次の電車は、すぐに来た。しかし乗り込む気にもならずに、名取はその電車が行ってしまうのをぼう、と見送った。
その横に座ったまま、樋村は微動だにしない。
変に苛立つ。名取は小さく舌打ちした。
「何してんの、ほんとに」
勢いよく背もたれに寄りかかれば、ベンチはぎし、と揺れた。
樋村はしばらく何も応えなかったが、応えようがないのか、迷っている雰囲気が伝わってくる。名取はそれでもそちらを向こうとはせず、首を反らせてホームの明かりを見つめた。
「……晴太が、いるとは思わなかった」
「は?」
「あの電車に」
「ああ」
苛立ち、とも違う。妙にささくれ立つ気持ちを、名取は自分で持て余してしまう。
「俺もお前が乗ってくるとは思ってなかったよ。でも、だから何だよ。別にデートの邪魔もしてないだろうが。何で降りて、こんなとこに座ってんだよ」
責める調子になってしまったが、先輩はいいのかとは名取は口にはしなかった。気にしていない、と思いたかった。
「晴太がいるのに、降りるのを見て気づいて……何だろ、つい、降りた」
「ついって……」
「晴太こそ、何で降りたの。具合でも悪い?」
冷やりとした手が名取の額を滑る。びく、と名取は身体を強張らせた。「なっ」
「別に熱とか、ないよね」
「ねぇよ!」
いきなり何をするのかと怒鳴るように否定すると、樋村の顔は、いつものからかいを帯びた笑みを浮かべている。
その笑い方に急に怒りが込み上げ、拳を握り締めた。そうしなければ、すぐ近くにあるこの顔を殴ってしまいそうだ。
「……お前、そんなに俺を振り回して楽しいのかよ」
「振り回す?」
少し跳ね上がった声で、樋村が訊き返す。真正面から視線がかち合って、名取はぐっと顎を引いた。
色素の薄い、樋村の瞳をじっと名取は睨む。そのせいか、樋村のほうが、先に視線を逸らした。「自分勝手だっていう自覚はあるんだけど」
「晴太を振り回したいわけじゃ、ないよ」
「嘘つくなよ」
「嘘じゃない」
樋村は勢いあまったかのように名取の手を引く。振り解こうとしたが、強い力にそうできず、名取は顔を顰める。
「嘘じゃないよ。晴太」
誠意がない。そう吐き捨ててしまいたい。でも実際は、樋村の口調は真剣そのもので、だからこそ名取は悔しさに泣きたい気持ちになる。
「……じゃあ、何なんだよ。訳がわかんねぇよ……」
ぐ、と取られた手を急に引かれた。バランスを崩して、名取は樋村の胸に倒れこんでしまう。
「なっ、何して」
「ごめん」
名取は急いで身体を離そうとしたが、逆に背中に手を回されて身動きが取れない。耳元にかかる声に、名取は身体をびくりと揺らした。
「ごめんね、晴太」
「……なんで」
振り払ってしまえばいい。手も、身体も。突き放して、ふざけるなと怒鳴りつけてしまいたい。
なのに、そうできない。
「なんで、謝る……」
「勝手だって、分かってるから。晴太を振り回したいわけじゃないのは、本当だけど、晴太が振り回されてるっていうのが……俺は、多分、嬉しい」
背中に回った手が、強く名取の身体を引き寄せた。身動ぎさえ許されないその強さに、名取は息を詰める。
「樋村」
自分の鼓動がやけに速いことに気づく。樋村の髪が頬に触れて、急に血が頬に集まってくるのが分かる。
「樋村、離せ」
「嫌だ」
ますます力が強くなり、名取は焦る。「樋村!」
「好きなんだ」
囁かれた言葉が信じられず、名取は樋村の顔を見ようとする。しかし、叶わず額に樋村の髪が触れただけだった。
「好きなんだ、晴太」
電車がホームに滑り込んでくる。誰かにこの姿を見られたら、ということは頭に過ぎりもしなかった。
息が浅くて、いやに胸が上下した。
目眩がする、名取は額を樋村の肩に押し付けた。
Copyright(c) 2008 NEIKO.N all rights reserved.