sweet eleven

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15


 樋村の家までの道のりを、名取は――名取の身体は良く覚えていた。
 名取は、樋村の家に行ったのは数えるほどだ。樋村の家庭は共働きで、遊ぶのはもっぱら公園か、もしくは名取の家だった。
 それでも覚えている。駅から十分走り続けて辿りついた家は、まだ電気が点いていない。
 久々に思い切り走ったせいで息が切れている。一応、と名取はインターホンを鳴らし門扉の前にしゃがみこんだ。
 喉が痛い。息は途切れがちで、空気の冷たさのせいか白かった。
 帰っていないのだろうか。深く息を吐きながら、名取は二階の窓を見上げる――あそこが、樋村の部屋だった。今も変わっていないだろうか。樋村の家に遊びに行くと、あそこから彼はよく顔を覗かせていた。覚えている。
 ああ、と名取は知らず笑ってしまう。悔しいことに、こんなにも覚えている。樋村に関する細々としたこと。本当は、忘れてしまえと幼心に頑なに思ったのに。
 早く帰って来い。名取は思う。切実に、伝えたくてたまらなかった。自分の中にある感情を余すところなく、ぶつけてしまいたい。気持ちが胸の中から零れて、溢れてくる。
「晴太!?」
 がらりと見上げていた窓が開き、樋村が顔を見せた。
 いたのか、と名取が思うよりも早く樋村の頭が引っ込む。あちこちの灯りが点き始める。階段、廊下、玄関。名取はほっとして、その扉が開くのを見ていた。
「どうしたの、晴太……」
 樋村は酷く情けない顔をしていた。眉尻が下がっている。その顔を見ていると、ずっと溜まり溜まっていたものが、身体の底のほうから浮き上がってくるのを名取は感じた。
「は、晴太……?!」
 ぼろぼろと涙が零れた。悔しいのか苦しいのか。目の前の男に腹が立って仕方がなかった。
「お前は、勝手だよ」
 唐突だとは分かっていた。こんなことを言い出す自分も、十分勝手だと分かっていた。
 樋村は、ただ名取を強制しなかっただけだ。
 樋村は眉尻を下げたまま、ごめん。と言った。名取の頬に伸ばしかけた手を、ゆっくりと下ろしていく。
「ごめん、分かってる」
「お前が、言ったんだ。俺のことが好きだって」
「うん、」
 名取は中途半端に放っておかれた樋村の手を握り締める。強く。
「本当に? からかってるんじゃないのか。嘘じゃないのか。俺を――」
 俺を振り回して、楽しいのか。名取は小さく震えた。怒りのためか、悲しみのためか。それは自分でも分からない。
 震えは止まらず、瞼が引きつった。涙が酷く熱い。
「晴太、俺は、」
「どうして逃げる、どうすれば、お前は満足するんだよ」
「違う、晴太」
「何が違うっていうんだよ!」
 感情はぐしゃぐしゃと胸の辺りを回りまわって、頭へと駆け上る。興奮で、息が切れる。
「お前が俺を避けた。俺が、漸くお前と距離を置くことに慣れたら、今度はお前が寄ってきた。好きだっていう。好きだっていいながら、また俺を避ける。何がしたい。どうしたい。俺は――」
 俺は。何が言いたいんだ。名取は自分で自分をコントロールできない。
 混乱だ。
 身体は自分を裏切って、勝手に泣き、勝手に怒鳴る。名取の理性など、これっぽっちも構わずに。
「俺は、お前が好きだよ……」
 好きだ、と言われてからずっと考えていた。
 それこそ知恵熱がでそうなくらいに。頭がぱんぱんに膨らんで、破裂してしまいそうなくらいに。
 本当は認めたくなかった。振り回されて振り回されて。いいように扱われるなんて我慢ならない。
 ふざけた事を抜かすなお前なんか大嫌いだもう顔も見たくない。そう言ってしまえばいい。そうすれば、きっと二度と振り回されずに済むのだから。
「勝手だ……っ」
 振り回されて振り回されて。
 自分は泣いてばかりいるようだ。名取は思う。悔しい。
 いつだかも、こうやって泣いた。樋村を詰りながら、泣いた。樋村がいなくても、どうしようもなくて、泣いた。
 分からなくて泣いた。分かりたくて、泣いた。
 ――分かりたかった。
「ごめんね、晴太……」
「悪いと思ってないだろう、お前……だから誠意がないように聞こえるんだ」
「思ってるよ」
 樋村は繋いだままの手の甲で、するりと名取の頬を撫でた。乾いた肌が涙を浚う。
 心地よさよりも、治まらない苛立ちが勝り、名取は手を振り払う。
「思ってる……」
 振り払っても振り払っても、樋村はまた名取の涙を拭い、抱きすくめた。名取の頬に唇を落とし、「でも、」と呟く。
「勘違いしないで欲しい。晴太の思う感情は、きっと俺のものとは別物だよ」
「……なに、が」
「俺が、晴太を好きだって言うのは、キスしたいとか触れたいとか――」
「わ、かってるよ」
 涙で声がつっかえる。名取の掠れた声に、樋村は切なそうに顔を歪めた。「本当に?」
「本当に? 俺が晴太に感じてるのは、好意なんて優しいものじゃない。欲望なんだよ」
「何が違う……っ」
「違う。全然、違う。俺は、きっと晴太に優しく出来ない。晴太を、好きだって思うのに、俺は晴太をぐちゃぐちゃにしたいと思ってる。酷く――」
 名取は、樋村が泣くんじゃないかと思った。泣いているのは自分なのに、樋村が泣くのを堪えるように眉尻をきゅっと上げるのを不思議に思った。
「酷く、傷つけてやりたい、なんて、思う」
 樋村は、ぐっと名取を抱き締める。顔が樋村の胸に当たり、名取は顔が見れないことを不満に思った。
 腕の力が強い。本当に、泣いているのではないだろうか。――泣いているのだろう。勝手な男だから。
 馬鹿だな。
 名取は樋村の背中に手を回す。
「馬鹿だ、お前」
 言ってやる。本当は呆れているのに、自分の声が甘くて名取は驚いた。泣いたせいだろうかと思ったが、違うだろう。
「はる――」
「お前が俺を傷つけるなんて、今更だ。何年、付き合ったと思ってる。何年、俺を振り回した。――それでも、」
 それでもさ。名取は言う。
「それでも、俺は、お前が好きだって言ってるんだよ」
 樋村の身体が震える。触れ合っているから、名取にも良く分かった。
 「好きだ」震える身体に言う。何度でも、言ってやりたいと思った。信じられないというのなら、百万回でも言ってやる、そんな気持ちだった。「好きだよ」
 眦から、ひと粒、ふた粒と涙がほろほろと零れた。何故だかは分からない。けれど、先程までとは確実に違い、悲しいからでも悔しいから流れているのではない。樋村に好きだと伝えるほど、伝えたいと思うほど、流れ落ちていくようだった。
「はるた」
 掠れた声は、身体と同じで震えていた。ゆっくりと身体を離す樋村の顔を、名取は黙って見上げる。
 暗くても、月明かりでその目元がふっくらと赤いのが分かった。名取は知らず微笑む。
「晴太、ありがとう……」
「それだけか?」
 不満げに名取が唇を尖らせると、樋村も漸く唇を緩める。
「好きだよ」
 ああ。名取は頷く。俺もだよ、と何度も言ったけれど、また伝えたくて言う。何度でも伝えたかったし伝えて欲しかった。
 近くにいる。名取は、今、漸くそう感じられた。今までの、どんなときよりもそばにいる。
 樋村の唇が、涙の残滓を拭うように目じりに触れる。それから額と額が触れ合い、視線が絡まる。気恥ずかしくてでも嬉しくて、ふたり、はにかんでしまう。
 樋村の腕が背中に回り、名取はそうするのが自然だというように瞼を下ろした。――次の瞬間、距離はゼロになった。


end
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2008.08.24

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