「創造神話」と「創世神話」とインカ
神々にはアース神族・ヴァン神族・ヨトゥンの3つの氏族がある。当初互いに争っていたアース神族とヴァン神族は、最終的にアース神族が勝利した長きに渡る戦争の後、和解し人質を交換、異族間結婚や共同統治を行っていたと言われており、両者は相互に関係していた。一部の神々は両方の氏族に属してもいた。この物語は、太古から住んでいた土着の人々の信仰していた自然の神々が、侵略してきたインド=ヨーロッパ系民族の神々に取って代わられた事実を象徴したものではないかと推測する研究者もいるが、これは単なる憶測に過ぎないと強く指摘されている。他の権威(ミルチャ・エリアーデやJ・P・マロイ等)は、こうしたアース神族・ヴァン神族の区分は、インド=ヨーロッパ系民族による神々の区分が北欧において表現されたものだったとし、これらがギリシア神話におけるオリュンポス十二神とティーターンの区分や、『マハーバーラタ』の一部に相当するものであると考察した。アース神族とヴァン神族は、全体的にヨトゥンと対立する。ヨトゥンはギリシア神話でいうティーターンやギガースと同様の存在であり、一般的に「giants(巨人)」と訳されるが、「trolls(こちらも巨人の意)」や「demons(悪魔)」といった訳の方がより適しているのではないかという指摘もある。しかし、アース神族はこのヨトゥンの子孫であり、アース神族とヴァン神族の中にはヨトゥンと異族間結婚をした者もいる。例えば、ロキは2人の巨人の子であり、ヘルは半巨人である。言うまでもなく、最初の神々オーディン、ヴィリ、ヴェーは、雌牛アウズンブラの父が起源である。エッダにおいては一部の巨人が言及され、自然力の表現であるようにも見える。巨人には通常、サーズ(Thurse)と普通の横暴な巨人の2つのタイプがあるが、他にも岩の巨人や火の巨人がいる。エルフやドワーフといった存在もおり、彼らの役割は曖昧な点もあるが概して神々の側についていたと考えられている。
彼らの主張は多様な神話の比較、比較神話学の手法で、何が神話における神髄的な要素であるのかを抽出する作業の所産とも言える。一方、20世紀にあっては、神話研究のための新しい学説あるいは思想が出現した。一つはジークムント・フロイトが代表者とも言える無意識の発見と、そこより展開した深層心理学の諸理論である。いま一つは、ソーシュールの共時的言語学、すなわち構造主義言語学である。19世紀の比較神話学派と20世紀の構造的な神話解釈派のあいだに立つのがジョルジュ・デュメジルとも言え、デュメジルは後期には「三機能論」を唱えた[114]。ソーシュールの構造の概念を継承してこれを神話研究に適用したのはレヴィ=ストロースであり、彼は例えばオイディプースの悲劇を、神話素のあいだの差異の構造と矛盾の体系として分析し、「神話的思考」(野生の思考)の存在を提唱した。神話の目的は、現実の矛盾を説明し解明するための構造的な論理モデルの提供にあるとした。オイディプースの神話の背後には様々な矛盾対立項があり、例えば、人は男女の結婚によって生じるという認識の一方で、人は土から生まれたという古代ギリシアの伝承の真理について、この矛盾を解決するための構造把握が神話であるとした。フロイトの無意識の発見から淵源したとも言える深層心理学の理論は、歴史的に現れる現象とは別に、時間を超えて普遍的に存在する構造の存在を教える。カール・ユングは、このような普遍的・無時間的な構造の作用として元型の概念を提唱した。ケレーニイとの共著『神話学入門』においては、童子神の深層心理学的な分析が行われるが、コレーや永遠の少年としてのエロースは太母(地母神)としてのデーメーテールなどとの関係で出現する元型であり、「再生の神話」と呼ばれるものが、無意識の構造より起源する自我の成立基盤であり、自我の完全性への志向を補完する普遍的な動的機構であるとした[115]。
"今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語は、およそ紀元前15世紀頃に遡るその濫觴においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作である。当時のヘレネス(古代ギリシア人は、自分たちをこう呼んだ)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた[3] [4] [5]。"しかし人々は、この地上世界の至る処に神々や精霊が存在し、オリュンポスの雪なす山々や天の彼方に偉大な神格が存在することは知っていたが、それらの神々や精霊がいかなる名前を持ち、いかなる存在者なのかは知らなかった。どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを教えたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった[6]。この故に、ホメーロスにおいては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた[7]。口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的に纏めたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人ヘーシオドスである[8]。彼が歌った『テオゴニア』においても、その冒頭には、ヘリコーン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っているが、ヘーシオドスは初めて系統的に神々の系譜と、英雄たちの物語を伝えた。このようにして、彼らの時代、すなわち紀元前9世紀から8世紀頃に、「体系的なギリシア神話」がヘレネスの世界において成立したと考えられる[9]。
スラヴ神話は地方により様々なバリエーションがあったことが近年の研究により明らかになっている。『原初年代記(過ぎし年月の物語)』という資料に東スラヴに伝わった神話に関する記述がある。そこに異教神話の神の名として以下の神々の名が挙げられている。また、上記のような神々を主人公とした叙事詩以外にも民間信仰レベルで『ロシアの魔女ヤガーばあさん』、『不死のコシチェーイ老人』(英語版)、『寒さのモローズ爺』(スラヴのサンタクロース、英語版)などといった昔話的な神話や自然現象などに端する精霊に関する寓話として『水の精ヴォジャノーイ』、『森の精レーシー』、『家の精ドモヴォーイ』、『水と森の精ルサールカ』なども存在した事が判明している。