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『死んでも確実に生きられます』
初出;「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様のコンテンツ「展開予測掲示板」(2008年11月)

死んでも確実に生きられます(前編)
死んでも確実に生きられます(中編)
死んでも確実に生きられます(後編)






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死んでも確実に生きられます(前編)

 貧乏人は麦を食え。
 それは、俺が生まれる遥か昔に、一人の政治家が発した言葉。
 俺にとっては、歴史の教科書でしか縁がないような言葉だ。
 だが、貧乏人が金持ちと違うものを口にするというのは、いつの時代でも行われていることなのだと思う。

「ますます世知辛い時代になっていくよな......」

 テレビのニュースを見ながら、そんな言葉が、俺の口からもれる。

「『貧乏人は毒を食え』って時代だな」

 連日のように報道される、食品への有害物質混入問題。
 もちろん例外だってあるだろうが、基本的には、原材料を安く仕上げようとして胡散臭いものを利用したせいだと思う。
 そして、結果的に市場に出回った『安価な食品』が行き着く先は......。
 そう考えると、貧乏人ほど危険なものを口にすることになる。
 最近のニュースで出てくる有害物質の中には、即効性の毒素ではなく蓄積こそが危険な物質もあるのだから、こんなものを食べ続けていたら、貧乏人は長生き出来ないさ。
 それに、たとえ長生きしたところで。

「......俺が年老いる頃には、年金制度は崩壊してるだろ」

 俺の両親の世代では、すでに退職している者も多い。彼らは『年金暮らし』なんて言っているが、実際に接してみると、悠々自適の余生を送っているのは、年金のおかげじゃない。
 都会の土地やマンションを売って田舎に移り住んだり、それまでの貯金だったり。結局は自分たちの才覚で作ったお金で暮らしているのであって、年金なんて微々たるものだった。
 しかも、支給される年金額は、将来はもっと少なくなると予想されているのだ。貧乏人の行く末は暗い。

「もう......世も末だな」

 暦の上での世紀末は既に終わっているのに、まるで、少し遅れて『世紀末』がやってきたような感じ。
 そう、世紀末なんだ。
 ちょっと前に世界を揺るがした大事件だって、まさに世紀末を匂わせる雰囲気だったんだから。
 誰もが知っている、例の核ジャック事件。
 アシュタロス大戦とかアシュタロス戦役とも呼ばれる、あの大事件。
 もちろん、誰もが『世紀末』を感じ取っていたわけではない。『アシュタロス大戦』なんて、なんだかゲームか何かのような名前だが、それこそ大衆の反応をよく示していたのだ。他人事のようにニュースを見ていた連中が多かったわけで、当時は、俺もその一人だった。
 だが。

『実際には、
 かなり危うい戦いだったらしい』
『世界が滅亡するか否かは、
 一人の少年の選択次第だったらしい』

 そんなウワサを、後になってから、俺はインターネットで見つけてしまった。
 昔で言えば『アングラ』と言われるような、いかがわしいサイトだ。ただでさえネットの世界には嘘かもしれない情報が溢れているわけだが、俺は、そのウワサを嘘とは思わなかった。

 そして。
 こうしてオカルト関連のサイトに出入りするうちに。
 俺は、この世知辛い時代を生き抜くための、究極の裏技を夢想するようになっていた。

「健康上の問題も、経済上の問題も。
 今の『肉体』さえ捨ててしまえば
 ......もう心配する必要はない」

 つまり、『魂』だけで――『幽霊』として――生きていけばいいのだ!

 しかし、もちろん、これは現実的には不可能な策。
 あくまでも、一つの夢物語にすぎない。
 そう思って、意識の奥底にしまいこんだのだったが......。




    死んでも確実に生きられます(前編)
    ―― ある研究者の独白 ―― 




 俺は、しがない研究者だ。
 いわゆる分子生物学者というやつだ。
 ......といっても『分子生物学』という用語自体、非常に意味が広いし、でも素人には全くわけがわからない言葉だろう。
 生物の色々な現象を、分子レベルで理解することを試みる。この説明も『分子レベル』という言葉が難しいだろうが、ようするにDNAやタンパク質といった『生物のパーツ』に着目して、生命現象の謎を解いていく学問だ。
 『生物のパーツ』の正体が判明して、そのメカニズムも明らかになれば、もはや生物も工業機械のようなもの。機械を工場で量産するように、生物だって自在に作り出せるわけだ。
 いや、別に『無から生命を生み出す』ことを目標とした学問ではないのだが、まあ、そういう目標を持っている人だって、きっと存在していることだろう。
 幅広い分野なのだ。マクロの視点ではなくミクロな立場から生物の研究をしていたら、たいていは分子生物学の範疇に含まれたり、関わったりしてしまうくらいだから。

 ともかく。
 俺も分子生物学の手法を使って研究しているから、一応は、分子生物学者だ。専門はウイルスだからウイルス学者だと言いたいところだが、ウイルスにこだわっていたら、職が見つからない。
 うん、世間では『研究者』を『すごい人』とか『えらい人』とか思っているかもしれないが、実際には、明日の仕事にも困るような人々がたくさんいる業界なのだ。
 
 少し話が逸れるかもしれないが、俺が通った中学・高校は六年一貫の男子校だった。
 女子との関わりという点で、俺の学友たちは二つのタイプに大別できた。
 一つは、積極的によその女子校などに遊びに行き、異性の友人やカノジョをドンドン作り上げるタイプ。
 もう一つは、わざわざ学外に目を向けず、普通にクラスメートと遊ぶだけだから、異性の友人などいないタイプ。
 俺自身は、明らかに後者だった。

 そして。
 大学の研究室で過ごしてみると、研究者というものも、人付き合いの点で二つに大別できる気がしたのだ。
 一つは、研究だけでなく、人間関係を構築するのも上手なタイプ。こういう人々は、他の大学や研究機関の同業者とも巧みに付き合い、共同研究のためのコネなどもドンドン広がっていく。
 もう一つは、どうも対人関係が上手くなさそうなタイプ。会社勤めなんて出来そうにないから就職せず、修士課程へ、そして博士課程へと進むうちに、最終的に『研究者』になってしまう。

 この分類でいくと、俺は......。
 たぶん後者なのだろう。
 大学に入って以降、人並みに恋愛もしたが、いつも長続きしない。昔は『初めてつきあう人とずっとつきあって、将来はゴールイン』なんて女みたいな夢も描いていたが、現実は、そう甘くなかった。
 多過ぎもしないが、少なくもない人数との恋愛を経て。
 いつしか、一人でいることの方を好むようになってしまっていた。

 こういう『後者』の研究者は、次の仕事を探すためのコネも作りにくくて、『明日の仕事にも困るような人々』になっていくわけだ。
 そもそも日本には研究職が少なく、ようやく仕事にありつけても、三年とか五年とかを限度とした契約が多い。最近では大学の教員でさえ任期制になってきた。
 しかも、年限は日本だけの話ではない。外国のほうが仕事の口は多いが、そっちも、別の意味で年限がある。いわゆる『ビザ』というやつだ。

 俺も外国に四年いて、二つのラボを渡り歩いたが、それ以上次のラボを探せなかったのは、ビザがネックになったからだった。最大延長しても五年が限度のビザだったので、あと一年しか働けないという状態では、なかなか雇ってもらえなかったのだ。
 帰国して、なんとか新しい職に就くことは出来たものの......。


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「えっ......!?」

 俺の新しい職場は、小さな研究機関。その一室、アポトーシスについて調べているラボだった。

 アポトーシス。
 普通の人々は言葉すら聞いたことがないかもしれないが、分子生物学は誰もが知っている。
 専門家の間で一時期すごく流行ったし、当時は、なぜか一般のロボットアニメにすら、その用語が出てきたくらいだった。
 アポトーシスとは、細胞の死に方の一形態。『死』というと不吉なイメージがあるかもしれないが、アポトーシスは、むしろ『生』のための『死』。
 『プログラムされた細胞死』とも呼ばれるように。生体の成長過程で不要になった器官――よく例に挙げられるのがオタマジャクシのしっぽ――が消失するのは、アポトーシスである。
 また、『細胞の自殺』とも呼ばれるように。生体内で異常が起こった細胞が他に影響しないように自ら死んでいくのも、アポトーシスである。

「......ウイルス関連の仕事じゃないんですか?」

 ウイルス感染で細胞がやられるのも、一部はアポトーシスである。ウイルスに感染した細胞も、『生体内で異常が起こった細胞』とみなされるのだ。生体側から見れば、サッサと『感染した細胞だけ』を殺してしまえば、ウイルス増殖を抑えることが出来るわけだ。
 もちろん、ウイルスにとっては、自分が子孫を増やす前に『感染した細胞』を取り除かれては困るから、なんとかアポトーシスから逃れたい。そのために策を弄するウイルスもいるのだった。
 一方、これは実は、生体側にとっても諸刃の剣。感染した細胞を殺してしまうということは、感染細胞が多い場合には、生体のダメージにも成り得るからだ。

 そんなわけで、ウイルス感染によって引き起こされるアポトーシスというのは、ウイルス学者の目から見ても興味深い現象だった。
 てっきり、俺は、その方面の仕事を任されるのかと思ったのだが......。

「うん。
 ウイルスによるアポトーシスって、
 うちのラボでも以前には扱ってたけどね。
 もうやってないんだよ。
 去年や今年出した論文も、
 少し昔のデータをかき集めて、
 ようやく形にしただけなのさ」

 葉巻をくわえながら、ハハハと笑うボス。
 他よりも独創的な研究をしているからこそ、古いデータも色褪せない。そう主張したいらしい。

「......研究費の都合でね。
 うちも新しい分野に
 首を突っ込むことになったんだ。
 それで新しく君を雇ったわけだよ。
 ......どうせ実験手法は同じだから、
 別にウイルスじゃなくても大丈夫だろ?」

 と言いながら、彼は、机の引き出しから書類を出した。
 これが、俺のこれからの研究のための資料。
 その最初のページに記された言葉を見て。
 俺は、思わず叫んでしまった。

「れっ、霊能遺伝子!?」


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 霊能遺伝子群。
 その言葉自体は、俺も知っている。
 霊能力の高い人々の間で、特異的に活性化されている遺伝子群があるらしい。最近それが明らかとなり、マスコミでも大きなニュースとして取り上げられたくらいだった。
 あくまでも『霊能力の高い人々の間で特異的に活性化されている』遺伝子群であり、『霊能力の高い人々だけが持っている』わけではない。
 誰もが持っているが普通の人々の体内では眠っている、そんな遺伝子なのだ。
 この『誰もが持っている』という点を、マスコミは特に強調していた。

 なお、霊能力に関する遺伝子群ということで、日本では霊能遺伝子群と名付けられたが、英語では Ghost Sweeper Genes(GSG)と呼ばれている。『霊能力の高い人々』の代表例がゴーストスイーパー(GS)だということなのだろう。
 そして、この『Ghost Sweeper Genes』という英語名こそが、世間を騒がせることになったのだった。
 つまり、

『この遺伝子の謎が解き明かされたら、
 誰もがGSのようになれるんじゃないか?』

 という期待感を、マスコミが煽ったのだ。
 そのため、霊能遺伝子群をテーマにすれば、研究資金を獲得しやすいらしいのだが......。


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「......ホットな領域だよ、これは」

 葉巻に火をつけながら、ボスが続ける。

「しかも霊能遺伝子群は、どうやら
 アポトーシスにも関係するらしい。
 ......となると、うちとしても
 放っておくわけにはいかなくてね」

 話を聞きながら、俺は、パラパラと資料をめくった。
 その中には、研究費申請の書類もある。引用されている論文のタイトルを眺めていくと、確かに、霊能遺伝子がアポトーシスを引き起こすという報告がチラホラ出始めているらしい。

「......というわけで、君の研究テーマは
 『霊能遺伝子とアポトーシスの関わりについて』だ」

 いや、それ、今さらやっても手遅れだろ。
 すでに幾つか論文が出ているなら、それをやっていたグループは、今頃もっと先へ進んでいるはずだ。論文発表というのは最終的な形だから、当然まとめあげるまでに時間がかかるわけで、ひとつの論文を仕上げながら、普通は次の研究に取りかかっているものなのだ。

「まあ、安心したまえ。
 しょせん他のグループは
 アポトーシスの専門家ではない。
 うちのラボのノウハウを使えば、
 彼らとは違った研究もできるはずさ」

 俺の表情を読み取って、そんな気休めを言うボス。
 彼はさらに続けたが、むしろ、それこそが『気休め』ではなく『真のアドバンテージ』だった。

「......しかも、これまでの報告は
 ヒトの遺伝子を使ったものだろ?
 うちはマウスのホモログで
 動物実験もやるつもりだ」
「えっ!?」

 当たり前だが、霊能遺伝子群は、ヒトから見つかっている。
 マスコミもそう報道していたし、俺の知るかぎり、専門の論文報告でも、そうなっているはずだ。
 だが、ボスが言うには、似たような遺伝子が動物の脳内にもあるのだそうだ。

「霊能遺伝子関連は
 マスコミでも騒がれるから、
 専門家は慎重になっているんだ。
 だから、まだ論文になっていないし、
 学会発表すらされていないけどね。
 でも、一部の研究者は、非公式だけど
 『Ghost Sweeper Gene Homologues』
 という言葉も既に使っているよ」

 人間でいうところの霊能遺伝子群に相当するものが、他の動物にも存在する。
 そうハッキリと同定されて正式発表されるまでは、まだまだ二、三年はかかりそうだった。
 その『第一発見者』の手柄を争うグループもあるようだが、ボスの意図は、それとは違う。

「......それが同定されたら、
 研究人口もドッと増えるだろうねえ。
 なにしろ、動物実験も容易になるからね」

 ボスの考えは明白だった。
 霊能遺伝子ホモログを使う研究は、ヒト霊能遺伝子を使う以上に『ホットな領域』になるはずだ。だが、『ホット』になってからそこへ参入するのでは、もう遅いのだ。
 だから、『ホット』になると予想されるなら、今から始めておくべきなのだ。そうすれば、霊能遺伝子ホモログが正式に同定されてすぐに、こちらはそれを使った論文を発表できるだろう。
 ヒト霊能遺伝子の研究では少し乗り遅れた感があるが、同じ轍は二度と踏みたくない。そんな思惑が、ボスの言葉には滲み出ていた。


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 こうした経緯で。
 俺は、霊能遺伝子に関する研究を始めた。
 霊能遺伝子群というのは、『霊能力の高い人々の間で特異的に活性化されている遺伝子』の総称だから、実は、色々な遺伝子が含まれている。その中でも、多くの研究者が注目しているのが、九番目に報告された遺伝子――GSG9――だ。
 どうやら、これが霊力上昇に関与しているらしいと考えられており、それ故に、このGSG9に関する研究が進んでいるのだった。

「なるほど......」

 そして、アポトーシスとの関連についても、GSG9での報告があった。
 ヒト由来の培養細胞――ビンやシャーレの中で飼育できる細胞――にGSG9を過剰に導入すると、アポトーシスを起こすというのだ。特に、この現象は神経系の細胞で顕著に見られるとのこと。

「まずは......マウスの遺伝子で
 同じことが起こるかどうか、
 ......その確認からだな」

 マウスの霊能遺伝子ホモログが、本当にヒト霊能遺伝子に相当するならば。
 マウス神経系培養細胞にマウス霊能遺伝子ホモログを導入すれば、同じ現象が観察される確率が高い。
 もちろん、マウスとヒトとで『霊能』というもの自体が全く違えば、霊能遺伝子ホモログであっても別の挙動を示す可能性はある。だが、その場合は、マウスをモデル系として霊能遺伝子の研究をすること自体、成立しなくなるわけだ。ヒトもマウスも同様であるという前提でこそ、『モデル系』として使えるわけだから。
 その意味で、これは単なる後追い実験ではなく、大事な第一歩だった。


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 培養細胞に、本来持っていない遺伝子を導入することは、簡単である。
 培養細胞に、本来持っている遺伝子をさらに過剰に導入することも、簡単である。
 必要な試薬さえあれば、誰でも出来ることだ。

「まずは......順調な滑り出しだな」

 マウスGSG9をマウス神経系細胞に導入すると、アポトーシスを引き起こした。しかも、導入する遺伝子量と、アポトーシスで死んでいく細胞の数には、相関性があった。
 さらに。

「......経路も完全に
 ヒトの場合と同じというわけか」

 ひとくちに『アポトーシス』と言っても、いくつものシグナル伝達経路がある。
 『シグナル伝達経路』という言葉はわかりにくいかもしれないが、ドミノ倒しのようなものを想像してもらえばいい。
 生物の体内のイベントは、全て、小さなイベントの積み重ねなのだ。
 一つのドミノが倒れることが、次のドミノを倒すように。
 次々と『シグナル』(信号)が『伝達』する(伝わっていく)ことで、全ての現象が進行していくのだ。
 『いくつものシグナル伝達経路』ということは、このドミノのルートが複数あるということ。それは開始点が複数あるという意味でもあるし、ルートが途中で複数に分岐するという意味でもある。
 アポトーシスの経路は、カスパーゼという酵素が関係するルートと関係しないルートとに大別できるわけだが、GSG9によるアポトーシスは前者のグループだと判明したのだった。その中でも、カスパーゼ8を経てカスパーゼ3が関与するルートである。
 こうした細かい経路のチェックには専用の試薬が必要であり、ちょっと実験するだけのために購入するにしては高価なのだが、幸い、ここはアポトーシスのラボ。皆が頻繁に使用しており、フリーザーに常備されていたので、気兼ねなく使うことが出来た。

「でも......なんだか不思議だな」

 俺の頭の中に浮かぶ小さな疑問。
 なぜGSG9はアポトーシスを引き起こすのか?
 実験データ自体は、あくまでも "How?"(いかに?)を示すものであって、その "Why?"(なぜ?)を語るものではない。実験データからの解釈こそが、"Why?"(なぜ?)を説明するのだ。

「『霊能遺伝子が霊力をアップさせる』
 ......うん、それは理屈に合ってる。
 でも......。
 『霊能遺伝子がアポトーシスを誘導する』
 って、なんか変じゃないか?
 これだと......
 『霊力アップしたら脳細胞が死ぬ』
 ってことになるぞ!?」

 霊能遺伝子によるアポトーシスを最初に報告したグループは、その論文の中で、『霊能力を駆使することが脳や神経への負担になるのかもしれない』と解釈していた。
 その後の論文でも度々この説が引用されていたが、俺は、何か別の理由があるような気がしてならなかった。
 そして、研究を続けるうちに。
 俺は、手がかりを見出したのだった。


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「そうか、この遺伝子こそが......!」

 霊能遺伝子の側からではなく。
 カスパーゼ8及びカスパーゼ3を介するアポトーシスに着目することで。
 俺は、別の霊能遺伝子も全く同じアポトーシスに関係するという事実をつきとめた。ただし、アポトーシスを引き起こす方向性ではなく、アポトーシスを抑制する方向に働くのだ。
 それは、ヒトのGSG3に相当する遺伝子だった。
 
「そういうメカニズムだったのか......」

 GSG3は、霊能遺伝子群の中でも、あまり研究が進んでいない遺伝子である。
 どうやら霊力を下げる方向性で機能すると言われており、それが示唆された時点で、研究する者がドッと減ったのだ。
 霊能力が高い人々の中で活発な遺伝子なのに、逆に下げる方向。それは不思議であり、ある意味興味深いのだが、『霊力を下げる』方向では研究費が稼げないのだった。

「GSG3は、霊力が高すぎる人の
 アポトーシスを抑えるためのもの......」

 霊力低下遺伝子というだけでは理屈に合わないGSG3だったが、こうしてGSG9とセットで考えれば、矛盾もしないわけだ。

「......いわゆる霊能力者は、
 GSG9によって霊力が上昇している。
 しかしGSG9には、
 脳細胞を殺すという副作用もあるので、
 それを抑えるために、
 GSG9とは全く逆の効果の遺伝子
 ......つまりGSG3も活性化されているわけだ」

 その両者のバランスが、正常に霊能力を発揮する上で大切なのだろう。
 しかし......。
 ここで、最初の疑問が蘇る。
 なぜ、GSG9には『脳細胞を殺す』働きがあるのだろうか?
 なぜ、そんな『副作用』を保持してしまったのだろうか?


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「これだ!」

 その答は、思いもよらぬところから降ってきた。
 自分自身の実験データからではなく。
 他人の論文報告からでもなく。
 研究の息抜きでやっていたインターネット、俺が時々出入りしていたアングラなサイトに、最後のヒントが転がっていたのだった。

「魂の焼きつき現象......」

 幽霊というのは、普通は死んだ人間の魂が残ったものだが、それとは別に擬似的な幽霊が出来ることもあるのだという。
 テレビの画面に同じ映像を長時間映し続けると『焼きつき』が起こるように。
 空間に魂の残像が焼きつけられて、それが幽霊となるのだそうだ。
 もちろん、そんな現象は頻繁には起こらない。その人物やその場の属性が霊的に強力じゃないといけなくて......。

「そうだよ、『霊的に強力』なんだよ!
 それが『幽霊』には必要なんだよ!
 なんで気づかなかったんだ、
 こんな簡単なことに......。
 ハッハッハ!!」

 誰もいない深夜のラボで。
 俺は、一人で声を出して笑っていた。

「答は......最初から
 そこに、ぶら下がってたんだ......」


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 霊能力という言葉に『霊』という文字が含まれているように。
 GSのGが『ゴースト』を意味しているように。
 これらは、当然ながら『幽霊』と関連した言葉。
 幽霊は『死』後の存在であるし、アポトーシスも細胞『死』であるし、その二つは関係している。それを、今さらながらに再認識したのだった。

 そこから、俺の思考は飛躍する。

 霊能力って......もしかすると『幽霊』と戦う力じゃなくて、『幽霊』になるための力なんじゃないだろうか?

 つまり。

 生物は、進化の過程で、死んでも魂を残す策を――幽霊として現世に留まる術を――獲得してきたのだ。
 生き続けたら次世代の邪魔になるが、『幽霊』として残るのであれば、意識や知識だけを残すことになるから、食物連鎖などからも外れるわけだ。生物界全体にも負担にならないだろう。
 これは、未練や怨念から作られる悪霊とは全く違う。むしろ、肉体を捨てて精神生命体になるようなものだ。

 そのための能力こそが『霊能力』なんじゃなかろうか?

 そんなことを思いついたのだった。
 こう考えると、霊能力の高い人が『死』に近いのだって、理屈に合う。それは副作用などではなく、それこそがGSG9の本来の機能だったのだ。
 ただし、あまり若くして死ぬのも生物種としては不都合だから、それを抑える遺伝子GSG3も用意されている......。


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「何をバカなことを言ってるのかね?」

 ラボのミーティングにて。
 最初は、皆に笑われてしまった。
 だから、俺には、自分の新説を支持する実験データが必要だった。
 そして俺は、ある動物実験を提案する。
 俺のボスは、一通り聞いてくれた上で、再び口を開いた。

「まあ......君の説が正しいとしたら
 それは確かに面白い論文になるだろう。
 だが......その研究が何かの役に立つのか?
 それで研究資金を獲得できるのか?」

 『研究資金』にこだわるのは、サイエンスを追究する者の言葉ではない。しかし実際問題、ラボの長としては、仕方ないのだろう。
 それを理解した上で、俺は、ポツリと答えた。

「......新しい安楽死です」

 皆の笑い声が消える。

「死んで幽霊になるメカニズムが
 科学的に明らかになって、
 誰もが『確実に』幽霊になれる時代が来たら......
 それは素晴らしい『安楽死』だと思いませんか?」

 きっと俺の表情は、マッドサイエンティストのそれだったんだろう。
 同僚の多くは、ひいてしまっていた。
 だが、一部の者たちは、ちょっと心惹かれたようだった。
 そして......幸運なことに、ボスも後者に含まれていた。

「それは......面白い話だな」

 ニヤリと笑うボスの顔には、打算の色が浮かんでいた。
 『安楽死』というテーマで研究費を出してくれそうなところを、いくつか思いついたのだろう。
 そんな研究に金を出すような機関は、ロクでもないところに違いない。これから研究をしていこうとする俺自身が、それを理解していた。


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 幽霊になるかどうかを調べるには、動物実験が必要だ。
 いくらなんでも、培養細胞に『魂』は残っていないだろうから。
 もしも培養細胞に魂が残っているなら、今頃、世界中の分子生物学者が祟られて呪い殺されていることだろう。

 ともかく。
 俺たちはヒトのGSGではなくマウスのGSGホモログで実験していたから、動物実験の系に移行することも簡単だった。
 手始めにマウスGSG9ホモログのみ、あるいはマウスGSG3ホモログのみで実験することも可能だったが、

「二つを組み合わせることが大切なんです!」

 と俺が強硬に主張したので、その方向で実験していくことになった。
 GSG9を活性化させると共に、逆方向のGSG3を抑える。
 つまり、GSG9遺伝子を外から過剰に送り込み、同時に、GSG3を抑制するような干渉因子も導入するのだ。
 遺伝子抑制に関しては、昔ならば遺伝子欠損マウスを作成する必要があったかもしれないが、最近ではRNAiといって、成熟したマウスや培養細胞に加えられる干渉方法が開発されている。目的の遺伝子を効率よく抑制できる干渉性RNAを、作成可能なのだ。
 また、遺伝子や干渉因子を脳細胞へ運んでいく方法に関しても、技術はドンドン進歩しているのだった。

「......これだ!」

 最初は、エレクトロポレーションを検討してみた。
 漢字では電気穿孔法と記されるように、電気で刺激して細胞の外膜に一時的な穴を空ける方法だ。だが、これには特別な装置が必要であり、また、培養細胞には適用しやすいが、動物個体レベルでは、なかなか難しい。外科手術っぽい操作も嫌だったし、胎児の段階で先に処理するのが普通らしいから、アッサリ却下。
 次に、ウイルスベクターを利用することも考えた。
 ウイルスを遺伝子の運び屋(ベクター)として使う方法である。しかし市販されている既存のウイルスベクターは、特別に脳へ向かう類のウイルスではない。ウイルスベクターとして確立されていないウイルスを使うとなると、それは、ウイルスベクターをゼロから構築することになってしまい、とんでもない大仕事となる。それに、これを使っても、脳へ注射する必要が出てくるのだ。
 そこで俺たちが着目したのが、ごく最近報告された手法だった。やはりウイルスの性質を利用しているのだが、ウイルス全体を利用するわけではない。
 神経細胞を好むウイルスの外側のパーツ。その一部を人工的に合成し、そこに目的の遺伝子などを付着させるのだという。そうすると、静脈注射でも、ちゃんと脳まで運ばれていくようになるそうだ。
 組み換えウイルスそのものを作るわけではないので、これならば、そう難しくはないはずだった。

「よかった......」

 そして。
 必要な器具や試薬を揃えた俺は、GSG9を活性化してGSG3を抑制する因子の作成に取りかかった。
 人工的に合成したパーツをアダプターとして、そこに、マウスGSG9ホモログの遺伝子そのものと、マウスGSG3ホモログに対する干渉性RNAとをくっつけて......。
 まずは、出来上がった『GSG9活性化プラスGSG3抑制因子』を神経系培養細胞でテスト。
 想定したとおりに、遺伝子発現量の変化が確認された。
 いよいよ、動物実験のスタートである。


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 ......というわけで、今。
 俺は、動物実験室に来ていた。
 
『キーッ!?』

 よく鳴くネズミたちだ。
 彼らは、五つのカゴに、それぞれ十匹ずつ入れられていた。
 左から1、3、5番目のカゴはコントロール。生理食塩水のみを注射したマウスである。
 2番目のグループのうち半分は、同じく生理食塩水。だが、残り半分には、GSG9活性化プラスGSG3抑制因子を接種してあった。
 4番目のグループは、十匹全てに因子を注射してある。
 こうした処置は、この実験の第一段階として、既に一時間前に済ませてあった。

「ちゃんと機能しているな......」

 カゴをチェックする俺。
 今回のカゴは特別な材質――霊気を通さないと言われている物質――で覆ってあり、それぞれに一つずつ霊体検知器がついてる。これで数値を測定するのだ。
 ボスは「霊体検知器なんて胡散臭い」と渋ったが、この手の研究には不可欠だと説得して、購入にこぎ着けた。感度の良いものは高価なので手が出なかったが、俺の目的には、むしろ鈍感なくらいでいい。
 理屈では霊気を通さないはずのカゴだが、それでも、隣の霊気を検出してしまうことを恐れたのだ。感度が悪ければ、その心配も低い。
 しかも、わざわざ両隣をネガティブコントロールで挟む形にすることで、隣からの漏れの有無もチェックしている。このために、本来ならば一つで良いはずのコントロールグループを三つも用意したのだ。

「まず、今の数値は......」

 それぞれの価は、34、33、36、32、35。平均すると、34だ。単位は俺にもわからない――いわゆる『マイト』でもないらしい――が、そんなことは、どうでもいい。

「では......」

 俺は、カゴの中のネズミたちを実験台の上へと連れ出し、それぞれに処置をする。
 この段階での処置は、致死性薬物の接種。脳細胞のアポトーシスを促す薬――霊能遺伝子とは無関係のもの――を注射し、ネズミたちを殺すのだ。
 もちろん、わざわざ今日殺さなくても、GSG9を活性化しGSG3を抑制しているのだから、いずれは脳細胞がやられて死に至るはずだった。しかし、それでは霊能遺伝子の直接の影響で幽霊となるのか、あるいは単に死んだせいで幽霊になるのか、判別できない。だから、霊能遺伝子を操作していないマウスも同様の条件で殺して、比較する。
 ......それが、表向きの理由だった。

「あとは......結果を待つだけ」

 ネズミたちをカゴに戻して。
 三十分もしないうちに、全てのネズミが死に絶えた。
 そして、検知器の数値を記録する。

「36、1205、34、2409、35......!」

 成功だ。
 コントロールは、実験前のバックグラウンド程度。
 半分の霊能遺伝子を操作したグループでは、バックグラウンドの平均値をひくと1171。
 そして、全部に処理したグループでは、2375という価だった。2375/1171=2.028...だから、ちょうど二倍と言ってもよかろう。
 霊能遺伝子を操作されずに死んでも霊体は検出されないが、されてから死ぬと、その個体数に応じて霊体が検出されたわけだ。
 つまり......GSG9を活性化しGSG3を抑制することによって、幽霊となったのだ!


___________


「成功したようだな」

 俺の背後から声をかける大男。

「GSである俺には......
 幽霊となったネズミたちが
 ハッキリと見えるぞ!」

 それは、マウスの幽霊を処理するために雇っておいたGS。
 実験が成功した場合に備えて、こういう人物が必要だったのだ。

「10%だ。
 しょせんネズミごとき、
 10%の力で相手してやろう!
 ......せめてもの情けだ」

 彼は、マウスのカゴに向かって歩み寄る。
 しかし。

 プスッ!

 彼の背中に、麻酔薬が注射された。
 もちろん、その犯人は俺だ。
 俺は、意識を失って倒れた大男に向かって、言葉を吐き捨てた。

「バーカ。
 おまえみたいな三流の
 新米GSを雇ったのには、
 ちゃんと理由があるんだよ!」

 経費削減。
 ボスにはそう説明していたが、真の理由は別にあったのだ。
 なまじ腕が立つGSではなく、こうやって失敗するくらいの奴がよかったのだ。

「ネズミたちを祓われたら困るんでな。
 こいつらは......
 これから俺の部下になるんだから!」

 他にも、ボスには敢えて話さなかったことは、いくつかある。
 例えば、わざわざ今日マウスを殺す理由。
 さきほどの『表向きの理由』も嘘ではないが、大切なのは、霊能遺伝子の操作をした後あまり時間をおかずに幽霊になるということだった。遺伝子操作後、何日も何十日もかかるようでは不都合なのだ。
 また、霊能遺伝子操作の方法選択にも、秘密の理由があった。
 外科手術っぽい操作だったり、胎児の段階での処理が必要だったり、脳内接種だったり。それでは......自分に処置できないからだ!

「ククク......」

 俺は、新たな注射器を取り出した。
 中に入っているのは、GSG9を活性化しGSG3を抑制する因子。ただし今度は、マウスに対するものではなく、ヒトに対するものだ。

「今日の実験は、ある意味、
 予備実験のようなものに過ぎない」

 俺は、自分に向かって、確認するようにつぶやいた。
 ああ、そうさ。
 これから、また新たに多くのマウスを購入して、色々な条件で研究を進めていくはずだ。もっと細部を煮詰めていくはずだ。
 しかし......それをやるのは、もう俺じゃない。
 本来ならば俺がやるべきだが、俺がいなくたって、別の誰かが引き継いでくれるだろう。

「これは......
 一つの人生の終わりであると同時に、
 新たな永遠の人生の始まりでもある......」

 既に俺は、自分の説が正しいと確信していた。
 だから。

「『生』のための『死』。
 まさにアポトーシスじゃないか!」

 そう叫んで。
 俺は、自分で自分に注射した。
 俺の中にもあるはずの......GSG9を強制的に活性化し、GSG3を徹底的に抑えるために。
 この肉体を捨てて、魂だけで――幽霊として――生きていくために。


(中編に続く)

     
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____
死んでも確実に生きられます(中編)

「あんな事件のあとだもの!
 仕方ないでしょ!?
 あれだけの霊波が動いたあとは、
 台風一過でザコはおとなしくしてるわ。
 一時的な現象で、
 しばらくすれば元に戻るけどね」

 それは、少し前に、美神さんのお母さんが口にした言葉です。
 あの後、美神さんも仕事を選んでいられなくなったのか、昔だったら断っていたような低額の依頼も引き受けるようになりました。
 『しばらくすれば元に戻る』と言われたとおり、また最近では昔のような悪霊退治も増えてきましたが......。
 でも、お金をあんまり持ってなさそうな依頼人さんも、まだまだ門前払いには出来ません。
 今日のお客様も、昔ならばサッサと唐巣神父のところを紹介して終わらせていたような、そんな風体の男の人でした。




    死んでも確実に生きられます(中編)
    ―― やってきた依頼人さん ―― 




 ワイシャツもヨレヨレで、ネクタイも少し曲がっていて。
 顔にも、無精ヒゲ......というより、これはヒゲの剃り残しでしょうか。
 見るからに、普通のサラリーマンではなさそうな人でした。
 彼は、私が出したお茶にいきなり手を出して、喉を潤してから、しゃべり始めました。

「あ、申し遅れました。
 私、こういうものです」

 いちいち頭を下げながら、美神さんと横島さんと私に一枚ずつ名刺を差し出す依頼人さん。
 受け取った名刺を見ると、やはり会社員ではなく、どこかの財団で研究をしている科学者さんのようです。財団名は難しい漢字の羅列で読めませんでしたが、ご本人の名前は、条奈三郎という比較的簡単な字でした。
 
「アポトーシス研究部門......?」

 私の隣でつぶやく横島さん。
 どうやら横島さんは、漢字じゃなくて片仮名の部分が気になったようです。

「アポトーシス......どこかで
 聞いたことがあるような......」

 首をかしげる横島さん。
 それから、パッと顔を明るくしました。

「あっ!
 かつて大ヒットしたアニメで、
 ロボット発進だか修理だかのシーンに
 そんな言葉が出てきてたぞ......」

 気のせいでしょうか、『かつて大ヒットしたアニメ』という言葉を口にする瞬間、横島さんは複雑な表情でした。
 そんな横島さんに向かって、呆れたような口調で美神さんが声をかけます。

「ロボットは関係ないでしょ。
 アポトーシスというのは......」

 美神さんは、依頼人の条奈さんの方に向き直ってから、言葉を続けました。

「細胞が死ぬこと......でしたよね?」

 私もビックリするくらい、美神さんは色々なことを知っています。知識をひけらかすようなことはしないから、美神さんの博識って、あまり知られてはいないようですが。
 おそらく、武力よりもむしろ智力を武器とする美神さんとしては、雑多な知識も必要なのでしょう。
 事務所の書棚には大きな百科事典もたくさん置いてありますが、それらは飾りではないのです。
 
「おや......ご存知ですか」

 条奈さんの口調にも、軽い驚きの響きがありました。
 彼は、横島さんが不思議そうな表情をしているのを見て、ひとつ頷いてから、説明し始めます。

「『細胞が死ぬ』と言ってしまうと
 ネガティブなイメージがあるかもしれませんが、
 アポトーシスは、むしろポジティブな細胞死です。
 そちらの男性が口にしたアニメは私も知っていますが、
 そこで発進や修理の場面で使われていたというのも、
 そのポジティブなイメージを利用したものでしょう」

 ネガティブだとかポジティブだとか、どうも抽象的な話ですね。
 でも、それは最初だけで、少しずつ具体的になっていくみたいです。

「皆さんがイメージしている細胞死は、
 いわゆる壊死のほうだと思います。
 ......いや『壊死』という言葉よりも
 『ネクローシス』と言ったほうが
 イメージしやすいかな?
 ネクロフィリア......は違うとしても、
 ネクロマンサーなんて言葉は、
 まさに皆さんの専門領域でしょう?
 ネクローシスの『ネクロ』も、
 それと同じ『ネクロ』ですよ」

 身近な単語が出てきて、なんだか、きちんと聞いた方がいいような感じになってきました。
 私たちの態度が変わったのを察したようで、条奈さんは、満足げに話を続けます。

「ネクローシスとアポトーシスは、
 形態学的にも異なるのですが、
 そんな話をしても仕方ないですね。
 ......ここで大切なのは、
 生体内での意義も違うということ。
 アポトーシスは、
 個体が生きていく上で
 プラスになるような細胞死です」

 生きていく上で死がプラスになる......?
 科学者さんのいうことは、私にはサッパリわかりません。
 しかし、この一時的な混乱は、条奈さんには想定の範囲内だったようです。

「皆さん......
 アヒルの水かきって、ご存知ですか?」

 水鳥の足を思い浮かべて、私は首を縦に振りました。

「あれは実は、胎児の形成段階では
 ......人間の手にもあるのです」
「えっ!?」
「それじゃ......まるで
 半魚人みたいじゃないっスか?」

 横島さんの反応に対して、条奈さんは微笑んでいます。

「そうでしょう?
 そのまま生まれてきては、
 人間としては困ります。
 だから、指と指との間の細胞が死ぬ。
 ......これがアポトーシスの典型として
 よく引き合いに出される例ですね」

 わかったような、わからないような。
 でも、条奈さんの話は、先に進んでしまいました。

「ただし、ひとくちに
 アポトーシスと言っても、
 そのスイッチの入り方によって
 いくつもの経路に別れていて......」

 ここで条奈さんは、私や横島さんの顔に浮かんだ困惑の色に気づいたようで、
 
「えーっと。
 すいません、
 いくつもの経路って言っても
 わからないですよね。
 ああ......そうだ、
 高校の生物の授業で
 『クエン酸回路』って習いましたよね?」

 と話しかけてきたのですが、横島さんは首を横に振っています。

「学校の授業なんて......
 ちゃんと聞いてないっスから!」
「高校で習ったことなんて
 ......もう覚えてないわ」

 あれ?
 博学だと思ってた美神さんまで、横島さんと同調していますよ?
 二人が否定したことで、条奈さんの視線が私に向けられました。

「......ごめんなさい。
 私、生物は選択してないですから」

 残念そうな条奈さん。
 それでも、彼は話を続けます。

「そうですか......。
 それじゃ、どう説明したらいいかな。
 まず......体の中の色々な出来事は、
 実は、小さなイベントの積み重ね。
 ......それは理解できますか?
 私の同僚は、他分野の方々には
 『ドミノ倒し』だって説明してましたけど......」
「あ!
 『風が吹けば桶屋が儲かる』
 ......みたいなものですね?」

 私の反応に、条奈さんは嬉しそうな顔をしました。

「ちょっと違うような気もしますが
 ......まあ、そうですね。
 ドミノの比喩や桶屋のことわざで
 理解してもらえるなら、それでいいです。
 ただ......生体内の反応経路を
 ドミノで例えるのは、私自身は
 ちょっと相応しくないと思うんですけどね。
 ......ドミノだと、
 進み始めたら止まらないし、
 止まったら終わりだし、
 分岐も難しいですから」

 口元に苦笑いを浮かべて、彼は説明を続けます。

「専門用語でも『上流』とか
 『下流』といった言葉を使うように、
 むしろ川の流れのほうが
 比喩として適切だと思うんですよ。
 そのほうが、
 支流への枝分かれだけじゃなくて、
 新しい流れの合流だって、
 イメージしやすいでしょうから。
 で......桃太郎の昔話を考えてみるんです。
 『上流』で桃を流した人がいるから、
 おばあさんが『下流』で
 桃を拾うことができて。
 その結果、桃太郎が......」
「......ストップ!」

 延々と続きそうな条奈さんの話を、美神さんが遮りました。

「条奈さん......あんた、
 依頼があって、うちへ来たんでしょ?
 生物学の講義はいいから、
 そろそろ本題に入ってくれないかしら?」


___________


「すいません、ついつい......」

 条奈さんはポケットからハンカチ――しわだらけのハンカチです――を取り出して、額の汗をぬぐいました。

「実は最近、私達の研究所に
 死んだ同僚の幽霊が出るんです。
 ......いや、まだ、あいつの幽霊だと
 ハッキリ決まったわけじゃありませんが、
 どうもタイミングや状況から考えて、
 そうなんじゃないかと」

 ポツリポツリと語り始めた条奈さん。
 彼の話によると、その亡くなられた同僚――出尾安彦さんという名前だそうです――が研究していたのが、アポトーシスと幽霊との関係。
 だから、条奈さんは、私達にアポトーシスの説明をしようとしたみたいです。

「霊能力の高い人々の脳内では
 一部の遺伝子が活性化されているのですが、
 それがアポトーシスを
 引き起こしたり抑制したりするんです。
 『霊力の高い人間の脳細胞が死ぬことには
  能動的な意味がある』
 と出尾は考えていて......」
「えっ!?
 霊力が高いと脳が死んじゃうんスか!?」

 ビックリして口を挟む横島さん。
 でも、条奈さんは、これを笑い飛ばしました。

「ひとつやふたつくらい脳細胞が死んでも、
 命に別状はありませんよ、大丈夫です」
「......そんなもんスか?」
「ええ。
 生物の面白いところでしてね。
 パッと見では
 害があるように見えるイベントも、
 実は生体にプラスだったりすることって、
 けっこうあるんですよ?
 わかりやすい例では......」

 風邪をひいたときの高熱。
 あれは風邪の菌やウイルスが私たちの体を苦しめているわけではなく、逆に、私たちの体が菌やウイルスなどを殺すためにやっていること。
 多くのウイルスは、実験室で培養する時だって、37度以下ではよく増えるけれど39度くらいになると死んでしまう。私たちの体は、この性質を利用している。
 条奈さんは、そんな説明をしてくれました。
 でも......。

「あの......条奈さん?
 また話が逸れているような気が......」

 私は、やんわりと指摘しました。
 美神さんの表情が変わってきたのに気づいたからです。
 
「あ、これは失礼」

 再び、額の汗をふく条奈さん。
 専門の話を始めると、熱が入ってしまうみたいです。
 ふと、ミニ四駆に高じていた横島さんたちの姿を思い出しました。
 男の人って、いくつになっても、どんな職業であっても、同じなんですね。そんなことを私が考えていたら、

「だいだい......今の話、
 ちゃんとつながってないわよ?」

 美神さんが口を挟みました。

「害があるようで実はプラス
 ......っていうのは、
 脳細胞が死ぬ説明としては変でしょ」
「ああ、すいません。
 肝心の部分が説明不足でした。
 ......それこそ、死んだ出尾の学説なんです」

 霊能力が高いのは、特別な遺伝子の働きのおかげ。
 でも同じ遺伝子が脳細胞のアポトーシスを引き起こす。
 これは、霊能力の副作用として脳や神経に負担がかかっているわけではなく、実は本来の機能なのではないか。
 脳細胞の死滅により霊能力者自身も死ぬことが、実は重要なのであって......。

「あれ?
 さっき......
 『脳細胞が死んでも、
  命に別状はありません』
 って言ってませんでしたっけ?」

 あまりに不思議に思って、つい私も、口を出してしまいました。
 条奈さんは、したり顔で頷いています。

「少しくらいなら大丈夫でも、
 一度にドッと死滅したら危険です。
 ......特に出尾は、そう考えていたようです」

 ここで苦笑いする条奈さん。

「どうも出尾は、
 細胞レベルの『死』と
 個体レベルの『死』とを
 同一視していたきらいがある。
 だから出尾の説も、
 私は信じていなかったのですがね。
 ......実験結果は、
 彼の学説を支持するものでした。
 しかし......その実験の途中で、
 彼は死んでしまったのです」


___________


 静かになりました。
 条奈さんは、ソファに深く座って、お茶をすすっています。
 用件を話し終わったつもりなのでしょうが......。

「その出尾って人が
 幽霊になったっていうなら......
 彼が死んだ状況を
 もっと詳しく聞かせてもらわないとね」

 と、続きを促す美神さん。
 そうです、むしろ話は、ここからがメインのはずです。
 条奈さんの話では、出尾さんという人がなんで死んだのか、サッパリわかりません。

「すいません。
 どうも口下手ですね、私は。
 自分がわかっていることを
 他の人もわかっていると思って
 しゃべってしまうようです。
 ......学者の悪癖なのでしょう。
 そうならないように
 気をつけているつもりなのですが......」

 条奈さんの悪いクセは、むしろ、話がすぐに逸れることじゃないでしょうか。
 そんな心配を私がしている間にも、条奈さんは、話を続けていました。

「出尾の実験は、
 幽霊を作り出すことでした」
「それって......人工幽霊っスか!?」

 横島さんが反応すると同時に、私は、天井を見上げてしまいました。
 この事務所の建物も、人工幽霊さんが管理してくれているからです。
 でも、視線を戻した私の目に入ってきたのは、首を横に振る条奈さんでした。

「いいえ。
 無から人工的に
 作り出そうというわけではありません。
 生物が死んで魂だけが現世に残る......
 そのシステムを科学的に解明して、
 確実に現世に留まれるように......
 つまり、確実に幽霊になれるようにする。
 ......それが出尾の研究であり、
 実験動物を使って、それを実行してみせたのです」

 ああ、ようやくわかりました。
 霊力が高いと脳が死ぬとか、その結果、霊能力者本人が死ぬとか。
 そんな話をしていたのは、死んだ結果として幽霊になるということだったんですね。

「『死んでも生きられます』......」
「そう、それです。
 出尾も、そんな言葉を口にしていました。
 ......インターネットで
 拾ってきた言葉だそうですが」

 私の小さなつぶやきを聞きとめて、条奈さんが頷きました。
 同時に、それまで考え込んでいた美神さんが、ゆっくりと口を開きます。

「......で。
 その出尾ってやつが、
 自分も幽霊になったわけね?」
「はい、おそらく。
 出尾が死んだときの状況は......」

 ようやく。
 条奈さんは、事件について語ってくれるのでした......。


___________


 遺伝子を人為的に操作した実験動物と、操作していない実験動物。
 その両方が死んだ後に、幽霊になるかどうかを霊体検知器で測定するというのが、出尾さんの実験だったそうです。
 残された実験記録によると、遺伝子操作した動物の幽霊化が確認できたとのこと。
 同行したGSさんの目にも、霊体がハッキリと見えたらしいです。彼は、その幽霊を除霊するために雇われていたのですが、どうも動物霊と相打ちになってしまったようで、皆が駆けつけたときには意識不明で倒れていました。
 そのGSさんは、やがて意識を取り戻しましたが、動物霊との戦いの部分は、記憶がゴッソリ抜け落ちている。
 そして、彼が気を失っていた間に......。
 出尾さんは、死んでしまったのでした。


___________


「出尾の手元には、
 走り書きのようなメモが残っていました。
 『動物たちの霊に殺されるくらいなら
  ......いっそ自分で死ぬ』
 って書いてありました」
「じゃあ......自殺なんですか?」

 条奈さんが語り終わったところで、私は、つい聞いてしまいました。
 彼は、悲しそうな顔で頷きます。

「ええ。
 実験動物を殺すための薬を、
 出尾は自分自身に注射したようです」
「でも......なんで......」

 その動物がなんだったのか、条奈さんの説明ではわかりませんでした。もしかすると、企業秘密のようなもので、研究の詳細は語れないのかもしれません。
 私たちも昔ネズミのネクロマンサーを相手にしたことがありますから、動物といえど侮れないのは実感しています。雇われたGSさんが引き分けてしまったくらいですから、よほど強かったのでしょう。
 でも......!
 手強い霊に襲われたなら、逃げればいいじゃないですか?
 それが無理だとしても、最後まで抵抗するべきじゃないですか?
 それなのに、自分の命を自分で断ってしまうなんて......。

「出尾は......
 日頃から厭世観が強いやつだったんです。
 世の中にも、研究職という仕事にも
 希望を見出せなかったようで......」

 私の思考を遮るかのように、条奈さんがポツリとつぶやきました。
 
「世の中はともかくとしても......
 この業界に絶望しているなら、
 他の仕事を探せばいいのに。
 ......私などは、そう思うのですがねえ。
 出尾は違ったようで......」

 と、続ける条奈さん。
 ちょっと雰囲気も沈み込みましたが、ここで、美神さんが再び口を挟みます。

「ちょっと待って。 
 それだと......
 その出尾さんの死は事故のようなもの?
 実験の失敗で出来た幽霊に襲われて、
 それがキッカケで自殺?」

 話が逸れないよう、がんばる美神さん。
 この依頼が出尾さんの幽霊の話である以上、死んだときの状況は、出来るかぎり明確にしておく必要があるのです。
 どんな未練で成仏できないのか、それが大切だからです。
 でも。

「......いいえ」

 条奈さんは、美神さんの言葉を否定しました。

「『実験の失敗』と言っては
 ......出尾が可哀想です。
 実験そのものは成功ですから」

 もちろん、100%の成功ではない。
 10匹処理で5匹処理の二倍の幽霊が作られたのは確かだとしても、それぞれ10匹と5匹とが幽霊になったという可能性だけでなく、例えば4匹と2匹だったという可能性もある。
 学説に合致するデータではあるが、まだ学説を証明するデータとは言えないのだ。
 ......というようなことを、条奈さんはブツブツ言っています。
 私には何のことやら理解できませんでしたが、どうもこれは独り言であって、私たちへの解説ではないようでした。
 それから条奈さんは、顔を上げて、再び続けます。

「ただし実験そのものじゃなくて、
 その後の対応は、完全に失敗。
 ......といったところですね」

 苦笑する条奈さんでしたが、それは一瞬だけでした。

「......というのが、
 当時の我々の判断だったのですが。
 もしかすると......『その後の対応』まで含めて
 出尾の計画どおりだったのかもしれないのです」


___________


 出尾さんは死んだけれど、出尾さんが提唱した学説は正しかった。
 そう判断して、条奈さんたちは、出尾さんの研究を引き継いだそうです。
 詳細な研究記録も残っていたし、一時的なサンプルの保管場所まで細かく記されていたので、苦労はしませんでした。

「......でも、
 そこに私は疑問を抱いたのです。
 『出尾って、ここまで
  几帳面なやつだったかな?』
 ......と」

 条奈さんから見た出尾さんは、むしろ個人プレーに走るタイプの研究者。
 長期保存するサンプルならばノートに書いておくとしても、すぐに手を加えるような、実験途中の物は、頭の中だけに記録していたはず。

「なんだか出尾らしくない。
 これでは、まるで、
 自分がいなくなることを
 事前に想定していたみたいだ。
 ......私は、そう感じました。
 しかも......出尾の研究ノートには
 他にも不自然な点があったのです」

 それは、同業の専門家だからこそ気づいた部分。
 ノートに記さずに、独自で秘密の研究をしていたのではないかという可能性。

「あいつがラボにいた時間を考えると、
 もっと多くの実験をやっていたはずなんですよ。
 ......いや、実際にノートにも色々と
 その成果が残っているんですが、
 動物実験を始める少し前の期間だけ、
 記載が減っているんです」

 その時期にやっていたのは、動物の遺伝子を操作するための薬などを用意する作業でした。
 そして、当時の出尾さんの様子を思い出した条奈さんは、他にも疑惑の種を見つけたのです。

「あの頃、出尾は......。
 実験に使う動物と人間との間で、
 対象の遺伝子がどれくらい違うか、
 遺伝子配列を比べ直していました。
 でも、ノートにもパソコンにも
 その痕跡が残っていない。
 まるで隠蔽工作をしたかのように、
 すっかり消えているのです」

 そこから条奈さんが導き出した結論は......。

「だから、私は、ふと思ってしまったのです、
 『もしかすると出尾は、
  動物の遺伝子操作因子と並行して、
  人間の遺伝子を操作する因子も
  こっそり作っていたのではないか?』
 ......と」


___________


「......ただし最初は、私も
 なぜ出尾がそんなことをしたのか、
 理由がわかりませんでした」

 もう一度お茶で喉を湿らせてから、条奈さんは、話し続けます。

「でも......しばらくして
 ラボで幽霊騒動が起きてから、
 恐ろしい可能性に思い至ったのです」

 ラボでの幽霊騒動。
 自分一人しかいないはずの深夜の研究室で、他の誰かがいるような気がする。奇妙な物音がする。
 そんな『気のせい』かもしれない怪談話だけではなく。
 誰も触っていないはずの実験器具が、いつのまにか置かれていた場所から移動していて。
 そのうちに『出尾の幽霊が研究を続けているんじゃないか』というウワサが立ったそうです。

「ラボの皆は、
 『自殺に追い込まれた出尾が
  成仏できなくて、ラボに来て
  研究を続けている』
 ......と考えているようです。
 でも......私の考えは違う!」

 条奈さんは、語気を強めました。

「『成仏できなくて』なんかじゃない。
 あいつは......きっと
 みずから望んで幽霊になったのです。
 おそらく致死性薬物を注射する前に、
 『人間の遺伝子を操作する因子』を
 自分自身に注射したんです。
 幽霊となって......
 『死んでも生きられます』を実践するために!」

 それから、フッと表情まで緩めて。
 最後に条奈さんは、まるで冗談のような感じでつぶやきました。

「『俺は人間をやめるぞーっ!』
 って、出尾が叫んだかどうか。
 ......それはわかりませんけどね」


(後編に続く)

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____
死んでも確実に生きられます(後編)

「簡単な仕事みたいっスね」
「......そうね。
 でも油断しちゃダメよ、横島クン」

 依頼人さん――条奈さん――が帰っていった後。 
 気楽な横島さんに、美神さんが釘をさしました。

「美神さんの言うとおりですよ」

 湯呑み茶碗を片づけながら、私も相づちを打ちます。
 横島さんは自分の実力を低く見積もりがちですが、そんな横島さんでも、研究者の悪霊なんてたいしたことないと思ってしまったのでしょう。
 だけど『自分の実力を低く見積もりがち』ということは、『油断』をしないということでもあります。そういう人こそ、たまの油断が危ない気がするんです。

「結局、依頼としては......」

 横島さんと私に確認するように、条奈さんの話をおさらいする美神さん。
 
「まずは、研究室の幽霊が
 出尾ってやつかどうか確かめる。
 で、ほんとにそうなら
 そいつを除霊する......。
 そんなところね」
「それじゃ......
 今日か明日にでも
 その研究室へ調べに行くんスか?」

 でも美神さんは、首を横に振ってみせました。

「いいえ。
 その必要はなさそうよ」

 ニヤッと笑う美神さん。
 美神さんって、時々、他の霊能者もビックリするくらい霊感が働くんです。この時もそうでした。

「どうやら......
 条奈の後をつけて来たみたいね。
 ......祓われては困るってことで
 向こうからケンカ吹っかけてきたんだわ!」




    死んでも確実に生きられます(後編)
    ―― 幽霊になったら...... ―― 




「いいわよ、人工幽霊一号!
 結界切って......入れてやって!」

 美神さんは、神通棍を延ばして、既に戦闘体勢。でも、美神さんは主戦力ではありません。
 一番強いはずの横島さんも、今回はサポート役。横島さんが本気を出せば文珠一つで除霊できちゃいそうですが、祓ってしまう前に、相手が出尾さんなのかどうか確認しないといけないのです。
 そんなわけで、どうも私がメインのようです。
 私は、横島さんに護られるような形で、後方に位置しています。服装はいつもの除霊仕事の恰好で、いつでも吹けるように、ネクロマンサーの笛を唇にあてていました。

『しかし......オーナー......』
「大丈夫だから!
 チンケな悪霊一匹に、
 私たち三人が負けるわけないでしょ」

 あれ?
 美神さん、ずいぶん余裕な発言してますね。
 横島さんに『油断しちゃダメよ』と言ったのと同じ人とは思えません。
 それとも、身をもって指導するつもりで、反面教師としてワザと油断しているフリを演じているのでしょうか。

「......だから、あんたは
 結界切ってゆっくり休んでなさい」
『オーナーがそこまでおっしゃるのでしたら、
 では......』

 結界が切られたのでしょう。
 雰囲気が変わったのが、私にもわかります。
 私は、それまで以上に気を引き締めて、部屋のドアに視線を向けました。


___________


 少しの時間の後。

「入ってこないわね......」

 美神さんが、焦れたようにつぶやきました。
 悪霊さんが来ないのなら、三人でドアとにらっめこしてるのは、たしかに少し間抜けな感じです。

「俺たちに恐れをなして
 逃げ帰ったんじゃないっスか?」

 横島さんの手の中の見鬼くんも、全く反応していません。
 私が、そう思った瞬間。
 突然、反応が出始めました。
 でも、見鬼くんが指し示す方向は......。

「......私たちの後ろ!?」

 三人で一斉に振り向いたのですが、それは、少し遅過ぎました。


___________


 どういう攻撃だったのか、私にはわかりません。見ることすら出来ませんでした。
 でも、それが直撃したらしく、美神さんと横島さんは、今、二人とも床に倒れています。

「あなたが......!?」
 
 犯人に目を向ける私。
 霊力をこらしたので、私にもハッキリ見えました。
 ただし、その姿は、私が想像していたものとは大きく異なっていたんです。

『そうだ。
 人間だった頃の名前は、出尾安彦。
 今は......名無しの幽霊だ』

 同じ科学者さんでも、条奈さんのような雰囲気は全くありません。
 いや、人間だったという面影すら、ほとんど残っていませんでした。
 腕や脚っぽい部分はありますし、頭部らしきものも、胴体の上にのっています。でも、目や口などは識別できません。
 全体的にトゲトゲしい感じの、禍々しさ満点の容姿でした。

『ケケケ。
 あんた......
 もと幽霊の「おキヌちゃん」だな?』

 この人、私のことを知っている......!?

『あんただけじゃない。
 お仲間のウワサも聞いてるぜ』

 動揺する私をからかうかのように、悪霊さんは、語り続けます。

『......もしも幻術が使えたら、
 マッチョな男に囲まれる幻とか、
 貧乏になって街角でマッチ売る幻とか、
 そういう幻覚を見せてやるところだが......。
 あいにく、俺にそんな能力はない。
 そのかわりと言っちゃあ何だが
 ......こういう芸当は可能だぜ!』

 悪霊さんの言葉と同時に。
 美神さんと横島さんが、起き上がって無言で歩き始めました。

「美神さん、横島さん!
 しっかりしてください!!」

 肩を揺すろうが何しようが、二人とも反応してくれません。
 その虚ろな目を見れば、一目瞭然でした。
 ええ、二人は操られているんです。

『ケケケ。
 俺の精神コントロールは強力だぜ。
 ......まあ正確に言やあ、
 俺の力じゃなくて
 取り込んだ動物霊の力なんだけどな』
「『取り込んだ動物霊』......?」
『そうさ。
 あの三流GSが
 倒したことになってるみたいだが
 ......そんなわけねえだろ!
 俺が全部吸収したのさ!!』

 誇らしげに語る悪霊さん。
 ああ、人間らしくない外見も、他の霊と合体したせいだったんですね。

『......もっとも、
 人間よりも小動物の方が
 不思議な霊能力を持っているとは、
 それはそれで、興味深い話だ。
 弱い生き物が、身を守るために
 進化の過程で身につけたんだろうが......』

 どうやら、悪霊さんの最初の攻撃も、精神コントロール波だったようです。美神さんや横島さんが一発で倒されるなんて、普通じゃないと思ったのですが......。
 そういえば、昔ネズミのネクロマンサーと戦った時も、横島さんは操られてしまいましたね。
 でも、そんな回想をしている暇はありませんでした。
 操られた二人は、窓際まで歩いていき、窓を全開にしたのです。
 身を乗り出した二人は、今にも落ちてしまいそうです。下手に私が手を触れることも、いや近寄ることすら出来ませんでした。

『安心しろ。
 あんたが俺の言うことを聞いてくれるなら
 ......二人は無事に解放してやる』

 悪霊さんが、私に対して望むこと。
 それは......。

『俺が殺してもダメだろうけどさ。
 でも、あんたなら......自分の力で
 幽霊になることもできるんだろ?
 だから......死んでくれ。
 死んで、幽霊になってくれ。
 幽霊になって、俺の花嫁になってくれ』


___________


 悪霊さんからプロポーズされちゃいました。
 ポカンとしている私に対して、彼は続けます。

『「おキヌちゃん」ってさあ......。
 一部のオカルトサイトでは、
 すっげー有名なんだぜ?
 アイドルみたいなもんだ。
 「巫女服、萌え〜〜」とか
 「緋袴、萌え〜〜」とか
 言ってやがる連中もいて、
 あいつら頭イッてると思ってたんだが......』

 ここで悪霊さんは、ニンマリと笑いました。
 目も口もハッキリしないのに、なぜか、彼が笑ったのだけは理解できたのです。

『......いやいやどうして。
 実物のあんたを見てると、
 連中の気持ちもわかるぜ』

 私に向けられた悪霊さんの視線。
 それは、頭のてっぺんから足の先まで、全身を舐め回すような感じで......。
 私は、背筋がゾーッとしてきました。

『......だから、な?
 俺の花嫁になってくれ。
 永遠の乙女として......
 ずっと俺のそばにいてくれ』

 そんなこと言われても、困ります。
 私の困惑の表情に気づいたのか気づかないのか。
 悪霊さんは、自分の主張を続けていました。

『......まあ、安心してくれ。
 別に「花嫁」って言っても、
 ヘンなことしやしねーよ。
 ただ、俺の横に居てくれたらいい。
 どうせ......俺は......。
 ......もう幽霊だからな』


___________


『旨いものを食うことも、
 旨い酒を飲むことも、
 いや形ある物に触れることすら、
 ......もう、できやしねえ。
 いわゆるポルターガイスト現象......
 誰も触れてない物体が動くってのも、
 ありゃあ、おはなしの世界だけなんだな。
 悪霊には、そんな力はなかったんだ』

 どうやら、彼は自嘲しているようです。
 もちろん、彼の言うことは完全に正しいわけではありません。私のことも誤解してるようですが、そもそも幽霊全般に関しても、あんまりわかってないみたいです。
 でも、私は敢えて口を挟みませんでした。

『さいわい俺は
 精神コントロールって力を手に入れたから
 それで生きてる奴を動かすこともできた。
 眠ってる奴を知らない間に動かすことで、
 ラボで研究を続けることもできたんだ。
 だけどよ......そいつらの肉体に
 俺が入り込んでるわけじゃないから、
 俺には何の感覚も伝わってこねえ』

 ああ、やっぱり。
 幽体さえ抜き出せば肉体への憑依も難しくないはずなのに、それも出来ないくらい......まだまだ弱い悪霊さんなんですね。
 そんなことを考えたら、幽霊だった頃のエピソードが頭に浮かんできました。
 ひ孫さんの守護霊をしていたおじいさんと知り合って、彼女の体の中に入った時。久しぶりに自分の足で歩くという感覚が、とっても感動でした。

(そっか......)

 目の前の悪霊さんは、まだ死んでから日が浅いのです。体があった頃の感覚を忘れられないのでしょう。

『これじゃ......
 「生きてる」って感じしねーよ。
 こんなはずじゃなかったんだ、
 俺は......俺は永遠の命を
 手に入れたはずだったんだ』

 いいえ、違います。
 悪霊さん、あなたは......。
 もう死んでしまったのですよ?

『俺は......
 精神生命体に昇華したはずだったんだ。
 「肉体」という余分な殻を捨てて、
 純粋な命の本質......
 「魂」だけの存在になったはずだったんだ。
 でも......これじゃ生きてることにならねーよ』

 もはや彼は、私に向かって語りかけてはいません。
 深い後悔の口調で、自分に向かって囁くだけでした。


___________


 私は。
 ゆっくりと、笛を吹き始めました。

「つらいでしょう?
 苦しいでしょう?
 でも、もう......終わりなんです。
 死んでしまったんですから......」

 笛の音にのせた私の言葉。
 それが伝わったようです。
 彼は、ビクッと肩を震わせました。

「もう......やめましょう。
 ......ね?
 今なら、まだ間に合います。
 まだ誰も殺してないんでしょう?
 でも人を殺したら、その念が
 あなたの自縛を強くするだけ。
 この世に縛られたら
 もっと苦しくなるから......。
 手遅れにならないうちに
 早く成仏しましょう?」

 それは、嘘偽りのない私の気持ち。
 だけど、わかってもらえませんでした。

『ばかやろう!
 俺を悪霊扱いするな!!
 ......成仏してどーすんだ、
 俺は死んだわけじゃねえ。
 肉体を捨てて......俺は、
 魂だけで生きていくんだ!』

 魂だけになってしまったら......。
 人は、それを『死』って言うんですよ!?

『うるせー!
 もと幽霊のくせに
 えらそうに説教するな!
 あんたは......
 俺の言うとおりにしたらいいんだ!
 さもなきゃ......この二人を殺すぞ!』

 悪霊さんが、美神さんと横島さんを指さしました。
 二人は、さっきよりも体を傾けていて、もうホントに落ちてしまいそうです!

「ま、待って!!」

 私の意志に呼応して、笛の音が強くなりました。

『じゃあ......
 俺の花嫁になってくれるか?』

 そういうわけにはいかないけど。
 でも、きっと解決策があるはず......。


___________


 頑張って考える私の頭に、突然、さきほどの条奈さんの話が浮かんできました。

   「......ひとくちに
    アポトーシスと言っても、
    そのスイッチの入り方によって
    いくつもの経路に別れていて......」

 難しそうな話でしたが、条奈さんは、なんとか平易に説明しようと努力していました。

   「まず......体の中の色々な出来事は、
    実は、小さなイベントの積み重ね。
    ......それは理解できますか?」

 そして、ドミノ倒しとか、川の流れとか、そんな比喩を引っぱり出して。
 結局、一つの終着点に向かって複数のルートや開始点があるという内容だったみたいですが......。

(それって......当たり前ですよね)

 条奈さんの話は、体の中の話でした。でも、これは何にでも当てはまることです。
 ひとくちに『除霊』と言っても、いくつもの方法があって。
 美神さんには、美神さんなりの。
 横島さんには、横島さんなりの。
 私には、私なりの。

(私の除霊方法は......)

 いつものような説得は、今回は通用しないみたいです。自分が死んでないと思い込む点では普通の悪霊と同じですが、そもそも『死』の概念が違うみたいですから、これでは話が通じません。
 私は、霊の気持ちが理解できるからこそ、ネクロマンサーなんです。だけど、この悪霊さんの気持ちは、私にはわからないのです。

 死にたくないのに、死んでしまう。
 だから、幽霊になってしまう。
 その悲しさ、苦しさ、つらさ......。
 それならば、よーくわかります。
 でも、でも!
 幽霊になりたくて、みずから命を絶つだなんて!!
 そんな馬鹿なことを......いったい、どーして!? 

 この状態では、ネクロマンサーの笛も、100%の力は発揮できません。悪霊さんの動きを多少制限するくらいは可能だと思いますが、それも危険。
 悪霊さんは今、美神さんと横島さんを突き落とそうとしているのですから、力づくで止められそうになったら、いっそうの力をこめるだけでしょう。その均衡の中、私の息が続かなくなったら......。
 考えただけでゾッとします。

(こんなとき、
 美神さんや横島さんだったら......)
 
 美神さんだって横島さんだって、正攻法ばかりじゃないんです。正攻法がダメなときは、凄い反則ワザを思いつくんです。

(私らしい......反則ワザ!?)

 悪霊さんは今、私に向かって、無理な選択肢を突きつけています。
 美神さんや横島さんを見殺しにするわけにはいきませんし、かといって、私が悪霊さんの花嫁になることも出来ません。
 
(でも、きっと......。
 他の選択肢があるはず!)

 そう、他のルートも、あるはずなんです......。


___________
___________


「あれ......!?」
「俺は......いったい......」

 しばらくして。
 美神さんと横島さんが――床に倒れていた二人が――意識を取り戻した時、その場にいたのは、もう私だけでした。

「悪霊さんは......
 条奈さんの想像どおり、
 出尾さんでした。
 でも......色々おはなししたら
 納得してくれたみたいで、
 成仏していきました」
「おキヌちゃんが、
 一人でやっつけちゃったの!?
 やっぱりネクロマンサーだなあ......」

 半ば棒読みの私の説明を、鵜呑みにしてくれた横島さん。
 
「ふーん、そう。
 ......ま、
 おキヌちゃんがそう言うなら、
 そういうことにしておきましょうか」

 美神さんの声は小さかったので、横島さんの耳には入らず、私だけに聞こえたようでした。


___________
___________


「彼は......みなさんと
 仲良くやってますか?」

 幽霊だった頃に参加していた集会に、私は最近、ちょくちょく顔を出すようにしています。
 あのおじいさんも、他のみんなも、いつも私を歓迎してくれます。
 
『ちょっと協調性が足りんがのう』
『最近の若いもんだからねえ』
『生きている時に、
 いったい何を学んでいたのやら......』
『それでも......
 まあ、なんとかなるじゃろう』

 紹介者の責任......なんて大げさなものじゃなくて。
 心配だから様子を見に行ってしまうのですが、どうやら、大丈夫なようです。
 今も彼は、みんながワイワイやっている輪の中に、ちゃんと溶け込んでいるようでした。
 彼の声が聞こえてきます。

『生物の進化とは......』
『......幽霊が進化を語ってどうすんだい?』
『ウイルスに感染したら、この私が......』
『......幽霊は感染しないよ!』

 色々とツッコミをもらっているようですが、それも仲良くやっている証拠なのでしょう。

(一人じゃないから......
 もう寂しくないですよね?)

 心の中でソッと語りかけながら、少しの間、私は彼の姿を見ていました。
 新入りの幽霊さんの姿を。
 動物霊と切り離された――外見も能力も普通の幽霊となった――出尾さんの姿を。


(死んでも確実に生きられます・完)

 転載時付記;
 この作品は『あなたの隣に霊は居る』と同じ世界観の作品です。
 『あなたの隣に霊は居る』よりも後に投稿した作品であり、ウイルスなどに関する説明を若干少なめにしましたが、時系列的には『あなたの隣に霊は居る』よりも少し昔の出来事を描いています。
 なお、ここに記したような事情により「ザ・グレート・展開予測ショーPlus」様に投稿したものとは前編の冒頭部が異なっています。御了承下さい。

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