sweet eleven

back next contents



 電車で二十分、通過する駅は五駅ほど。
 朝はそんなに遠くも感じないのに、帰りはどうしてこうも一駅一駅を遠く感じるのか。名取は不思議だった。
 詰めていた息をそっと吐いて、視線を少しだけ上げる。途端に樋村と視線が合って、名取は少し慌てる。いつもより近い位置がストレスになっているのだろう。と唇を噛んだ。視線を逸らすに逸らせない。
「どうしたの」
「何が」
 樋村が少し上体を倒したのだろう、濃茶の髪がさら、と名取の目の前を流れた。どき。と心臓が胸を打った。
 どき。ってなんだどき。って。
 名取はひとりで自分に突っ込みを入れる。
 樋村の髪は、中学に入った頃に染められていた。教諭たちには勿論煩く言われていたが、彼の人柄のためかそれともそれなりに優秀な成績のためか、何だかんだで黒く染め直されることはなかった。
 名取はそのことを、普通にずるいなあと思うと同時に、安堵もしていた。その色は、何処にでもあるようで何処にもない。日に透けてきらきらする様子が、名取はひそかに好きだった。
「かお、赤い」
 耳の近くで囁かれると、何だか落ち着かない。名取は「暑いんだろ」と怒ったように返した。指摘されて、ますます顔に熱が集まった気がして、少し焦った。
「近い、お前」
「混んでるからね」
 仕方ないだろう。と言われてしまえば、名取には返す言葉もない。息を詰めては、小さく溜息を吐く。
「晴太と一緒に帰るのって、そういえば初めてだよね。高校入ってからは」
「そうだったっけ」
 落ち着かずに、あんまり考えずに晴太は返す。そうだよ。とにこにこと樋村が言うので、そうか。とまた返す。落ち着かない。
 あまりに落ち着かないので、視線を彷徨わせた。窓の外がもう暗いことに気づいて、何故だか名取はほっとする。
「そういえば、何で来るの遅かったんだ?」
「ああ。ちょっと先生から呼び出されて」
 呼び出し? 名取はまた視線を樋村に戻した。やっぱり近い。「何かやらかしたのか?」
「いやいや俺はいたって優等生です。……部活の勧誘を受けただけ」
「勧誘? 陸上部のか」
「そう。部員が少なくて困ってるんだって……晴太、俺が何やってたか覚えて……いや知ってたんだねえ」
 陸上部。という指摘に、樋村は珍しく本気で驚いているようだ。名取は何だか失敗した気分になる。
 中学の頃、樋村は陸上部だった。詳しいことは名取は知らない――知ろうとしなかったが、三年の大会では中々いい所まで行ったらしく、応援に行こうか。等と女子が騒いでいたのを知っている。ふざけた調子で樋村が応援に来て、と言っているところを見たこともある。
「何でそんな渋い顔するの」
「……別に、有名だったし」
 言葉にすると、やけに言い訳めいて聞こえてしまう。名取は落ち着かなさに拍車がかかり、早く着かないものかと八つ当たり気味に電車に腹を立てた。
「いや、別にそんな顔しなくても。分かってるよ」
「そんな顔?」
「――困ってる顔」
 する、と樋村の人差し指が名取の頬の触れるか触れないかくらいの距離を滑る。いきなり何をするのかと、名取は目を見開いた。口を開けたものの何も言葉にならず、結局力なく閉じる。
「分かってるんだ。本当に。晴太が俺に興味ないっていうのは」
「は? 何だよ。いきなり」
 いつもと違う、真剣な口調に名取は思わず顔を上げた。樋村は名取をちら、と見返すと、視線を外し、疲れた様子で息を吐いた。
「ちょっと何か……俺一人で空回ってるなあと時々実感してはやりきれなくなるんだよね」
「……お前は相変わらず俺と会話する気がないんだな」
「会話っていうのは、相手が自分に興味を持ってくれないと、しんどいんだよ」
 勝手な言い分だ。と名取は思った。あのとき、自分との関係を断ち切ったのは、樋村のほうだ。
 五年前のオレンジ色の教室。
『ごめん、晴太。俺、もう晴太と一緒にいたくない』
 何で。どうして。問い詰めても問い詰めても、返事はなかった。
 喧嘩にもならなかった。そのことが酷く悔しくて泣いて詰った。何か言えよ、と言っても樋村はごめん。と繰り返すだけだった。
 それから高校に入学するまで、絶縁状態が続いた。最初の頃こそ、名取は樋村に食い下がったが、樋村は決して理由を話さなかった。
 嫌われたのだろうか。だとしたら、何故。何かしただろうか。
 幼いながらに、名取は必死に考えた。思い当たる節は何もなかった。
 一方的な絶縁宣言の後は、樋村は名取が話しかけると、表情が固まりすぐにその場を去ってしまうようになった。強い拒否の前に途方に暮れ、名取はやがて樋村との仲を諦めていった。嫌われたと考えることも、その表情を目の当たりにすることも、耐え難くなったからだ。
 だからこそ、高校でにこやかに話しかけてくる樋村を理解することは出来ない。名取の態度はどうしても柔らかくはならなかった。なれるはずがなかった。
「晴太は、俺に興味がないだろう」
 何故そんな勝手なことが言えるんだ。そんなに、俺を引っ掻き回して楽しいのか。急に五年前の、悔しくて泣きたい気持ちを思い出す。
「お前は、勝手だ」
 名取は拳を握って睨みつける。樋村ははっと我に返った様子で、背筋を伸ばした。それからすぐに項垂れる。
「ごめん……」
「誠意がない」
 名取が吐き捨てると同時に、目的の駅に着いた。
 タイミングのよさに喜ぶ間も感じずに、名取は電車を飛び出した。


back next contents

2008.08.24


Copyright(c) 2008 NEIKO.N all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル