sweet eleven

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10


 校門をひとりでくぐりながら、名取はひそかに嘆息した。あの唐突の告白から約一週間、名取は樋村と話をしていない。
 毎朝のように声をかけていたくせに、現れない。どうやら遅刻ぎりぎりの電車に切り替えたことを、名取は三日目にして知った。
 用もないのに休み時間にちょくちょく教室に顔を見せたりもしていたが、それもなくなった。倉田や山代は、何かあったのかと一度だけ訊いてきたが、名取は応えられなかった。自分でも、何故避けられているのかはっきり分からないからだ。
 ――避けられている。
 ぼんやりと考えながら、名取は下駄箱に靴をしまう。そうか。今、自分は樋村に避けられているのか。
 何故、と思う。決まりが悪いのか。それとも、何かを恐れているのか。
 週明けに、改札を抜けたとき、樋村が現れなかったことは少なからず名取を安堵させた。何を言ったらいいのか、正直分からなかったからだ。
 告白は唐突で、説明不足に過ぎた。
 好きだと、樋村は言った。しかし名取は、なら、何故、という思いが消えなかった。
 関係を断絶しておいて、今更何故そんなことを言い出すのか。
 しかし、問いかけを口にすることはなかった。樋村は名取を放した後、「ごめん」と言った。その謝罪の意味が分からずにやっぱり「何が」と訊ねたが、樋村は応えず、それきり口を開かなかった。あからさまな拒否を示されて、名取もつられて黙り込んだ。地元の駅で一言「じゃあ」と交し合って、別れた。最後まで樋村は名取の目を見ず、どうしてか、名取は焦燥に駆られた。それでも、何も言わずに離れていく樋村の背を見送るだけだった。
 樋村のことを、本当に勝手だと、名取は思う。けれどひとのことを言えないかも知れない、とこのときばかりは名取は反省した。
「おっはよ名取! 今日もひとりか」
「ああ、倉田」
 おはよう、と応えながら名取は頷く。
 倉田は横に並び、名取の顔を覗き込む。それからがりがりと頭をかくと「あのさ」と実に言いにくそうに切り出してきた。
「最近、何かあったのか?」
 大雑把な訊き方に、名取は曖昧に笑う。あった、といえばあったし、ない、といえば、ない。
 いや、本当は何もないのだ。樋村が、名取を避けている。それはつまり、なかったことにしたい。そういうことなのだろう。
 勝手なもんだ。名取は思う。
「なんかさー最近暗いし、名取」
「暗いか?」
「つーかなんか元気ないよな」
 そうだろうか。名取は自分の頬をこする。元気がない、というよりもどちらかといえば腹を立てているつもりだった。
 しかし倉田に元気がない、と言われてしまったところを鑑みると、本当にそんな顔をしていたのかも知れない。倉田のほうが、よっぽど元気がないだろうに。
「樋村と喧嘩した、とか?」
「いや」
 喧嘩にもならない。名取は自嘲気味に笑う。
「そっか。俺はまたあいつが何か、今度こそ名取を怒らせたのかと……」
「今度こそって何だよ」
「んー。名取は鈍いから知らないかもだけど」
 「鈍いって言うな」名取は倉田の脛を蹴っ飛ばす。倉田は悲鳴を上げて飛び跳ねた。
「鈍いって! 斉藤先輩のこととか!」
「斉藤先輩が何だって言うんだよ」
「そこだよ……」
 深々と倉田は溜息を吐いた。名取は何だか分からず、首を傾げる。「そこ?」
「樋村の彼女って、今――斉藤先輩もそうだけど、前カノもさぁ、名取のこと好きっぽかったし」
「はぁ?」
 名取の呆れた声に、倉田は憮然と「本当だって」と返す。
「樋村ってコロコロ彼女が入れ替わるから、俺も全員把握してるわけじゃねーよ。でもたまに、同じクラスの女子とか、知ってる女子とかだったりすると、何かちょっと名取に気のある感じの女子だったりするわけ」
「勘違いじゃないのか? 俺そんなに女子にもてないし」
 自慢ではないが、名取は女の子に告白されたことなど一度もない。少しいい雰囲気になった女子も、気づけば疎遠になっている。
 しかし、そのことで名取はどうこう思うことはなかった。可愛いな、と思う女子がいてもそれきりだ。告白したいとか親しくなりたいとか、そういった感情を持ち合わせた覚えがない。そこまで考えて、名取はふっと、それはいつからだっただろうか。と思った。
 昔はそれなりに好きな女子だっていたし、そのことで同級生と馬鹿話もした。まだ、小学生だった。
 あの頃好きだった女子の名前は何だったか。どんな顔をしていたか。性格は。名取はもう思い出せないけれど。
「いや、結構もててるって。何だっけ……無口で実は結構優しいよねとか何とか。あと顔」
「無口? 優しい?」
「俺の意見じゃねーよ。三国とかが言ってた」
 倉田は自分の隣の席の女子の名前を挙げた。
「吊り目だから怒ってるように見えるけど、重い荷物持ってくれたり優しくてギャップが云々……」
「……知らなかった」
 怒っているように見える、というのは名取にも自覚がある。釣り目な上にあまり表情が動かないのがいけないらしい。
 もっと笑ったら。そんなふうに、樋村は言った。もっと笑ったら、可愛いのに。
 全くもって余計な世話だと切り捨てたが。
「その辺が鈍感だっていう……蹴るなよ!」
 うっかり鈍感と口にしたためか、飛び跳ねるように倉田が避難する。蹴らない、と呆れて嘆息し、名取は教室に入った。
 倉田も怯えた様子で名取を睨みつつその後に続き、「だからさ」と話を続ける。
「つまり、樋村はなんか、名取に……」
「……俺に、なに?」
「何だろ。最初は嫌がらせなのかなーって思ってたけど、違う感じもするし」
 倉田は小難しい顔をして唸った。
 名取は机の鞄を下ろす。山代が近寄ってきて、唸り続けている倉田の頭を叩く。朝の挨拶だ。
 いつも通りだ。いつも通り。
 そうだ、こうやって、樋村がいなくたって自分の日常は進んでいく。樋村がいないことの違和感は少しだけ残るけれど、それが名取の生活に支障をきたすかといえば、そんなことはない。変わらない。
 ――知っていたじゃないか。それくらいのことは。
 高校に入って、樋村がまるで友人のように、仲が元通りになったように声をかけてきたとき、名取はどうしても信じられなかった。信じるものかと思ったし、今も、信じていないつもりだった。
 だが、絆されてしまっていたのだろうか。
 こうやって、また、樋村のことを考えている。振り回されている、そう思う。
 名取は窓の外を見た。――また、樋村は名取を避け続けるのだろうか。もう一緒にいたくないと、まるで子供みたいに。
 けれど、もう、お互いに小学生ではない。
 名取はあの、濃い茶髪の髪を探す。
 始業の時間はまだ遠い。それでも、名取は窓の外を睨み続けた。


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2008.08.24


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