コンモドゥス帝
〜筋肉とエロに生きた、その熱き漢(おとこ)の生涯〜 ギボン『ローマ帝国衰亡史』第4章より |
その5 最後のチャンスを逃したコンモドゥス帝・・・・・ギボン先生「エロがすごすぎて、どんな物か紹介できないんだ」 考えてみると、このクレアンデルが死んだときが、コンモドゥス帝が正道にかえる、最後のチャンスだったのですよ。ギボン先生も、こう書いてます。 そこは賢帝マルクス帝の子息、このときならまだ人民の愛と信頼とを回復することも、決して不可能ではなかったはずである。 そう、これまでの暴政を、ペレンニスとクレアンデルのせいということで、無かったことにして、この先頑張って、善政に努めれば良かったんです。でも、そうはなりませんでした。 国政の手綱を挙げて無能の寵臣たちに委ねる一方、彼の頭にあった帝権とは、ただ荒淫に耽る無限の自由ということ以外の何物でもなかった。彼の日々は、全属州から集めたあらゆる階層の美女300人、および同じく300人の美童とを擁して後宮内で過ごすこと、ただそれだけだったのだ。 コンモドゥス帝は、国政に無気力なニートと化します。そして、ひたすら、エロにふける日々です。もうダメですねこの人・・・・・。 ギボン先生、こう書いておられる。 自然の抑制も人倫の節度も無視したこれら荒淫破倫の光景については、古来多くの史家が詳しく書き遺しているが、いまそれらあまりにも写実的な描写を、今日の良俗的言語に直して紹介することは困難であろう。 だ、そうな。凝った名文ですよねえ。簡単に言えば、 エロがすごすぎて、どんな物か、読者に紹介できない。 ということです。こう書かれると、もう気になって気になって、しょうがないんですが、そこが、ギボン先生の手の内なんですよ。 まったくぅ・・ギボン先生ったらぁ・・・エッチなんだからぁ・・・ |
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