お尻叩きについて考える?
カーさんについて考える、のつもりだったのだけど、むしろスパについて考えるっていうか。
カーさんの、「お尻を叩く」って行為について(^^ゞ。
考え始めたらだんだんカーさん語りじゃなくなって、むしろキーさん語りになりそうだったりしてるのですが。
しかもこの間ほどに「考える」じゃなくって「感じる」、嗜好の話になりそうです。
ともかく、「お尻を叩く」。
いえ、実際のところ私は、お尻叩きだけに萌えるわけではないのです。
何といっても「叱られ萌え」ですからね、言葉で窘められるのも、頬を張られるのも、
それはそれなりにありなのですが。
逆に言えばそこまでくらいかな?
うん、頬を張られるのも1回ならいいけど往復ビンタは嫌だな^_^;。
「歯を食いしばれ」とかいうのも嫌だ。いきなりがいい(<わがままだな)。
手を鞭で打たれるのはまだありかな。ちょっと萌えとは違うけど。
背中を鞭打たれるのはもう痛々しくて無理。赤毛のアンの・・・アンの青春かな、あのレベルで(ってどれくらい読んでおられる方がおいでか、確か背中を打つシーンがあるのですよ)かなり厳しい。
そういえば大草原の小さな町(長い冬かも)は平気だな(これまた鞭打ちのシーンがありますよ)。たぶんこちらは1回だけだからかな。アンの方はかなり感情的で回数重ねていますからね。や、その感情の方はよくわかるんですけれども^_^;。
あれ、なんか話ずれてきましたかね。
何はともあれ、痛々しい!と思ってしまうと萌えるどころじゃないのですね。そりゃ、そうか。
うん、ここまで書いてみて思うのは、これらの叱られ方で「萌える」ってとき、それは「見ている私」のことだなあ、と。
萌えている私はカーさんじゃなくて、キーさんでもなくて、傍観者。何だかずるい^_^;。
で、ずるい、と思うと次は、やっぱりキーさんであることの方を想像しますね。
「お尻を叩かれて痛い思いをしている」ってことの方が、「お尻を叩いて痛みを与えてる」ってことよりどきどきする。
たっぷり泣いて、ごめんなさいして。
うん、泣くのも、謝るのも、甘えるのも、どの要素にも酔えそう^_^;。
そういうキーさんとしてだったら、言葉で叱られるのでも、引っ叩かれるのでも、
そんなに違いなくひたっている気がします。
痛いほうがちょっとだけ、感傷を増すと思うのだけど、言葉で叱られたってやっぱり胸は痛いから。
でも、カーさんとしての自分を想像してみると、今度は、お尻叩きじゃないとやだ^_^;。
あ、しかも、お膝の上で平手じゃないと嫌かも(^_^;)。
さらに言えば裸のお尻じゃないと嫌かも(〃゜_ ゜〃) 。
お尻の感触とか、冷たいお尻が熱くなっていったりとか、肌が桃色に染まったりとか、ちょっと撫でてみたりとか・・・・・うん、こう考えると萌える。これってやっぱり、セクシャルかな。
こうして考えてみると、確かに、私の中には「叱られ萌え」だけで済まない何かがあるのです。
そしてそれは、「スパンキング好き」っていう私の一面の中で、無視できない結構大きな要素みたい。
お尻を叩くってこと、その感触。
これって、スパ好きって感情の中から切り離せない。
だから、痛々しいってのが仮になくても、お道具は基本的には嫌なのね。お道具を通した触覚は遠い^_^;。
(絶対に書かない、思わないってわけじゃないですよ?感触より痛みが必要なことだってたぶんあるから。)
キーさんとしての側からすれば、痛いってこと(私にとっては空想だけど^_^;)、そして痛いから泣いていいこと(あ、案外これ大事かも)、痛いから甘えていいってこと。
このあたり、叱られ萌えの中でも特にスパvってときに前に出て来る要素みたい。
そうか、叩かれることの方を考えても、お道具じゃダメなんだ。痛すぎるって問題はさておいといても。
痛いってことはお道具だって一緒なんだけど(っていうかむしろ余計に痛いんだけど)、たとえばケインで打たれるってとき、それって、ちゃんと自分で立って、しっかり罰を受けなさい、って含みがあるじゃないですか。甘えずに。
この辺は、ケインだパドルだってことよりも、膝の上なのかベントオーバーかってことかも知れませんけど、お道具はある程度姿勢を規定しますよね。(この理論でいけばヘアブラシはOKですね^_^;)
さっき言葉でもお尻叩きでも、要はどんな叱られ方でも「そんなに違いなくひたって」って書いたばかりだけれど、やっぱり違う。
もっと正確に言えば、「叱られ萌え」としてはどんな叱られ方でも萌える余地はあるんですよね、ちゃんと(←ここは結構むつかしい)叱られていさえすれば。
したことに相応しい罰であれば、いえ、罰までいかなくても省みるだけでも十分で。
それが適切ならば、ケインでも立たされるのでも、優しいひとことでもいいわけです。
けれど、お尻叩きに萌えるのは、それと重なりながら、でも違うところもある。
膝の上でのお尻叩きは、たぶん私にとって甘えていい、泣いていいっていう要素を内包している。
叱られたとき、いつでも甘えていい、泣いていいわけじゃない。
自分でひとりで始末をつけなきゃいけない、甘えてる場合じゃないってことだっていくらもある。
そういうのはそういうので、叱られ萌えとしては萌えるんだけど、それよりもっとふんわりと。
そんな立派なキー?さんを四六時中やってたら、疲れちゃうでしょ?
スパンキングの、膝の上でのお尻叩きのキーさんは、もっと身近で等身大で。
甘えていい。泣いていい。
うん、カーさんはそういうメッセージをお尻叩きって手段の選択で示してる。
痛いから、泣いてよくてさ。
身を預けてるから、ひとりで立ってなくていい。
そういう意味でどこまでいっても子どものお仕置き。
それがひとりのひととして正しいことかはともかくも、そんなふうに甘えたいって感情は、胸の中に深く強く、確かにある。
そんなふうに甘えさせてくれて。
それだけじゃなくて、そういうキーさんをカーさんが肯定してくれる、それが「お尻叩き」って方法で叱るってことで。
うんうん、セクシャルなだけじゃないわけですな(笑)。
カーさんって優しいなあ(>_<)!
ま、何だかんだと言ったところで管理人もセクシャルな「好き」を再認識したようです。
前回との関連はほとんどないエッセイになっちゃいましたが、でも、やっぱり、お尻叩きはいいですよね(^^ゞ。
2008.8.25 up