赤色

 

四章(7)

 
 目に映る光景に、凪人は息を呑んだ。
 診療所に残してきたはずの赤彦が、ここにいるのはなぜなのか。
 辺りに降り積もった雪が風に吹かれ、地吹雪が起こる。視界は悪い。街は、どこにも見当たらなかった。海も見えない。潮騒が聞こえているというのに。
 目の前にあるのは、枯れ木が不気味に立ち並ぶ林。
 そして悠然と構える垂氷の姿。

 垂氷は決戦の地に辿り着いた凪人を赤い双眸で真っ直ぐに見据えていた。何度会っても、その威圧感は他の鬼と比べ物にならない。
 彼の側には、首をはねた老鬼と似たような顔が二つ見える。そのうちの一人、隻腕の鬼が、気を失い微動だにしない赤彦を抱いていた。
 凪人は鋭い眼光で前方の鬼達を睨みつけた。自分の判断の誤りが赤彦を危険におとしめている。
 あの時、赤彦を診療所に残してくるべきではなかったのだ。病室の外から様子を窺っていた視線は確かに一人のもの、凪人が首をはねた老鬼のものだった。しかし敵は、あの鬼だけではなかった。
「主を……ここまでいざなった者はどうした?」
 老鬼が姿の見えない仲間を探し、訝しげに尋ねてくる。
「どこかで寝ているんじゃねえのか」
 凪人が吐き捨てた言葉に、彼等がどよめきたつ。
「よくも……我々の同胞を……!」
 彼等は焦りを隠せない。今まで張りつめていたこの場の空気を乱し、無様なほどにうろたえる。
 その中で垂氷だけが表情を変えず、ひたすら凪人を凝視していた。
 潮の匂いが入り交じる強風が、垂氷の黒衣と長い髪を揺らす。雪が降りしきる中、ふいに曇の切れ間に細い月が覗き、刻々と彼の全身に影を落としていく。月光に促されるように垂氷は腰を屈め、ブーツにそろりと手を這わした。
 そこから抜き取ったのは鈍色に光る両刃のナイフ。

「『混血児』に死をっ!」
 老鬼が吠え、垂氷が地を蹴る。凶器を構え、凪人に駆け寄る。
 凪人も外套の裏から二本のナイフを両手で引き抜いた。
 三つの刃が触れ合い、けたたましい音を鳴らす。
 すぐに離れ、再び垂氷はナイフを突き出してくる。それをも阻み、今度は凪人が斬りかかる。しかし垂氷のナイフに払われ、彼の血を見ることはない。
 右、左。交互に両手のナイフで斬りつけるが、いとも簡単に受け流される。
しかし垂氷には、いっこうに攻めに入る気配がない。勢いははじめこそあったものの、今はまるで遊戯でもしているかのよう。
 凪人は違和感を覚えていた。以前、見た垂氷の力はこんなものではない。本気を出していないのは明らかだ。
 刹那、受け身に徹していた垂氷がナイフを振るう。

「く……っ」  突然の速攻の衝撃に、凪人は息を殺した。
 顔の直前で阻んだが、今にも切っ先が肌に触れそう。垂氷は徐々に力を込め、確実に凪人にナイフを近づけてくる。
 刃と刃がこすれ合い、ぎりぎりと悲鳴のような音が立つ。腕に鈍い痺れが走る。足を踏みしめれば靴底が雪をえぐり、土を覗かせる。
 凪人はきつく奥歯を噛み締めた。
 やはり本気を出される、と防ぎきれない。
 垂氷は更にナイフに力を込める。そして凪人に顔を近寄せ、小声で囁いた。
「……撃て、六條」
 唐突に何を言い出すのか。

 計りかねていると、一瞬、垂氷は横目で脇を見た。その先を盗み見ると、そこにいるのは赤彦。
 凪人は垂氷に視線を戻し、彼を凝視した。
 それ以上、何も語らず、ただ赤い双眸を揺らめかせている。常に余裕を見せる彼が、そこに切迫の色をわずかに滲ませて。
 次の瞬間、両者のナイフが離れた。凪人は後方へ飛び、地に足がつくや否や、手に持つナイフを銃に持ち変える。
 引き金を引かれたS&Wレボルバーがうなる。
 弾丸は垂氷めがけて放たれた。
「な、何っ!」
 しかし叫びを上げたのは、隻腕の老鬼。
 凪人の銃の弾丸は垂氷の傍らを抜け、後方にいる彼に向かう。
 肉を打つ音とともに、彼の腕のない肩口から勢いよく血が噴き出した。避ける間もなく、凪人の乱射する弾丸が同じ箇所を的確に貫く。赤彦を手放し、老鬼は後方に吹き飛ばされた。
 赤彦の体は支えを失い、ふわりと崩れていく。もう一人の老鬼が慌ててその人質に手を伸ばす。
「貴方達の汚い手で、触れてよい人ではない」
 しかし凪人の銃がうなるのと同時に、その場に駆け寄っていた垂氷の脚が腹部を蹴り上げ、老鬼の体が宙を舞う。
 垂氷は、赤彦の体を地に着く前にそっと両手で受け止めた。
「赤彦……」
 垂氷の側に立ち、凪人は銃に弾を補充しながら、赤彦の頬に唇を擦り寄せる彼の様を冷ややかに見下ろした。

 この男は老鬼を撃てと言い、今は赤彦の無事を噛み締めている。赤彦がこの場に攫われてきたのは、彼の望んだことではなかったのか。
 状況がいまいち把握しきれていない。
 分かるのは赤彦に関して、垂氷と自分の目的が一致しているということ。
「ひとまず休戦です。赤彦の安全が先決だ」
「当然」
 言われるまでもなかった。
「一人、一匹。殺れますね?」
 垂氷が問いかけた時、蹴り飛ばされていた老鬼が高々と跳ね上がり、頭上から凪人と垂氷めがけて拳を振り下ろす。
 咄嗟に凪人は飛び退き、垂氷も赤彦を抱えて避ける。老鬼の拳が雪を割り、地面を砕いた。
 老鬼はそのまま凪人に向かってくる。突き出された怪力を有するその腕を避けながら脇を見れば、肩から血を流す隻腕の老鬼の方は垂氷を追っている。
 垂氷の腕の中で眠る赤彦は無事だ。

 悔しいが凪人には、赤彦を守りながら戦うほどの自信はない。しかし垂氷ならばそれが可能。
 凪人は小さく舌打ちをして目の前の老鬼に集中した。
 相変わらず老鬼は腕を突き出し、凪人を捕らえようとしている。攻撃と攻撃のわずかな隙に凪人は彼の額に銃を突きつけた。
 すぐさまそれを避け、老鬼は後方に飛び退く。凪人は腕を伸ばし、銃を構え直した。
 銃口が火を噴き、轟音が響き渡る。
 しかし弾は的から外れ、闇空に消えていく。
 見た目の衰えからは想像もできない、異常なまでの素早さだ。瞬きほどの合間に、老鬼はふたたび凪人に駆け寄り、銃身を掴み自分から反らせていた。
 凪人の動きを封じたと信じ、彼は口を歪める。
「計画は狂ったが……主が殺した我々の同胞の敵、己がとらせてもらう」
「やれるもんなら、やってみな」
 言いながら凪人は銃を持つ手を勢いよく振り上げ、銃身を握る老鬼の体を宙に投げた。
 

 

 

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル