「振られちった」
さらり、と倉田は言い、缶の中身を煽った。中身は烏龍茶。こんなときくらい酒が飲みたいよなあとぼやく倉田こそが、下戸のためだ。
「だからこの飲み会なわけね……」
「振られたって例の彼女に？ こないだ誕生日デートとかしてなかったっけか」
土曜日の朝から倉田の部屋に呼び出された名取と山代は、やっぱり烏龍茶の缶を開けた。それからコンビニで買ってきた菓子類を、袋から引っ張り出し始める。
「そぉだよー全然前ぶりなしよ？ いきなり『好きな人が出来ちゃった。別れて』だって」
やってられん。と烏龍茶をがぶがぶ煽る倉田を前に、名取は山代と顔を見合わせた。
倉田は、彼女と付き合って三年になると言っていた。仲の良さは、話を聞くだけでこちらが赤面するくらいで、携帯の待ち受けがツーショット写メになっていたりした。
「それで倉田納得したのか？」
「するわけないだろ。……でもさー『もう一緒にいてもどきどきしないんだよね』とか言われちゃうとね……」
「言われたのか」
「言われたよーキッツいよマジで。俺はまだ彼女と一緒にいてもどきどきするし、好きなんだけど、どーすりゃいいのよって感じで」
どきどきする。倉田が何気なく発しただろう言葉は、不意に名取の胸を突いた。くい、と缶を傾ける。
「どきどき、か……」
思い出したくもないのに、樋村の顔を思い出す。『勝手だ』と吐き捨てた日の翌朝は、相変わらず名取の傍にやってきたけれど、妙に元気がなかった。小さな声で『昨日はごめんね』と言ったが、名取はあえて聞こえないふりをした。
だから勝手だと言うのに。名取は知らず溜息を吐く。
「なに。名取もなんかあった？」
山代がポテトチップスの袋を破り、名取に勧めてくる。手を伸ばしながら、「別に」と名取は返した。
「そんだけ暗い顔しといて別にもないだろ。吐け吐け」
畳に手をつき、倉田が下から覗き込んでくる。名取は顎を逸らした。
「烏龍茶で酔うなよ倉田」
「酔いたくもなる」
倉田は天井を仰ぎ見、そのまま仰向けに倒れた。本格的に落ち込んでいることが分かり、名取は倉田の頭をぽすぽすと軽く叩く。すると倉田は体を丸めた。
「くそー慰められると泣きたくなるぜ」
わざとらしく言っているものの、本気泣きそうな響きを感じ取り、名取と山代はもう一度顔を見合わせ、しばらく何も言わなかった。
静かな部屋に、すん、と鼻を啜る音が時折する。胡坐をかいたままベッドに寄りかかり、名取は窓の外を見た。風が強いのか、雲が青い空を流れていく。それを眺め始めて五分もしないうちに、もぞもぞと倉田が身じろぐ。
「ごめ、ちっと何か話してくんない？ こう、全然関係ないこと」
「これはお前を慰める会。じゃなかったか？」
丸まったままの倉田に、山代は容赦がない。倉田は「そうだけどよぅ」と溜息混じりに呟く。
「わりぃ。俺正直ここまで凹んでると思ってなかったんだわ。慰めてもらうにはまだぐっちゃぐちゃで駄目だ。整理がつかなくて本気で泣き喚きそう」
「あっそ」山代は相槌を打ちながら缶を潰す。素っ気無いのに冷たく聞こえないのが不思議だと、名取はひっそりと思った。
「じゃあ全然関係ないところで、名取だな」
「は？ 俺？」
いきなり山代に振り向かれ、名取はぎょっとして缶を取り落としかける。その缶を山代は奪い取り、勝手に一気に煽ってしまった。
「溜息吐いて暗い顔してただろ。何かあったんじゃねぇの？」
「だから何もないって」
「いや、それだけじゃなくて、『どきどきする』とか何とか呟いてんのも聞いたぞ、俺は」
「山代……全然関係ない話をしようってことじゃなかったか、今は」
「え、でも俺も聞きたい」
急に丸まっていた倉田が起き出す。驚いてそちらを見やると、先程まで泣いていたとは思えない、妙にきらきらとした目で倉田が名取を見つめている。
「どきどきするってなに？ 俺、名取からその手の話って聞いたことない」
「待て。山代だってしないだろ、そういう話」
何故だか話が予期しない方向に転がり始め、名取は慌てる。山代に話を振ろうとするものの、「いやいや」と何やらにやにやしている。いやな感じだ。
「俺の話は後でいくらでもしてやるよ。それより今は名取だよなあ？」
「うんうん」
倉田と山代に左右からじりじりと迫られ、どうしたものかと名取は嘆息する。山代の手の中で、空の缶がメキ、と音を立てた。
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