一日一東方

二〇〇八年 一〇月二十二日
(地霊殿・星熊勇儀)

 


『弾丸ライナー』

 

 

 昔の話である。
 山にまだ鬼が棲んでいた頃、伊吹萃香と星熊勇儀は隣り合って酒を呑んでいた。
 きれいに晴れ渡った山の頂から、点在する人家や広大な田畑を見下ろす。お互いに語る言葉もなく、ただ横に座っているだけで酒の肴になる関係である。味も素っ気もないようでいて、何も語らずとも決して気まずさを覚えない間柄ならば、それ以上を望む必要もない。
 ただ呑み、杯を空かす。飽くことなく、身体に這い寄る酩酊の呪いをも鎖に縛り、未来永劫に離すまいとして極楽気分を掻き抱く。
 ぷあ、と枡に注がれた酒を一気に飲み干し、萃香は下の世界を見下ろしながら言う。
「蹴ってるねー、鞠」
「蹴ってるねえ、鞠。しかし私にゃあ、あれの何が楽しいのかいまいちわからないんだが」
「ははあん。勇儀さんは、物事の情緒ってもんをよくわかってないと見える」
「なんだい、じゃあおまいさんはあれの楽しみがわかるってのか」
「愚問だね」
 言うと、萃香は枡を置いて勢いよく立ち上がる。
 彼女が胸の前でばしんと両手を合わせると、その中心に黒く小さな弾が現れる。萃香が徐々に力を込めると、その弾も徐々に大きくなる。
 黒く、強烈な稲妻を内包した弾丸が、ちょうど鞠に近い大きさになった頃、萃香は勇儀に目配せをする。
「ほれ」
「ほれ、と言われてもだな」
 首を傾げる勇儀に、萃香はわからない奴だなあと言わんばかりに弾丸をぐるぐると振り回す。
「何も、人と同じ遊び方を真似ることはないんだ。私らは私らのやり方で、鞠の遊び方とやらを生み出せばいい。鬼には鬼の楽しみ方がある。それだけの話さ」
「ふむ」
 頷く。
「確かに、言われてみればそうかもな」
「だろ」
 萃香は弾丸を勇儀に翳し、勇儀もその意気に応える。
 共に杯を置き、向かい合い、山の頂から麓に向けて、いちにのさんで一気に駆け下りる。
 粉塵が舞い上がり、二陣の風が山を疾駆する。

 

 決まり事はひとつ。
 投げられた球は、必ず受け止めなければならない。
 身体に当たっても、何らかの形で受け止めれば良しとする。
 暇に飽かせた鬼が二匹、彼女らだけの遊戯を開始する。
 頂から駆け下り、景色は急速に移り変わる。進みゆくは川の源流、行く手を遮る大樹を擦り抜けながら、地面に確かな足音を刻む。
 堰を切ったのは、萃香の弾丸だった。
「行くよ!」
 姿は幼くとも、戦える相手と向き合えた喜びに笑う鬼の力は揺るぎない。
 稲妻を凝縮した弾丸が、唸りを上げて萃香の手から放り投げられる。雄々しく茂った野草をことごとく薙ぎ払い、散り散りに吹き飛ばしながら好敵手に向けて突き進む。
「なんの!」
 勇儀はそれを片手一本、難なく掴み上げて握り潰す。
 雷が果て、黒煙が燻る手のひらを萃香に翳し、勇儀は不敵に笑う。
「んじゃ、次は私だ!」
 勇儀が生み出すのは、萃香が作り出したそれより若干小ぶりな弾丸だ。芯が赤く、表面から轟々と炎が漏れ出ている。
 幾分か流れと水かさが増した川に足を踏み入れ、猛々しく水を跳ね上げて、勇儀は躍動する。
「うおぉぉぉッ!」
 一歩、二歩、萃香に迫る。
 勇儀の思惑を読んだ萃香は、それでも足を止めない。あくまで、速度を維持したまま迎え撃つ。
「来い!」
 魂の叫びに、一方の鬼もまた全力で応える。
「喰らいなッ!」
 三歩、必殺の領域に侵入した勇儀は、焔の弾丸を宿した手のひらを、ありったけの力を込めて萃香に叩き付ける。
 逆手、それも片手で受け止めた萃香であったが、弾丸は衣一枚しかない彼女の肌に忍び寄る。熱は身体を表から焦がし尽くし、然る後にその内をも焼き尽くすだろう。
「ぐぅッ……!」
 足の裏が地面に食い込む。足は完全に止まり、勢いのままに叩き付けられた勇儀の拳が、その弾丸もろとも萃香を押し倒そうとしている。
 だが、それがなんだというのだ。
「せいッ!」
 歯軋り、こめかみに走る頭脳が一瞬、勇儀が繰り出した弾丸を、萃香の手のひらが力尽くで握り潰す。手のひらは焦げ、肉の焼ける匂いがあたりに漂う。
 そのような最中にあっても、鬼は油断のない笑みを交わしている。
「甘っちょろいねぇ。腹の足しにもなりゃしない」
 勇儀は鼻で笑う。萃香はふふんと鼻を鳴らす。胸を焦がし、手のひらを焼いた傷まみれの姿でさえ、取り繕うことなど一切ない。
「蚊が止まった、とはよく言うものだけどね。まあ、血を吸われた程度の痛みと思っておくよ」
「言うね」
「言うよ。いくらでも」
 期せずして、足は止まった。不思議と、鳥の鳴き声も虫の戦慄きも、木々のざわめきも川の音も、その全てが鳴りやんでいる。誰もがみな声を潜めて、鬼たちの遊戯を見守っているかのように。
 次手は萃香。
「すぅ……」
 仰々しく息を吸い、ゆっくりと溜め込んでいく。
 肺に溜まった全ての空気が、萃香の身体を若干大きく見せる。
 そしてそれを吐き出すと同時、宣言は高らかに響き渡った。
「我はこの世の屋根を支える鬼」

『ミッシングパープルパワー』

 仰ぎ見るほどの巨体が、勇儀の眼前に聳え立っている。
 伊吹萃香という存在の密度をより濃く。成長ではなく、膨張の極地に萃香はいた。
 齢数百年を刻む大樹よりもなお高く、山に降り立った巨大な鬼は、その腕で、その掌で、雷を内包した漆黒の弾丸を織り上げる。豪腕より繰り出される弾丸は大きく、勇儀よりも、天に掲げれば太陽よりも巨大なのかと錯覚するほどであった。
 勇儀は動かない。
 武者震えが走る。笑い出したいとも思う。が、今は笑うべきでない。指が鳴る。唇が乾いている。角が痒い。鎖は適度な重さでもって手首に絡まっている。
 ただ、土の感触が心地良い。
 此処に立っていれば、何事でも成せるような気さえする。それこそ、萃香が言うように世界を支えることも、逆に世界の法則を捻じ曲げることすら。
 何もかも、不可能はないと言い切れる。
 この鬼の身に成せないことなど、きっとありはしないのだと。
「来な」
 声は穏やかだった。震えはいつの間にか止まっていた。
「行くよ」
 萃香もまた、厳かに告げる。
 生み出された弾丸が、振りかぶられ、風を撒き起こし、大地を揺るがす。
 遥か天空から打ち下ろされた、隕石のような衝撃が勇儀を襲うまで、それほど時間は掛からなかった。
 弾丸が影を作り、世界が束の間の闇に染まる。その中で、勇儀は笑う。
 それは、鬼の笑みだった。
「我は――――」

 

 破壊が撒き散らされる。大地に深々と風穴が開く。薙ぎ倒され、崩れ落ちる山肌を見るに付け、やりすぎた感があると思わなくもない。
「むむ」
 いずれにせよ、鬼と鬼との真剣勝負だ。手を抜くなどと考える輩はおらず、引き分けなどという概念を持ち出す輩もいない。勝敗の杯は、必ずどちらかに傾くように出来ている。
 だが、少しばかり拍子抜けだ。酒ばかり呑んで身体が鈍っていたのかと、己と、仲間の身体を苦慮する。
 砂煙はなかなか晴れない。収束しつつある弾丸は、土砂が剥き出しになった斜面によく映えた。壮観である、と思うのはいささか不謹慎だろうか。また、天狗や河童に窘められるかもしれない。が、それも悪くはない。
「む……、ん?」
 かくて、変容は起こる。
 落ちるがまま、消え失せるがままに任せていた弾丸が、静かに、ゆっくりと持ち上げられていた。

 片や、鬼がこの世の屋根を支えるというのなら。
 片や、鬼はこの世の大地を支えるとしよう。
 星熊勇儀。
 我は、世に語られる怪力乱神の一。

「一」
 両腕は要らない。片腕で構わない。鬼たるもの、余裕を見せなければ嘘だ。全力であることは疑わず、けれどもその一片に優雅さを纏っていなければならない。如何に力を振るおうと、酒を呑もうと、そこいらを闊歩しようと、その片隅には、怪力乱神たるに相応しい妖艶さを纏っていなければならない。
 勇儀は笑う。ぼろと化した服で、擦り切れて血の滲んだ肌のままで、土に汚れた面を空に向けて。
「二」
 大地にめりこんだ足を引きずり上げ、天に掲げた片腕と、その先に乗せられた雷の弾丸を、力の限りに握り潰す。たったそれだけのことで、大地を覆う巨大な影は、霧が晴れるように、夕立が上がるように、いともあっさりと消え去ってくれた。
 萃香が萃めた力の残滓が散らばり、この世のものとも思えない光を散らす。
 次手は勇儀。
 手首から垂れ下がった鎖は、ちょうどいい具合に地面に埋もれている。
 射程距離は十分。萃香も臨戦態勢に入っている。恐らく、その時点で既に勝敗は決しているだろうに、それでもお互いに、撃ち合うことを、受け止めることをやめられはしない。
 鬼である限り。
 向き合ったのなら、倒れ伏すまで戦いは続く。
 鉤爪のように指を立て、空気を裂くように、勇儀は指先を振りかざす。
「三」

 歩。

「必」

 殺。

 

 

 

 全弾命中。
 世界を埋め尽くす無数の弾丸が、情けも容赦も何もなく、伊吹萃香を完膚なきまでに打倒した。
 だが、勇儀は萃香が倒れる様を確認はしなかった。
 疲れた。
 必殺の弾丸を放った直後、受け身も何も取らず、後ろ向きに倒れ果てる。だが、勝ったのは間違いなく自分なのだと、恐らくは萃香も納得済みであろう勝敗の結果だけを美味しそうに呑み込んで。
「……へへ」
 力のない笑みが零れる。少々気恥ずかしくて、ずっと痒かった角を掻く。
 遠く、巨人が大地に倒れる轟音が響く。
 鳥は再び鳴き始め、川は荒れ果てた山肌を流れ始める。眠るにはいい頃合だ。まぶたを閉じて、大の字になって、世界の音に耳を傾ける。
 虚ろな闇は、まだこの身体に心地良い。

 昔の話である。
 勇儀がまだ、世界の光を浴びていた頃の話。

 

 

 

 



キスメ  黒谷ヤマメ  水橋パルスィ  古明地さとり  お燐  霊烏路空  古明地こいし
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2008年10月22日 藤村流

 



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