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   ディットル

シーアは、ディットルが刑吏と一緒にいるのを見て、こみ上げる笑いを飲み下した。
刑吏が罪状を読み上げているのに、当のディットルといえば、少しも注意を払わず、
シーアを見つけて、嬉しそうにひらひらと手を振る。
この憎めない同僚の騎士は、近衛一の美男で、女たらしで、たびたびアリスン監獄の
お世話になっていて、その回数をことあるごとに吹聴するのだ。
武芸大会が三日後に迫っていて、どこも忙しいのに、ディットルは相変わらず、と
愛嬌たっぷりに片目をつむった彼に、シーアは微笑した。

「ディットル、今度はいったいどこの伯爵夫人の名誉をかけて決闘したの?」
シーアは近づいて、軽口を叩く。
「んんー。ご婦人の名誉がかかっているから、たとえ陛下のご命令であっても
それは言えないな」
「はいはい。それで……、アリスン監獄に入るのは何回目?」
言って、二人で吹き出す。聞かなくても、近衛なら皆知っている。二十三回目である。
「夕方には戻れそう?」
「あ、シーア、その件なんだが、内治部に行って、釈放書をもらって来てくれないか?」

シーアは一瞬たじろいで、黙り込んだ。
考えるふりをして、額に手を当て、もっともらしく断れる理由を探す。
「事務方でも近習でも、誰かいるでしょう?」
「武芸大会の準備で出払ってる。頼むよ。夜に約束があるんだ」
「逢引の約束? 分かったから、いってらっしゃい」
シーアは早々に諦め、笑顔でディットルを見送った。

結局のところ、ディットルをアリスン監獄に入れたまま放っておくことは出来ない。
武芸大会の開催、そして、その最終日に王太子殿下の婚約の正式発表がある。
他にも緊急の仕事は幾つかあって、近衛は今、手の空いている人間がいない。
シーアは深呼吸して覚悟を決め、内治部のある庁舎棟に足を向けた。



最近、ルーゼン殿下に関わりすぎているかもしれない、とシーアは思う。

ここも人が出払っているのか、閑散とした内治部の奥、第二王子の執務室は明るくて、
"智の王子"の美意識を反映した趣味のいい部屋だった。
でも、無用心にもほどがある、と見渡して、シーアは顔をしかめる。
部屋の中は、彼一人きりで、護衛も側近もいなかった。
廊下の衛兵は執務室の扉から遠くて、何かあってもすぐに駆けつけることが出来ない。
黒光りする重厚な仕事机の向こうで、書類に集中するルーゼンは、うつむいたまま
目を上げず、ちょっと待て、とだけ言って、片手を上げてとどめる仕草をする。

いくら近衛育ちでないといっても、部屋に誰が入って来たか、確認さえしないとは、
さすがに呆れ、やきもきしてしまう。
そして、シーアはその心配を自覚する。
やはり深く立ち入りすぎている、と。

「シーア!?」
書類を読み終わったルーゼンが、やっと目を上げてシーアを認め、ぱっと顔を輝かせた。
部屋には他に誰もいないとはいえ、感情をあらわにして手を差し出す第二王子に対し、
シーアは、その場でゆっくりと腰をかがめ、騎士の礼をとった。

「アリスン監獄の釈放書が、こちらに来ていると聞きまして」
「あ、……ああ」
少ししおれたルーゼンに、シーアはやわらかい表情を作る。
近づいて、手を重ね、首を傾け口づけを交わした。
歯の間から差し込まれる生ぬるい舌を迎えてなぞり、曲げられた先にこすりつける。

「……シーア…」
引っ張られるまま、ルーゼンの足の間に、横向きに腰を下ろし、体をひねって
再度深く繋がるようなキスをする。
もう、嫌悪感はない。
背中から横腹に巻きついて重みを支える腕や、髪を撫でる優しい手と同じように、
ルーゼンの肉体が自分の体の中に入るのにも、いつしか馴染んでしまっているのを、
シーアは身にしみて強く感じていた。

――だから、あまり会いたくないのに。

「近衛は忙しいのか? その、ずっと来ないから」
ルーゼンは嬉しそうに髪を一房づつもてあそび、跳ね散らかしてくしゃくしゃにする。
「お忙しいのは、殿下も同じでしょう?」
シーアは両手を彼の頬に添えて、顔の輪郭を見定めた。
「少し、痩せたようですね」
シーアがルーゼン邸に行かない時期は、すぐにそうなると分かってはいたが、
いつもと違って日の光で見るから、痩せて見えるのだと思いたかった。

彼は照れくさそうにして、顔を近づけ、ところかまわず唇を当てる。
「ん、ああ。お前がいないと眠れないから」
「……殿下」
抱き寄せられるより、キスの雨より、そんな告白が一番困るから、
シーアは顔をそむけ、彼の胸に手を当てて押し返す。

「シーア、もう少し……」
ルーゼンは、シーアを抱く手に力をこめて引き止め、彼女の肩に顔をうずめた。
「お前、馬臭いな」
彼女は思わず微笑んだ。
「今日はずっと馬場におりましたので」
臭いが移ります、と立ち上がろうとするのを、やはり引き戻されて座り込む。
「構わないから、……シーア」

求められるまま、シーアは口づけに応じた。
突き放すか否かの判断が、どんどん曖昧になり、しかも、そうすべきと思っても、
実行するのが容易でなくなってきている。
脇腹に手を差し入れて、体のぬくもりを共有し、汗とは違う匂いの汗をかく。
足の下にある彼の膝の丸い場所が、彼女の膝の内側をこすって熱が生まれ、
下半身に溜まってうごめく。

ルーゼンが唇を離して、シーアの頬に触れ、覗き込んだ。
「馬術部門の優勝候補だそうだが……」
一拍置いて、見下ろす薄青い瞳がためらい、のどが上下に動いた。
「その、優勝して、メダルを取ったら、……俺にくれないか」
「メダル?」
思いがけない言葉に、シーアは目をしばたいた。

彼の足の間から滑り降り、すがりつく手を振り払うように向き直る。
武芸大会の各部門の優勝者の誉れであるメダルは、リボンのついた、やや小さい
純金の徽章である。獲得者がその恋人や妻に贈り、公式の宴席などで、その胸に
燦然と輝くことにより、二人の関係をあからさまにする。

「誰にも見せびらかしたりしない。手元に置くだけだから」
「いけません」
こればかりは承諾できないと、彼女は重くのしかかる感情を隠して、ルーゼンの
必死の申し出をなるべく穏やかに、しかし、断固として一蹴する。

「……シーア」
追いすがる目線がなおも懇願し、シーアに食い下がった。
シーアは耐えられず、まぶたを閉じた。心にふたをして、諦めさせることの出来る言葉、
突き放すことの出来る言葉を模索する。
「近衛では、特定の相手がいない者は、忠誠の証として近衛長官――王太子殿下に
捧げることになっていますので……」

「王太子殿下…、か……」
ルーゼンは、すねたように視線を斜めに落とし、うわずったしゃがれ声で返した。
「兄には他に捧げてくれる近衛がいる。俺が、俺の騎士にもらってもいいだろう」
「殿下、わたくしは王の近衛です。殿下の騎士ではありません」
シーアは有無を言わさぬ口調で言い、目的を達して早々に帰ろうと、彼に背を向け、
机の上の書類に手を伸ばした。

「…………俺が兄なら、お前の忠誠心は信じないがな」
不穏な空気を察し、書類をめくる手が途中で止まった。
「"弟殿下はご存知ない。戦に出られたことがなければ知り得ない。
戦場がどのようなものか、背中を合わせて戦った戦友がどういうものか"」
ふと言葉が口をついて出る。
――あの血と煙と悲鳴を、ルーゼン殿下はご存知ない。

「なんだ、それは?」
「父の……弁ですが、でも……」
咎められ、言いよどんでひらめく。
「兄殿下の……」
――兄殿下のために、私の忠誠心を疑っているなら。
「ふん、お前と兄が戦場でどうだったかなんて、俺には分からないし、知りたくもない」
背後からのとげとげしい声にさえぎられ、彼女は溜め息を漏らした。
「殿下、その短気なところは改められたほうが良いですよ」

そして、しばしの沈黙。
ルーゼンは何も言わずに黙り込み、シーアは釈放書探しを再開する。
紙のこすれる音が、やけに大きく聞こえ、やがて呼びかけられる。
「シーア、……」

気配がして、ルーゼンに後ろから抱きすくめられた。
身をよじって避けようとすると、腰に固いものが当たった。
それは、たちまちのうちに膨れ上がり、彼女に先ほどの熱さを思い出させる。

「殿下、これにサインを」
シーアは努めて冷静を装い、ようやく抜き出したディットルの釈放書に、ざっと目を通した。
ルーゼンは聞いているのかいないのか、体を密着させ、さらにシーアの髪をかき上げ、
うなじに息を吐きかけて、かじり、うねうねと自在に舐め回した。
シーアは自分の肌が赤く染まっていくのを自覚する。

「…っ、サインを」
羽ペンの先をインク壜に浸して、彼の手に押し付ける。
「ああ……」
「…っく」
吐息まじり生返事が、耳の後ろの敏感なところを襲い、シーアはあえいだ。
ルーゼンが書類の内容に頓着せず、言われるままにサインしたことを、
たしなめる言葉がうまく出ない。
「ん、殿下、…見もしないで、ぁ……サインなさるのは、感心できない……行為です」
「……ああ、そうだな」
耳たぶを粘りつくように甘噛みされて、体の火照りを抑えられない。

「シーア、これならくれるか?」
「……っん」
股間に割って入ったルーゼンの指に、布の上からその熱の中心を引っかかれ、
たまらず体が反応する。
「は、ぁ、……あ」
前に後ろにとこすられて、体中の力が抜け、机に両手をついて姿勢を保つが、
シーアの抵抗はそこまでだった。
剣が落とされ、帯に手がかかるも、関節ががくがくして彼を止められない。

「こんな、…こんなとこ…ろで……。誰かが、戻ってきたら……ぁ」
「来ない。まだしばらくは戻らない」
臀部がむき出しになり、涼しい空気がかすかに流れ込んで、陰毛をそっとくすぐる。
その実際以上に冷たい風の肌触りが心地よく、局部に血が集まって腫れぼったく
なっているのを痛感する。
「……では、無用心で、す」
「もういいから、……黙れ」

押さえ付けられて崩れ、机に伏せる。
つかまれて腰が浮き、背中が弓なりに反る。
「ぁ……やっ、殿下……」
衣擦れの音がして、ルーゼンの熱くて固いものが直接触れた。
尻の左右の間にルーゼンの指先がめりこみ、引きつれて甘く痛む。

理性が彼を拒否するべきと命令する。
こんなところでまじわるなど、正気の沙汰ではない。
けれども、淫靡な欲情は誤魔化せない。
それを体の奥からにじむ粘液が証明していた。

「ん、……」
二、三度の内腿をこする感覚に震えて目をつむる。
ルーゼンは入って来ない。
あふれだす愛液をからめて、ただあてがって往復し、先端で突付くだけ。
「あ、…あっ、……ぁん、殿下…、……、ぁ」
いいようにもてあそばれて、我慢が出来ない。
導かれるままに両足を開け、濡れた部分を突き出して、その瞬間が訪れるのを待ち望む。

自分が感じて、喜んで、それを望んでいると認めたくはなかった。
邸なら言い訳することが出来る。必要なことだからと。
だから、ここで会いたくなかった。
ただルーゼン殿下を利用しているだけだから、ただの時間稼ぎなのだから、
深入りはしないと、自分に言い聞かせるのが難しくなる。

「入れるぞ……、シーア……」
「んん……ん」
ついにルーゼンが、じりじりと押し開いて侵入する。
入り口が彼の雁首の形にひしゃげて包み込む。
その緩慢な動作に、どれだけ入ったか分かる気がした。

「…ぁあ!」
前から潜り込んだ手が、シーアの核をつまんでなぶった。
シーアは、自分の声に自分で驚き、片手で口元を覆った。
釈放書の端が肘の下で押し潰され、ぐしゃぐしゃに折れ曲がる。
かろうじて思考をつかまえて、扉の厚さと衛兵までの距離を思い出そうとして挫折する。

「んく、…ぁ、ふ」
一突きで思考が砕ける。
手を伸ばして机の向こう側のへりをつかみ、叫ぶのを我慢して涙目になる。

「……ん、くぅ」
ゆっくりと引き抜かれるのを感じ、そしてまた埋められるのを感じる。
ルーゼンが中で充満し、飽和し、どくどくと脈打つ感覚が自分のものか彼のものか、
区別のつかないほどだった。

乳首が立って服にかすめ、震えるような痛痒感を覚える。
全身がぼってりとした快感に支配され、もどかしくてたまらない。
からっぽの場所に奥まで埋めたい。
服を脱ぎ捨てて、隙間なく抱き合って、叫んで、持て余す体を解放したい。

ルーゼンが満足げな息を吐いて、近衛の制服の下に指先を忍び込ませた。
彼女の肌を撫でまわし、腹部を何度か軽く叩いてかすかに震動させた。
その震動は、とん、とん、と体の中心にまで響き、中にあるルーゼンの熱さ、固さ、
存在感を際立たせて感じさせた。

「シーア、俺を感じるか?」
「ん、……んっ」
シーアは臀部を突き上げ、肩越しに振り返って、ルーゼンを見上げた。
もっと感じたいと、もっと欲しいと思っているのを、彼に伝えたかった。

「……シーア」
ルーゼンが安心したように口角を上げ、シーアの望むように動き始めた。
「あ…んぅっ」
最初はゆっくりと、そして少しづつ速く。
「ん……、ん、……んむ、……ぁ、…ぁん、……ぁ」
机に這いつくばり、彼の荒い息遣いに合わせて腰を振る。
脱ぎたいと思った服さえも肌を刺激して、悪寒にも似た快感に体中がぞくぞくする。
「………ん、む…ぅく、…ん…んっく、ぁん」
シーアは、自分のいる場所もその目的も忘れ、求めて、求めて、求めて……。

ふいに扉の向こうから、朗笑が響いた。
耳慣れた王太子殿下の笑い声と、相手はおそらく廊下の衛兵の声。
――王太子殿下が? ここへ?
シーアの全身から、さっと血の気が引き、うってかわって冷たい汗が吹き出した。
「ぁ……殿下…、……あ、兄殿下、が…」
「くっ、……」
一時、動きを止めたルーゼンが、のどの奥から声をしぼり出してうなった。
「…かまうも…の、か」

――かまわない?
シーアは、一瞬めまいを感じ、関節が白くなるほどこぶしを握り締めた。

――ダメ、かまわない、このまま、だめ、つづけたい、だめ、だめ、駄目。



王太子が弟の執務室に入ると、二つのしかめ面が彼を迎えた。

一つは彼の忠実な近衛騎士。
この多少過保護な女騎士は、たとえ王宮内であっても、王太子が護衛をつけずに
歩き回るのを、ひどく嫌がるのだ。
賢明にも彼女は、今は何も言わず、すっと控えの位置に下がったが、
つい昨日も、こんな時期で、しかも武芸大会開催で身元の分からない人間が
入り込みやすくなっているのですからと、叱られたばかりだ。

そして、もう一つは彼の幸薄い弟。
少し前に仲違いをして以来、弟は彼に対して小難しい態度を崩さない。
もちろん、不仲の原因が同じ部屋にいて、二人きりでいるのを邪魔したのだから、
今はことさらにとげとげしくなっている。
それでもルーゼンは億劫げに立ち上がって、作法通りに兄王子に一礼した。

「兄上、何かご用ですか?」
「いや、お前に用ではなく、シーアを呼びに来たんだ」
ルーゼンの顎の筋肉がピクリと動いてこわばった。
「王太子自らがそのような使い走りの用をされるとは、近衛ではよほど時間が
有り余っていると見えますね」
ルーゼンの皮肉げな言葉を、王太子は微笑んで軽くかわす。
「ああ、配下の者が有能で、よく働いてくれるからな」

「武芸大会のことで聞きたいことがあるので、もう少し彼女にいて欲しいのですが」
「悪いが、こちらも急ぎの要件だ」
王太子は即座に却下して、シーアと視線を合わせた。
彼女は、はっと目の奥をひらめかせ、真剣な顔つきでかすかにうなずき、
了解の意をこちらに伝える。

その二人の以心伝心ぶりが、ルーゼンにもっと険しい顔をさせたようだった。
「必要だったら、誰か遣わそう。シーア?」
王太子の問いかけに、シーアが落ち着き払って答える。
「近衛に手の空いている人間はおりませんが……」
「無理に誰かをよこさなくても結構です」
感情的で突き刺さるように鋭い声の弟に、王太子は溜め息をつく。
「ルーゼン、その短気なところは改めろ」

弟との会見を早々に切り上げ、王太子はシーアを引き連れて執務室を後にする。
廊下を歩きながら、彼は斜め後ろのシーアの足音をそっとうかがった。
父王や自分への忠誠心のあまり、シーアは自身のことをないがしろにする傾向が
あるのを知っているから、時々心配になる。

ガチャリと何かが扉に叩きつけられて割られ、二人は同時に振り返った。
しばらく執務室の内部に耳をすまし、重くしたたる水音が、ぽたりぽたりと扉をつたい、
水滴となって落ちるのを聞き、顔を見合わせる。

「インク壜、……だろうか」
王太子は小さくつぶやいた。
「……でしょうね」
シーアが悩ましげに眉を寄せた。

 

 

 

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