sweet eleven

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14


 久しぶりだね。と斉藤は笑った。
「夏過ぎてからあんまり一緒の機会ってなかったし」
 斉藤は髪を下ろしていた。髪の毛先が月光でつるつると光っている。
 見慣れないな、と名取は思った。
「変な顔してるね」
「そうですか?」
「うん」
 そうかも知れない。名取は思う。変な感じがする、
 夏頃、もう少しで好きになると思った彼女と、今の彼女は違う。恐らく、自分もどこか――変わってしまっているのだろう。
 名取はぼう、と斉藤を見つめた。彼女はひとつ、何かを悟ったような大人びた笑みで「なに」と問うた。
「先輩は樋村のことが好きなんですか?」
 問いかけに、彼女はふふ、と柔らかく唇の端を上げる。「そっか」
「そっか、って?」
 名取が首を傾げると、斉藤はゆるゆると首を振る。「ううん」
「ううん、ごめん、何でもないの。樋村くんとは別れたよ」
「そうだったんですか」
 驚いたような、知っていたような、不思議な感覚を覚えながら名取は頷いた。
「期末の前だよ。だから……結構前になるね。知らなかった?」
「知りませんでした」
 最後に樋村と話したのは、もっと前になるのだろう。
『もう振り回したりしないから』
 あの言葉の意味を、名取は問い返したりはしなかった。分かっていた、こうなることくらい。
 樋村はまた名取のことを避けだした。分かりやすいくらいだったが、倉田や山代はそのことについてもう触れなかった。
 ちょうど試験に追われた頃であったというのもあるし、名取がぴりぴりしていたことも理由のひとつだろう。
 ――分かっていたのだ。
 樋村は勝手だ。樋村が、どんな気持ちで自分との断絶を口にしそれを覆す行動をし、そして、その全てを吐露したのか。それが分かっても、名取の心には、樋村が勝手だということしか結局、残りはしなかった。
 それはきっと、『忘れてくれ』の一言に集約するのだろう。
『俺は晴太の友達になりたいわけじゃない』
 だから、近づくな、と樋村は言った。
 全てが全て、樋村の言葉は一方的だった。名取がどう感じ、どう思うのか思っているのか。そんなことはどうでもいいのだ、彼は。
「怒っているみたいだね」
 斉藤は、ふわりと名取の頬に触れた。
 名取は驚いて目を見開いたが、その指がすぐに離れていくのを静かに見つめる。
「怒っています」
「すごく?」
「すごく」
 自分が馬鹿みたいだと名取は思う。樋村は近くにいても、離れても、結局名取を振り回しているのだ。
 本人が気づいていないだけで。
「樋村くんは、本当に臆病だよねえ……付き合ってみて、よく分かったよ」
「最低で勝手です」
「まあ、逃げちゃう気持ちは分かるけどね」
「分かるんですか?」
 名取の問いかけに、斉藤は淡く笑った。「誰だって怖いでしょう。好きな人に否定されることはさ」
「だからってこんなふうに振り回して逃げるなんて、卑怯だ」
 思わず本音が零れ出て、名取は慌てて口を押さえた。こんなふうにと言ったって、斉藤は何も知らないだろうに。
 けれど斉藤はゆるりと笑う。
「そうかな?」
「え……?」
 斉藤が何を言いたいのか分からず、名取は困惑して視線を揺らした。それでも斉藤は問いを重ねる。
「晴太くん、私のこと、卑怯だって思う? 振り回して勝手だって」
「え、いいえ、別に……」
 斉藤は微笑んだままだったが、唇の端が引き攣れたのを、名取は見逃さなかった。
 こういうときこそ鈍ければよかった。彼女の痛みに触れてしまったのを感じて、名取はそんなことを思う。
「樋村くんも、私もね、多分晴太くんにしたことは変わらないんだよ」
 斉藤は笑みを崩さない。だから余計に痛々しかった。
 名取は無性に謝りたかった。しかしそれが彼女を傷つけることくらいは、名取にも分かっていた。
「樋村くんには振り回されて、私には振り回されなかった。振り回されるのは、晴太くんの勝手なのかも知れないよ?」
 斉藤の目が、優しく名取を促す。強いひとだと思った。
 それでもこのひとを、名取は選べない。
「俺は、」
 俺は。名取は顔を片手で覆った。ずっと、本当はずっと考えていた。
「俺は、あいつのことが好きなんです……」
 形になった言葉は、自分のなかから出てきたとは思えないほど、重く響いた。
 あんな勝手で臆病な男の、何処が好きなのか。何故好きなのか。――名取にも上手く説明できない。
 樋村がいないと、どうしても地に足が着かなかった。どこにいるのか、どうしているのか、あの濃茶の髪を探し続けている。
 馬鹿だと思う。自分も、樋村も。
 彼の本心をどれだけ聞いたって、ふたり、向かい合ったりはしなかった。
 でも、もう名取は認めてしまいたかった。
 ――樋村がいないことが、自分には、こんなにも哀しい。
「そうだね」
 斉藤は微笑む。「今の晴太くんは、好きな人が、いるんだね」
「ずっとね、晴太くんは何か我慢するような顔をしてたよ。それが何なのかなあって私は知りたかった。樋村くんと付き合うようになって、それが何だったのか――私は分かったような気がする」
「俺は、我慢してることにも気づきませんでした」
「そっか」
 深く、震える息を吐き出す。
 斉藤は足を止めた。「私のことはここまででいいよ」
「晴太くん」
 さあ急いで。斉藤は名取の背中を押す。さあ、急いで行っておいでと。
「樋村くんを、つかまえなくちゃね」
 名取は深く息を吐くと、「ありがとうございます」と斉藤に頭を下げ、夜道を走り出した。


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2008.08.24


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