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あの騒動から二週間。幸い、特にこれといった事件も無く淡々と日々が流れた。
中禅寺と関口は大学図書館で黙々と読書をしていた。
毎年毎年施設が増設され、小奇麗な図書館。
時折、ファンの音を立て温風が流れる音がはっきりと聴こえるほど、図書館は静まり返っている。
レファレンスカウンターからも遠く離れた参考図書閲覧室は中禅寺と関口の二人しかいない。
もうすぐ閉館を迎える館内は閑散としていて、立ち仕事をする司書の姿さえ疎らだ。
中禅寺が洋書のページを捲りながら、隣で雑誌を読みふける関口に話しかけた。
「なぁ、関口君」
関口は生返事をした。
「君は一体こんな所で何をしているんだ。愛しい先輩の元に帰らなくて良いのか」
関口は一瞬びくりとするが、持ち直し、中禅寺の質問に答えた。
「だから…厭味はやめてくれよ…。先輩は、午後から実家なんだ。明日の昼に帰ってくるって」
周囲に自分達以外の人間がいないものだから、声のトーンを気にする必要も無い。が、心持ち関口の声はひそめたものになった。
「ふん、そうかい。しかし君も警戒心が薄いのじゃないか? この前の事で、僕が君に対して尋常ならざる興味を抱いてるのは感じたのだろう? はっきりとは言わなかったが、僕は君の事が好きなんだぜ」
中禅寺はThe Catcher in the Ryeを読みながら事もなさそうに言い放った。中禅寺の隣にいて、今度こそ、はっきりと関口はギクリと体を硬直させた。
「君は、自分自身が啖呵を切った通りいつものように接しているのだろうがね、普通ありえないよ。友人の男から告白の態度を取られて、それに返事もせずに今まで通りに接しろと相手にも要求し、自分も実践するなんて、余程君は無神経なんだな」
ページを捲りながら淀みなく中禅寺は言って、関口を横目でチラリと見た。関口は手袋を弄びながら、
「…あの時は…君が揶揄ったと思ったんだ。本気には思えなかった――だから…君に酷い事を…言った」
中禅寺は洋書から顔を上げて体を隣の関口に向けた。
「関口。こっちを見ろよ」
その言葉に、関口はゆっくりと隣の中禅寺を窺う。
「…怒ってるの」
「そう思うのか」
中禅寺の表情に固定された関口の瞳が揺らめいて小さく頷き返した。
「君が言う事が本当だとしたら、怒るのは当然だと、思うから…中禅寺…あの、本当に僕が――好きなのか」
関口の声が小さく途切れた。
「ああ、好きだね。出逢った時からずっと」
「嘘だ…どうして、今更…」
「嘘だ、は流石に傷つくな。僕にも君に気持ちを伝える勇気がなかったことは認めよう。榎木津の存在がその切っ掛けになったということもだ。最低な男だと思ってくれて構わないがね、ずっと君を好きだったことは本当だ」
関口は目を大きく見開き首を振った。
「そ…んな、信じられない。僕が先輩と付き合っているのを見て、からかっているんだろう。好い加減、ウンザリだ。馬鹿にしないでくれ――」
「馬鹿にしないでくれ…? 馬鹿にしているのはどっちだ。君は僕の気持ちを聞き出しておきながら、信じられないと突っぱねる。それは一体どういう心理だ? 君が信じたくないから、拒否してるだけだろう。君の方が余程僕を馬鹿にしている」
「き、君は――僕の友人だから…」
「友人だからなんだ? 友人が友人を好きになったらいけないとでも? ああ、君は本当に僕が君の事を好きなのか疑っているんだったね。じゃあ、こうすれば、信じてもらえるだろうか――」
云いながら中禅寺は雑誌の端に添えられていた関口の手を取ると、一度舌先で指先を軽く舐めてから関口の人差し指を口に含んだ。余りにも咄嗟のことで抵抗する暇も無かった。
「…なっ…! や…」
中禅寺の行動に動揺し、反射的に手を引こうとしたが、がっしりと手首を掴んだ中禅寺の手に阻まれそれも出来ずに呻くしかない。人差し指の付け根を舌でくすぐり、ちゅうと音を立てて指を吸う。それから指の形に添って丁寧に舌を這わせる。
「ちゅうぜん…じ…」
上ずる関口の声。
中禅寺の唇に吸い込まれている指を凝視したまま、顔をみるみる赤くし身動き一つ取れずに、中禅寺の舌の蠢きに敏感に反応し荒い吐息をもらした。第一関節あたりの腹に軽く歯を立てられると、肩を震わせて息を詰める。
指から口を離し、青白い手の平を舌で舐め上げて手首の辺りに歯を立て、関口の腕を引っ張り成すがまま、体を引き寄せて、噛み付くようなキスをした。
左手で関口の頭を掴み仰け反らせて唇を吸う。
レファレンスカウンターからは中禅寺の背中しか見えないはずだ。
空いている右腕を、唇に貪り付いている輩を突き飛ばす事に使いもせず、かといって同調するように背に回すこともできず、関口の右腕は只、垂直に強張ることしか知らない。
陥れた男が抵抗の術を持たないと改めて知ると、中禅寺は少し名残惜しそうに関口の顔から距離を取り、関口の左手首を解放し、痩せて薄い背中に腕を回した。
乱暴に頭部を掴み、顔を上向かせていた手は優しく髪の毛を撫で梳き、関口の耳元で囁く。
「君は、ただ、人の温もりが恋しいだけじゃないのか――僕に逆らえないところを見ると。榎木津への想いもそんな程度かい?」
関口は、消えてしまいそうな小声で違うと呟いたが、動揺とキスの所為で乱れていた呼吸を中禅寺の腕の中で元に戻した後も、優しい手を跳ね除けるといった考えすらないようだった。
「全く弱いねぇ、君は。そして愛しいよ――」
閉館のアナウンスが流れて中禅寺が解放するまで息を潜めた兎のように、腕の中でじっとしていた。
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