ジルベール考

 

02

 
 午後になり、馬車の用意ができたと知らせを受けて玄関を出ると、高すぎる蒼い空に眩暈を覚えた。
 やわらかな風に乗って漂う青葉の香りが、鼻をくすぐる。伯爵邸は王都の郊外にある。貴族の邸宅が建ち並ぶこの界隈は、街の雑踏から離れていて静かだ。
 王都に来たこの一週間、図書館からなかなか自邸に戻らないサヴィアは、ここぞとばかりに貴族の付き合いに駆り出されていた。
 しかしジルベールは暇だった。書簡の整理などの雑務のためにつれてこられたが、一週間もかかるものではない。伯爵邸の丁寧に手入れされた庭を歩いたりと、気ままに過ごしていた。まるで休暇だ。
 おそらく、サヴィアはそのつもりだったのだろう。
(休暇をもらっても、図書館にいれば仕事をしてしまう私を休ませようと……)
 気を遣わせてしまって心苦しい。
 溜め息をつくのと同時に、ふと馬車の中から物音が聞こえてきた。
 馬車から長身の男が降りてくる。サヴィアの荷物を積んでいたようだ。
 浅黒い肌に彫りの深い端正な顔立ち、無造作に肩まで伸びたクセのある黒髪。その目立つ姿は、異国の血が流れているせいだ。
 野生的で神秘的な雰囲気があると、称されることが多いらしい。すっかり見慣れてしまったが、ジルベールも出会った頃にはそんな感想を持っていた気がする。
 彼――カディとは、サヴィアに拾われる前からの長い付き合いだ。

「まだ続けてるのか」
 カディはジルベールに気づき、呆れたように呟いた。
 何を、と聞かなくても分かる。彼はいつも同じことについて小言を言う。
 ジルベールは声を出す前に、気づかれないように唾液を飲みこんだ。
「昨夜、着いたんだってな。サヴィア様に急ぎの用があったのか?」
 それでも声はかすれていた。
 カディが眉を寄せる。彼はサヴィアとの関係を、快く思っていないのだ。
「お前達が来てるとは知らなかった。なんとかって花の砂糖漬けを、もらいに寄っただけだ」
「スミレの?」
「ジルに土産」
「それはありがたい」
 伯爵邸の庭で咲くニオイスミレの砂糖漬けは、ジルベールの好物だ。
「一ヵ月半ぶりだな。調査は順調だったのか?」
「ジルが来てると知って会おうとしたら、あいつの部屋に行った後だった」
 しつこい奴だ。話題を逸らそうとしたが、無理だった。
「あの野郎、お前が断れないって知ってるくせに」
 カディは不機嫌そうに顔をしかめて吐き捨てる。
 断れないのは確かだが、サヴィアに抱かれるのはジルベールが望んでいることだ。何度もそう言っているのに、彼は理解しようとしない。
「サヴィア様を悪く言うな。素性の分からない私とお前を、拾ってくださった恩人だぞ」
「拾ってくれと頼んだのか? 俺が? いつ?」
 すかさずカディは鼻で笑う。
 ジルベールは伏し目がちに溜め息をついた。

 自由を求めて、ある場所からカディと逃げてきた。いや、カディに手を引かれ、連れ出してもらった。
 当時、お互い大人ではなかったが、まったくの子供という年齢でもなかった。カディなら、誰の力を借りなくても生きていけただろう。しかしジルベールには自信がなかった。
 逃亡中に保護を買って出てくれたサヴィアに、ジルベールが甘えたのは自然の成り行きだ。その時、なぜかカディもサヴィアの元にとどまった。
「そう言うなら、なぜいまだにサヴィア様の元にいるんだ?」
「お前がいるからだ」
 当たり前だと言わんばかりに即答された。
 再び溜め息が出る。この男は今も昔も変わらない。かつて逃亡した時も、サヴィアに保護された時も、ジルベールを置いていかなかった。置いていくという選択があることを、少しも考えないのだ。
 他人にそこまで気遣われることが嬉しくもあり、時々、鬱陶しく、心苦しい。
「お前こそ、なんであいつにくっついてるんだ。いい加減、目を覚ませ。いいように使われてるだけだぞ」
「本望だ。サヴィア様が少しでも使えると思ってくださるなら、私はここにいる。恩を返したい。無能な私に文字を教え、私にもできる仕事を与えてくださった方だ」
「体が目当てなんだろう」
 苦々しく吐き捨てたカディに、ジルベールは眉を寄せた。
「体で恩が返せるなら、私は何をされてもいい」
 こんなこと言えば、カディはひどく怒る。
 案の定、彼は鋭く剣呑な眼差しで睨んできた。まるで獣が威嚇しているようだが、慣れている。
 間違ったことも言っていない。体ごときで返せる恩だとも思っていない。
「サヴィア様と出会わなければ、私は今頃、男に体を売って惨めに生きていたか、それともすでに死んでいたか。サヴィア様のおかげで、人として生きていれる。平穏な今がある。カディとこうやって言い合っている時間すら……」
「サヴィアのおかげだっていうのか? 冗談じゃねえ」
 カディがジルベールの声をさえぎる。

 サヴィアの話をはじめると、お互いに譲らない。いつものことだ。今日のところは、説き伏せるのを諦めたのか。カディはふっと視線をゆるめて息を吐いた。
「ジルがあいつに惚れてるとかなら、俺は何も言わねえよ」
「まともな恋など、私にできるとは思ってない」
 今まで女を愛しいと思ったことはない。それは男も同じだ。
 サヴィアに対する気持ちが、恋ではないのも知っている。恋である方が誠実で、サヴィアが望むことなら、努力して恋をしたい。
 そんなふうに考えている人間が、まともな恋などできるはずがない。
「いや……」
 ふと思った。
「そうだな。お前を愛しく思うことはあるな」
「な……なんだ、それ」
 カディが驚いたように顔を歪ませ、奇妙な物を見るような目を向けてくる。
「カディは私を心配してくれる。感謝してる」
 言葉を続けると、今度は照れたようにそっぽを向いた。
 そんな彼を見て、自然と顔がほころぶ。
 カディは表情にも態度にも、気持ちを隠せない。純粋でやさしい男だ。だからこそ、つい心の内を吐露してしまい、そうすることで彼に甘えているのだと思う。
「時々、鬱陶しいけどな」
 更に続けてやると、カディはちらりと横目でジルベールを見た。
 次の瞬間、向き直ったと思うや否や、いきなり肩を組まれてよろめいた。カディがにやりと不敵に笑う。
「俺も時々、ジルの後ろ向きすぎるところがイラついてたまんねえ」
「じゃあ、お互い様だ」
 顔を見合わせ、同時に声を上げて笑っていた。

 こうやって笑うたびに思う。サヴィアは恩人だが、彼にも恩がある。
 サヴィアは人として生きる道を与えてくれたが、人らしく笑えるのはカディが側にいたからだ。彼のような友人を持てたことは、唯一、ジルベールが他人に誇れることだった。
 カディには自分に囚われず、自由になって欲しい。しかしずっと側にいて欲しいと思う。
 結局はわがままだ。
「ジル」
 ひとしきり笑うと、不意にカディが名前を呼びながら耳に唇を寄せてくる。
「サヴィアに拾われなくても、俺はお前くらい養って生きていけた」
 真面目な声で、いきなり何を言い出すのか。
 意味が分からず顔を向けると、すぐ近くにある目と目が合った。
「お前達は、兄弟のように仲がいいな」
 突然、背後で声が上がる。
 ジルベールは慌てて肩に組まれたカディの腕を振り払い、よれた服を整えた。
 屋敷の玄関に立っているのは、瀟洒なコートで身を包み、トップハットをかぶった紳士、サヴィアだ。
 話が終わるのを、待っていたようなタイミングだった。聞かれたのだろうか。彼はジルベールのことでカディによく思われていないことを知っている。しかし本人に聞かせるような話ではなく、後ろめたい。
 サヴィアはジルベール達を、微笑ましそうに目を細めて見ている。近づいてくると、ジルベールに手を差し出してきた。
「ジルベール、乗りなさい」
 手を取って、馬車に乗れと促している。しかしサヴィアより先には乗れない。
「体が本調子でないのだから、甘えなさい」
 ここまで言ってくれているのに、心遣いを無下にするのは逆に失礼だ。戸惑いながらも手を取ろうとしたが、いきなり腕をカディに掴まれた。
 そのまま引っ張られ、強引に馬車に乗せられる。魔術を操るくせに、この男は体躯がよく、腕力も強い。カディは自分の横にジルベールを座らせると、素知らぬ顔で脚を組んだ。
「サヴィア、さっさと乗れ」
「おい、カディ!」
 失礼にもほどがある。
 しかしサヴィアは気にしていない。やれやれと笑いながら馬車に乗りこんでくる。

 サヴィアはカディがぞんざいな口をきいても、気に留めない。客人として扱っているため、口調や態度に口出ししないのだ。
 カディは異色の魔術を自在に操る。魔術の才能がなく、学者でもないジルベールにはさっぱり分からないことだが、血筋によるものだろうとサヴィアは考え、興味を持っている。
 うらやましい。サヴィアに役に立てるのだから。
「カディはそっちに座りなさい。私が向かい合って座ってジルベールを見つめていると、お前は面白くないだろう」
 冗談を交えて言いながら、ジルベールとカディが座っている反対側の席を視線で指す。カディは何かを言いたげに口を開いたが、すぐに憮然として席を移動した。
「しかし、人の気持ちに疎いのは、時に残酷なものだな。ジルベール」
 どういうことか。
 急に脈絡のない話を振られてサヴィアを見たが、彼は片眉を上げてかすかに笑うだけだった。
 サヴィアが隣に座ると、外から戸が閉められ、馬車が動き出す。
 

 

 

楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] ECナビでポインと Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!


無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 解約手数料0円【あしたでんき】 海外旅行保険が無料! 海外ホテル