心と良心がぶつかり合ったところで、眠いものは眠いのだがちゃぶ台に突っ伏したまま、八雲紫の式であるところの八雲藍はぼんやりと睡魔に侵されつつあった。
 ――あ〜、もう別にいいかなあ……。紫様だって半日も寝てるし、こちとら一日中働き詰めで腰が痛いし……。あぁでも、こんな体勢で寝たらまた腰が悪くなる……。あんまり医者には行きたくないんだが……。遠いし、物騒だし、というかあの色はありえないだろ……。蓬莱だか何だか知らんが……。
「藍さまー。お客様がいらしてますー」
「黙れ小娘っ!」
「ひぎゃあ!」
 何故か悲鳴が聞こえる。しかも聞きなれた声だ。おかしい、自分はあのヤブ医者に怒鳴りつけたつもりなのだが。
 のっそり顔を上げると、襖の隙間からぶるぶる震えながらこちらを眺める橙の姿がある。まだ完全に開いていない目蓋で、とりあえず手招きしてみる。しかし、いつもは何も言わなくても自分の側に付いて尻尾を振っている式が、今日に限って近寄って来ない。
「……橙」
「は、はいっ! 私、何もしてないです! だから石にだけは、石にはしないでくださいーっ!」
 どうも、酷く錯乱しているらしい。理由は不明だが、きっと発情期でテンションがあがっているのだろう。
「……そじゃなくて。お客がどうこう、言っていたような記憶があったりなかったり」
「分かりましたっ! すぐに撃退してきますーっ!」
「……早とちるなー」
 補足するのも聞かず、橙は韋駄天の勢いでマヨヒガと現世を繋ぐ境界線へと疾駆する。春の麗らかな日差しを浴びながら、橙を追おうか追うまいか、焦点の合わない頭で考えてみる。
 結果。
「……寝よう」
 寄る年波……じゃなかった、睡魔の波には勝てない。人間でなくとも睡眠・食欲・性欲は生命の三大欲求らしいので、それをしなくても生きてはいけるがやっぱりちょっとしんどい。霞ってあんまり味ないのよ、ほんと。あぁ、それにしても眠りが欲しい……。
 腰が曲がるのも一興だ、と藍は早々に諦めて、ちゃぶ台に突っ伏したまま開きかけた目蓋を下ろそうとし――。
「にぎゃあぁぁぁっ!」
 先程よりコブシが入った絶叫と、飛翔毘沙門天でもないのに巧いこと前宙し続けたままマヨヒガの向こう側へ飛んでいく橙を確認して、それでも藍は眠いのでちゃぶ台兼簡易式ベッドにうつ伏せようと試み――。
「……ちょっと待った」
 ここで寝るのは人間っつーか妖狐としてどうだろう。と、自分で自分にツッコミを入れる。
 ふらつく足を酷使し、縁側から橙が強制毘沙門天した方向を見上げるも、既に式の姿はなく。何かしらの攻撃を受けた瞬間に毘沙門天し、ダメージを受け流そうとしたはいいが、かなりハイレベルなスペルカードだったため、制御しきれなくなってマヨヒガの彼方にステイアウェイしてしまった、というところか。我が式ながら、なかなかの策士策に溺れっぷりである。
 ……駄目だ。頭が上手く回っていない。特に意味もなく十二神将の宴をぶちかましてしまいそうだ。あまつさえ、それに主が巻き込まれてもなんとなく睡魔のせいにしちゃいそうだし。
 どうしたものか、と藍が腕を組んだまま鼻ちょうちんを膨らましかねない状況に陥った、まさにその時。
「こんちはー。博麗おまかせどこでも宅配サービスでございまー」
 呼んでもない客が来た。つまるところ、これが橙の言っていた『お客様』なのだろう。
 ちょうどいい。我が主に手が滑ったと称してプリンセス天狐をお見舞いするのも魅力的だが(まあそれでも平然としているのだろうが)、後々ストレートとカーブの夢郷プラス弾幕結界の合わせ技一本で悶絶させられかねないので、ここはあの幸せな紅白巫女のサラシで手を打つことにしよう。
 本名を博麗霊夢と名乗る巫女は、マヨヒガの境目が存在すると言われる場所からのっそり現れた。
 払い串を構えているのはいいが、その手に嵌めているのは軍手。本当に引っ越し屋でもやっているのだろうか。貧乏すぎて。
「……おはよう。先に言っておくが、私は眠いから手加減はできん」
「んー、こっちは手加減してくれると嬉しいかしら。別に取って食おうってんじゃないんだし。きつねうどんってのも好いんだけどね」
「……相変わらず、人を食った奴だな」
「生憎、食人の嗜好はないわねぇ。森に住む魔法使いとかじゃないんだから。
 今日は、食器と茶葉を幾つか」
「……あんたにくれる日用雑貨は無い。というかそういう理由でマヨヒガに来るな。帰れ」
「じゃあ、宝石でいいや」
「……」
 ほら、と図々しく手のひらを差し出してくる霊夢。本気で貰えると思っているあたり、前々から察していたがかなりの大物だ。主が目に掛けるだけのことはある。
 しかし、主が目を付けたということはそれなりの変人であり、つまり、己に害を及ぼす存在ということ。藍は、薄れゆく意識を必死に繋ぎとめ、とりあえず目の前の追い剥ぎ巫女の撃退を決意する。
「……ふ、ふふ」
「布団でもいいけど、綿を流すのがめんどいからやっぱり要らないや」
「……幾度にも亘り、橙を苛めてくれたな。この恨み、我が式に代わり貴様にお返しする!」
 巫女に正対し、斜に構えながらスペルカードを引き抜く。非常にアンバランスな体勢だが、何故か帽子は落ちない。
「つーか、私の視力が確かなら、黒猫が吹っ飛んだ後もしばらく出てこなかったじゃない……」
「……くっ、騙されるな私。これらは全て紅白巫女の策謀に過ぎないのだ……」
「独り言? あんた、だいぶ疲れてるのねえ……。なんか相手にするのも可哀想になってきたから、さっさと真珠をよこせ」
「……普通、また来るわとか言って帰るシーンだろ。ここ」
「また来る時は、マヨヒガ最後の日になっちゃうと思うけど」
 何をする気だこの女。本当に人間か。
 やはり、今のうちにいてこました方がいいと見た。眠気もそうそろそろ限界だし、ここは一気に決着を着けよう。
「……ふん! 八雲紫が主、八雲藍の真髄を全て閲覧したと思うな! つーか帰れ!」
「えー」
「ぶー垂れるな! ちゃっちゃと行くぞ!
 我は幾世に君臨せし奇怪なる申し子! 『プリンセス――!!」

 ぷつっ。

 藍の中で何かの糸が途切れ、全身から全ての力が抜けて行き、身体とは正反対に意識は宙に上って行き、つまるところ、藍は強制シャットダウンで眠りに落ちた。
 廊下に突っ伏し、腕を投げ出したままぴくりとも動かない藍。
「…………えーと」
 叫び出したり倒れ込んだり、あんまりといえばあんまりな出迎えに、霊夢もしばらくその場を動けずにいた。が。
 一応、ふかふかした尻尾を素手でしばらく触ってみた後、軍手を嵌め直してマヨヒガの探索――もとい、盗掘に躍り出たのだった。

 

 教訓。
 眠い時は寝よう。

 



上へ

Index

 

一日一東方

五月十九日
(妖々夢・八雲紫)

 


『雨に待つ』

 

 霧雨は晴れない。誰かの心象を表したかのように、いつまで経っても薄く濁ったままだった。
 森の真ん中には湖があり、その中心には紅く染まった館がある。
 紅い館は霧雨にも侵されず、悠然とその姿を湖面に晒している。外界が湿っているせいか、館に住む主は特に大人しい。
 湖のほとりには砂辺があり、いつもは無邪気な妖精たちが何の悩みもなく遊んでいる。が、今日に限っては雨に濡れるのを嫌がって、湖の中なり森の木陰なりに引っ込んでしまっていた。
 ただ一人、呆と湖を眺めている氷精を除けば。
「……雨ー、雨ー」
 現在の天候状況を率直に述べる。座席に選んだ石は湿り気を帯び、全身はとうにずぶ濡れである。しかし、氷精は適当に足を投げ出したまま、気紛れに雨や湖や紅い館を呟く。
 何の意味があるのか、何の意味もないのか。
 氷精自身にも明白な答えは出せないけれど、おそらく、彼女はそれでいいと思っている。自分のやるべきことは、これでいいと考えている。
「……寒っ」
 身体を抱く。日が沈み、気温も次第に下がる。夜が来れば風も吹くだろう。
 寒さに身を震わせるのは、氷精として相応しい感覚ではないのかもしれない。が、彼女は譲らない。
 自負なのだ。
 決めてしまったから、後戻りは出来ない。元より、何をすべきかもよく分からなかったから。今は、これ以外にやるべきことは見付からない。
「……へぇっくしっ!」
 身に迫る寒さは、自身が放つ冷気とはまた違った感覚をもたらす。徐々に身体を侵す雨粒は、遅効性の毒にも似ていた。妖精といえど不死身ではない。無茶を続ければ、生きることすら危うくなる。
「あらあら」
 聞き慣れない声が聞こえた。
 希望は持たず、氷精は振り返る。そこには、傘を持った人間のようなものがいた。
 知らない顔だ。けれども、なんとなく最初から知っているような気もする。
 形容しがたい存在。氷精は、背筋に何か冷たいものが走るのを感じた。
「こんな雨の日に、物好きもいるものね」
 目を細めて笑う。上品だったが、どこか異質だった。
 何がおかしいのかが理解できず、むずがゆいものを感じながら、氷精は闖入者に話し掛ける。あまり邪魔はされたくない。
「なによ、ここはあたしたちの特等席なんだからね。勝手に入って来ないでよ」
「それは誰が決めたの?」
「あたし」
 胸を張る。女性はくすくすと笑っていた。馬鹿にされたようで、高揚した気分が殺がれる。その分だけ、寒さが身に染みた。
 反射的に震える身体を、不意に大きな雨傘が覆う。少女の視界が半分に割れ、同時に紅い館の上半分も切り取られる。湖しか見えなくなった世界の中で、氷精は奇妙な女性を振り仰ぐ。しかし、傘が邪魔をして形の良い唇しか見えなかった。
「……濡れるわよ。あたしは最初から濡れてるんだし、別に傘なんか」
「いいのいいの。他人の好意は素直に受け取っておくものよ」
「そう言って、最後には魂を抜き取って行くとか」
「妖精の魂はねえ、劣化しているものが多いから。抜くんだったら、活きのいい死体からの方が――」
 冗談には聞こえない。最低でも、この女は妖精や人間の魂に触れたことがある。
 氷精には、そんな経験はない。魂のみの存在である妖精は、魂を大切に扱う。人間をからかいこそすれ、間違っても殺すことがないのはそのためだ。
 だが、笑って魂の位置を左右できる存在が隣りにあっても、不思議と恐怖は感じない。
 アンバランス。
 実体と雰囲気が噛み合わない。胡散臭いという単語が最も似合うのは、そのせいなんじゃないかと氷精は思った。
「――と、邪魔しちゃったかしら。霧雨だから雨粒を弾く音は聞こえないと思うけど、まあ、くしゃみと咳を唄の代わりにするよりいいでしょ。でも、やっぱりお節介かしらねえ」
「別に……そんなこと言ってないし」
「あらそう」
 唇の端で笑い、女性は氷精に傘を手渡す。さっきとは違う理由で背中が痒くなるのを感じるけれど、好意を突っぱねるのも妖精として我慢がならないから、言われた通り素直に受け取ってあげる。手の中に小さな重みが加わり、またひとつ少女の視界が狭まる。
「待っている誰がいるというのは、良いものね」
「……うん」
 頷く。
 もしかしたら、今日ではないのかもしれない。雨が雪に変わらないのは気温が高いせいだ。だから、雪が降らない限り彼女が帰って来る可能性は低い。
 それでも待つのだ。今はただ、それ以外にやるべきことなど――。
「て、ちょっと待って。どうしてあんたがそれを――」
 振り返る。石から立ち上がり、親切だけれどどこか怪しい女性に問い詰めようとする。
 が、後ろにはただ薄暗い森が構えているだけだった。
 霧雨に包まれた森は、日が落ちたせいでその色を濃くしている。闇は闇へ。雨は地へ。
 呆然と立ち尽くしたまま、氷精は開けた視界の向こう側にある空を仰ぐ。
 薄闇に染まりつつある空は、やがて白い粒を落とすだろう。その時が来るまで、氷精は待ち続ける。傘を持って、一時の寒さから逃れて。
「……あいつ、何だったのかしら」
 やはり、胡散臭い。
 よく見れば、傘の模様も少しけばけばしい。妖精がいくらファンシーといえど、これはちょっと行き過ぎな感がある。
 また会った時には、趣味を変えた方がいいわよとか言いながら傘を返そう。

 こうして、氷精の待ち人は二人に増えた。
 もうすぐ、幻想郷に雪が降る。
 待ちに待った、冬の季節がやって来る。

 



上へ / 紅魔郷編へ / 永夜抄編へ / 番外編へ

Index

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!