コンモドゥス帝
〜筋肉とエロに生きた、その熱き漢(おとこ)の生涯〜 ギボン『ローマ帝国衰亡史』第4章より |
その2 コンモドゥス帝の、ワルな少年時代 で、コンモドゥス帝は、少年時代からワルだったみたいです。 だが、その点は父マルクス帝も深く懸念していたし、また助力を求められて集まった学徳有識の教育顧問たちも、少年コンモドゥスの偏狭な心を開き、募る悪徳を矯正し、やがて受けるはずの帝位に対して、十分ふさわしい人物たらしめるよう、あらゆる手を打っていたはずだった。 というわけで、教育の力でワルを直そうとします。 ギボン先生は、現代の教育の大前提を覆すような大暴言を、このあと言っちゃいます。 だが、もともと教育の力とは、最初からすでにそんな教育などほとんど不用というほどの立派な人間なら知らず、そうでもなければ、大体まず効果なしというのが普通である。 教育じゃあワルは直らないよ!!! というか、教育なんかそもそもムダだ!!! ということです。この論からいけば、今日も明日もアサッテも、教師の皆様は日々、ムダな努力をしていくことになりますが、実際のところ、どうなんでしょう。 実際、教育の効果はなく、マルクス帝が、帝権を与えてしまった関係もあって、コンモドゥス帝は 果たしてこの血気向こう見ずの若者は、理性の拘束も権威の掣肘もきかぬほど、手のつけられぬ増上慢へと成長していったのだった。 ・・・・・というわけで、コンモドゥス帝に限っていえば、教育ではワルは直りませんでした。 父マルクス帝は、コンモドゥス帝が19歳の時に没します。マルクス帝が、もうちょっと長生きしてくれれば良かったんですが・・・・・。 それでコンモドゥス帝は、19歳で、ローマ皇帝に即位します。 |
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