括る日まで 1




 いつから、なんて覚えていない。ただ、気がついたときにはあの人のことが好きだった。
 あの人とは、テニス部の先輩、河村隆のことだ。
 河村は自分より年上で、背も高くて、何より同性。その思いに気づいたときには、正直パニックだった。
 河村は女でも、100歩譲って女と見間違うような美少年でもなかった。鎧のような硬い筋肉で覆われた体には、やわらかな胸や華奢な手足を望むべくもない。顔だって、童顔だけれど、眉が濃く顎のしっかりとした男の顔だ。どうして好きになったのか自分でも分からなかった。

 同じ部活の先輩で、かわいがってもらっていたと思う。
 ダブルスを組んだこともあった。年下の桃城のリードに、素直についてきてくれる。桃と組むと楽しいよ、と言われて有頂天になった。
 お互いの特訓につきあった。山籠もりをしたときには、迎えにきてくれた。
 何気ない会話が楽しかった。裏のない笑顔に心が安らいだ。
 ラケットを手にしていないときは人一倍気弱な河村が、見た目よりも繊細なことを桃城は知っている。肩を落としているときには、慰めてやりたくなった。
 ひどく生々しい夢を見た翌朝、洗面所でこっそりと下着を洗った。


 高校へ進学して、かねてから宣言していたとおり、河村はテニスをやめた。
 実家の寿司屋を継ぐため、板前の修行に専念したいのだという。テニス部の仲間、特に中学の3年間をともにしてきた先輩たちは、皆引きとめたが、彼の決心は変わらなかった。
 夏の大会が終わると、3年生は部活を引退する。  春に1年生が入部してくるまで、1年で最も部活の人数が寂しい時期だ。秋口、桃城が1人で部室にいると、河村がふらりと戸口に姿を見せた。
「これ、良かったら使って」
 差し出されたのは、ボールやグリップテープ、雑多なテニス用品の詰まったダンボール箱だった。
 部活には入らなくても、趣味でテニスをやる機会はあるかもしれない。
 そう考えて、河村の申し出を一度は拒んだ桃城だったが、
「もうやらないよ」
 きっぱりと言われてしまった。
「俺、一度に2つのこと、できないんだ」
 そう言って照れたように笑った。
 引退すると、もうこれまでのように部室は使えない。一度は家に持ち帰ったテニスの道具を、後輩にあげる、というかたちで捨てるのは、河村なりのテニスとの決別、けじめのつけ方なのだと思う。
 後悔も未練もない。もう二度とここには戻らない。部室を出ていくときの、ぴんと伸びた背筋がそう語っていた。
 桃城は、河村の真っ直ぐな気性が好きだった。真っ直ぐで、不器用なところに、憧れと、同時に守ってやりたいような気持ち。好きだ、と強く思って、重症だな、と肩を落とす。
 河村から渡された箱の中は、丁寧に使われていたことが一目で分かるような、道具たちでいっぱいだった。彼が一体、どんな思いでテニスをやめることを決めたのか。桃城には想像もつかなかった。ただ、それが容易な選択でなかったことだけは分かる。同じコートに立ったことがあるだけに、それだけは痛いほどに感じられた。
 河村の去って、がらんとしたような部室、イニシャルの書かれたボールの1つを手に取り、桃城はため息をついた。


 それから1年。河村から遅れること1年、桃城も高校生になった。
 青春学園は私立のエスカレーター式である。進学した先の高等部で、桃城は当然のように河村に再会した。
 河村がテニスをやめたことで、部活という接点はなくなってしまったけれど、同じ学校に通っていれば、顔を合わす機会だって少なからずある。河村は校内で桃城を見かけると、よく声をかけてくれた。時には昼休みの購買や学食で行き会って、昼食をともにすることもあった。


 会えない1年で、きっとこの思いは消えるだろう。ちょうど1年前、河村の卒業式で、桃城はそんなことを考えていた。
 テニスコートの入り口に並んで、2人の写真を撮ってもらった。現像された写真の中の、河村の笑顔を見ながら、きっと思い出になるんだろう、と思っていた。


 河村の卒業から1年、中等部の最上級生となった桃城は、今まで以上に部活に打ち込んだ。
 同じ学年の連中も、もちろん後輩たちも、精一杯やっていたけれど、「最強」と謳われた学年が、ごっそりと抜けた穴はやはり大きかった。
 部員たちをまとめていく立場の難しさを知るたび、桃城は、手塚部長や大石副部長のことを思い出した。昨年の先輩たちが、何かあるたびに、大和元部長のことを言っていたように。。
 あの2人だったら、どうしただろう。あの2人だったら、こうしたはずだ。桃城は、同じく青学テニス部の管理職となった海堂と、よく話し合った。犬猿の仲と言われる2人だったけれど、こと部の運営については、いがみ合ってばかりもいられなかった。
 そうして、部活を終えて、竜崎先生への報告を終えて、帰り道、1人自転車を走らせながら、桃城はいつも河村のことを考える。薄暗い空にあの笑顔を浮かべて、河村の家の方へ、タイヤが自然に向きかけることも多かった。
「いけねえ!」
 その日も桃城は、すんでのところでペダルを漕ぎ出す足を止めた。自分の両頬をパチンと叩く。中学2年の全国大会、河村と桃城がダブルスを組んだ六角戦。対戦相手だった六角中の黒羽が、相方の天根に叩かせたときのように思い切りよく。
 そういえば、あの2人も、学年が1つ違った。天根は黒羽と同じ学校に進学できるのだろうか。
 見上げれば、いつのまにか星のまたたき出した空に、かき消そうとしてもかき消そうとしても河村の顔が浮かんだ。実物よりも幾分か線の細い河村が、桃、とちょっと困ったように笑う。
「いっけねえって!」
 六角のダジャレ大臣の顔を、その上からシールみたいにペタッと貼りつけた。がんばれよ天根、と声に出す。自転車のペダルを思い切り漕いで、桃城は家路を急いだ。腹減ったなあ、なんてわざとらしく呟きながら。
 そんな風にして、1年は過ぎていった。


 会えない1年で、きっと河村への恋は思い出になる。
 中学2年生の桃城は、河村の卒業式でそう思った。
 この1年で、タカさんのこと忘れなきゃ。
 中学3年生の桃城は、そう思ってがんばった。


 それなのに。


「久しぶり」
 高等部の入学式。ニコニコと眉尻を下げて笑う河村の姿を見たら、1年前の予想も、1年間の努力も、あっさりとひっくり返ってしまった。
「タカさん……」
「元気だった?」
 河村は講堂の入り口で、新入生の胸にリボンを留める役をしていた。同じ一団の中に大石の姿も見えたので、クラス委員ですか?と聞くと、とんでもないと手を振った。
「俺は助っ人」
 昨年度3学期のクラス委員が中心となっている入学式の手伝いに、人手が足りないからと駆り出されたのだという。
「タカさんらしいっすね」
 人から頼まれると嫌とは言えない彼だ。「入学おめでとう」と書かれたピンク色のリボンを安全ピンで桃城の胸に留めながら、上半身をかがめた河村は、背が伸びたね、と桃城の顔を見上げる。エクスクラメーションマーク。そのときの桃城の心中を無理やり表せば、そうなるだろう。
 すなわち、「!」
「どうしたの?桃」
「顔が真っ赤だぞ」
 桃城の後ろに並んでいたのは、中等部から顔見知りの生徒だった。
 桃城の鼓動は、さっき、河村に覗き込まれたときから激しくなっていた。それはもう、周りに聞こえてしまうんじゃないかと不安になるくらいに。
「どうしたんだ?」
「な、何でもないです!」
 心配そうにこちらを見る、河村の声に胸が高鳴る。1年前と同じ、いや、それ以上だった。
「顔洗ってきます!」
「桃!」
 部活の先輩後輩という枠が外れたことで、一個人としての河村に、向き合わざるをえなくなったからだろう。控えめな笑顔も、相手を気遣う優しい声も、何もかもがたまらなかった。
 勢いよく蛇口を捻った水道に頭を突っ込み、桃城はギリリと奥歯を噛みしめた。
 1年のブランクを経てなお、この恋は終わらなかった。桃城は自覚した。
 桃と呼ばれるたび、タカさんと呼ぶたび、あなたが好きだ、と叫び出したいような思いに駆られる。まるで、全身が心臓になってしまったように。早鐘のような鼓動を鳴らす胸の上で、河村の留めたピンクのリボンがひらひらと風に揺れていた。





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 OVA2巻、比嘉中戦D2の、《歯痒いよなぁ 歯痒いぜ》で始まる波動球特訓の回想シーンを見ていたら、頭が桃タカで煮えてしまいました。桃ちゃんは、腹を括ったら強いんでしょうけれど、それまでは、ジタジタと、それはもうグダグダと悩んだらいい。
 そういえば、恋の相手が同性、でストップがかかりそうなのって、青学レギュラーでは、2年生2人くらいでしょうか。大石もかな。この話、おそらく最後に桃タカがくっついたりは…しないと思います。多分。まだ自分の中でも決めていませんが。次あたりで亜久津が登場しそうです。





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