DOOR 3


「何をしてもいい」

 そのとき、亜久津はその男にそう言った。
 突き飛ばされ、よろける。
 河村を抱きとめた男の手は、小指のうち1本の第一関節より上が欠損していた。
 亜久津に引きずられるようにして、自分が「そういう世界」に足を踏み入れかけていることを河村は悟る。


「お前、しばらく店休め」

 亜久津が会社をやめ、新しい仕事を始めて数日後、彼は突然言った。
 ここでの店とは、寿司屋のことである。
 命じた、が正しいかもしれない。
 河村が是とも非とも答えないうちに、亜久津は寿司屋の大将に電話をかけていた。
 大将には、亜久津との正確な関係をもちろん打ち明けていない。
 けれど、何度か店に来たことがあるので、亜久津が河村の幼なじみで、2人が同居していることは彼も知っていた。


 河村が出先で事故に遭った。
 命に別状はないが、今はこちらに帰ってこられない。
 今から自分が行って、状況を確かめたらまた連絡する。
 申し訳ないが、しばらく仕事を休ませてほしい。
 本人が心配させるのは嫌だと言うから、実家には知らせないでやってくれ。


 河村は、呆然としてしまった。
 亜久津が嘘をつくところを見たのは、長いつきあいの中でも初めてだった。
 彼がこんなにもスラスラと嘘のつける人間だなんて、河村は知らなかったのだ。


 呆然としているうちに、いつのまにかやってきたタクシーに乗せられた。
 連れて行かれたのは、見知らぬ高層マンションである。
 土地勘のない場所で、河村には都内の高級マンションだということくらいしか分からなかった。
 呼び鈴を押すと、現れたのは黒々とした髪をオールバックに撫でつけた背の高い男だった。
 河村を見て、酷薄そうな薄い唇に三日月のような笑みを浮かべる。

「何をしてもいい。殺しさえしなければ」

 亜久津はその男に、確かにそう言った。





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