一日一東方

二〇〇八年 一〇月一九日
(地霊殿・黒谷ヤマメ)

 


『うちの庭からヤマメが生えてきました』

 

 

 絶句。
 まさにその一言に尽きた。
「いやぁ参ったねぇ」
 それはまず間違いなく、庭を掘っていた主の台詞である。
「……蜘蛛?」
「如何にも。名はヤマメ、種は土蜘蛛です」
 土の上に出ているのは、まだ幼さの残る少女の上半身のみ。何を恐れる必要があろうかと、投げ捨てかけたスコップを再び握り締める。
 よし埋めよう。
「せーの……」
「やめんか」
 ヤマメはそこらに転がっている小石を投げつけた。
 ささやかな抵抗は、庭の持ち主である女には何の効果もなかった。穴は深い。昨晩から降り続いている雨は、石混じりの硬い土も柔らかく仕上げてくれる。腰の高さあたりまで掘り進んだところで、急に、底の土がぼこぼこと鳴動し始めた。何事かと待機していたら、いきなり、地面から腕が生えてきた。
 愕然。
 その一言に尽きた。
「いやぁはは、這い上がってきたはいいものの、地上がどうなってるかまではわかんないからねぇ。しゃーないしゃーない」
 うんうんと、泥まみれになった少女は満足げに語る。自力で脱出することは出来ないのか、怪訝な表情を浮かべる女を見上げたまま、その場を動こうとしない。
 奇妙な邂逅だった。
 深く掘られた穴に、雨粒が溜まりかけている。仮に、地下から掘り進んできたのであれば、この穴はとっくに陥没しているはずだ。そうでないとすれば、ヤマメは最初からここに埋まっていた、ということだろうか。
 馬鹿な、と女は首を振る。雨に濡れた髪が、雫を撒き散らしながら振り乱される。
「うん、陥没しないか心配しているんだろうけど、ほら、私が栓になっているし、もともと細い穴だからね。掻き分けた土は後ろに掻き出さないといけないから、背中は自動的にどん詰まりなのさ」
 不退転。ヤマメはにんまりと告げた。
 安堵すべきか、やはり埋めてしまうべきか、女は逡巡した。雨に濡れ続けているのも、身体に悪い。それはヤマメにも言えることだが、ひとの庭に突然生えてきた蜘蛛を労わる気にはなれなかった。
「しかし、久しぶりにお天道様を仰げるかと思ったのに、生憎の曇り空だ。侭ならないものだねぇ」
「そうね。いきなり庭から蜘蛛が生えてきたり、思ってもないことばかり」
「希少価値高いよ?」
「埋めるわね」
「うあー! やめろー!」
 情け容赦なく降りかかる土砂の攻勢に耐え切れず、ヤマメは口に入った泥をぺっぺっと吐き出す。
「全く、血も涙もない……。なんだい、人間ってのは義理と人情で出来てるんじゃないのかい」
「人によるわ」
「かもしんないけどさー」
 雨に雪がれようとしていた泥水が、再びヤマメを包み込む。ご自慢の金髪がー、と唸っている少女を見るにつけ、そう思うのなら土を掘って出てこなければよかったのに、と苦笑する。
「それに私、蜘蛛が嫌いなの」
「好き嫌いは誰にでもあるものだよ。恥じることじゃあない」
「水責めと生き埋め、どちらがお好き?」
「どっちも嫌いだなぁ……」
 命の危険が迫っているわりに、お互い緊張感とは無縁のやり取りを交わしている。女は、ヤマメが妖怪であることを知っている。扱いに注意しなければならないと理解している反面、厄介であることには違いないから、どうしてもぞんざいに接してしまう。
「それにしても、大きな穴を掘ったものだ。一体何に使おう?」
「ゴミがね、溜まってしまったから。埋めないといけないのよ」
「おお、それはいけない。ゴミは捨てなきゃね。在るべき場所に」
 女の背中には、漆喰造りの家がある。件のゴミは縁側に投げ出されており、端から腐り始めている。遠くにあっても漂う匂いに、女は顔をしかめた。地面に突き刺したスコップが、石塊に絡まってじゃりじゃりと耳障りな音を奏でる。
「土蜘蛛は、ゴミを分解する能力なんて持っていないの?」
「この世にあるものはいずれ土に還る。その循環を速めることは出来ても、私ひとりじゃあ分解なんて到底無理だね。腐敗もまた神の力さ。いずれ何もかも無かったことになるんだ、素晴らしいことじゃないの。ねえ?」
 同意を求める。が、女は眉間に皺を寄せたまま、表情を変えることもない。
「いずれ、じゃ遅いのよ。あなた、あんなゴミの隣で何年も過ごせって言うの? 嫌でしょう?」
「んなこと言っても、自分が出したゴミじゃないか。責任を持とうよ」
「嫌な言葉ね」
「嫌な言葉さ。人間のためにあるような言葉だ」
 ヤマメは、女の背中に隠れたゴミを窺おうとしたが、どうにも高さが足りない。視界の高さはちょうど地面すれすれで、いくら頑張っても女の突っ掛けしか目に入らない。
 これ以上やっても首が疲れるだけなので、ヤマメはあっさり諦めた。
 嫌なものは見ないでおきたい。臭いものには蓋をしたい。責任逃れと言われようとも、楽になるなら他人がどうこう言っていられない。
「きっと」
 女はスコップを振り上げていた。どうやら話すことにも飽きたらしい。
 ヤマメにすれば、もう少し話をしていたかったのだが。欲を言えば、ここから引きずり出して、髪を洗って世話をしてくれれば最善だったのだが、流石にそれを望むのは酷だろう。
「ゾンビやドラキュラは、こんな気分だったんだろうよ」
 呆れ調子に呟き、非力な女の凶器が振り下ろされる。スコップの先端には赤黒い染みが見える。そんなものか、と思う。何も同じようなことを繰り返さなくても、他に方法はあっただろうに、とも思った。
 女の瞳は、ヤマメと他愛のないやり取りをしていた時と変わらず、生気のない色の火を宿している。
「死体を埋めるその前に、活きの良い死体が出てきたなんてね」
 笑えん話だ。
 全くね。

 スコップは、ゴミ捨て場に突き刺さった。

 

 

 

 

 ゴミ捨て場にゴミを埋めて、混ぜ繰り返した土にスコップを刺して、女はようやく息をついた。
 これで終わり。背中がどん詰まりに触れている。けれども終わりであることに間違いはなかった。
 土蜘蛛は土の中に潜ってしまったけれど、見えないところに消えたのなら、初めから何も無かったのと変わらない。安堵する。予定通りだ。予定通り、何も無かったことになった。
 あんな男なんて初めからこの家に住んでいなかったし、初めからあんな男なんて存在していなかった。この家には女ひとりしか住んでいない。そういうことだ。
 唇から、乾いた笑い声が漏れる。
 これで、厄介なものは全部無くなった。素晴らしい。なんて素晴らしいんだろう。
 ただ、ゴミ捨てに手間取ってしまったせいで、身体がかなり冷えている。寒気が酷い。身体のあちこちが痒いし、震えも止まらない。性質の悪い風邪をひいてしまったのかもしれない。でも、もう頭を悩ませるあれこれは消えてなくなったのだから、安心して家の中で過ごすことが出来る。
 震えながら、息を吐く。
 雨の中、家を見上げた。
 腐敗臭はまだ、鼻の奥底にこびりついていて、取れない。

 

 

 

 



キスメ  水橋パルスィ  星熊勇儀  古明地さとり  お燐  霊烏路空  古明地こいし
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2008年10月19日 藤村流

 



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