四章(1)
色褪せた冬の大地に、うっすらと雪が積もっている。視界に数本しかない木々はどれも裸。細い枝をうな垂らせ、寒風に身を委ねている。
ジゼルの髪も風に吹かれて宙を舞う。風の音はジゼルの耳に、断末魔の悲鳴のように聞こえていた。
辺りに民家はない。あるのは灰色の廃虚だけ。
記憶が戻ってから一ヶ月が経っている。ここはアッシュが住む森から遠い北の地。ジゼルは自分の育った孤児院のあった場所に来ていた。
アッシュの屋敷を廃虚のようだと感じていたが、本当の廃虚を前にしているとその考えは間違いだったと思い知らされる。
孤児院は瓦礫の山だった。いびつな形に崩れた壁が、亡霊のようにたたずんでいる。床に敷き詰められていたタイルは粉々に砕け、硝子の欠片と一緒に散乱していた。
剥き出しの炊事場の跡や涸れた井戸は以前、人が住んでいたのだと知らしめている。それは寂しさと虚しさを抱かせる。
どこにも血痕は見当たらなかった。雨や雪が流してくれたのだろう。あれほど溢れ返っていた死体はなく、敷地の外れには墓標があった。
孤児院に来るのは、ここにいた人達を食い殺した日以来だ。
十五年以上経っている。建物はなくなっていると思っていた。いや、そうであって欲しかった。犯した罪を隠すように別の建物が建っていてくれたらと、汚い期待をしていた。
ずっとこの場所を避けていたのに、なぜ来てしまったのだろう。アッシュの屋敷を出てから意識して目指していたわけではない。走り続けるうちに、気づけば辿り着いていた。
ふと足元に白い塊を見つけ、屈んでみると風化しかけた骨だった。それに触れた途端、急に吐き気がこみ上げてくる。
どうにか堪えて立ち上がり、ジゼルは後ろを振り返った。
少し離れたところに馬車が停まっている。そこまで行き、戸を開けて乗り込むと中に座っていた男は目尻にシワを寄せて笑った。
「ここは何か君に関係あるところ?」
男の頭は白髪だ。ひどく老けて見えるが、まだ三十半ばだと言う。
ジゼルは座席に腰掛け、窓の硝子にこめかみを押しつけた。
「孤児院だったらしいよ。十年以上前に狼が出てね、みんな食い殺されたんだって」
男は顔に微笑みを張りつけている。穏やかではない話をするにしては、妙に嬉しそうだ。
勘ぐってしまう。噂になっていても不思議ではないが、彼は噂以上のことを知っているのではないか。
しかし彼とは昨日、会ったばかりだ。ろくに話もしていないし、狼の姿も見せていない。
「もう、いい……」
ジゼルが窓に向かって呟やくと、男は馭者に声をかけた。
馬車が動きはじめる。景色が刻々と後ろへ流れ、廃虚が遠ざかっていく。行き先は人の住む街だった。
昨夜、ジゼルは街に入った。
アッシュの屋敷を出てから人里に近づくのも、人の姿になるのもはじめてだ。今まで山や林の中で眠っていたが、北上するにつれて寒さと降雪の勢いが増してきた。食料を調達できなくなり、街に入ったのは仕方がないことだった。
この白髪の男は、寒さを凌げる場所を探していた時に声をかけてきた。無視をしてもしつこくに後をつけてくるので、仕方がなく彼の住居で一晩だけ世話になることにしたのだ。
いや、違う。人里に近づいたのも男の世話になったのも、仕方がないと自分に言い聞かせているだけだ。本当は人との接触に飢えていたのだろう。
一人でいると寂しい。記憶をなくす前に気づいた孤独は、時が経っても消えなかった。
孤児院に来たのはここで自分の罪の重さを再確認すれば、すべてを諦められるとどこかで思っていたのかもしれない。しかしまだ孤独が胸に溢れている。
灰色の空から小雪が舞いはじめる。一時間ほど馬車に揺られて街へ戻る頃には、視界はすっかり白色に覆われていた。
|