砂漠のふたり

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 目の前に置かれたコーヒーはすっかり冷め、湯気も消えた。遠野はカップを手に、「どうして言ってくれなかったんですか」と先程の問いかけを繰り返す。
「知ってれば、もっとこう、ちゃんとお祝いしたのに」
「もう誕生日だなんだという歳でもないからな」
 マキセさんは苦笑する。
 でも、と遠野は食い下がる。「誕生日に、歳は関係ないでしょう」
「……そうか。なら、祝ってくれるか? 遠野」
 かちり、とマキセさんはライターの火をつける。遠野はマキセさんではなく、その火をじっと見つめながら「もちろんです」と応えた。顔を見てしまったら、赤面してしまうと分かっていた。
「とは言っても、大したことなんて出来ないですけど……あ、何か欲しいものとか食べたいものとかありますか?」
「いや、飲みに付き合ってくれるか?」
 ああ、未成年か。とマキセさんは紫煙を燻らせる。「夕飯でも付き合ってくれ」
「いいですよ」
「じゃあ、うちに来るか」
「……え?」
 遠野は相槌を打とうとして、固まる。
「俺の家は、ここからそう遠くない」
 「はあ」遠野は慎重に頷いた。ふたりで食事はともかく、飲み、は初めて逢った日のことを思い出してしまうからだ。
 別にもう、あの日のことをどうこう思っているわけではないのだが、つい構えてしまう。――その様子に気づいたのか、マキセさんはぐるりと首を廻らせるように、遠野の顔を覗き込んだ。
「嫌か」
「え、あ。いえ」
 別に、嫌じゃない。と思う。遠野はぐちゃぐちゃになりそうな頭の中身に困ってしまう。嫌ではない。嫌ではないことが、困ってしまう――遠野は「えっと」と視線を迷わせる。
 マキセさんは苦笑しながら煙草を捻り消した。「何もしない」
「え――」
「嫌か」
 再び訊かれて、遠野は馬鹿みたいに開けっぱなしになっていた口を閉じた。深く黒い瞳が、ゆるりと遠野を映している。
 何と、言ったら。遠野は知らず喉を鳴らし、嫌じゃないことを伝えたくて強く首を振った。
 マキセさんは「そうか」と今まで見たことのない表情で言った。
 その顔を前に、遠野はまたカップを倒してしまった。




 マキセさんは、最近になって引っ越したと言う。だが元住んでいたところとそう変わらないところに引っ越したために、現最寄り駅は今までの最寄り駅の隣駅で、定期の関係もあるので変えずに利用しているのだと帰路で遠野は教えられた。
 何故そんな近くで引越しをしたのか遠野は疑問に思ったが、失恋に関わることなのではと気づいて訊ねはしなかった。
 あの喫茶店からはタクシーで二十分弱ほど。
 辿りついたマキセさんの部屋は、遠野の想像と大きくかけ離れていた。
「な、」
「何だ。悪いがスリッパならないぞ」
「いや、そうじゃなくて」
 遠野はぐるりと部屋を見回す。部屋は、なかなか広い。ひとりよりも、ふたりくらいで住むのがちょうどよさそうな、部屋だ。
 だだっ広い。遠野は思った。
「何でこんなに物がないの」
 遠野は本当に不思議に思い、マキセさんの顔を覗き込む。
 片付いている、というのではない。ただ本当に物がないのだ。テレビもテーブルもない。キッチンにはワンドアの冷蔵庫と電子レンジが辛うじてあるが、リビングにはソファがぽつんとあるのみだ。
「必要がないからだろう」
 マキセさんはどうでもよさそうに、言う。遠野は納得がいかない。
「必要ないって……テレビなくてつまんなくない? ニュースとか困らない?」
「テレビは疲れる。必要があるなら、新聞を読む」
 マキセさんは部屋の隅を示した。確かに、新聞が少々重ねられている。
「ごはんは?」
「基本的に家では食べない」
「冷蔵庫、開けても?」
 マキセさんが頷くやいなや、遠野は冷蔵庫を開けた。中には缶ビール数本と、ミネラルウォーターのペットボトル、牛乳パックがひとつずつ。
「ついでだ、ビール出してくれ」
 マキセさんは上着を脱ぎ、襟元を緩めた。遠野はビールをふたつ出し、少し迷って床に置く。
 そして購入してきた惣菜を広げ、ふたりは箸を割った。


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09.08.29


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