ギリシアと日本語

ヘーラクレースとその数々の武勇譚は、ピエール・グリマルによれば、ミュケーナイ時代に原形的な起源を持つものであり、考古学的にも裏付けがあり、またその活動は全ギリシア中に足跡を残しているとする[76]。ヘーラクレースは神と同じ扱いを受け、彼を祭祀する神殿あるいは祭礼は全ギリシア中に存在した。古代ギリシアの名家は、争ってその祖先をヘーラクレースに求め、彼らはみずから「ヘーラクレイダイ(ヘーラクレースの後裔)」と僭称した[77]。アキレウスもまた、アガメムノーンなどと同様に、いまは忘却の彼方に沈んだその原像がミュケーナイ時代に存在したと考えられるが、彼は「神々の愛した者は若くして死ぬ」とのエピグラムの通り、神々に愛された半神として、栄誉のなか、人間としてのモイラ(定業)にあって、英雄としての生涯を終えた。彼の勲と栄光はその死後にあって光彩を放ち人の心を打つのである。ギリシア神話に登場する多くの人間は、ヘーシオドスがうたった第4の時代、つまり「英雄・半神」の時代に属している。それらは、すでにホメーロスが遠い昔の伝承、栄えある祖先たちの勲の物語としてうたっていたものである。

"これは『二つの川の間』という意味のメソポタミア(現在のシリアやイラクの地方)の神話である。 紀元前3千年頃のシュメール文明で成立した。その中には一部、旧約聖書の創世記モデルとなるような部分も存在する。(ウトナピシュティムの洪水物語がノアとノアの箱舟の大洪水物語の原型となったとする説もある)"この神話で有名な部分は天地創造や半神の英雄ギルガメシュの冒険などが挙げられる。"現在知られている神話の形に成るまで三つの段階がある。 最初にシュメール人が考えたシュメール神話である。これは楔形文字で粘土板に書かれた、世界最古の神話とされる。"

また創世記の第2章以降では、もう一つの天地と人間の創造が語られている。カバラ思想では、ツィムツーム(en:Tzimtzum、「縮小」とも)という解釈もなされている。"バビロニアにおける創造神話は、『エヌマ・エリシュ』(Enuma Elish)としても知られる『創世記』において語られる。"

"ローマ神話の体系化と発展を促進し、両者のあいだには対応関係が生み出された。またプラトーンを初めとして、古代ギリシアの哲学や思想、そしてヘレニズム時代の宗教や世界観に影響を与えた。キリスト教の台頭と共に神話の神々への信仰は希薄となり、やがて西欧文明においては、古代人の想像の産物ともされた。しかし、この神話は古代の哲学思想だけでなく、キリスト教神学の成立にも大きな影響を与えており、西欧の精神的な脊柱の一つであった。中世を通じて神話の生命は流れ続け、ルネサンス期、そして近世や近代の思想や芸術においても、この神話はインスピレーションの源泉であった[1] [2]。""今日、ギリシア神話として知られる神々と英雄たちの物語は、およそ紀元前15世紀頃に遡るその濫觴においては、口承形式でうたわれ伝えられてきた。紀元前9世紀または8世紀頃に属すると考えられるホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作である。当時のヘレネス(古代ギリシア人は、自分たちをこう呼んだ)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していた[3] [4] [5]。"しかし人々は、この地上世界の至る処に神々や精霊が存在し、オリュンポスの雪なす山々や天の彼方に偉大な神格が存在することは知っていたが、それらの神々や精霊がいかなる名前を持ち、いかなる存在者なのかは知らなかった。どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを教えたのは吟遊詩人たちであり、詩人は姿の見えない神々に関する知識を人間に解き明かす存在であった。神の霊が詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれるのであった[6]。この故に、ホメーロスにおいては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれた[7]。

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