四章(6)
「どういう、つもりですか?」
垂氷の声が、否応なしに低くなる。
数メートルばかり離れたところに、赤彦がいた。隻腕の老鬼に力の抜けた肢体を支えられ、長い睫毛を伏せている。指一つ動かさない。
「ご安心を。まだ息があるがゆえ」
すぐ側に立つもう一人の老鬼が、殺気を放つ垂氷を冷ややかに牽制する。
その言葉と連動するように、隻腕の老鬼が赤彦のあごを掴む。上向かせられた赤彦の唇がわずかに開き、白い息が辺りに散っていく。それと共に雪の入り混じる寒風に赤彦の臙脂の襟巻きがたなびき、やがて首を離れて宙に舞った。
近くで潮騒が聞こえていた。
ここは、街から遠く離れた林。夜闇の中、枯れ枝の影が生き物のように揺らめいている。
老鬼が凪人との決戦のために用意した場所だ。陰鬱で寂寥としていて、確かに死をもたらす地に似つかわしい。
ここにいる老鬼は二人。傍らに立つ老鬼は、ここまで垂氷をいざなった。そして前方の隻腕の老鬼はたった今、赤彦を連れて辿り着いたばかりだった。
「貴方達の目的は、六條に死を与えることのはずだ」
そのために大人しくついてきた。
「『神父』を我々が見過ごすとでも?」
傍らの老鬼が薄く笑う。彼の笑みを見ることなく、垂氷はひたすら赤彦だけを見つめていた。
大気が凍えているのは、季節のせいだけではない。
隻腕の老鬼の骨と皮だけの指が、赤彦の唇に差しこまれる。
「……ん」
歯列をなぞられ、執拗に舌をもてあそばれ、赤彦が苦しげに声を漏らして眉を寄せる。
「赤彦に……触れるな……」
動けない自分が疎ましい。下手に動けば、老鬼の鋭い爪が赤彦の喉をかっ切る。今は黙って見ていることしかできないのだろうか。
「確かに、貴方が骨抜きにされるのも無理はない。随分と男を喜ばせる躯を有している」
赤彦の口膣を堪能し、隻腕の老鬼が指を引き抜ながら言う。
赤彦を侮辱する言葉は聞くに耐えない。
普段は冷静沈着を貫いているが、今はさすがに限界が近かった。
「この者に血をお与えになるとは、御本心か?」
血が滲むほど拳を握りしめた垂氷に、傍らの老鬼が続ける。
「我々に従ってもらえぬのならば、貴方も始末することになる。その力は邪魔なゆえ……『彼』と同様に」
凪人の父、『彼』は人間の女に想いを拒まれ、自ら命を絶ったと聞いた。しかしそれを垂氷に伝えたのは老鬼達だ。
「そうか。そういうことか」
女が想いを拒んだのであれば『彼』の子を堕胎せず、なぜ生んだのかが不思議でならなかった。
納得がいく。
『彼』は殺されたのだ。女に血を、永遠の命を与えようとしたその直前に。
そして今、自分はその『彼』と似通った境遇にいる。
(しかし、甘く見られたものだ)
『彼』よりも力が勝っていると、垂氷は自負している。『彼』を亡き者にできたからといって、自分をも仕留められると考えるなど老鬼達の正気を疑う。まもなく凪人を連れて辿り着くだろう三人目が加わっても、彼等の力は代わり映えしない。
「貴方が今後とも我々の腕となられるならば、『神父』の命は保証しましょう。ただし人のまま……そして歯向かえぬよう四肢を切断することになるが」
「こやつは我々の手元に置き、貴方は毎夜、足しげく通い、体を重ねられるといい。これが最大限の譲歩」
犬になれというのか。
落ち着きと自信を取り戻し、殺気を緩めた垂氷に、老鬼達は順々に勝手なことを言ってのける。
垂氷は風になびく長い髪を押さえながら、唇の片端を吊り上げた。
すぐには赤彦を救うことはできない。
しかし機会はまだある。
「……いいでしょう」
潮騒の中に垂氷の低い声が響く。
その時、凪人が到着した。
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