sweet eleven

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 名取は苦悩に満ちながら、新しく渡された缶のプルトップを引く。ぷしり、といい音がした。
「で? で? 名取がときめいた女の子って誰?」
 本気で泣くんじゃないだろうかと思っていた倉田は、やたらと元気になり先程からこの問いかけを飽かずに繰り返している。その度に「別に」「違う」「そういうんじゃない」を延々と名取は繰り返したが、全く聞く耳を持たない様子だ。
「じゃあ、さっきのあれは?」
 山代がにやにやと問いかける。やっぱり新しく開けた缶を片手で振っている。こういうときの山代はタチが悪い。苛立ちを隠さず、名取は尖った声を出す。「さっきのって?」
「『どきどきする』って、アレ」
 「あれは、だから、別に――」何と説明したらいいものか分からず、名取は視線を彷徨わせた。「倉田がどきどきするっていう話をしてんのを聞いて、ちょっと繰り返しただけだろ」
「その割りにちょっと動揺してない? 名取」
「してない」
 倉田が首を傾げるのを、名取はぴしゃりと切り捨てる。山代のタチの悪さと倉田のしつこさの前に、いやに疲労を感じた。
 別に、動揺などはしていない。名取は自分に言い聞かせるように思う。
 どきどきするとかときめくとか。そういった感情とは、名取はここ最近は本当に無縁だと自分で知っている。――そこまで考えて、ふと、でもあの茶の髪が日に透ける瞬間はどきどきしていることを思い返してしまう。
 違う。名取はこっそりと唇を噛んだ。あれは――あいつは、関係がない。
「まあ、でもさあ。実際名取はどうなわけ? 付き合ってる女子とかいない――よな? 好きな女子とかいないの?」
「別にいないな」
「斉藤先輩は?」
 倉田の口から唐突に出てきた名前に、名取は面食らう。「斉藤先輩?」誰だかすぐには思い出せず、数秒してから頷いた。
「それは樋村の彼女だろ」
 名取は憮然と缶に力を込めた。今は樋村の名前など口にしたくなかったのだが、気づけばぽろりと零れていた。
「そうだけど……でも、前、お前と良い雰囲気だったじゃん。俺、てっきり付き合い始めてんだと思ってた」
 夏頃か。名取は嘆息する。確かに彼女と、結構親しくなった覚えはあった。
 夏休みの部活帰り、暗くなったからと何度か家まで送ったこともある。長い髪をひとつにまとめており、時折覗くうなじが涼しそうで印象に残った。試合のとき鋭く発せられるものとは違い、普段の彼女の声はクラスメイトの女子と変わらずに、甘く可愛らしかった。
『晴太くんは、好きな人、いるの?』
 帰り道で、ぽつりと彼女は聞いた。いつもより張り詰めた声に、名取は手に汗をかいた。
 『いない』ぶっきらぼうに名取は答えた。敬語を忘れていた、と気づいたのは帰ってからだ。
『いないの? そっかあ』
 いないのかあ。ふわり、と浮き上がるように彼女の声が弾み、名取は何故だか照れ臭かった。だからまたぶっきらぼうに『先輩は』と問い返した。
『うん? あたし? あたしはねぇ……』
 いるよ。とも、いないよ。とも答えずに、彼女は淡く微笑った。
 あのとき、名取は、確かに彼女に惹かれていた。よく知らない年上のひと。よく知らないのに、ぐいぐいと何かしらの引力が、名取の意識を引っ張り込んでしまっていた。
 あと一歩で、きっと好きになってしまっただろう。今は冷静に、そんなことさえ思える。
 自分は薄情な人間だなと、名取は自分で自分に呆れてしまう。そこまで惹かれておきながらも、もう一目見ただけで彼女の名前を思い出せずにいるなんて。
「どきどきしなかったのか? 先輩には?」
 倉田はしつこく訊ねてくる。山代のほうを見れば、にやにやと話の流れをおっているだけだ。
 名取は全く、と嘆息する。
「したよ」
 彼女の、涼やかさや可愛らしさは、確かに魅力的だった。けれど、名取が惹かれたのは、また別のところだ。
 名取を強く強く惹きつけたのは、彼女の、名取を見つめる目だった。
 あの強く何かを求める瞳を、名取は知っていた。知っていたけれど、思い出せない。いや、思い出せなかったのだ、あのときは。
 今なら、思い出せる。分かる。――あの目は、彼と同じだ。

『俺と彼女はおんなじなんだよね』

 名取の胸が、どくりと鳴った。


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2008.08.24


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