赤色

 

終章(2)

 
 恐ろしいまでに匂い漂う男性美。その体にしっかりと包みこまれている。繰り返し唇を甘噛みされ、舌をやさしく吸われながら。
 ベッドの上で赤彦は、凪人と裸で抱き合っていた。長かったすれ違いを埋めるようにお互いの体温を感じ合い、どちらからともなく口付けを交わす。
 ずっと、こうしたかった。
 こみ上げてくる感情が、吐息に変わって溢れ出す。赤彦は凪人の胸に頬を押し当てた。
 日が落ち、仄暗い室内は静まり返っている。目に映るのは凪人だけ、聞こえるのは彼の息遣い、そして鼓動。ここには二人しかいない。

 診療所で凪人と分かれた日から、一週間が経っている。
必ず会いにいくという、あの時の約束通りに彼は今夜、来てくれた。
「赤彦、これ以上も……していいのか?」
 指を絡めて赤彦の髪を撫でていた凪人が、ふいに耳元で囁く。
 思わず笑ってしまった。その弱気な発言は彼らしくない。
「はじめて大切なものに触れているんだ。弱気にもなる」
 うつむいたまま肩を小刻みに揺らす赤彦に、凪人は憮然として弁解した。
「駄目だって言われても、我慢できそうにねえけどな」
 しかしすぐに苦笑する。赤彦は頬を染めた。
 気持ちは同じだ。お互いの心を、言葉と唇で確かめた。だからこそ、より貪欲になってしまう。はじめはそれだけでも満足していたのに、やはり凪人に抱かれたい、彼を全身で感じたいという想いが抑えきれない。
 赤彦は凪人の片腕に触れた。そこには垂氷のナイフからかばってくれた時に負った傷が、痛々しく残っている。普通ならば腕が使いものにならなくなるほどの深い怪我だ。いくら凪人でも、一週間で完治するものではない。
「無理はしないでくれ。傷口が開く」
 見つめると凪人は目を細めた。
「かまわねえ……」
 唇を重ねながら、凪人が赤彦を押し倒す。ベッドが男二人の重みに沈み、鈍い音を立てた。

 口付けをほどこした唇が、胸に下りていく。ひたりと舌を押し当てられ、味わうように舐められる。
 全身を駆け巡る戦慄。
「う……ん」
 うっとりともたげた首にも、凪人は音を立ててしゃぶりついてきた。
 シーツの上に投げ出した赤彦の手をとり、腕のつけ根からゆっくりと唇を這わせる。
 先端まで辿り着くと指を口に含み、ねっとりと唾液で濡らしていく。赤彦に濡れた眼差しを向けながら。
 彼の双眸から視線が反らせなかった。まるで獣に食べられているようで、淡い恐怖と支配される喜びを同時に感じる。
 凪人は丁寧な愛撫を繰り返す。彼自身が言ったように、ひどく大切なものに触れるように、そして焦らすように。
 指を口から放すとふたたび胸に戻り、彼は薄紅色をした突起に舌を絡みつかせた。固くなっているそれの輪郭を確かめるようになぞられる。
 凪人にされていると思うと、たまらなくなっていく。
「あ、ん……」
 赤彦の唇から弱々しく甘い声がこぼれ落ちた。
 凪人は満足げに口元をほころばせ、胸の突起をその口に含む。吸いつき、時おり軽く歯を立て、指の腹でもう一方の突起をゆるりと押しつぶす。
 心地よさに息が弾んでいく。狂おしい熱が体の深部に生まれはじめ、これから更にもたらされる快感への期待が抑えきれない。赤彦は身をよじりながら足の指でシーツを握りしめた。

 体に残る垂氷の感触を、凪人の手と唇が塗り替えていく。長い間、どこかに必ず残っていた口付けの痕も、今はもうない。何事もなかったように、肌を凪人にさらしていた。
 急に不安がよぎる。
 このまま凪人の愛撫を受けていいのだろうか。
 戸惑いはじめた赤彦に気づかず、凪人は内股を撫でている。肌触りを楽しむように弧を描きながら、手を徐々に中心へ移動させていく。
 指先が触れる。
「待って……!」
 次の瞬間、赤彦は思わず彼の手首を掴んでいた。
 顔を上げた凪人が驚いたように見つめてくる。赤彦は伏せ目がちに唇を噛み締めた。
 凪人に抱かれたいと望んでいる。それでも垂氷を忘れてしまうのが怖かった。
 どちらの想いも同じだけ強く、どうしていいのか分からない。
 凪人の顔が近づいてくる。
「赤彦?」
 真っ直ぐな視線が突き刺さる。
「怖い……」
 不安を漏らした途端、凪人に性器を握られ、赤彦の四肢がびくりと跳ねる。かまわず彼は大きな手で赤彦をあますところなく包みこみ、ゆっくりと上下に動かしはじめた。
 とろけるような痺れが。下半身から滲むように広がっていく。
 赤彦は目蓋をきつく閉じ、凪人の胸に縋りついた。不安が心地よさに呑まれていく。それすら怖くてやるせない。
「や……お願、い。待っ……」
 抵抗を見せた唇は、即座に塞がれた。

 片手で性器を扱きながら、もう片手で赤彦の肩をベッドに押しつけ、凪人は噛みつくように口付けをする。さっきまでの、ついばむようなものとはまるで違う。唇を密着させて舌で舌を痺れるまでなぶり、口膣を蹂躙する。
 喉へ唾液を無理やり流しこまれ、飲みきれないそれが口の端からこぼれていく。
 見透かしているのだろうか。垂氷の姿を脳裏に浮かべてしまったことを。凪人は激しい感情をぶつけてくる。
「あ……ん……んんっ…………」
 息もつけない。口付けから逃れてもすぐさま凪人の唇が追ってくる。
 性器の先端を指の腹で執拗に刺戟され、先走りの蜜が溢れ出す。全体に塗りこみ、そして更に蜜を絞り出すように凪人は手を動かした。
 いやらしい水音が響く。
 どうしようもなく興奮してしまう。
 艶かしく身をよじる赤彦の腰を、凪人が片手で掴んで放さない。赤彦は彼の腕に爪を立て、足で力なくシーツを蹴り続けることしかできなかった。
 強引にもたらされる快感に、意識までもが酔いしれていく。
「……赤彦」
「あ……あ……ぁっ」
 何も考えられない。
 ふいに性器を扱く手を緩められた。
 切なさがそこに残る。もっとして欲しいのに愛撫をやめた凪人の手は、そこに軽く添えられているだけ。
「赤彦、俺を見ろ」
 凪人の声が耳をかすめる。
 せわしなく胸を上下させながらうっすらと目を開けば、彼の顔がすぐ側にあった。眉をしかめて赤彦を見つめている。
 虚ろな視線を返していると、額に張りつく髪をそっと払ってくれた。
「お前には、俺がいる」
 静かに悲痛な声で告げられて、愛しさと切なさがこみ上げてくる。
 赤彦は凪人の首に両腕を回して抱きついた。

 なぜ一時でも凪人を拒んでしまったのだろう。こんなにも好きなのに。こんなにも愛されているのに。
 顔を埋めている首筋から凪人の匂いがする。胸が擦れ合い、お互いの早い鼓動を感じる。
 垂氷の存在が、不安としてつきまとっているのは彼も同じ。
「乱暴にして悪かった」
 溜め息をつきながら、凪人は独り言のように呟く。
「だけど……俺はずっとあいつに嫉妬しなきゃいけねえのか?」
 赤彦は凪人を抱く手に力を篭めた。
 凪人は赤彦の脚を左右に開かせる。赤彦の張り詰めた性器をなぞりながら、しとどに濡れた指が秘部に降ろしていく。
 ひだをくすぐられて羞恥がこみ上げる。そこは淫らにひくつき、侵されることを望んでいる。
 指が埋められていく。慎重に内壁を擦り上げながら一度深部へと進み、それからほぐすように抜き差しを繰り返す。
「凪、と……っ」
 赤彦は唾液を飲みこんだ。
 唇を凪人の肌に擦りつけ、ひたすら淫猥な指の動きに耐えていた。こみ上げてくる居たたまれない疼きから逃れたいのに、些細な刺戟も逃したくない。
 指を増やされ、ゆっくりとかき回される。繰り返し弱いところを突いてくる。赤彦を絶頂に導こうとして。
「イってもいいんだぞ?」
 体を小刻みに震わせながら自分に縋りつく赤彦を、凪人は愛おしそうに誘惑する。
 赤彦は彼の背に回していた腕を緩めた。

   自分ばかりが触れられて、性器は今にも達しそうなほど張り詰めている。凪人のそこもすでにそそり立ち欲情しているが、自分も彼に何かをしてあげたい。
 この体で感じてもらいたい。
「凪人が……欲しい……」
 どこまでも一緒に昇り詰めていきたい。
 潤んだ瞳で見つめながら、赤彦は震える唇を動かした。
 凪人の口元にたちまち不敵な笑みが浮かんでいく。
「そんな顔でねだるなよ」
 途端に自分がひどく卑猥なことを言ってしまったのだと気がついた。全身が熱くなる。恥ずかしくてたまらない。耳まで焼けるように熱い。
 赤面して狼狽する赤彦に、凪人はなだめるように口付けをした。そしてそろりと指を引き抜き、自分自身を赤彦の秘部に当てる。
「ん……」
 羞恥も治まりきらないうちに、今まで感じたことのない熱い物体が内壁を抉るようにして侵入してくる。
 大柄な彼に似つかわしいそれの生々しい感触に、赤彦は四肢を強張らせた。それでも凪人は一気に根元まで埋め、最奥を侵す。
 体の芯を貫かれた衝撃に、赤彦は息を殺した。同時にこの上ない幸福が押し寄せてくる。
 言葉にならない。
「泣くなよ。痛いか?」
 凪人の顔が困惑に歪む。
 涙がただ溢れ出す。目蓋を閉じても止まらない。
 熱く脈打つ愛しいぬくもり。体の内側から凪人の存在を知らしめられる。愛し合っているのだと、この楔が教えてくれる。
 赤彦が首を振ると、凪人は赤彦の目元に唇を押し当てて涙を吸った。
「辛かったら言えよ」
 そして赤彦の指に指をしっかりと絡みつかせ、ゆるやかに動きはじめた。

 ぎりぎりまで引き抜き、また根元まで埋めていく。赤彦の体内に熱い自分を擦りつけ、お互いに狂おしい快感をもたらす。
 体の芯を突き上げられるたびに意識が白み、おののくような痺れが全身を包んだ。
 夢のよう。
「ん、はっ……あ……」
 だらしなく開く唇から止めどなく嬌声が溢れ出る。
 滑らかにうごめく凪人のそれが、夢中に赤彦を求めてくる。そう思うとたまらない。知らず知らずのうちに、赤彦も彼をきつく締めつけていた。
「く……っ」
 凪人が息を詰める。余裕を見せていた整った顔を快感に歪め、徐々に切迫を覗かせていく。
 息を荒げ、赤彦の腰を強引に揺さぶり、自分自身を打ちつけてくる。薄い粘膜が激しく擦れ合うその痛みもすぐに甘美な悦楽に変わっていく。
「ぁ……ああぁ…………!」
 赤彦は官能的な声を張り上げて背を弓なりに反らした。繋いでいた手を無意識のうちに解いてしまう。そして溺れるようにシーツを掻き続けていた。
 その手を凪人が自分の背へ導く。赤彦は震える腕で凪人の背にしがみつきながら、赤彦は必死に彼の熱を受け止めた。
「赤彦……愛してる……っ」
 その言葉は何度囁かれても褪せることを知らない。
「愛している……!」
「俺も……俺もっ……」
 しかし何度、囁いても言葉だけでは足りない。
 確かなものが欲しい。確かなものを与えたい。
 もっと。
 お互いの境が溶けていく。
 抱き合ったまま、二人で絶頂に上り詰めていく。
 

 

 

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