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気が付くと夕闇が迫っていた。太陽神はその姿をナイルに半分以上沈め、もう間もなく夜がやってくる。
いつまでも此処には居られない。門も閉まるし、どこか行くあてを考えなければ。
セチとセフォラの申し出は断ってしまったし、帰るにはおそらくナイルへ行かなければならない。
だが夜の市中は危険だ。ひとまず夜を過ごさなければ。部屋へ戻って荷物を纏めよう。
「其処に居るのは誰ですか?」
「落ち着いた初老の女性の声。
「・・・・・ナフテラ?・・・・・お帰りなさい。」
「何をしているのです?ファラオの夕餉の支度があるでしょう?」
「暇を出されたの。私もう自由なのよ。何処へでも行けるの。」
「・・・そうですか。では私が言うことは何もありませんが・・・・・それなら何故嬉しそうな顔ではないのですか?」
「いきなりだから吃驚しているだけ。もう出て行かなければ。今まで有り難うございました。」
「お待ちなさい。今からひとりで外へ出るのは危険です。出て行くのなら明日でも良いでしょう。
幸い私は早めに戻ってきただけで今日は非番です。私の部屋にいらっしゃい。」
女官長の部屋に招かれるのはこれが初めてだった。こざっぱりと整えられ、大きくは無いが居心地の良い部屋に通され、
手ずから入れてもらった香草茶を受け取って、キャロルはほっと溜息を付いた。
「こんなことを聞くのは失礼ですが、何が有ったのですか?お暇を頂く前のファラオのご様子がいつもと少々違ったように思えたので
少し早めに戻ってきたのです。」
生々しいことは言いたくなかった。
「分かりません・・・ただ、ファラオは私との契約書を破って・・・セチとセフォラを解放されました。そして,、私達は自由になったのだから
好きなところへ行けと・・・・・」
「・・・・・そうですか・・・・・それであんなことを・・・・・・」
「あんなことって?」
「あの二人について調べさせていたのですよ・・・・ファラオは本当に貴女のことを愛しておられるのですね・・・・」
「でももういいのでしょう?飽きたら出て行けって、そういう約束だったんですから。」
「ではなぜ嬉しそうではないのです?このごろ貴女はあまり元気が無いように見えていたのですよ。
ファラオ・・・メンフィス様に威勢よく逆らっていた貴女とは思えないくらいです。」
「・・・・・」
「・・・おそらくメンフィス様はメンフィス様なりに貴女のことを思いやったのでしょう・・・・貴女を愛しているが故に貴女を大空へ放そうと。
手元から放ち、笑顔を取り戻させようと・・・飽きたのではありません。貴女を諦めようとなさったのです。」
「えっ・・・」
「私に休みを取らせたのも、私が貴女と会って泣かないようにとです。ですから・・・」
女官長は涙ぐんでいた。
「私からも最後にお願いしますよ。メンフィス様に最後に笑顔を見せてあげてください。あの方はこれから先、ファラオとして王妃を娶り
子を成していかねばなりません。二度と心から愛する女性を持つことは無いでしょう・・・」
「これで最後って・・・・そう言う意味だったの・・・」
「さあ、私は戻った挨拶をファラオに申し上げてきます。ゆっくりしていらっしゃい。」
女官長は涙を拭いて部屋を出てゆき、キャロルは冷えてしまった香草茶をぼんやりと眺めた。
・・・・・どうして良いのか、どうしたいのか分からない。・・・・・でも、明日出て行く前に、お礼を言わなければ。
あの時は驚いてただ黙ったまま、逞しい肩が遠ざかっていくのを見つめていることしか出来なかった。
ほんの暫くでも留まる理由が出来たことにほっとしている自分が可笑しかった。
戻ってきた女官長はこれからのあてを聞いてくれた。
何処へ行くのか、生活する術は持っているのか、身よりは有るのか・・・・・
だが少女は心此処に非ずな様子でぼんやりしている。
「ナイルへ行けば何とかなるのではないかなどと・・・・・それでは漠然としすぎています。もう少し落ち着いて考えなさい。」
「ええ・・・・・とりあえず、明日メンフィスにお礼は言わなければ・・・吃驚して何も言えなかったから・・・」
「・・・・・そうですね・・・市中で暮らすにしてもある程度の貯えは必要ですし、いきなりは無理でしょう。ファラオから頂いた装身具を
売るにしても・・・・・貴女は一切受け取りませんでしたからね。」
「そうね・・・・・必要など無いって・・・・・あんな人から一切何も受け取らないって思っていたから・・・」
「では私からお願いしていくらか頂いてきましょう。」
「・・・・・ええ・・・・・」
女官長は溜息を付いた。
「本当に心此処に非ずですね。今夜はもうお休みなさい。」
「はい・・・・この長椅子を貸してください。此処で十分です。それから・・・」
「なんですか?」
少女が青い瞳を上げた。
あの・・・侍女として働かせて貰う訳には行きませんか?下働きでも?私はファラオから暇を頂いた身ですし・・・何もせず物を頂くのは・・・・
きちんと働かなければ。」
「貴女らしいですね・・・・・・いいでしょう。人手は必要ですし、出て行くにしても生活の術と貯えは必要です。
そうとなったら明日は早いですよ。もうお休みなさい。」
「はい・・・・・」
一旦横になったが眠ることが出来なかった。ぼんやりと今までの事が繰り返される。
メンフィスと出合った時のこと、セチが捕らえられ屈辱を堪えながら褥に侍ったこと、熱烈な愛の言葉。
逞しい腕、真っ直ぐ見つめてくる黒い瞳、柔らかい笑顔・・・・・
いけない。私はメンフィスなど愛していない。嫌っているのだ。
だったら何故直ぐ出て行かなかった?
それは、生活のあてが無かっただけだ。
家族の元へ帰りたいのではなかったの?
勿論帰りたい。でも帰り方が分からない。
本当はメンフィスの側に居たいのではない?
「違うわ。」
思わず声を上げ、慌てて口を押さえる。女官長が眠っているのに邪魔をしてはいけない。
隣の部屋を伺うが、どうやら邪魔せずに済んだようだ。溜息を漏らし、部屋を出る。
眠れない。庭を一回りしてこよう。
虫の音が響く中庭に下りると、降るような星がキャロルを迎えた。
闇の中に壮大な宮城がそびえている。その中でひときわ明るい一角が此処だ。女官長はいつでもファラオの側近くに居られる様に
ファラオの宮に部屋を頂いている。
自分が元居た部屋も直ぐ側だった。
それならファラオのお部屋はあのあたりね・・・・・
もう夕食は済んだのかしら。今夜は誰と過ごすのかしら。
ふいに胸が痛んだ。
ああ。もうどうでも良いこと。終わったこと。もう戻ろう。明日は早い。
そう思いながら、キャロルはその場へ立ち尽くしていた。
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