触れる、触れない

back next contents



 暁人はぽん、とフライパンのなかでホットケーキを裏返した。
 綺麗な焼き色に満足して頷く。時刻も早すぎず、遅くもない。朝食にホットケーキというのは、少し面倒くさいし制服に甘い匂いがつくので進んでやりたくはないのだが、千隼が好むので時々作るようにしていた。
 階段を下りてくる足音に、暁人は振り返る。足音がするのは千歳だ。千隼は足音を立てない。
「おはよう千歳」
 昨日と同じように、ひょい、とダイニングの扉から顔を出す。千歳は少し目を瞬かせたあと、「ああ」と頷く。
「ああ、じゃないだろう。昨日もそうだけど、挨拶はきちんとする! ほら。おはよう」
「……おはよう」
 こういうところが千歳は素直だ。むすりとしながら、それでもきちんと言うことを聞く千歳を暁人は可愛く思う。
「ちょうど朝飯ができるところだ。ちょっと手伝って――」
「いや、俺もう学校行くから」
「え?」
 見れば千歳はすでに制服姿で鞄も携えている。暁人は思わず時計を確認してから、「早くないか」と問いかける。
「大体朝飯は? ごはんはしっかり食べろっていつも言ってるだろう」
「コンビニでパンでも買うし」
「不経済なこと言うなよ」
「人と会う約束してるんだよ。だから、もう行く」
 暁人は唇をへの字に曲げ、腕を組んだ。「千歳」
「ちゃんとこっちを見る。人と話をするときは相手の顔を見なさい」
 その言葉に、千歳は泳がせていた視線を一瞬だけ暁人に合わせた。しかし一瞬だ。またすぐに床に落ちてしまう。
 暁人は少しだけ迷い、口を開く。「なんか、変だ」
「千歳。お前、最近何かあったのか?」
「別に。何も」
「何もって何だ。家で飯は食わないし、帰りは遅いし」
 千歳はゆっくりと視線を上げた。睨みつけられて、暁人は口をつぐむ。「暁人には、関係ないだろ」
「親でもないし、家族でもないんだから」
 きっぱり言い捨てられて、暁人は眉尻を下げた。「そりゃあ、家族ってわけじゃあないが」
「それに似たもんだろう、ずっと一緒だったんだ。俺はお前のことを弟みたいに思ってるよ」
 千歳はぎゅっと眉間にしわを寄せた。「俺は思ってない」
「兄とか思ったことないし、そんなふうに思われたくもない――行ってきます」
「ちか、」
 呼び止めようとした暁人に、千歳は人差し指を突き付ける。「キッチン」
「え?」
「焦げくさい」
「え――あ!」
 フライパンを火にかけたままだ。慌ててコンロに走る暁人の耳に、再び「行ってきます」という千歳の声が聞こえた。同時に玄関のカギが開く音も。
 火を切りながら、逃げられた。と暁人は思う。幸いなことに被害はホットケーキの片面が炭のようになっただけで、フライパンやコンロには特に影響はないようだった。
 匂いがひどいので、窓を開ける。
 皿を出しながら、暁人は千歳の不自然さを思った。やっぱり反抗期とか、そういうものだろうか。千歳は意地っ張りで、前々から暁人に頭を撫でられたり、可愛いと言われると顔を真っ赤にして怒っていた。けれど、嫌がってはいなかったはずだ。暁人は千歳を甘やかしてばかりだが、心の機微には敏い――つもりだった。今となっては、少し自信がないのだけれど。
 深々と溜息を吐くと、ばさりと頭を叩かれた。音からして新聞だろう。
「朝から鬱陶しい」
「朝から相変わらず酷いな千隼。おはよう」
「おはよう。飯は」
「ちょうどできたところ」
 黒こげのホットケーキは避け、皿を差し出す。好物のはずだったが、千隼は少し冷たい視線を寄こした。
 暁人は思惑を見通されたことを悟り、肩を竦める。
「食べ物で人を釣るな」
「まあ、そんなつもりは……ちょっとあるけど」
 ホットケーキを前回作ったのは一週間前だ。二週間毎で作っていたので、気付かれても無理はない。
「千歳が食べ物で釣られていないんだから、いい加減他の方法を覚えたらどうなんだ」
「まあまあ、ともかく食べよう。遅れる」
 渋面の千隼を促して、暁人は食卓に着いた。
 千隼は鼻を鳴らして、フォークを手に行儀よくいつものように挨拶をした。食べ始めたのを確認して、暁人は口を開く。
「千歳の様子が最近変だ」
「昨日も一昨日もその前も聞いた気がするなそのセリフ」
 夕飯の時に、と付け加えた千隼に、暁人はゆっくりと頷く。
「うん。でも今日気づいたんだけど、もしかして俺は避けられてるのか?」
 かちゃ、とらしくなく耳障りな音を立てて千隼の食事の手が止まる。暁人が首を傾げる先で、千隼は低く唸った。「まさかとは思うがお前」
「今頃気づいたのか?」
「あ、やっぱりそうなのか」
 やっぱりと言いながら、暁人は胸の痛みを自覚する。そんなに鬱陶しかったのだろうか。
「でも、それを抜きにしたって、千歳の様子はおかしいだろう」
「そうか?」
 そらっとぼける千隼を、じっとりと睨みつけ、皿を取り上げる。
 千隼は一度手をとめ、暁人を憮然と見やる。それから嘆息して、「聞けばすぐにわかることなんだがな」と呟いた。どうやら教えてくれるようだ。暁人はほっとして、細い目をますます細めた。千隼は変に義理堅いので、こう仕向ければ何だかんだ言いつつも喋ってくれると知っている。千隼のこういった甘さが向けられるのは、幼馴染の特権のひとつだろう。
「千歳に訊いても応えてくれそうになかったけど」
「直接聞かなくても、他に方法があるだろう。知りたいだけなら」
 暁人は皿を戻しつつ、首を捻る。「遠まわしに聞くとか?」
「阿呆か。お前鈍いのも程々にしておけよ。他の人間も知っている噂くらい、耳に入れておけ」
 どうも酷いことを言われている気がする。暁人は顔を顰めた。学校では千隼と一緒にいることが多いせいか、変に遠巻きにされたり、やっかみを受けたりしている。千隼自身が、妙に華やかに目立つ存在であるせいで、暁人も学校生活をゆったりと送ることは難しかった。友人もいることはいるが、面白がることが好きなやつばかりで、簡単には教えてくれやしない。だからこそ、今の今まで暁人はその噂を知らなかったのだろう。
「何か、千歳に関する噂話があるのか」
 意外に思いながら、暁人は訊ねた。千隼の親戚のはずだが、学校での千歳の認知度は極めて低い。千隼が裏で手を回しているのかも知れないが――これはどう訊いても、教えてくれることはないだろうと暁人にも分かっていた。
「その辺は自分で調べるんだな。ごちそうさま」
 かちりとフォークが置かれる。「あ」と暁人は声を上げる。話はここで終了、という合図だ。
「とっとと食べ終わらないなら、先に行くからな」
 千隼が席を立つ。暁人はじりじりしながら、ホットケーキを頬張った。


back next contents

2010.06.14


Copyright(c) 2010 NEIKO.N all rights reserved.

-Powered by HTML DWARF-

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル