祭りの翌日は、よくお囃子に紛れて悪霊が潜んでいたりするものだが…今年は大丈夫だったらしい。貯蔵庫が荒らされた…と言っていたので悪霊の仕業かもしれないと警戒していたが…単なる悪人の仕業だったようだ。もしかすると、自分で稼げない人間が、倉庫を壊して食料を持っていったかもしれないな…と結論付けると、他に見落としがないか、と警戒しながら社へと戻っていった。

『(…儀式はいつすっかな…)』

 ちらりと見上げた空には太陽しかいないが…日数を数える限りでは今日はまだ満月だ。明日以降だと徐々に欠けていくであろう月に、来月に持ち越すか、今日にしてしまうか…と二択を迫られる。

『(…早いに越したことはないか)』

 儀式を行う上で、イワンに虎徹の使いである証を授けることになる。それは虎徹自身とイワンを結び付ける絆となり、離れていても互いを感じ取れるようになるだろう。より『近い存在』となる…のだが…

『(煽られた時にあいつがどう出るか…だよなぁ)』

 虎徹の心配は、証を授けることによって心身がシンクロしやすくなる事にある。完全なシンクロではないにしろ…昨夜のような発情した状態になれば間違いなく気付かれるだろう。ヘタすると、イワンにも発情状態が移ってしまうことになる。

 そうなれば…彼はどうするだろう?

 何せ男同士だ。普通に考えて体を重ねることはまずない。………とは言い切れない事に気付く。昨日の2度目の口付け。知らなかったとはいえ、酔い痴れてしまった状態の虎徹に…深く…より深くと貪り求めてきたイワンは間違いなく体の上に覆い被さってきていた。
 あそこまで無意識でしていたのだから、『抱かれる』のではなく、『抱く』つもりでいるかもしれない。

『(抱く方…俺が抱かれる方…)』

 そこまで具体的に考えて…ふと気付く。

『(…嫌じゃないんだな…俺…)』

 口付けにしても具体的な体の交流にしても…拒む気持ちは欠片も湧き上がる事がない。自分の正直な心に苦笑を浮かべて見えてきた社の庭へと下りて行った。

『…?…』

 脱ぎっぱなしにしておいた浴衣がない事に気付いた。式神が片づけたかな?…と思っていると縁側に腰掛けて針を動かしているイワンを見つける。黙々と作業に没頭しているらしく、こちらに気付いていない。集中し過ぎると周りが見えないのだろう…そろり、と足音を立てないようにしてすぐ横に飛び乗ると、着物を仕立て上げたらしい。

『…(仕事が早いねぇ…)』

 胴裏がないから単仕立てではあるとしても…手縫いでこの速さはなかなかだろう。しかも、今、取り組んでいるのは合わせの裏に入れる紋の刺繍。見ている内にも流れる様な針さばきで完成に向かう刺繍はもうすぐ終わりそうだ。
 ならば、下手に声をかけて邪魔をするべきじゃないな…と縁側にべったりと伏せて待ち続けた。

「っ出来た!」

 糸の始末を終わらせて不要になった分を切り終えると、ばさり、と広げた。一人で仕立て上げたのは一度きりとあって、覚えているか不安だったが…これならば十分だろう。

『くぁあ…』
「!」
『んー…終わった?』

 縫い目の確認や、紋の仕上がり具合を手で確かめているとすぐ傍から声が聞こえてきた。驚きの余り、縁側から落ちそうになったが、のそりと動く気配にその場で固まるだけに終わる。…ぎぎぎ…と音でも立ちそうな首の動きで横を見ると、真っ白な虎が大きく伸びをしていた。

「た…タイガーさん……いつの間に…」
『んーと…さっき?』

 つい今しがたまでまどろんでいたのだろう…大きな口を開いて欠伸を零した彼はその逞しい前足で顔を擦っている。

『ただいま。』
「お…おかえりなさい。」

 ちょこんと会釈する動作に合わせてこちらも会釈を返す。するとこてん、と首を傾げた。

『俺の浴衣って直した?』
「あ、いえ…これを作るのに少し借りていただけで…ちょうど良かった。着てみてください」

 虎の姿からなかなか戻らないと思えば、脱いで行った浴衣がないせいだと気づかされる。それもそうだ…今人の姿になられたら彼は何も身に着けていないのだから…慌てて今仕上げたばかりの着物を被せた。すると金色の瞳が静かに伏せられて見る間に人の姿へと変わっていく。
 緩く羽織っただけの衿合わせから覗く肌に頬が熱くなるのを感じ取り、さり気なく…けれど素早く…前合わせを深くして隠してしまった。

「………」
「……どうですか?」
「…うん…いい出来…」

 若竹色の紬で織られた布を仕立てたのだが…簡単に前合わせをして、袖や衿周りを撫でていたと思えば、立ち上がって裾のさばき具合も見ている。何か気に入らないところでもあるのかな…と恐る恐る尋ねればうっとりとした声音で返された。

「ほんっと器用だな、イワンは」
「お…お役に立ててよかったです」
「うんうん、それじゃ、さっそく今晩儀式をしようか」
「……………はい?」

 いきなり話がすっ飛んだ。その飛び具合が本当に突拍子もないものだから、思わず首を傾げてしまう。

「巡廻に行ってる間に考えてたんだけどさ…満月って今日なんだよな?」
「満月…そう…ですね」
「せっかくなんで満月の間にしておいた方が楽かなぁって思ってさ」
「…月の満ち欠けって…何か関係あるんですか?」
「月光の淡い光でも『光』には変わりないから…『闇』の度合いが軽減されるんだ。そうなると悪霊も動きにくくなるから儀式に心おきなく集中出来るわけね」
「…なるほど…」

 果たして納得出来る説明を受けられるのか…と心配しながらも聞いてみれば、なんとも分かりやすい説明だった。夜になれば人は眠りにつくが…悪霊はそうとは限らない。むしろ夜の方が暴れやすいだろう。月光の降り注ぐ量が一番多い今夜ならば虎徹の負担も軽くなる…

「ってなわけで…今晩決行。いいな?」
「はい」

 急とはいえ、断ることの出来ない…否、断るつもりなどさらさらないイワンの力強い了承の言葉で準備に掛かる事になった。イワンが庭を掃除して綺麗にすると水と盛り塩で清める。その間に虎徹は『使い』としての『名』を決めるべく部屋にこもった。
 …ほとんど決まってはいるのだが…

 滞りなく準備が終わり、月が中天にさしかかるのを待つ間に二人は身を清めて白装束へと着替えていた。縁側に座り込み、じっと空を見つめていると装束の上から薄絹を纏う虎徹がやってくる。

「緊張してる?」
「してないです…って言ったら嘘になります」
「だよなぁ」

 正直に答えればくすくすと笑いながら隣に腰掛けた。その横顔がどこか強張って見える。思わずじっと見つめていると縁側の下に下ろしていた足を引き寄せて、膝に顔を埋めてしまった。

「…タイガーさん?」
「…俺も久しぶりだから緊張してんの」
「…久しぶり?」
「うん。前にしたのは…『あいつ』ん時か…だったら…ざっと100年は前だな」
「…その方は?」
「南方守んとこで修業中。」
「…修行…」

 修行中…ということはその内帰ってくるということだろうか…そもそも…北方守の虎徹の元に『使い』が一人もいない事に疑問を持つべきだった…と今さら思った。
 そして思った途端…じりじりと焼ける様な胸の痛みに気付いた。

 …自分の他に『使い』がいる…

 そう考えるだけで焦燥感が強くなってくる。虎徹の傍にいる『使い』は自分一人でいい…そんな事を考えている自分に気がついた。

「…気になる?」
「え…あ……はい…」

 ちらり…と向けられた視線から思わず逃げるように顔を反らしてしまった。まるで胸の内に気付かれた気分だ。

 …嫌だ…

 と…

 虎徹の『使い』は自分一人でいいんだ…

 と思う…浅ましく傲慢な願い。
 出会ったのは昨日の夜…なのにこれほどまで惹かれているのは…彼が『神』だからだろうか?

「正直だなぁ」
「…す…すいません…」
「や、謝る事じゃないよ」

 くしゃくしゃと頭を撫でる手が心地いい…もっと…触ってほしい…いや…

 もっと…触りたい。

 自分の心に困惑するも…心に芽生える真っ直ぐな願いにそっと手を伸ばす。
 触れる指先…温かな手…

「うん?」

 柔らかく微笑みかける顔に細められた金色の瞳…

「…あの…」

 一目惚れ。

「イワン?」

 一つの単語が頭の中に浮かんだ瞬間、すとん…と心が落ち着いた。それと共に、握った手の温もりで顔が熱くなってくる。

「…なんでも…ないです」
「そう?」
「…はい…」

 握った手を離さなくてはと思うのに離せなくて…どうしたらいいのか分からずそのまま俯いてしまう。けれど、虎徹も特に何も言う事なく…繋いだ手をそのままに空を見上げた。

「あぁ、忘れてた。」
「え?」

 ぽつり、と零れた言葉に顔を上げると虎徹の貌がすぐ傍まで迫っている。一瞬、驚いてしまったが、『ソレ』が解呪の行為だと気づくとじっとしていられた。…慣れたなぁ…などと思っていれば、当然のように差し込まれる舌…途端に広がる甘い蜜の味に自分からも絡めにいく。

「…ふ…ぅ…」

 僅かに離す瞬間に漏れ出る吐息の音…耳に心地よく響くその音を聞きながら更なる蜜を求めて体を寄せていく。すぐに離れるかと思った口づけは未だに解かれず…今朝した時よりも長い…今度こそ夢中になり過ぎないように…と心の中で無駄なことをぐるぐると考えていると、ゆったり解かれる。

「……慣れた?」
「え…あ……少し…」

 まだ唇が触れ合う位置で聞かれた問いに顔が熱くなるが…間違いではない。こくり、と頷くとぽんぽん、と頭を叩かれる。

「そりゃ良かった。する度に緊張されるとこっちも変に緊張しちまうしな」
「はい…」
「一日だいたい3・4回くらいを目処にしようかと思うんだ」
「はい」
「基本は今くらいの長さかな」
「はい」
「物足りない?」
「はい」
「そっかぁ、物足りないかぁ」
「ッ!ちちちちちち違いますっ!」

 思わず頷いてしまった問いに慌てて否定をすると、彼はくっくっと小さく笑い声を零していた。

「……わざとですか…」
「いやいや。聞きたかったのは本当なんだ。
 けどさ、こうもあっさりと頷かれるとは思わなくて…」
「…つられやすくて悪かったですね…」
「うんや?悪かないよ?おじさん、素直な子は大好きです」
「………」
「?どした?」
「いや…あの……お…おじさんて…」
「んー?この見てくれはどう考えてもおじさんだと思うがね?」

 ひょい、と肩を竦めつつも軽口を叩く虎徹の横顔からそっと視線をそらした。さらりと告げられた『大好き』という言葉に違う解釈をしてしまいそうになったのだ。
 違う違う…と自分で自分に突っ込みを入れていると虎徹が庭に下りていく。

「まぁ…違う方法に変えてもいいんだが…それはまた後で考えようか」

 庭の中心に立つと、虎徹を中心に式神を乗せた折鶴が12方角の位置に降りてきた。地面すれすれまで下りてくると、まるで雪洞の灯りのように淡く輝きを纏う。

「月は中天に…始めようか」

 静かに…囁くように呟くと、印を組んで足を踏み鳴らした。それが儀式開始の合図。式神が輝きを増してまるで松明の様に燃え上がる。


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