コンモドゥス帝 

〜筋肉とエロに生きた、その熱き漢(おとこ)の生涯〜

ギボン『ローマ帝国衰亡史』第4章より

コンモドゥス帝


その7

筋肉と男らしさに対する、月元の考え



ちょっと脱線しますが・・・・・・・。

男らしさって何でしょうかね・・・・・。と、ここ数年、考えてるわけですが・・・本当のところ、どうなんでしょう。

このコンモドゥス帝の筋肉の描写を読んでて、ヘミングウェイとサン=テグジュペリが頭に浮かんできたんです。どちらも行動文学者として有名ですよね。サン=テグジュペリは「星の王子様」でも有名です。

男らしさというと、ケンカが強いとか筋肉とか、すぐそういったのが頭に浮かぶけど、それは間違っていると思うんですよ。そういった見せかけのマッチョって、所詮は見せかけだけで終わるような気がしてならないんです。

ヘミングウェイも、コンモドゥス帝みたいに、猛獣狩りはやってるんです。それを主題に、小説も書いてるんですが、読んだ印象としては、「いいトシの大人が、バッカじゃないの」というものでした。わざわざ、ジャングル奥地まで、鉄砲かついでいって、何をやってんだか・・・・みたいな。

ヘミングウェイの行動文学の、男らしさの追及とかって、なんか、猛獣狩りだけでなく、本質的には何の意味もない馬鹿馬鹿しい遊びばっかりなんです。それも、大のオトナがムキになってやる類の。 そうした遊びを通して、ヘミングウェイは叫んでいるのです。 「俺は、男らしい男だ!!」と。

それと比べて、サン=テグジュペリはもっさりしていて、筋肉でもないし、 「俺は、男らしい男だ!!」 とも叫んでないわけです。ですが、この人の方が、よっぽど男らしいですよ。

郵便物を届けるために、死ぬ危険を冒してでも飛行機で飛んでいく様子や、現地の盗賊団に捕らえられた仲間を救い出すため、必死で交渉に臨んだり、「僕は死なない」と、砂漠から200キロも歩いて生還したりといろいろやってるわけですが、それもこれも、仲間のため、仕事のため、大事な人のためだったりするわけです。

仕事とか、周りの人の幸せのために、一生懸命に頑張るのが、本当の男らしさだと、自分は思うんですよ。筋肉だとは、あまり関係ないような気がします。

図らずも、この二人の人生の締めくくりが、男らしさの問題の答えだったりするわけです。 ヘミングウェイは、戦場では傍観者でした。最後は自殺してしまいました。 サン=テグジュペリは、戦場では、戦士として戦いました。そして戦士として死にました。

■その6


■その8


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