ルーゼンは栗毛の馬に乗って手綱を取り、溜め息をついた。 辺りはもう真っ暗で、屈強な護衛が松明を灯して彼を先導する。
がっしりとした馬の背に揺られ、まだざわめきの残る王宮を離れると、街中の遠い 明かりが目に付いた。 ――やっと邸に帰れる。
国王の第二王子以下の男子は、成人を機に王宮暮らしから出るのが慣例で、 彼も、ほど遠からぬ場所に自邸を構えて、起居していた。
叔父から紹介された建築家が建てた邸は、少し小さめだが優美で繊細、
何よりも、あれこれと人の出入りが激しい王宮より静かなのが、気に入っていた。
今日は大変な一日だった。
ルーゼンは思い返してうんざりした。 彼が父王から任じられた内治部には、首都のありとあらゆる問題が舞い込んでくる。
毎日の細かな仕事に加えて、幾つかの揉め事を仲裁し、突然の訴えを辛抱強く聞き、
新しい商取引のための膨大な資料を、短時間で読まねばならなかった。
おまけに、今まで後援していた音楽家の自信作とやらを、気分転換に聴いたら、
とんでもなく調子外れで、余計に疲れを溜めることになったのだった。
政務についてまだ日も浅いのに、叔父が亡くなった後、彼の仕事の一部を受け継ぐ ことになったのも、疲労の原因の一つだった。
――でも、最大の原因は……、 知らず知らずのうちに、また溜め息をつく。 ――今日もシーアの姿を見なかった。
アリスン監獄での出来事から十日。 いつもなら、父王の護衛についている時か、兄のそばに控えている時に行き会う
ことが出来るし、そうでなければ、馬場や訓練所、武器庫まで、散歩と称して足を 伸ばせば、大抵、笑顔の彼女と擦れ違うことが出来る。
だが、王宮には彼女の影も形もない。 シーアは、ずっと出仕していないのだった。
噂好きの貴婦人からそれとなく聞き出したところ、監獄の冷たい風に当たって
熱を出したとのことで、誰も不審に思っていないようだった。 貴婦人は、あの騾馬より丈夫な女騎士が病気になるなんて、とくすくす笑ったが、
ルーゼンは笑うどころではなかった。 護国将軍も、常と変わらないように見える。
もっとも、護国将軍は世界が終わっても動じない人と言われているくらいだから、 それで彼女の病状を量ることは出来ない。
たとえ、シーアが死の床にあっても、将軍は平然とした態度を貫くだろう。
――よほど病気が重いのだろうか。
ルーゼンの苛立ちが伝染したのか、馬がいなないて前脚を蹴り上げた。 それをなだめながら、また彼女の安否に心をさまよわせる。
ルーゼンをさいなんでいるのは、彼女は本当に風邪なのかという疑問だった。
彼とのことで、人前に出られないほどショックを受けて泣き暮らしていたり、
果ては思い詰めて、取り返しがつかないことになっているかもしれない。 ルーゼンの頭の中を、悪い想像ばかりがよぎる。
――シーアに会いたい。 会って様子を確かめたい。
ルーゼンは手綱を固く握って、護国将軍の邸宅へ馬首を向けたい衝動をこらえる。
――けれど、会いに行くことは出来ない。
ルーゼンの胸が、きりきりと痛んだ。 自分にその権利がないことは分かっている。
あんなことがあった後に、どんな顔をして会えるだろう。 自分がどれだけ彼女を傷つけてしまったか、シーアと兄の仲を疑って煩悶していた方が
どれほどましだったか、思い知るには遅すぎた。
吐き気のような罪悪感が、頭の中でぐるぐる回って彼を押し潰す。
内治部の書類で彼女の入牢を知り、考えなしに行動したが、今となっては自己嫌悪と 後悔しか残っていなかった。
そもそも、アリスン監獄のことがなくても、ふだん接触のない第二王子が、王の近衛の
女騎士を見舞うのは、あまりに不自然で、礼式に反していた。
こずえを揺らす風に混ざって、ひづめの音が暗がりに消えていく夜。
こんな気が滅入る夜は、昔の絶望を否応なく思い出してしまう。 ルーゼンは、今日で何度目かの溜め息をつき、枕元の花かごを脳裏に描いた。
それは彼の大事な思い出であり、またお守りでもあった。
その昔、年若くて王宮に住んでいた時分、彼は頻繁に熱を出して臥せっていた。
カーテンを閉めた病室は昼間でも薄暗く、部屋中につんとした薬の余臭が漂う。 側仕えたちが、成人まで生きられるだろうか、とひそひそ言い、
野心を持つ者は、彼に見切りをつけて職を辞し、そばを去っていった。
病床のルーゼンは、生きる気力を無くし、いつも絶望のことを考えていた。
そんな世界から忘れ去られたような静寂のある日、扉を叩く音がして、兄が顔を出した。 「熱か下がったと聞いたから、見舞いに来た」
この頃はまだ、この幾つか年上の兄が好きだった。その風貌から、仔獅子に例えられて
いた兄は、勇猛果敢でしかも優しく、将来の帝王として皆に嘱望されていた。 起き上がって出迎えるルーゼンに、兄は良さそうだなと笑った。
「見舞いの品に、花を持って来たんだ」 兄の合図で、大きな花かごに埋もれているような少女が、くせのある黒髪を
撥ね上げながら現れた。 彼女が暖かな笑みを浮かべると、陰鬱な病室がぱっと明るくなった気がした。
ルーゼンは絶望を忘れて、彼女に見入った。 それが、シーアとの出会いだった。
「彼女は護国将軍の末娘で、十二歳になったから、新しく俺の近習についた」 「初めてお目にかかります。シーアと申します」
シーアが優雅に礼をすると、さわやかな芳香が彼に届いた。 彼女は兄と顔を見合わせて微笑み、抱えた花かごを枕元に据える。
萌黄色の近衛近習の制服は、黒いまつげに縁取られた大きな緑の目によく似合う、
とルーゼンは思った。草色の近衛の制服なら、もっと似合うだろう。
彼女はルーゼンと変わらない年齢であるのに、病気がちの彼より遙かに健康的で、
小鹿のように活発で、体中から晴れ晴れとした生気を発散させていた。
ルーゼンは、己の病苦に打ち勝つ決心をし、彼女が枕元の花かごのように、ずっと そばにいてくれることを願った。
シーアが兄とそうしているように、隣で馬を駆り、剣を構える。 そんな、今考えれば赤面するような子供っぽい願いを。
あれから幾つもの歳月が過ぎ、シーアの制服は萌黄色から草色になった。
ルーゼンも、その願いのために、馬術と剣術を少しづつ始めた。 ただし、それらは全くものにならず、人に知られることはなかったが、甲斐あってか、 人並みに丈夫になって寝込まなくなり、ルーゼンは内政の一端を担うまでになった。
それでも、二人がどれだけ変わろうとも、彼女がルーゼンの救いであることは 変わらなかった。
口さがない連中が、腹黒い護国将軍は末娘を王太子妃にしようと画策している、 計算高い娘もそのつもりだと、まことしやかに噂した。
ルーゼンは信じなかった。 護国将軍が、かつて父王の近習を務め、その後二人が背中を合わせて戦う戦友に
なったことは有名で、自分の子たちを同じようにしたいと思っていても不思議ではない。
それに、彼女の兄弟や従兄弟で近衛に入っている者が何人もいる。
兄だって、自身が国のために結婚しなければならない立場なのは分かっている、と 思っていた。
シーアと兄がキスしていた、あの日までは。
邸に着き、馬から下りて手綱を馬丁に渡す間も、ルーゼンはうわのそらのままだった。
会えなくとも、せめて無事でいることだけでも確認できたら。 癇癪を起こして貴賓牢に置き去りにするべきではなかった。
彼女が自分の身より兄と父王を気にかけたとしても、それは騎士の本分なのだから。
でも、兄や父王に捧げる忠誠心、或いは笑顔の、ほんの一部でも、自分に向けて くれていたら、あんなにシーアを憎まなかったかもしれない。
――それは勝手すぎる考え方だな。 ルーゼンは苦々しく思った。
出迎えた執事の日常の報告を聞きながら、広間の大階段を上がって、寝室で
部屋着に着替え、書斎へ向かう。寝る時間までに、もう一仕事できるだろう。 「……今日の報告は以上です。他に何かありますか?」
「花かごを……」 「は?」 「……いや」 花かごを用意しても、会いに行くことは出来ない。ただ渡すことさえ出来ない。
鬱屈した感情が心の奥底でよどみ、彼の心臓を締め付ける。 彼女が自分に会いたいわけがない。会うことは出来ない。
落ち窪んだ眼窩の憔悴しきった男が、廊下の壁に掛けられた大鏡に映った。
ただでさえ細面であるのに、頬が削げて憂苦に満ちた顔は、まるで幽鬼のように見えた。 思わず立ち止まり、その暗い影を覗き込む。
――方法はある。叔父上の死を盾にすればいい。 影の中の浅ましい男がささやいた。
――会わなければ、告発すると。彼女は否と言うまい。
その黒くどろどろした誘惑を振り払うように、鏡の前から足早に去り、書斎の扉を開ける。 ――そう。否と言うまい、が……。
ルーゼンは立ちすくんだ。 彼女が、そこにいた。
*
銀の燭台に立てられた蝋燭に、部屋の隅々まで行き渡る光量はない。
照らされて、闇の中に浮かび上がるのは、琥珀色の光沢を放つマホガニー製の 書き物机に、大きな肘掛け椅子、その後ろの本棚のみ。
本棚の前に立つシーアが、優美な曲線を描く背中を反らせて、革装の本を取り出した。 それから、ゆっくりとルーゼンの方に体を向ける。
彼女の瞳が蝋燭の明かりを受けて、挑むように光っていた。
「あ…ああ…! シー…………」 とっさに言葉が出ない。
「侵入者? ルーゼンさま。警護の者を呼んで……」 執事の慌てふためいた声に、ルーゼンは、はっとして振り返った。
「い……いや、俺の客だ。……もう、下がっていい」 落ち着きなく手を振り、口外しないよう付け加えて退出をうながす。
扉を後ろ手に閉め、執事の足音が完全に消えてもなお、ルーゼンは混乱から
覚めなかった。何か言おうと開けた口をどうすることも出来ずに、そのまま閉じる。
シーアが手にした本をパラパラめくり、本棚に戻して別の本を手に取った。
何の気もなさそうにページをくる彼女の様子は、まるでつまらないお茶会にでも 参加しているように淡々としていた。
「ど、どこから入ってきた」 やっと出た言葉は、本当に聞きたいことではなく、彼はますます狼狽した。
「そちらから、鍵を壊して」 シーアは顔を向けて、厚いカーテンの掛かった大窓を指し示した。大窓の外は
バルコニーと外階段に続いているから、侵入は容易だったろう。 「ここの警備は脆弱です」
なぜか少し憤慨した様子で言うと、シーアは本をパタンと閉じ、うつむいて紋章の ついた革表紙に目を遣った。
「何をしに来た」 気を取り直し、声が震えないよう、下顎に力を入れて抑揚を抑える。
「……本当に、何をしに来たのかしら」 シーアが指先で本をそっと撫でながら、人を食ったような答えを返す。
「俺を、殺しに来たのか?」 「殺しに?」 彼女はどことなく苦笑すると、顔を上げて、ル―ゼンを探るように眺めた。
「いいえ、……とりあえず、今はまだ」 それから、また本に視線を落とし、人差し指を浮かせて幾度かトントンと叩く。
その音はひどく彼の神経に障った。
ルーゼンはシーアをにらみ付けた。 意図がまるで分からない。なぜここに居るのか、なぜ会いに来たのか。
いや、うすうすは察している。でも、はっきりと聞きたくはない。
彼女に会うといつも、浮き立つ心の裏で腹立たしく思う。それは彼女の視線の先に 自分がいないのを、いやというほど分かっているから。
彼女がここにいる理由も、たぶんそう。 彼のためでなく、他の誰かのため。
「シーア、こっちを向け」
我慢できずに、ルーゼンはつかつかと彼女に迫り、本をひったくって机の上に置く。
「これは、叔父上から譲り受けた本だ。叔父上だ。お前が殺した男だ」
あらん限りの軽蔑を込めて言ったのに、シーアは肩をすくめただけだった。 「殿下は気が短すぎるようですね」
「否定しないな。叔父上を殺したこと、認めるのだな」 「いいえ、認めません」
シーアはやんわりとした口調で否定し、それから声を落として続ける。 「でも……、それを表沙汰にされるのは、困りますから……」
彼女が一歩踏み出して近づく。彼の肩に置かれた彼女の両手が首筋を滑る。 「……それで」 「それで?」
彼女の腕が首の後ろに回され、二人の距離を縮める。 「殿下の口を塞ぐ方法を考えていて……」
乾いた瞳が彼をうかがい、接近し、あでやかな唇が彼の唇にそっと触れた。
彼女のキスは甘くて苦い。ルーゼンは渋面を作った。
「口止めか? 護国将軍が愛娘に娼婦の真似ごとをしろと言ったのか?」
「父は関係ありません。わたくしには、わたくしなりの責任がありますし……、殿下」 なまめかしい表情に誘われて、また彼は唇を重ねた。
暖かい吐息とやわらかな感触が、彼の正気を失わせていく。
「やめろ」
やっとの思いで、彼女の腕をつかんで体から離す。彼女と距離を取って、怒りを つのらせなければ、こんなにもたやすく自分を忘れてしまう。
――脅しているのは俺だ。強い立場なのも俺……。 「何をたくらんでいる」
「たくらんで欲しいのですか? これが殿下の望まれたことでしょう?」 少し困ったような眼がルーゼンを見詰めた。
緑の瞳は魔性の眼。溺れてしまうから、見詰め返してはいけない。 「殿下はただ、欲したものをほしいままに受け取れば良いのです。
それとも、ここに来たのは、わたくしのうぬぼれでしたか?」
「…………脱げよ…」
彼女を傷つけて、屈服させた姿を見たかった。でも、あの快活な少女であった女騎士が
こんな風に彼の言いなりになる姿も見たくなかった。彼に抵抗して欲しかった。 計算された行動ではなく、シーアの真意を受け止めたかった。
「俺を誘惑しに来たんだろう。だったら、さっさと脱げ」 シーアは戸惑い、しばらく上着のボタンをもてあそんでいたが、
やがて勝利を確信したように口の端を上げ、上から順に外し始めた。
「なぜ殺した? 叔父上がそんなに邪魔だったか?」
自分の呼吸がやけに大きく響く。 「殺してなど……。けれども、そうですね。邪魔なのは邪魔でしたよ」
上着が落ちて、よく発達した肩と、しっかりとした二の腕、その腕の白く光る一条の 傷痕がむき出しになる。
「王弟殿下は王家以外の貴族の台頭をうとましがり、父の力を削ごうとなさっていました。
国王陛下が王弟殿下より父を重用なさるのも、お気に召さなかったようですし」
細長い指が、肌着のひもをつ……と引っ張る。手首を回転させて、それを指先に
からめ、素肌を露出させていく。その肌着よりも白い素肌が、どんなになめらかで あったか思い出して、ルーゼンは固くなった。
「でも、王家あっての貴族、貴族あっての王家です。どちらか一方ということはありません。
……ルーゼン殿下も、それを忘れないでいただきたい」
それが警告であることに、シーアと視線を交わして、彼は気づいた。
護国将軍には逆らうな。さもないと叔父と同じ道をたどることになる。 「……ああ、分かった」
与えられるのはシーア。代価は沈黙、そして従属。 ――それは俺が最初に望んだ取り引き。シーアの望む取り引き。でも、……。
肌着と胸に当てた布が、腕にまとわりながら落ちる。その間からは、つんと上を向いた
乳首が覗き、ズボンからは、締まった腹筋と煽情的な腰骨の上半分が垣間見えている。
「ルーゼン殿下は、王弟殿下と親しかったのですね」 シーアが、ぽつんと言った。 「俺も殺したいか? 叔父上のように」
シーアの表情が少しだけ曇った。 「……必要が、あれば」
剣を机に立てかけ、帯をほどく。ブーツを片方づつ脱ぎ、ついでにズボンを落として
素足をさらした。一糸まとわぬ姿になると、さすがに彼女は恥じらって、腕を回して 裸体を隠した。
「ふん、誘惑するには、色気が足りないな」 「経験がないのですもの。仕方がありません」 シーアは少し赤くなって横を向いた。
「殿下は経験豊富な方がお好みですか?」 「ああ、そうだな」 彼女を困らせようとした言葉に、シーアは、ふっと笑った。
「では、殿下がそうお望みなら、出直して、誰か他の男性に教えてもらって……」 ルーゼンは思わず彼女の肩をつかんだ。 「駄目だ」
彼女を引き寄せて、息が詰まるほど強く抱き締める。 「誓ってくれとは言わない。他の男と寝ないと約束してくれ。…………頼む」
ルーゼンはささやいた。 もうあんな思いはしたくない。彼女が誰かの――兄の腕の中にいて、愛の言葉を
ささやいて、笑いながら抱かれている。そんな光景を想像して苦しむ夜はたくさんだ。
彼女は含み笑いのまま、約束しますとだけつぶやき、彼はその言葉にすがりついて、 キスをする。
シーアとのキスは、今まで抱いた他の誰とするよりも、気持ちがいい。
恋人のように舌を入れて、奥を探る。引き離されたものが、再び一つに合わさるように深く。
彼女への思い以外は何もかも諦めて、彼女の体温を感じ、彼女の匂いを嗅ぎ、 彼女が自分のそばにいるのを実感する。
――ただの取り引きでもいい。俺に何の感情も持っていなくても。 それでも、そばにいてくれるなら。
部屋着の隙間から彼女の手が潜り込む。剣だこのある手のひらは、皮膚に 引っかかってこすれ、不思議な快感を呼び起こす。
そのぎこちない手の動きに、思わず顔がやわらいだ。 「本当に経験がないんだな。シーア」
「殿下のお気に召すよう、努力いたします」 シーアが生真面目な顔できゅっと唇を結んだので、ルーゼンは小さく吹き出す。
「ああ、期待している。ほら、俺のも脱がせろ」 彼女の手を誘導し、留め金とゆるく巻いた帯を解かせる。胸を両手でさすらせながら、
体をひねって部屋着を落とし、しっとりとした肌を密着させる。双丘のやわらかさを 楽しみ、半勃ちのもので彼女の腰をつつく。
彼女の全身がピクリと反応し、体が逃げて、小刻みに震え始めた。 「シーア。……どうした? やめたいのか?」
彼の腰に回されていた腕が、ぎゅっと緊張した。 「いえ、すみません。覚悟は出来てます、けど、その……」
張り付いたような笑みが壊れ、今にも泣き出しそうな顔がうつむいた。 「い……、痛かったんです。アリスン監獄で……」
――怖がっている? 昔の快活な少女の片鱗を見た気がして、ルーゼンは優しい気持ちを彼女に抱いた。
「ああ、あの時は、すまなかった。今度は優しくする」 シーアは、ほっとしたように目をつむって力を抜き、彼の愛撫に身をゆだねた。
ルーゼンは、顔や首筋に口づけながら、ゆっくりと肩から腕、背中まで撫でて、 彼女の筋肉をほぐした。
「ほら、来い」
床に座り、震えが収まったシーアに両手を差し出す。 「いえ、あ、や……」
その途方にくれた様子が可愛くて、つい手荒く引き寄せる。
膝の上にまたがらせて、乳房を揉み、まろやかさを堪能する。
親指で乳首を刺激し、さらに唇で挟んで両方ともふくらませ、珊瑚色に染め上げる。
彼の唇の下で、彼女の心臓の音がだんだん強くなるのを感じ取る。
手を下ろし、親指の爪で前の敏感な場所をひっかき、人差し指の腹を割れ目に当てて うるおいを引き出す。
彼女が感じやすいのは分かっている。 人差し指と薬指で裂け目を割り、中指をそっと差し入れる。中から染み出たものが
彼の指にまとわりついた。 「ん……」 シーアが背中を反らせてあえいだ。両手でルーゼンの肩をつかんで体を支える。
関節を曲げて入り口付近を刺激すると、腰をすくめて反応した。 「……あ、………ん」
彼女は恥ずかしがって、顔を隠すように彼の肩にかじりついてくる。
ルーゼンは真っ赤になったうなじに目を遣り、空いている方の手で背骨に沿って
くすぐった。彼女の熱くてじんわり湿ったふくらみが、彼の胸に当たって滑る。
「は、……あ」
手首を回し、もう一本指を入れて、中を慣らす。 二本の指をそれぞれに動かすと、ぬらぬらしたものが指を伝わってしたたり落ちた。
「んん、あぁ」 彼女の上体が跳ね上がり、感極まったような声とともに軽く達した。
腰のくぼみから臀部の淫靡な曲線に浮かび上がる汗が、蝋燭の明かりに照らされて こがね色に光った。
ルーゼンは、弛緩したシーアの体を自分にもたせかけて、股の間の大きくなったものを 彼女の溝にくっつけた。
そうして彼女自身の重みと、そこから垂れる愛液の感触を飽くことなく満喫する。
「お前が泣き暮らしているのではないかと心配していたんだ」 シーアが体を起こすのを待って、ルーゼンは話しかけた。
彼女があまりに素直に感じるので、ひねくれた気分になっていたかもしれない。
「だけど、あの計算高いと評判の女騎士が、そんな愁傷なわけがなかったのだな」
彼女の頬にまつげの影が落ちた。弁解しようとする彼を静止して、彼女は首を振る。 彼のものが少しめり込み、シーアは、しばし身悶えた。
「あ、……いいえ、……。そのように言われるのは仕方がありません。
でも、失ったものをいつまでも嘆いているわけにいきませんから」 彼女は口中に溜まった唾を飲み込み、一息ついて続ける。
「その……やるべきことをやるだけです」 「やるべきこと……俺と寝ることか?」
ルーゼンは下から揺すり、入り口をこすり合わせて、彼女を絶句させる。 半開きの口から、こもった息が漏れた。
「え、あ、……はい…」
そのまま床に押し倒して、もうすっかり準備の出来ている彼女の中に先端を入れる。
様子を見ながら、まだ慣れていない隘路をじりじりと押し進めて広げる。 「痛いか?」 「だい、じょ……ん、です」
しっとりとした息を吐き出して、彼女が答える。 眉根は寄せられているけれども、彼にしがみついて精一杯感じようとしている。
淫らな水音とともに、奥まで呑み込ませ、覆い被さり耳打ちする。 「シーア、俺の名前を呼んでくれ」 「……ルーゼン殿下」
「敬称は入らない。ただのルーゼンで」 「主君筋の方を呼び捨てになど……」
「出来ない? 殺すことは出来ても、名前を呼ぶことは出来ないと?」 脈打つ肉の手が、包み込んだものを強くつかんで締め付けた。
「殿下。……こ、これ以上、…」 シーアが息も絶え絶えにささやく。 「これ以上、何だ?」
ルーゼンは腹に力を入れて衝動をこらえ、腰をゆっくり回した。 「王弟殿下のっつ……死に、言及なさ…、なら……」
見開いた彼女の目が二つの相反したものを訴える。 「わたくし、……んく、かえ、かえり……ま、」 「帰るのか?」
「で、殿下!……ああ」 いったん引き抜いたものを、一気に差し入れて、嬌声を上げさせる。
「ああ、俺は叔父上のことを忘れる。だから、お前も……」 ――兄のことを忘れろ。
自分の束髪が背中を叩き、汗が飛び散る。 「…ん……ああ、……ぅく、……」
シーアが焦点の合わない目で恍惚にひたり、彼を求める。 ルーゼンは無我夢中になって、シーアと繋がった。
「う……あん……あぁ、あ、ぁ」 手のひらで押さえ込んで、浅いところを往復し、また奥までえぐって快感を引き出させる。
幾年も焦がれ望んだ女が、体の下にいて、動きの一つ一つに喘ぎ声を上げる悦楽。 毎日の鍛錬で荒れている手は、兄を守るための手。
腕に浮かび上がる傷跡は、戦場で兄と背中合わせに戦って得た兄との絆。 ――でも、シーア、今は、俺のものだ。
全てが一点に集まって、根元からせりあがる。 求めて動きを速め、昇り詰めて、深く突き立てる。
絶頂の果てに、シーアは応えて痙攣し、ルーゼンは真っ白になって果てた。
「……シーア」
ルーゼンは体を横倒しにし、荒い息をついた。 呼吸が静まった後、じっとりとした絨毯に気持ち悪さを感じつつも、シーアを引き寄せて、
仰向けに寝転ぶ。二の腕の彼女の重さが心地よい。 「ん、……殿下…?」 「ああ……」
低くうなって、彼女の眠たげに落ちたまぶたに口づける。
やがて、シーアの寝息を聞きながら、どっしりとした疲労に包まれて、ルーゼンの五感も やわらかい暗闇に引きずり込まれていった。
*
さわやかな朝の気配が、ルーゼンの意識を揺り動かした。
大窓から差し込む朝日が、まぶたを透かして彼の眼球をちくちく刺す。
ベッドが固くて、背中が痛い。ルーゼンは上掛けをつかんで上半身に巻き付けた。 ――いや、ベッドではなく、書斎の……。
「シーア……」 半覚醒のまま、呼びかけて手を伸ばす。 だが、それはむなしく空をかき、固い床を叩いた。
もう一度、彼女を捜して手探りするも、あえなく本棚にぶつかる。 「……シーア? ルーゼンは体を浮かせて辺りを見渡した。
――いない。帰った、のか。 彼女がいないことに、自分でも不思議なほどに失望した。
たぶん、目覚めるまで一緒にいてくれると、何の根拠もなく期待していたのか。 起き上がって座り込み、頭を振る。
ルーゼンの肩から、上掛けではなく、大窓に掛かっているはずのカーテンが落ちた ――カーテン? シーアが掛けてくれた?
扉を叩く音がして、執事がおずおずと顔を見せた。 「あの、お客様はお帰りになりましたね」
執事は部屋に入り、ルーゼンがカーテンを毛布代わりにしているのを見て、眉を吊り上げ、
それから大窓に近づき、壊れてぶら下がる鍵を調べて口をへの字に曲げた。
(また、参ります。このことは、くれぐれもご他言なきよう……) 彼女の静かな声を覚えている。
――あの女は、叔父上を殺した女、兄を愛している女。 冷徹な言葉も、狡知にたけた笑顔も。
――必要なら俺を殺すと言い、好きでもない男と寝る女。 ルーゼンは、つらつらと思い返す。
紅潮する肌、しがみつく手。彼を呼び、快楽にあえぐシーア。 彼はすっかり冷たくなったカーテンを引き寄せ、両腕に抱きかかえた。
――そして、少しだけ優しい。
「その鍵は、直さなくてよい」
ルーゼンは苦虫を噛み潰したような顔の執事に告げた。 |