あふたー・ぜろ

 

 

 


 *本作は『おぺれーしょん・かうんとだうん』(作品集22〜)のエピローグにあたります。





  10月19日  10:43



「まあ、『アフター・ゼロ』なんて言っても、ロケットが帰ってくるまでは、特に何もないんだけど」
「むしろアフター・カーニバルって感じだな。祭りの後。……後の祭り?」

 紅魔館の大図書館。パチュリーと魔理沙は閲覧用テーブルを挟んでいた。
 あの戦いが終わってからずっと、魔理沙は紅魔館に逗留していた。箒が壊れてて飛べないし、飛べなきゃ湖を越せないじゃないか――というのが彼女の主張だったが、実際のところは、剣呑な連中がいなくなった紅魔館でのんびり過ごしたいだけだったのだろう。箒の修理もそこそこに、図書館に入り浸っているのだから、周囲からもバレバレだった。
 お構いなしに、今日も魔理沙は蔵書を漁っている。
 その向かい側でパチュリーが広げているのは、文々。新聞だった。一昨日の昼に館の窓をぶち破って届けられたものだ。二日かけてメイドたちの間で回し読みされ、今日になってやっと図書館まで到達したのである。
 一面記事を飾るのは、あの夜の出来事だった。ロケットの打ち上げ成功と、それにまつわる戦闘のことが、ほぼ同じ割合で紙面を分けている。
 別面に関連記事もあり、そこには上白沢慧音の短いコメントや、なぜか頭から布団をかぶって震えている戦災難民みたいな姿の霊夢の写真などが載せられていた。

 ひと渡り目を通すと、パチュリーは何の感動もない表情で新聞をたたみ、テーブルの中央へ放った。それから書架の林の奥へ呼びかける。
「いま何時かしら?」
「四十五分だな」
 答えたのは目の前の魔理沙だった。
 パチュリーは瞬きし、そして不意に頬を薄い紅に染めた。小悪魔がいないことを思い出したのだ。
 魔理沙が本の向こうで含み笑いを漏らす。
「まだ慣れないんだな。ま、私も早いところ戻ってきてほしいんだが」
 ぽりぽりと、魔理沙は頭を掻く。金色の髪に、トレードマークである黒い帽子は載っていない。小悪魔に預けておいたところ、そのまま月へと連れて行かれてしまったのだ。
 これを知ったとき、魔理沙は腹を立てたりはしなかった。むしろ愉快げに肩をすくめ、気が利くと小悪魔を褒めた。
「月へ行った帽子なんて、それをかぶって寝たら、スケールのでかい夢を見られそうじゃないか」
 妙なことを考えるものだと、パチュリーなどは思う。でも、そういう発想は嫌いじゃない。
 思い出し笑いを隠しながら席を立つ。
「そろそろお出かけか? できれば私もついていってやりたいところなんだが、いやあ残念だ」
「護衛なら美鈴で十分よ。それより別の理由で、あなたを残していくのは不安なんだけど」
 半眼で、テーブルの上に積み上げられた本の山を見渡す。
「私が戻るまでには、ちゃんと片付けておくのよ?」
「おーけー、まかせな」
 とても任せる気にはなれない生返事だった。
 パチュリーは力いっぱい後ろ髪を引かれながらも、やむなく図書館を後にした。









『 “捕虜交換、滞りなく終わる”

 10月19日、先の紅魔館・永遠亭間で起きた大規模な紛争(通称「十六夜事変」)の戦後処理の一環として、両陣営間で捕虜交換協定が結ばれ、即日、交換が行われた。
 調印は紅魔館臨時代表のパチュリー・ノーレッジ氏と永遠亭の軍政担当、八意永琳氏の間で行われ、調印式及び捕虜交換には上白沢慧音氏が調停役として立ち会った。場所は博麗神社。
 当初、調停役は博麗神社の巫女・博麗霊夢氏に依頼されるはずであったが、同氏が風邪で出席できなかったため、紛争にも関わることなく中立的立場をとっていた上白沢氏に急遽バトンが渡されることとなった次第。
 引き渡された捕虜は紅魔館側が16名、永遠亭側が22名。いずれにも死者、重傷者や病人はないという。
 我が家へと帰った少女たちは、
「いやあ、向こうではのんびりさせてもらってました。鬼のメイド長もいないし」(紅魔館所属メイド)
「あっちの食事って、ちょっと脂っこいのが多かったけど。とても美味しかったですよー。また行きたいなぁ」(永遠亭所属兎)
 と、意外にも敵陣営に対して好意的な感想を持っていた。外の世界で言うストックホルム症候群に似た心理現象であろうか。違うか。
 しかし、やはり捕虜となった紅魔館のメイド、キッチン3さん(仮名)などは、
「向こうでレシピをいくつか教えてあげたんです。あ、私、紅魔館では調理担当なんで。そしたらお土産に搗きたての餅をくれたんですよ」
 と交流の度合いを具体的にアピールしている。このことから両陣営の間にわだかまりは少ないと見られ、懸念されている紛争の再発は杞憂に終わるかもしれない。 (射命丸 文)』














  10月20日  04:32



「着陸予定地点に障害発見。距離五〇〇〇」
「排除する。主砲発射用意。弾種、徹甲」
「装填完了……って、あの、ほんとにやるんですか?」
「当然。咲夜、脱出の手はずはいいわね」
「完璧ですわ」
「アームストロング砲改、照準よろし。セーフティ解除」

 大きく息を吸って、

「てーっ!」

 砲声。









『 “未明の衝撃、月ロケット帰還”

 10月20日4時33分、紅魔館の月往還船「ディープパープル2号」が永遠亭そばの竹林に不時着した。
 これにより同船は大破、また衝撃と飛散した破片によるものか、永遠亭の母屋が半壊した。搭乗員は全員無事の模様で、永遠亭側にも死傷者などは確認されていない。
 紅魔館月旅行計画委員会が発表した当初の予定では、ロケットは帰還時、紅魔館南の湖に着水するものとなっていた。それが大きく針路をはずれた原因について、委員会は調査中とのみコメントしている。
 17日に起きた、このロケット打ち上げを巡っての大攻防戦は記憶に新しい。永遠亭に損害を与えるような着陸方法について恣意的なものがあったのではないかという疑惑に対し、帰還した紅魔館の主、レミリア・スカーレット氏は疲労を理由に取材を拒否した。後日、あらためて会見の場を設けるという。 (射命丸 文)』








  同日  07:23



「レミリアたちが帰ってきたって?」
 ベッドの上で目をこすりつつ、魔理沙は起き抜けにもたらされた情報をオウム返しに言った。
 彼女はまだ紅魔館にとどまっていた。曲がりなりにもあの空戦のエースである。ロイヤルスイート並の客室と豪華な食事を与えられ、好きなときに読書三昧、懸念といえば体重がちょっと増えるかもというそれだけの、霊夢が聞けば羨望のあまり山姥と化してしまいかねない贅沢な日々を送っていた。
 どうやらそれも、今日で終わりらしい。
 天蓋付きのベッドで上半身を起こした魔理沙を見守るのは、幼いメイド――あの夜のチェンバー4だった。
 チェンバーメイド、客室担当メイド。魔理沙がその意味を思い出したのは、初めてこの部屋に案内されたときだった。
 この部屋が担当だという彼女と、この数日で親しく軽口さえ交わすくらいの間柄となりながら、未だ魔理沙はチェンバー4の本名を知らないでいた。今更、という気もする。そんな関係があったっていいじゃないか、とも。
「皆様、食堂にお集まりですよ」
「それじゃあ、朝食がてら、土産話でも聞かせてもらおうかな」
 ベッドから飛び降りると、魔理沙は借り物であるシルクのネグリジェを手早く脱ぎ捨てた。



  ☆



「それでね、月の兎ってば、すんごいふわふわしてたのよ。触ってもいいって看板に書いてあったから、抱いてみたんだけど。これがもうふわふわのもこもこで、すぐ壊れちゃいそうだったわ」
 食堂は朝から紅かった。
 円卓を囲んで、スカーレット姉妹、パチュリー、魔理沙、そしてなぜかチルノが着席している。それぞれの椅子の後方には、咲夜、小悪魔、チェンバー4が控えていた。
 食事もあらかた終わり、各人の前には紅茶が用意されていた。チルノのだけはストローを挿したアイスティーだ。透明なグラスに氷が浮いている様は傍から見て、ものすごく寒かったが、当のチルノは上機嫌でストローを咥えている。
 茶請けの話題は、もちろん月旅行について。もっぱら話しているのはフランドールだった。
「泊まったホテルはいまいちだったけれど。なんたら花月だっけ、咲夜?」
「え……ええ、左様でございますわ」
 相槌を打つ咲夜は、どことなくぼんやりとしていた。
 よくよく観察すると、他の月帰りの面子も、どことなく様子がおかしい。レミリアは渋い表情であさっての方角を睨み、小悪魔は血の気に乏しい顔でさっきから俯きっぱなしだった。
 ティースプーンを振り回しながら饒舌に語るフランドールを、魔理沙は紅茶をすすりながら見つめる。苦い。
「あ、そうだ。お土産があるのよ。咲夜、持ってきて」
「はい……」
 なぜだか悄然と、咲夜は丁寧に包装された箱をテーブルに置いた。
 高級感のにじむ浅黄色の包装紙には、「銘菓 萩○月」の文字。
 魔理沙はしばしそれを見つめ、おもむろに顔を上げる。
「あのさ……ひとつ訊きたいんだが」
 びくりと。フランドールを除く月帰りたちの肩が震えた。
 にわかに押し寄せてくる重圧感に、しかし我らが魔理沙はへこたれない。不退転の勇気でもって続きを口にした。
「お前ら、どこに行ってきたんだ?」





  08:13



「あの……師匠、いまなんと?」
 鈴仙は思わず、ずいっと身を乗り出していた。

 あの戦いで手ひどいダメージを受け、彼女はここ数日、布団から動けない状態だった。今朝方から体はどうにか動くようになったものの、まだ喉が痛み、耳にもあの夜の擾乱の残滓がこびりついている。
 しかし、今の彼女はそんな身体の不調も忘れていた。


 永遠亭奥部、八意永琳の私室。東側の壁は大きく開けていて、朝の陽射しと風とが必要以上に部屋へ侵入してくる。未明に起きたロケット不時着の影響で、壁に大穴が開いてしまったのだ。
 だが鈴仙が驚いているのは、そんなことについてではない。もっと衝撃的な事実を、眼前で渋茶をすすっている永琳の口から聞かされたのだ。
「私たちが邪魔するまでもなく、ロケットの打ち上げは必ず失敗していた――そうおっしゃったのですか?」
「ちょっと違うわね。戦力を送り込み、さらに戦術的勝利を収めなくても構わなかった、そう言ったの」
「どう違うんですか?」
「紅魔館の計画を破滅に導く手は、戦端が開かれる前から既に打ってあったということよ」

 永琳が説明するところはこうだ。
 紅魔館のロケット計画を知ったときから、彼女はある術の準備を進めていた。俗に永夜異変と呼ばれるときに用いた、地上の密室の術、その応用である。
 ひとたびそれを起動させれば、月と地上とは隔絶される。博麗大結界とはまったく異なる方式によって。仮にロケットが打ち上げられ、大結界を突破したとしても、絶対に月へ至ることはできないのだ。
 決戦の夜よりずっと前に、永琳は術の布石を整え終えていた。そしていよいよという時を迎えると、彼女は鈴仙たちを先に戦場へ遣り、自らは永遠亭に残って最終起動式を組んだのであった。

「そんな……どうして、教えてくれなかったんです?」
「あなたねえ、私が無為に時を浪費していたと、本気で信じていたの? 戦力の逐次投入なんていう戦略的な愚を犯してまで行わねばならなかった私の『準備』が、どのようなものだったのか、欠片ほども察することができなかった?」
 突っ込み返されて、鈴仙は言葉に詰まる。耳をややしおれさせ、それでもまだ言い募った。
「そ、それじゃ、どうして私たちが戦わなくてはならなかったんですか? 師匠だって後から出てきて下さったじゃないですか」
「それはもちろん、カムフラージュのためよ。こちらがロケット計画を感知していることは、敵も気付いていた。なのに全く動きを見せなかったら、かえって怪しまれ、ともすれば術の存在をも看破されかねないでしょ。それを隠すため、大々的に兵を動かし、こちらが力でもって阻止を図っていると思い込ませたのよ」
 鈴仙はぐうの音も出なくなった。
 耳をへたれさせ、畳の目を数えはじめた彼女を見下ろしながら、永琳はずずずと湯呑みを鳴らす。
「それに、武力で制圧したほうが、対外的にも分かりやすいでしょ? どっちが勝者なのか」
「はあ……」
「まあ、結局は打ち上げを許してしまったんだけど。でも却って精神的なダメージを与えられたはずよ。何しろロケットの軌道は私の思うがまま、その気になれば永遠に宇宙をさまようデブリにしてやることもできたんだから。それは本意じゃなかったから、適当な場所を選んで降ろしてあげたんだけどね。そのことを知ったとき、連中がどんな顔をしたかと思うと……ふふ、震えちゃわない?」
「…………」
「まあ、それでこんな報復手段に訴えてくることまでは予期できなかったけれど。まさか迫撃特攻とはねえ。それだけ腹に据えかねたみたいね」
「ですね……」
「兵は詭道なり、とは言うけれど。あなたたちも欺いたのは確かに悪かったわね。謝っておくわ」
「いえ……」
 鈴仙は魂を抜かれたかのような力ない返事を繰り返すばかり。寝起きに聞かされるには、いささか刺激の強すぎる話だったらしい。
「疲れてるようね。戻って、また休んだらどう?」
「そうします……」
 師の許可をもらい、鈴仙はふらふらと退室した。



 部屋の前では、てゐが壁にもたれかかっていた。
 自分を待っていたのだろうか。鈴仙はぼんやりと思い、それからある可能性を思いつく。
「てゐは、知ってたの?」
「ちょっとは引っかかるところもあったんだけどね。真相にまでは思い至らなかったよ」
 目的語がなくてもちゃんと通じたあたり、聞き耳を立てていたのかもしれない。
「あの悪党面……このてゐちゃんを謀るなんて、なめた真似を。いつか泣かせてやるんだから」
「そういうことは思っても口にしない方がいいよ。師匠、どこで耳をそばだてているか分からないから」
 苦笑気味にたしなめていると、ふとてゐがこちらをじっと見つめてきた。
「ん?」
「うん、いや、別に。元気になったみたいだなーって」
「あ、心配かけたね。ごめんね」
「心配なんてしてないけど」
 ぷいっとそっぽを向くと、てゐは跳ねるように駆け出し、通路の奥、ロケット不時着で開いた穴から外へと消えていった。
 入れ替わって、通路の反対側から、ちょっとぽっちゃりしたイナバが駆けてくる。
「鈴仙さん、ここだったですか」
 廊下に響く馬鹿でかい声に、鈴仙は耳をぺたりと倒した。
「ど、どうしたの?」
「お客様です。白玉楼の妖夢さん」
「え……?」
「お見舞いらしいです。昨日も来てたですが、鈴仙さん、寝てたですから」
 妖夢の名を聞いて、鈴仙の脳裏にあの晩の光景がまざまざとよみがえった。多くの仲間たちと共に戦った、短くも永い一夜。こんな不出来な指揮官の下で、みんなよく働いてくれた。そして敵も、皆が勇猛さをぶつけるに相応しい相手だった。
 それから永琳の話を思い出し、鈴仙の気持ちは沈む。聞かされた真実は、あの戦いの意義を揺るがすものではないのかもしれない。それでもやはり、人に明かすべきことではないように思えた。
 このことは自分の胸の内にとどめておこう。きっとてゐも、よそに言いふらしたりはしないだろう。あの子もその辺りはわきまえているはずだ。
 いずれにせよ妖夢には礼を伝えなければ。そしてもし、いつか彼女が窮地に陥ることがあれば、必ず力を貸すと約束しよう。
 そこで鈴仙は、はたと気付いた――そうとも、やはりあの戦いには大きな意味があったんだ。
 背中を預けるに値する友を得たこと。それ以上に価値のあることなんて、長い人生においても滅多に見つからないだろうから。



  ☆



 鈴仙の去った永琳の私室には、替わって輝夜が訪れていた。
 永琳は姫に上座を譲り、お茶を淹れる。
「弟子を持つというのも大変そうね。何かと気を遣って」
 涼風の中に立ち上る湯気を見つめ、にっこりと輝夜は言った。
「そうでもありませんよ。私は楽しんでいますから」
「そう? でもあなた、あのイナバにもうひとつ隠してるでしょ?」
「追い追い教えますよ。そのうちに」
 永琳はしれっと答え、それに輝夜はまた笑った。永遠を生きる者が口にする「そのうちに」なんて、悪い冗談としか思えない。


 先刻、鈴仙に明かさなかったこと。
 それは、「紅魔館のロケットが月に届いたところで、永遠亭には何の不利益もない」という事実。
 鈴仙を含む、おそらく全ての兎たちは、ロケットの打ち上げ阻止が至上の命題だと信じていた。もしロケットが月に着けば、向こうの住人に幻想郷に隠れ住む輝夜たちのことが知られるかもしれないから。そうなれば確実に追っ手が掛かるだろうから。
 だが、それがどうしたというのだ――永琳は思う。
 潜伏地点を特定されたところで、月の住人が幻想郷に入れないことは覆せないのだ。よしんば侵入できたとして――彼の者たちに成せるのは、屍の山を築くという過去の過ちを再現することのみ。
 ではなぜ、手間を掛けて計画を阻止しなければならなかったのか。
 問われれば、少なくとも永琳には確固たる理由があった。
 むしろ政治的な理由である。

 永夜異変の際、永遠亭は外部の者に殴り込みを受け、思いがけず脆弱な姿をさらしてしまった。
 その汚名を雪ぎ、幻想郷における永遠亭の地位を確立する機会を、永琳はずっと窺ってきた。なにせ幻想郷の連中とは、今後永い付き合いとなるであろうから。
 雌伏の時の末、とうとうやって来たその好機が、紅魔館の月ロケット計画だったのである。
 紅魔館は幻想郷における一大勢力であり、これと対等以上に渡り合うことができれば、永遠亭の大きなアピールとなる。
 おまけに紅魔館の主従は、かつて永遠亭で暴れた連中の片割れでもあった。これは報復の機会も同時に得たということでもある。
 この絶好の機会を逃すことこそ、ありえないものだった。永琳は密かに政略を定め、それを基に辛辣極まる戦略を練り上げたのである。


「このことをあのイナバが知ったら、どうなるかしらね?」
「それはまあ、納得しかねると怒るでしょう。そんな理由でみんなを危険な目に遭わせたのかと。身体に障ることもあって、だから告げなかったんです」
「あら優しいこと。でも……怒らせて、それで終わり? 師の考えを理解、浸透させないまま? 実益のない感傷に浸ることを許しておくのかしら」
「ええ、それで構いませんとも」
 きっぱりと、永琳は言う。
「成長のための材料は与えます。それを糧にどう育つかは、本人の資質次第ですからね」
「矯正はしない、と。ずいぶんと寛大になったものね」
「私に自分のコピーを残す意味なんてありませんから。弟子といっても、私が欲しいのは、私の教えから新しい道を模索してくれるタイプのものです。いっそ、いつか私の寝首を掻こうとするくらいになってくれればとさえ思っています」
「なるほど、それは面白いかもね。でも、もしそうなったら、そのときは――私があの子を殺すわよ?」
「ご随意に。それもまた結果ですから」
 これもまた実験であり、鈴仙も一個の観察対象でしかない。そう受け取れる永琳の言だった。
 だが、言い切った彼女の手の中で、湯呑みの表面に小さなさざなみが立ったのを、輝夜は見逃さなかった。





  08:31



「じゃあ、なんだ。永琳にまんまと一杯くわされたってわけか」
 それがとどめだった。
「くっ……」
「くっくっ……」
「ふっふっふっ……」
 レミリア、咲夜、小悪魔、パチュリーが俯いたまま肩を揺すりはじめた。前髪がその目元を隠しているが、口の端が不気味な形に吊り上がっていることは窺える。
 低く重い、地獄の底から染み出してくるかのような、亡者どもの唸りを思わせるようなおどろおどろしい笑い声が、その口から漏れ出ていた。
「奴ら……次こそは……」
「やっぱりぶち込むのは重榴弾が良かったか……」
「この恨み晴らさでおくべきものですか……」
「クーックックック……」
 彼女らの豹変に、それまで話の流れについて来られないでいたチルノもさすがにびびり、咥えていたストローをぽろりと落とした。
 フランドールは黄色い満月に似た形のお菓子をかじりつつ、小鳥のように首をかしげている。
 爽やかな朝餉の時間は失われ、終末の晩餐へと様相を転じる。禁忌のスイッチを押した当人である魔理沙は、そそくさと席を辞した。
「さてそろそろお暇するぜじゃあな」
「あ、お見送りしますっ」
「ちょ、待ってよ、置いてかないでー」
 すたすた早足で出口へ向かう彼女を、チェンバー4とチルノが慌てて追った。



  ☆



 魔理沙たちは玄関に出て、陽の光の下に立った。屋外ともなれば、紅魔館全体を包む瘴気も、若干は薄らぐ。
 三人とも申し合わせていたかのように空を仰ぐ。秋の蒼穹はどこまでも高く、薄い雲たちが身軽に泳いでいる。
 彼女らの視線はしばらく遠い果てへと向けられていた。今は隠れている月の姿を、それでも求めるかのように。
 ややあって、魔理沙は顎を引き、小悪魔から返してもらった帽子を頭に乗せた。涼しい影が鼻の上に落ちる。
 正門までは遠く、その道のりは複雑怪奇。まともに歩く気にはなれず、箒にまたがろうとしていると、門の上空から美鈴が降りてきた。
「やっと帰るのね」
「おう、お帰りだ。そっちも元気になったみたいだな」
「またあんたが押し入ってくるのに備えなくちゃいけないからね」
「いい覚悟だ」
 ふたりはにやりと笑みを交わし、拳を握ると、軽くぶつけあった。
「次に来られるときは、やっぱり敵なんですか?」
 チェンバー4に尋ねられ、魔理沙は帽子をかしげる。
「さて、どうだろうな。そこらへんはパチュリーに訊いてくれ」
 ほれお前も、と拳を向けられて、チェンバー4はちょっと戸惑いつつも、自分の拳を重ねた。
「既に次の計画が準備中とか言ってましたね。今度は火星だとかなんとか」
「次はパチュリーも永琳のいいようにはさせんだろうな」
「そのときは私も、ろけっととやらに乗せてもらうんだから。落ちないと分かったからにはこっちのもんよ」
 チルノも右手でぐーを作ると、魔理沙の拳にぶつけてきた。あまり意味は分かっていないと思う。
「銘々、また味方になるか、それとも敵になるかは分からないけどな。約束できるのは、その時にはまた、同じ空で会えるだろうってことだけだ」
「それでは、その時まで」
「しばしの解散ということで」
「また来るからねー」
 ちょうど吹き付けてきた風に乗って、魔理沙とチルノは宙に浮かんだ。そのまま高々と舞い上げられていく。
 高く高くどこまでも。
 その彼方にふたりが去っても、チェンバー4と美鈴は、光と風にあふれる空をいつまでも見上げていた。

 

 

 

 

■作者からのメッセージ


 あけましておめでとうございます。旧年中に完成という目標は光の彼方に置き去りにしてしまいました。
 とにかく、これで完結です。
 作中にある日付からもお分かりいただけるように、おはようからおやすみまで、えらく時間をかけることとなってしまい、お付き合いいただいた読者の方々には申し訳なく思っています。最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。感想を下さった方、励みになりました。
 当初のコンセプトだった「爽快感ある大空戦」からはかなり外れてしまった気もしますが。書きたかったことはあらかた書くことができました。おかげで肥大化著しくなったのは反省しています。
 ともあれ、長い話を読んでいただきお疲れ様でした。楽しんでいただけたら幸いです。

1/24 H2A8号打ち上げ成功記念カキコもとい修正。読んで下さった方々にもう一度、ありがとうを。



        SS
Index

2006年1月16日 日間

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