ルカさまに、心を込めてお贈りします。
春のまぶしい白い花

カリカリカリ。カリカリ・・・カリ。
「あ〜っ!」
また失敗したよ。いま俺が作っているのはマーガレットの浮彫。
手元には師匠の彫った見本とゆーか理想とゆーかがあったりする。

師匠―――リオさんは昨日さらりとこれを彫り上げて、俺に寄越してくれたんだけど。
「じゃ、がんばってくださいね」
いつものとおりに言葉は軽く、俺の顔見て微笑みながら。
花弁も少ないし掌に収まる手頃な大きさ。ひたすら繰り返しの花菱とかややっこやしい竜神様とかに比べたらこれは結構簡単かも・・・そう思った俺はかなり浅はかだったらしい。

かつん、カリカリカリ。
リオさんとこ来てもう半年、鑿も彫刻刀も多少は使えるようになったと思ったんだけど。
たいして込み入ってもいないつくりのマーガレット、だけど、全然上手くいかない。

「・・・・・。」
それはひどくシンプルなだけに。
ほんのちょっと削りすぎるだけで、すっごく格好悪かったりトゲトゲしてたり。
でも削り足りなかったらそれはそれでかなり間抜けな出来なんだ。
疲れて姿勢を崩して寝っ転がってみたり、気を取り直してまた新しいのを彫り始めてみたり。
リオさんのマーガレットは、俺を励ましてるみたいに優しい。
(だから難しいんだけどさ。俺が彫ったのは、これと全然似つかないんだよ!)

カリカリカリ・・・・。
「あっ!も〜っ!!」
何度目かの失敗にさすがに嫌気がさした俺は、作業机の上のものを一切、押し除けてしまった。
窓の外ではマーガレットが静かに風に揺れてる。

がたたた。
たかだか床から数十センチの高さでも、上のものを全部落っことせばまあそれなりの音はする。しかもそれはそこそこに重くもあり危なくもある。何といっても大半が刃物だ。
うわ、まずっ。片付けなきゃ。
そうは思いながらも俺はへたって机に突っ伏してた。もうちょっと、このまま。
春の風はふんわり俺にも吹き寄せる。

「ユウ、何してるんです」

え?わっ!
背後から掛けられた声に俺は飛び起きた。
「・・・え、その、リオさん・・・」
やべ、2階まで聞こえる程の音じゃないと思ってたんだけど甘かった?
何にせよこの状況を見られては時既に遅しといった感じだ。

「と・・・ごめんなさい」
道具の扱いにはリオさんは厳しい。はっきり言っていまさら謝ってもどうにもならないってことはよおく分かってたけど、しかしほかにどうしようもなくて俺はとりあえず謝った。

「何に謝っているんです?」
つれない科白を返しながら、リオさんは俺を見て少し眼を見張る。
「ユウ、怪我をしていますよ。ちょっとこちらにおいでなさい」
え?
驚いたけれど言われてみれば確かに俺の左手には、うっすらと血が滲んでいた。
たぶん彫刻刀を押しのけたときに、すうっと一筋切ったんだ。
たいした怪我じゃない。そう痛いわけでもないけれど、気づいてしまえば少しは痛いし。
それにリオさんは、怪我の手当てにもうるさかった。

手早く救急箱を出してきたリオさんの傍らに座る。
「や、あの、自分でできます・・」
いつも言ってはみるんだけど、リオさんは有無を言わさず俺の手を取って消毒を始めた。
リオさんの手は、こんな彫りの仕事をしているなんて思えないくらいすべらかで綺麗。
傷だらけでタコだらけの俺の手とはだいぶ違う。少し体温が低くて気持ちいい。

黙って、そして丁寧に消毒を終えて。
俺が「ありがとうございました」と呟き終える前にリオさんは俺を置いて立ち上がる。
床の上の彫刻刀を拾って机の上に置いて。
俺の彫りかけたマーガレットを少し眺めて、これも机の上に。

振り返りまだぼうっと座っていた俺を見て、一声かけて部屋を出て行った。
「道具をきちんと片付けてから、私の部屋においでなさい」
・・・・・。
この場で叱られた方が、ましだって!
いやでも、これが俺の師匠なのだった。


―――汚れを落として、水気を拭き取る。柄も軽く拭いておく。
目下の細工に使わない道具にはごくごく薄く油を塗る。
必要があれば中砥に仕上げ砥で研ぎもする。

そう難しいことじゃない。
何せリオさんはこればっかりは俺が確実にできるようになるまで丁寧に仕込んでくれたから。
そしてひとりでも何百回と繰り返した手順だからさ。

それでいま、またひとりになった部屋で俺は俺の道具をじっと眺めた。
さっき落としたときに欠けちゃったりしていないか、どきどきしながら。

う〜。
そりゃ、怒られるよな。うっかり変に使って刃を傷めるのだって場合によっちゃあ叱られるのに。

有り難いことに刃はどれも欠けてはいなかった。刃から落ちたんじゃないみたい。
かなりほっとしつつ、どれもきれいに拭き清めて箱に収める(血がついたままなんて論外だしさ)。

いやほんと、傷めてなくてよかったぁ・・・。
変に欠いたら、もう研ぐこともできない。刃を取り替えるしか。
研いで何とかなる程度だって、無駄に刃を減らしたとしか言いようがないしさ。
いやまあ俺まだ上手く刀を使いこなせてないから、かなりしょっちゅう研いではいるんだけど・・・でも使って鈍らせるのとこれじゃ、全然違う。

ああもう、俺って馬鹿。そんなつもりじゃなかったんだけどさ。
そうは思ってみても俺がしたことって、どこをどうとってもそーゆーことだった。
刃を傷めずに済んだのは運が良かったってだけ。(いや、でも、マジで有り難いけど)
ひとりで道具を眺めて初めてそれに気づくんじゃあ、世話はないよな。

ヘコみつつ、もちろん転がった彫り物の方も拾って揃える。リオさんのお手本も。
あれ?彫ったやつ、一つ足りないかも。それをあちこち探したり。(結局見つからなかったんだよ。覚え違いかな?)

・・・・リオさんとこ行きたくなかったからゆっくりやってた訳じゃ、ないって。ホントだってば。
でも道具も彫り物もほんとに全部きちんと片付いちゃったときには、さらに ずーんと気分が沈んじゃってたのはどうしようもないことだった。


リオさんの部屋を軽くノックすると一拍おいて「入りなさい」と静かな声が返る。
俺がそっと部屋に滑り込んだときにはリオさんは自分の道具を片付けていた。
振り向いてもらえるのを少し待つ。
焦らしたりするような人じゃないんだけど、リオさんの時間は丁寧に流れるんだ。

かたん、と椅子が動いてリオさんはこちらを向いた。
まっすぐ深く見つめられると「ごめんなさい」って、ほとんど反射的に口が言葉を紡ぎ出す。
「どうでした?」
俺の言葉はそのままにして、リオさんは聞いてきた。
その質問には目的語がなかったけど、何を聞かれてるのかはわかった。

「傷んでは、なかったです。・・・よかった」
「それは、よかったですね」
リオさんはちゃんと受けてくれた。少しどころでなく、またほっとする。
それでも、待ってるものは変わらないんだけどさ。
緩めた頬からもう一度微笑みを消して、リオさんはやっぱり静かに言った。

「ユウが悪かったと思っているのは知っていますけれど。でもあれはしてはいけないことですよ」
「・・・・・はい」

俺の返事にリオさんは頷いて、優しく俺を手招いた。
こんなときの形容に「優しく」なんて変だけど、リオさんの差し出す手はいつもそう。
思わずこっちの手も差し出したくなる、そんな手だ。
覚悟はしてたし、言い訳できるようなこともなかったし、それに何よりリオさんの手が待っていたから。
俺は数歩前へ進んで、リオさんの手を取ってきゅっと握る。
リオさんはきゅっとその手を握り返して、そしてそのまま俺を膝の上に引き倒してしまった。

膝の上で離された手を、ひとりでぎゅうっと握る。
リオさんの手は俺のズボンにかけられる。何度体験しても、これは嫌だ。
どうしたって恥ずかしいし、いかにも叱られてるって思わされる。
間違いなしに叱られてるんだから、ぎゅっと身を固くして我慢しているしかないんだけどさ。

さっきは温かいと思ったのに、いまはひんやりと感じる。
そんな春の風とリオさんの手が、尻に当たった。
すこし撫でられて、それから。
ぱぁん!
痛いってゆーか、熱かった。

ぱぁん!  ぱあん!  ぱしぃん!
「・・・・!」
きゅっと眼を閉じて奥歯も噛み締めて、リオさんの服を握り締める。
だって喚きたくない。泣きたくもない。でも。
ぱしん!  ぱちん!  ぱあぁん!
固く握り締めた左手の傷から、ちょっと血がにじんだ。

ぱちぃん!
「・・・・ごめん・・・なさい・・・」
ぱぁん!  ぱぁん!  ぱぁん!
痛い。そりゃもうすっごく、痛い。
いやだ、やめて、リオさんの馬鹿。喉の先まで出かかる言葉がないかっていったら嘘なんだけど。声に出せることじゃないって知っている。
いやむしろ、俺がそれは言いたくないから。だから「ごめんなさい」を途切れ途切れに繰り返す。ほかの言葉を言わずにすむから。

ぱあぁん!  ぱぁん!  ぱぁんっ!
ごめんなさいって言ったからってしたことが消える訳じゃない。
どれだけ謝っても、だからってリオさんが許してくれる訳じゃない。
そもそも、リオさんに謝ることですらないんだろう。

ぱぁん!
何にせよきっちり、たぶん決めただけ(それが幾つなのか俺には分からないんだけど)。
馬鹿なことをすれば痛い思いはしなきゃいけない。

ぱしぃん!
「ユウ、分かってるとは思いますけど。何度でも言いますけれどね。
 してしまってから気がつくのでは遅いのです。私たちはそういうものを扱っている」
ぱぁん!
「・・・・・ごめんなさい」
何度も聞いた。ちゃんと知ってる。・・・それでも、何度でもやっちゃうあたり俺分かってないのかもしれないけどさ。(いや、でも、やっちゃったあとではもうしないって思うんだけどさ、ほんとに。)
何度でも言ってくれるリオさんに、「優しい」っていう形容はたぶん合ってる。
ぱぁんっ!

そしてリオさんの手は止まり、俺を抱き起こして背中をとんとんと叩いた。
立膝をつく恰好になった俺の顔をリオさんは覗き込む。
その眼には泣いてる俺が映っていたけど、俺は気づかないふりをした。

「怪我がなくてよかったとは言ってあげられませんけれど」
う、まあ。現に俺、(リオさんの基準でいけば)しっかりきっぱり怪我してるし。
あ〜、心配かけた、ん、だよなぁ。
「・・・・・。」 俺はちょっと、返す言葉がない。

「この怪我は治りますし、この経験だって貴重なものだし、気持ちを表すことも大切。
 でも、あれはしてはいけないこと。分かりますよね?」
頷いた俺の頭をくしゃくしゃと撫でて有無を言わさずきゅっと抱き寄せて。
リオさんはしばらくじっとしていた。もちろん俺も。

少し経って、リオさんは机の上からマーガレットを一つ取りあげる。
「あれ、それ俺の?」
さっき一つ足りなかったヤツ、リオさん持って来てたんだ。
「ええ。ねぇユウ、元気で可愛いマーガレットじゃありません?」
「えぇ?だって、リオさんのとは全然違うじゃんか、あんなふうにほわっと優しい・・」
続く抗議を俺は途中で飲み込んだ。リオさんが面白そうな眼で俺を見ていたから。
でもって、リオさんは俺のやつあたりの原因を悟ったらしい。

「そんなことだろうと思いましたけれど。
 私のとまったく同じものなんて、彫れるはずがないでしょう?」
十年早いですよ、とはリオさんは言わずに私だってユウと同じようには彫れませんよ、とそう言った。
「まあ、目指してもらえるのは光栄ですけど。私だってユウのようにも彫ってみたいですしね」

リオさんがふんわり包み込むようにして俺の手に返したマーガレット。
眩しそうに眺められ大切に扱われたそれを俺は黙ってじっと見る。

「じゃ、納得いくまでがんばってくださいね」

「ん」
手の中の俺のマーガレットはリオさんの手の温もりを少し残してあたたかい。
俺は立ち上がり、リオさんに「ありがとう」と囁いた。
リオさんは庭で揺れてるこの花のように明るく笑って、俺も少し照れながら笑った。

2007.4.28 up
ルカさまに捧げます師弟もの。ご期待を大きく外していなければよいのですが。
設定を決めた後はもう妄想が頭から離れなくて、とても楽しく書かせていただきましたv
思いの外ふたりともあまり言葉を紡ぎませんでしたが、伝わるように書けているかなあ?
壁紙は風と樹と空とフリー素材さまのマーガレット。
書きはじめたとき実はマーガレットをヒナギクと間違えていたことは内緒です(笑)。
何かそのうち・・シリーズに・・したい・・かも^_^;(えぇ?)
ルカさま、相互リンクほんとうにありがとうございましたv m(_ _)m
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