砂漠のふたり

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 園内のフードコートは空いていた。雨なのが幸いだった――と思うべきなのか否か。遠野は食事の乗ったトレーを手に、先に席に着いたマキセさんを探す。やはり黒いスーツは目立つ。すぐに見つかった。
 大きなガラス窓からは、まだしとしとと降り続く雨が見える。本当に、雨でよかったのかもしれない。遠野は思う。あの黒いスーツに革靴という、動きにくいだろうマキセさんとハードなアトラクションに乗ることが想像できそうになかった。それに、また周りの目も気になってしまうだろう。
「どうも」
 するりと席に座り、遠野が会釈する。マキセさんは頷き、自分のトレー上のバーガーを手に取った。
 似合わないな、と思いながら遠野は自分もバーガーにかじりつく。マキセさんとハンバーガーという組み合わせはちぐはぐで、どこかおかしい。これはマキセさんの問題ではなく、雰囲気のせいなのだろう。
「楽しいか?」
 「えっ」黙々と食べいていたはずのマキセさんから問われ、遠野はバンズを喉に詰まらせた。咳き込み、慌ててコーラを啜る。「えっと、はい」
 明らかに無理やりではあったが、遠野は笑みを浮かべて見せた。マキセさんは何も言わず、備え付けのペーパーナプキンを差し出す。遠野は赤面しつつ礼を述べ、口を拭った。
 けれど、実際遠野は楽しんでいた。室内アトラクションは子供向けのものばかりだ。小さな汽車、動物の形をした乗り物、ゴーカート。アトラクションひとつひとつの前でマキセさんは立ち止まり、それらを眺めた。遠野も自然とそれに倣った。何か気になるものがあるかと訊ねられたが、遠野は首を振った。それよりもこうして、マキセさんと歩いていたかった。毎日電車で見かけていたマキセさんが隣にいる、というのは新鮮だし、不思議だった。楽しいというよりも、面白いというべきなのだろうか。
 遠野は饒舌ではないし、マキセさんも寡黙だ。それでもこの時間のなかで、遠野はマキセさんの諸々のこと――仕事や年齢、住所など――を知ることができた。
「マキセさんは、やっぱりここに、来たことがあるんですね」
 不快にさせるかとも思ったが、どうしても知りたくて遠野は朝と同じ質問を――確認を繰り返した。しかしマキセさんは怒ったふうでもなく、珈琲に口をつけた。
「何故そう思う?」
「懐かしそうな顔してるし、迷うようなそぶりがなかったから」
「そうか」
 マキセさんは、明確な返事はしなかった。けれど、否定でない応えに遠野はやっぱりとひとり確信した。「――彼女と?」
 何故こんなに知りたくなってしまうのだろう。遠野は自分の感情を持て余す。別にマキセさんを怒らせたいわけでも、傷つけたいわけでも、ない。――ただ、知りたかった。
 マキセさんは珈琲の入っていた紙コップをトレーに戻した。遠野が恐る恐る顔色を窺うと、ふと笑みを漏らす。すっと遠野のトレーを見下ろし、そこに何もないのを確認すると自分の分と一緒に手に取り立ち上がった。「出ようか」
 マキセさんは傘を広げ、さっさと外へと出ていく。遠野は不快にさせてしまったかと唇を噛んだ。余計な事を聞いてしまった。
 しょんぼりとマキセさんの後ろに続くと、マキセさんはぴたりとある場所で足を止めた。噴水の前。雨のなかでも、水がさあさあと噴き上げている。
「彼女じゃない」
 ぽつん、と前置きなくマキセさんが言った。雨が傘に当たる音や噴水の音に、かき消されてしまいそうなくらいの小さな声だった。それでも、本人そのままの、ぴんと張り詰めたような声はきちんと遠野まで届いた。
「片想い?」
「いや、恋人だった」
 相手がどう思っていたかは知らないがとマキセさんは自嘲するように笑む。疲れが滲んだような、寂しげな微笑だった。
「――俺は女性を愛せない」
「……それは、」
「相手は男だ」
 一瞬言葉を詰まらせた遠野に、マキセさんはゆるく首を振った。「気持ち悪いか」
「いえ」
 遠野は咄嗟に応えた。言いながら、混乱する自分に気づく。相手が、男。同性愛者ということ。
 納得する部分もある。あの夜のことは、異性愛者ならば嫌がらせにしても同性相手にはできないだろう。
 気持ち悪いとは思わなかった。それは本当だった。
「あ――相手、も?」
 職場の上司と結婚すると、言っていた。遠野はマキセさんを見上げる。どうしてか、自分が泣きそうになっていると分かった。何に痛みを覚えるのか。そんな関わりもないのに。
「さあ。あいつは、自分がそうだとは認めていなかったみたいだった」
 あいつ。そうマキセさんが口にしただけで、遠野は背中がぶわっと毛羽立ったような感覚に襲われた。
 マキセさんは噴水をじっと眺めている。ここも、その相手との思い出がある場所なのだろうか。マキセさんの目が、何かを惜しむように思い返すように細まる。
 あの、と遠野は口籠る。何を言っても、今のマキセさんには響かないような気がした。マキセさんには痛みがある。堅く覆われたなかにある、やわらかなところにできた傷は治っても引き攣れて疼き、きっといつまでもマキセさんを捕らえている。――嫌だな、と遠野は思った。そんなのは、嫌だ。
「――あの、」
 マキセさんが振り返る。雨のなか、その姿が滲む。
「どうして、話してくれたんですか。あんなに、嫌がっていたのに」
 しつこく訊いたのは自分のほうだけれどと、遠野は目を伏せる。マキセさんは、何故かなと言葉を噛みしめるように呟く。
「遠野だったらいいと思ったんだ」
「どうして」
 何故だろうな。そう呟くマキセさんはどこか楽しげだった。表情や声音が変わったわけではない。それでも雰囲気が柔らかくなったのが、遠野にも分かった。少しだけ、距離が近づいたように。
「お前が、俺の痛みを自分のもののように扱うからだ」
 マキセさんの片手が、遠野の頬を撫でた。雨のせいかひやりと冷たい。吸いつくように、触れた。
 スーツの袖に雨が降りてくる。濡れますよ、と遠野は言おうとして言えなかった。息を吸うことも吐くこともできずに、その存在の重みを感じた。
 どれくらいの時間そうしていたのか。やがてマキセさんが「帰ろうか」と静かに言った。


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2009.08.26


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