昼休み。がふ、とパンを齧りながら、名取は目を瞬かせた。「ん？」
反応の薄い名取に、斜め向かいで弁当を突付く倉田がじれったそうに「だーかーらー」と声を張り上げる。
「樋村の彼女！」
それが？ と名取が牛乳を啜りながら首を傾げる。倉田は「ああもう」と地団太を踏む。
「女子剣道部の先輩だろ、知ってるだろーが名取！」
「……あー。知ってる。かも」
牛乳パックを下ろしながら、名取は自信なく頷いた。朝は寝惚けていたから思い出せなかったものの、そう言えば夏頃は一緒に帰ったりもしたような。と思い出す。元々この高校で剣道部はそこまで熱心に活動していない。名取は剣道部に所属しているが、一年生にも関らず週二で顔を出せばいい方で、まだ顔を見ていない先輩だっているくらいだ。
「倉田……そういう話題は名取より俺のがまだ分かる」
名取の横で、山代が呆れたように呟く。倉田は、項垂れながら頷く。「まあなあ……」
「分かってるけどさ。でも斉藤先輩は……さー」
斉藤。そういえば、そういう名前だった。名取は思い出す。結構、夏頃は親しくなったはずだ。秋を過ぎて、また疎遠になったが、そのことに特に理由は思い当たらなかった。
「斉藤先輩が樋村と付き合ってると、何かあんの？」
また牛乳を啜り、名取は訊ねた。すると倉田も山代も、名取を見てから深々と溜息を吐いた。
「これだよ……」
「これだよって、何」
「斉藤先輩は、結構露骨に、お前に、なんつーかさあ」
「何」
「加代子ちゃんは露骨に晴太のこと好きだったよねえ」
後ろからの声に、名取はぎょっとして牛乳に咽た。「な、なん……げほっ」
「お、だいじょぶ晴太？ ティッシュ使う？」
差し出されたティッシュを一枚貰い、名取は口元を押さえる。「な、にしてんの、樋村」
樋村は名取の椅子に手をついて、体重をかけるようにしている。名取が樋村を仰ぎ見ると、彼はにっこりと笑った。
「英和忘れて借りに来たんだ。そしたら面白そうな話をしてたから混ぜてもらおうかとね」
「英和ねぇ」
不審げに倉田が弁当を突付く。樋村は「ん？」と首を傾けると「ああ、大丈夫。晴太に借りるから」とさらりと言う。
「いや俺は貸すつもりないからいいけど」
「あれ、そうなの」
樋村はわざとらしく驚いてみせた。俺も別に貸す気はない、と言おうかと名取は思ったが、言わなかった。
「で、加代子ちゃんって？」
「その話をしてただろ、さっき」
「斉藤先輩ね」
山代が樋村に向かって呆れた顔を見せる。「よくもまあコロコロ変わるよな」
「コロコロは変わってないよ」
心外だな、と樋村は笑う。
その笑顔を、嘘くさいと名取は思った。樋村はよく笑うけれど、綺麗に笑うので、まるではぐらかされているように感じる。何が、というわけではないのだけれど、本音を晒さないために笑っている。そんなふうに名取には見える。
「俺から見れば十分コロコロ変わってるけど。ほんとよく刺されないよ、お前」
なあ、と山代に同意を求められ、名取は曖昧に頷いた。正直、名取は樋村の彼女の変わり度合なんて知らないが、それでも短い間に変わっている、というのはよく聞く。なまじ樋村は顔が整っているので、男子からのやっかみもあり、噂には上りやすい。樋村がしょっちゅう絡みにくるためか、クラスの女子に、樋村君と仲いいの？ と訊ねられることも名取にはしょっちゅうだ。
それでも、樋村が別れ話で縺れた、揉めた、という話を、名取はまだ聞いたことがない。
「刺されるわけないだろ。別れても友達だし」
「一種の才能だよなあ」
羨んでいるのか、嘆息交じりに倉田は呟く。
「一種の才能っていうんなら、晴太のがすごいと思うけどね。俺は」
いきなり樋村に話を振られ、名取はまた咽そうになる。「は？」
「俺が何」
「その鈍感ぶりは一種の才能だと思うんだよね。俺」
鈍感ぶり？ 名取はむっとして樋村を睨みつけた。
「あんまり失礼だと辞書貸さないよ、樋村」
「褒めてるんだけどね……いや、ごめんごめん睨まないで晴太」
にこにこ笑いながら言われたところで、全然説得力がない。もう絶対貸すものかと名取は思ったが、するりと机からはみ出た辞書を樋村は取り上げた。
「おいコラ、勝手に持ってくなよ」
「もう昼休み終わるし。放課後には返しに来るから」
言うだけ言うと、樋村は教室を出て行った。何なんだ、と名取は眉根を寄せる。
「何しに来たんだあいつ」
「いや、辞書借りにでしょ」
倉田が当たり前のように突っ込む。その通りだったので、名取はますます機嫌を損ね、口をへの字に歪める。
「鈍感ぶりねえ」
言いえて妙だな。と山代がしみじみと呟く。名取はむかっ腹の立つままに、山代の脛を蹴っ飛ばした。
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