最近名取晴太は、不可解に思っていることがある。
四月に入学を果たした高校までの道のりは電車で二十分、徒歩十分。入学から半年も経った今でも、名取はこれがしんどくてならない。
電車はいい。通勤ラッシュで混んでいるとはいえ、ドア近くを確保してしまえば寄りかかっていればいいだけだ。
問題は徒歩である。朝があまり強くない晴太には、眩しい朝日に照らされて歩くのが、中々辛い。それだけではなく、改札を出た途端に、ぽん、と肩を叩かれるのが、また、面倒くさい。「おはよー晴太」
定期をポケットにしまったと同時に、やっぱり今朝も肩を叩かれた。樋村通だ。
茶髪に、ちょっと着崩した制服。そんな見た目とは裏腹に、彼は中々真面目に学校に通っている。小・中学校と同じ学校に通っていたよしみを勝手に感じてでもいるのか、樋村は毎朝名取を見つけては挨拶をしてくる。
「……よ」
名取は目も合わせずに、素っ気無く返した。別に朝だからというわけではなく、樋村に対しては、いつもこんな態度をとってしまう。仲がいいわけでもないのに、と思ってしまうからだ。ただ、ほんの少しだけ足を緩めた。視界を掠める濃い茶の髪が、日に透けてキラキラとして見える。
「晴太いつも眠そうだよね。五組はそんなに課題キツイ?」
「……べつに」
むす、と名取は返す。名取は元々釣りがちの目なので、放っておいても怒っているように見えてしまう。更に眠気が取れない朝は不機嫌にさえ見えるくらいだ。しかしどんなに愛想のない態度を取って見ても、樋村の笑顔に変化はない。どころか、曲がってるぞーと茶化すように背中を叩いたりもしてみせる。
このやたらと親しげな樋村が、名取にはイマイチ不可解なのだった。
中学の頃は、名取は樋村と親しくはなかった。三年間を通してクラスは違ったし、部活も違った。むしろ、樋村は意識的に名取と距離を取ろうとしているくらいだった。はっきり言ってしまえば、避けられていたのだ。分かりやすいほどに。
だから高校の入学式でいきなり声をかけられたときは、驚いたものだった。樋村が同じ高校に進学したことにも、声をかけてきたことにも、だ。
それ以来、何かといえばべたべたと近寄ってくる。まるで確執なんて何もなかったとばかりに振舞うので、名取はいつも苛立ち、何のつもりだと問い詰めてしまいたくなる。
でも、名取はそうはしなかった。
もう樋村に振り回されるのはうんざりだと思っていたからだ。
(離れたのはお前のくせに)
今でも時折、口を突いてしまいそうになる。
名取は溜息を噛み殺し、ひとりでもぺらぺらと喋り続ける樋村をちらりと見やった。
彼との付き合いは、もう十年目になる。小学校を入学してから、ということになるから、かなり長い。しかし長いだけだ。樋村が何を考えているのかは、名取にはまったく分からない。
何だかなあ。思いながら溜息を吐くと、「お」とまたからかいの材料を見つけたとばかりに樋村の声が弾んだ。しまった、と口を押さえる。
「何、何か悩み事?」
「別に、眠いだけだよ」
「そんなこと言って、また――」
樋村はへらっと笑ったが、先は続けなかった。数メートル先から、声がかかったからだ。
「おっと。じゃ、またな晴太」
するっと背を向けていってしまう樋村を、何となくもやっとしたまま名取は見送った。気づけばもう、校門まで来ていたらしい。
「樋村、また彼女変わったらしいな」
後ろからの声に、名取は振り返る。「倉田。遅いな。部活は?」
倉田――倉田康一は「ねぼう」と端的に応えながら、名取の横に並ぶ。先程まで樋村がいたのとは逆の位置。
「で、何? 彼女?」
「ん。ほら。あれ」
示した方向には、樋村と女子生徒の姿が見える。しかしそれだけでは、名取には良く分からない。「変わった?」
「変わっただろ」
そうだっけ。名取は首を傾げる。
正直、人の顔を覚えるのが、名取は得意ではなかった。異性であれば、背格好と髪型くらいしか見ていないことのほうが多い。
今樋村の横を歩いている女子生徒は、背は高めですらりとした体形にロング。前の彼女もそうであったとすれば、名取には判別はつかない。
と、いうか。
「よく見てんのな、倉田」
「……色々と、気づいてないのはお前だけだと思うんだけどな」
含みのある言いように、名取は首を傾げたがそれ以上は何も言わずに、ただ欠伸を噛み殺した。
Copyright(c) 2008 NEIKO.N all rights reserved.