獣が眠る

 

 

 しかしジゼルを自分の屋敷へ招き入れても、アッシュは閉め切った研究室で薬の調合に没頭していた。顔を合わせるのは食事の時くらいだが、その時ですら話しかけてこない。
 いない者のように扱われている。
 なんのために屋敷へ連れてきたのか分からない。何を企んでいるのか。
 とはいえ、久しぶりの屋根のある生活は、あまりに楽で手放し難い。寒ければ暖炉に火を入れればいいし、ベッドは草むらよりも寝心地がいい。
 アッシュが不審な行動をしたらすぐに逃げればいい。そう思いながら屋敷で過ごしていたある日、アッシュがいる研究室に何気なく入ってみた。
 そこは調合材料らしき植物や薬瓶が雑然としている。その量に驚く前に、まず室内にこもっている薬草の独特な匂いにむせた。悪臭ではないがとにかく濃い。匂いはアッシュの体や衣服、屋敷全体にも染みついているが匂いの出元のここは尋常ではない。
 そんな部屋の真ん中で、アッシュは平然と机の前に座っていた。入ってきたジゼルに気づいたはずだが、かまわず分厚い本に視線を落としている。

「薬って、なんのために作ってるんだ?」
 鼻を押さえて薬瓶が並べられた棚を物色しながら、ジゼルは率直な疑問を口にした。
 彼の調合した薬の量は半端ではない。この部屋だけではなく、地下にも大量に置いてあるのを見た。てっきり魔術というものを使って調合していると思っていた。しかし道具を見る限りでは植物をすりつぶしたり、煮沸したり、混ぜ合わせたりといたって普通だ。
「暇つぶしだ」
 棚の中の薬瓶をいじっていると、アッシュの答えが返ってくる。
「ようやく人の言葉を使ったな。話せないのかと思ってたぞ」
 彼は本から顔を上げずに続けた。
 確かに人の言葉を使うのは久しぶりだった。人の姿でいること自体が久しぶりなのだ。
 ジゼルは背後からそろりとアッシュに近づき、彼の本を覗き込んだ。そこに書かれている言語は見たことがない。黄ばんだページに絵にも見える細かい文字が踊っている。
「私の生まれた国の言葉だ。その中でも古いもので私もほとんど読めない。かろうじて薬の調合の仕方が書いてあるのは分かるが、適当に解釈している」
 しばらく覗いていると、アッシュが教えてくれる。
「とりあえず手探りで調合しているんだ。解釈が正しかったのかどうか、十回、二十回、時には百回も二百回も調合してみてはじめて分かる。暇つぶしにはちょうどいい」
 どうやら三百年も生きているというこの男は、本当に暇なようだ。

「完成したものは食料と交換している。少しは役に立ってるぞ」
 自分でも呆れるほど暇なことをやっている自覚があるのだろう。ジゼルの怪訝な眼差しに気づき、アッシュは口元を歪めてみせた。
 その間も彼は少しも本から顔を上げなかった。
 屋敷に来てからずっとそうだ。近づいてこないし、顔を見ようともしない。
 どうやらジゼルに興味がないようだ。いても、いなくてもかまわないのだろう。
 こんな未開の森に一人で住んでいる男だ。世の中のすべてに興味がないのかもしれない。ジゼルに関しては、人狼を久しぶりに見たのでとりあえず屋敷に招いてみた。それで特に何をしようという考えはない。そんなところか。
「色々と不便だ。名前を教えてくれないか?」
 そろそろ匂いに耐えられない。研究室を出ようとアッシュに背を向けると、後ろから声をかけられた。
 放っておくつもりなら不便はないだろうが、教えたところで問題もない。
「ジゼル」
 しかし口にした途端、妙に恥ずかしい。自分の名前を声に出すのはどれだけぶりだろう。
 最後に名前を呼ばれたのは、いつのことだったか。
 ジゼルはこの部屋に来るまでいたリビングへ素早く戻り、やわらかな絨毯に突っ伏した。

 その後もアッシュの態度に変化はない。一ヶ月ほど滞在してジゼルは屋敷を後にした。月が見えないのは嬉しいが、薄暗い日々が続くとどうも太陽が恋しくなってくる。
 しばらく別の地方を放浪し、次に森を訪れたのは半年後。その時も一、二ヶ月ほど屋敷で過ごし、また各地を転々とする日々に戻った。
 

 

 

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