薔薇姫の棘 16
グラスランドとの「勉強」は、1週間たってもエリザにはよくわからないものでした。
いえ、中身がわからない、というわけではないのです。
そもそも、わからなきゃいけないようなことをやっているのかどうかもわからない。
お庭を歩く、お話を聞く、絵を描く、そんなのでいいのかな。
そのくせ、逃げだしたら怒るんだよね。
「9時には勉強部屋にいる」
それだけのルール、守るのは別に難しくはない。
そもそも、わざわざこっそり抜け出したりしなければ、
時間に間に合うようにリリィかグラスランドが迎えに来るのです。
時計の長い針が11を指すくらいまでには、必ず。
言われたルールを守っている自分に、なんだか納得のいかないものを感じつつ。
でも、いつだって抜け出せる、それを自分も教師も知っているから、
そして自分が決めるんだから。
で、その時刻にお部屋にいると、グラスランドのよくわからない話に
そのまま巻き込まれるという、ある種平穏な数日が過ぎていたのでした。
***
・・・その日二人は、トランプでゲームをしていました。
それぞれが出したカードで、数が多い方が勝ち。
一戦ごとにおしゃべりをしながら、数字の大小、その差の引き算、トランプのカードの範囲内ならエリザは問題なくできているようだとグラスランドは見て取りました。
もちろん、エリザも教師が自分を試していることには気づいていましたけれど。
わざわざ抵抗しなければいけないほどのことじゃない。
一区切りついてグラスランドがトランプを揃えながら数字だけで聞いてくるのにも、彼女は付き合っていました。
「6と4ならどっちの勝ち?」
「6」
「いくつ大きい?」
「2」
「13と10だったらどっちかな?」
「13」
「その差は?」
「3」
「7と3だったらどっち?」
「7」
「差はいくつ?」
「5・・・? じゃない、4」
「うん、正解。よくできました」
違う答えにちょっと首を傾げて、エリザがやり直すのを待った彼。
くやしい、と思う自分と、ほっとする自分とどっちもいる。
「間違えるのは、別に悪いことじゃないんだよ?」
ふんわりとグラスランドがでも真面目な目で話すのに、思わずそっぽを向いてしまう。
「間違えたら、やり直せばいいだけだからね。
わからないことは、これから勉強すればいいんだし」
最初から何もかもできる人なんていないんだから。
そうやって言われることはわからないわけじゃないけど、やっぱりくやしいものはくやしい。
「まあでも、くやしいのもいいことだけどね」
それは、できるようになりたいってことだから。
そう言われると、自分の気持ちが教師の思い通りみたいでそれもくやしい。
だけど、できるようになる、って響きには不思議な熱さがあった。
もう少し質問を続けてから、暗算とどっちがやりやすい?とグラスランドが差し出した紙。
いくつかの問題が丁寧な字で書かれてる。
「足し算と引き算が混じってるからね、気をつけて?」
話している限りでは一桁の足し算引き算なんて簡単、という感じのエリザでしたが、
いかんせん彼女は机に向かって問題を解くという作業をほとんどしたことがありませんでした。
4+5 = 9
9−3 = 6
8−4 =
・・・・・。
指を折りはじめた生徒を、グラスランドはじっと見ていました。
8−4 = 4
4+2 = 6
6+4 =10
8−6 =
・・・・・。
固まってしまったエリザ。
「エリザ、・・・」
絵を描いてみようか、とグラスランドが話しかけようとした途端に、エリザはその紙を投げ捨ててしまいました。
「いや!もうやらない!」
「エリザ」
叫んで、でも怒ってというよりは泣きそうで。席を立ったエリザを、グラスランドは抱き上げました。
やだ、叩かれる、とエリザは思ってさらに身を固くしたのですが、そうではなくて。
「落ち着いて。ちゃんとできるから、心配しなくていいんだよ」
グラスランドは彼女にそうささやいて、しばらくゆらりとエリザベスを抱いていました。
・・・・・。
グラスランドの腕の中で揺られているうちに、かーっとなった気持ちは過ぎ去っていって。
・・・馬鹿なことしたな、って思う、ほんとは。
わかんない、って教師に助けを求めるのは嫌だったけど。
嫌になってやらないって言ったって、できないってことがばれちゃうのは同じだ。
それに、・・・・・。
グラスランドには、ほかにも言いたいことがあるよね、きっと。
そう思うエリザに、だけど、グラスランドが囁くのはずっと同じ言葉でした。
落ち着いた?心配しなくていいんだよ、くやしいのだって間違ってない。
だいじょうぶ、ゆっくりやれば、絶対ちゃんとできるから。
ちゃんとできる、って、ほんとかな。できる、かな。
できればもちろん、嬉しい、けど。
グラスランドは胸の中のエリザに認める言葉を繰り返し、エリザは少し首を傾げます。
「・・・拾う」
ぶっきらぼうに呟いたエリザを、グラスランドはきゅっと力を込めて抱き締めて。
「そうだね。偉いよ」
そう言って、エリザを降ろしてくれました。
床の上の問題用紙を拾って、皺を伸ばす。
ちらっと教師を見上げると、グラスランドはちょっと困ったように微笑んで。
「ものを投げるのは、いけないね?」
問いかけを否定する理由はなくて、次に何が来るかはわかってはいましたが、エリザは頷きました。
エリザが机の上に紙を戻して、またグラスランドを見上げると。
グラスランドは頷いて、もういちどエリザを抱き上げました。
きゅっと体を固くしたエリザの頭をそっと撫でて、そして椅子に座ってエリザを膝に横たえます。
ぱちぃん!
「ふぇ・・・」
ぱちぃん!
ぱちぃん!
お尻がじんじんしてエリザはぽたりと涙をこぼしましたけれど、何も言いはしませんでした。
「よく我慢したね、ほら、おしまい」
3つだけでエリザを膝から起こして抱き上げた教師は、そんなエリザに微笑んで。
けれど、抱かれて泣いていたエリザにはきっと見えなかったでしょう。
腕の中でエリザが泣き止むのを待ってから、グラスランドは彼女をきゅっと抱いて降ろしました。
「もうしないね?」
教師も屈んで視線を合わせて尋ねると、エリザはちょっとためらいを見せましたが頷きました。
「よかった」
グラスランドがにっこり笑うと、エリザも少しほっとします。
それから教師は、生徒に次を求めました。
「ごめんなさい、って言ってごらん?エリザ。それでひと区切りだから」
・・・・・。
エリザのためらいは、さっきよりもずっと大きくて。
確かに、馬鹿なことしたなって思うんだけど。よくない、こと。でも。
・・・・・この前は、ごめんなさいって言わせなかったくせに。
その言い訳はかっこ悪くて、それに、余計に教師の言いなりになっているようで、
エリザは慌てて内心それを打ち消しました。
「・・・・いや・・」
彼女は小さく呟きましたけど、どうして嫌なのかは自分でもよくわかりません。
ほんとに嫌なのかどうかも、実はわかりませんでした。
エリザの小さな呟きは、教師には聞こえなかったのでしょうか。
グラスランドは優しい目でエリザを眺めて待っています。
でも不意に、彼は「あ、」と呟きまました。
「エリザ、僕に謝らなきゃいけないわけじゃないからね。自分に言うんだよ」
え?戸惑ったエリザに、グラスランドは重ねる言葉を探します。
「君は僕を傷つけたわけじゃない。だから、僕に謝る理由はないよ。
だけど、間違ったことをしたら謝らなきゃね。
そういうとき、ごめんなさいの向こうにいるのは誰でもないんだ。君自身だよ」
よく、わからない。
確かに、グラスランドに謝るのも変だって、言われてみれば思うけど。
でも?
首を傾げた小さな生徒に、グラスランドは微笑みました。
「わかりにくかったかな。ごめんなさい、は、言わなきゃいけない。
でも、それは僕に言うんじゃない。
それだけだよ。だから、僕に聞こえなくてもいいんだ、君が言えれば。
・・・僕がいない方が、ごめんなさいって言いやすいかな?」
グラスランドはほんとに席を外そうとして、なぜかエリザは焦りました。
「い、いいよっ、そんなの。あんたが居たって、居なくったって、関係ないもの。
ごめんなさい、もうしないから」
早口で言い立てて、そして、確かにエリザは自分がちょっとほっとしたのを感じました。
おしまい、これでひと区切り。・・・なんだろう、この気持ち。
「よく、言えたね」
グラスランドの言葉は、すごくしっとりしていたから。
「・・・ごめんなさい」
エリザはゆっくり、もう一度口にしました。よかった、言えて。
グラスランドを見上げると、彼は笑って頷いてくれました。
「それじゃ、もう一回解いてみようか。だいじょうぶ、きっとちゃんとできるから」
「うん」
ふたりは指を折ったり絵を描いたり、いろんな方法で残りの数問を一緒に解いていきました。
「おしまい!」
最後まで行き着いたエリザはやった、と笑って。
「おめでとう、たいへんよくできました」
教師が書いてくれる花まるが嬉しいなんておかしいな、頭の片隅でそうも思うのでしたけど。
解けたこと、笑えることは嬉しいと、確かにそうも思うのでした。
2013.11.4 up
一年以上のご無沙汰ですが、ちょっとづつ進みたい薔薇姫ちゃんです。
いえ、ちゃんとちょっとは進んでいるはずです(^_^;)。
修めるべきレッスンはまだいくつかありまして、
サイト運営のモチベーションでもあるのです(^^ゞ。
ちなみに、余談ですが今回の薔薇姫ちゃんは、数5と数●●●●●との関係に
一瞬考える必要があるようです。数●●●●●と音「ご」との関係はちょっとましです。
8を5と3に分解することはできるようですが、4と4にはそこそこ時間がかかります。
、ということをグラスランドさんは手探りで探っているところです(^^ゞ。
算数って奥が深い!