半分以上を嗅覚と味覚が働かないままに平らげたイワンは朝食の片づけをかって出た。簡単な説明を受け、洗った皿を丁寧に拭いて片付けていく。たった二人分の少ない食器ではあるが、高級な器に洗っている時、傷をつけないかと怯えながらしていた為か…片付け終えるとどっと襲い来る疲労感にため息を吐き出した。
 捲り上げていた袖を直しながら居間に戻ると神虎は大きな千代紙を適度な大きさに切っていた。

「ん、終わったかー?」
「あ、はい。ちゃんと直しておきました」
「んじゃ、ちょいとこっちへおいで」

 手招きされるがままにすぐ横へと腰を下ろすと、切り終えた千代紙を渡される。

「折り紙とかって出来る?」
「あ…はい…朧気にしか覚えてないですけど…」
「よし。じゃ、ひとまず何か折ってくれ」
「…なに…か?」
「何でもいいから折れるものでいい」
「…はい…」

 ざくざく…と小気味のいい音が奏でられる中、渡された千代紙としばし睨めっこをしていたが、徐に折り始めた。角と角をきちりと合わせて丁寧に折り上げていく。そうして作り上げたのは鶴だった。

「お〜…綺麗に出来たなぁ…」
「…あ、はい…」

 折る事に熱中し過ぎたのか、神虎がすぐ傍で座っていることに気づけなかった。互いの体温が伝わり袖が触れ合う感触にぎしり、と体を固めてしまっていると、机に置いた鶴が『羽ばたきだした』。その光景にぎょっと目を見開いてしまう。…幻か?…と目を擦ってもう一度見てみると、羽ばたいていた鶴はゆっくりと宙へ浮かび上がりふわふわと飛び回り始めた。

「やっぱりすぐ気に入ったかぁ…」
「え?…え??」

 するり…と差し出された神虎の指に鶴はひらりと一瞬止まるとすぐに飛び上がった。まるで蝶のような動きに目が離せなくなる。

「式神が乗ってるんだ」
「…しきがみ…」
「たまにこうやって乗り物を与えて遊んでるんだが、俺が作ると力が強すぎてな。
 乗りこなすのに一苦労させてしまうんでなかなか与えてやれなかったが…」
「…丁度いいんですか…?」
「丁度いいどころか…ありゃ、かなりはしゃいでるな」
「……喜んでる?」
「大喜びだ。」

 見上げる天井をくるくると回っている鶴にイワンの顔が笑みに変わっていった。褒められた事がないわけではないが…喜んでもらう…という機会はほぼなかったように思う。
 言葉では分からないが、神虎の言う通り…ぱたぱたと良く動く羽に喜びが伝わってくる。

「…素質あるなぁ…」
「そう…ですか?」
「ん。指先が器用なんだろうな」
「…そうかもしれません…よく刺繍を任されていましたから」
「刺繍かぁ…仕立ては?」
「一度だけ…しました」
「お、マジで?」
「は…はい…」

 きらり、と光った金色の瞳にもしや…と嫌な予感が突き抜ける。

 * * * * *

 脳天を突き抜けた嫌な予感はほんの少しも外れることがなかった。

「どれでも好きなの使っていいからな」
「は…はぁ…」

 足取り軽く居間を出て行った神虎は両腕に反物を抱えて戻ってきた。ついでに道具箱もあり、中には物差しから断ち切り鋏、絹糸に銀の針まで一通り揃っている。
 目の前に積まれた反物の山。本人曰く…供えてもらったはいいが、仕立てられないので宝の持ち腐れになっていたらしい。神虎の衣を仕立てる上で…仕立て代として好きな布を使って自分の分も作るように…と言い渡されたのだが…触れる反物すべてが正絹の美しい染め抜きや刺繍を施されたもので…とてもではないが選べない。
 とりあえず自分の分は思い出した時に考えるとして、先に神虎の物を手掛けよう…とインスピレーションから一つ取り上げて隣に座る彼の肩へと当てて広げてみる。建物の雰囲気もあるせいか…白地に緑系統の色を使った模様のあるものが良く映えて見えた。

「それで作ってくれんの?」
「はい…神様には緑のイメージが強いので…」
「……………『神様』…?」
「え?はい。神様」
「俺の使いになるから『神様』呼ばわりはちょっとなぁ…せめて名前…」
「え…あ、神虎様」
「や…それも通り名みたいなもんだから」
「あ…そうだったんですか…」
「…あー…そっか…今さらだけど俺の名前、教えてないんだ」

 ようやく気付いた…と言った雰囲気の神虎にイワンは首を傾げた。てっきり『神虎』が名前だと思っていたのに…どうやら違うらしい。
 苦笑を浮かべて頬を掻いた神虎は居ずまいを正してきちり、と座り直した。そんな彼にイワンも慌てて座りなおす。

「北方の守護に当たっている神虎、こと…鏑木・T・虎徹です。改めてよろしくお願いします」
「こちらこそ!よろしくお願いします!!」

 お辞儀する神虎…もとい、虎徹に対してイワンは土下座する勢いで頭を下げた。数拍置いて顔を上げると互いに笑みを浮かべあう。

「ちなみに他の守り神なんかは…俺の戦い方が荒いからって
 『ワイルドタイガー』だとかあだ名付けて呼んでくれてる。
 …というわけで。イワンはなんて呼んでくれる?」
「鏑木様。」
「却下。」
「えぇ!?」
「ほら、次。」
「う〜…虎徹様」
「ぶー。」
「ダメですか!?…えぇ〜…??」

 机に片肘ついてじっと見つめられる中、イワンは必死に呼び方を考える。引き結んだ口を尖らせる辺り、拗ねているように見えた。…何に拗ねるのだろう…と少し考えて、気さくで大らかな雰囲気の虎徹が嫌がりそうな事…と思い浮かべると、『様付け』ではないだろうか…と辿りついた。

「…虎徹殿。」
「固ぁ!」
「えっ…だって…」
「もうちょっと砕けてほしいんですけどー。」
「んーと…タイガー殿。」
「…もう一歩。」
「……タイガーさん。」
「…ん〜…」
「こ、これ以上は無理ですっ!」
「むぅ…しょうがねぇな…」

 ようやく折れてくれた虎徹にほっとする。これ以上粘られたらきっと呼び捨てにしなくてはならなくなりそうだったからだ。さすがに仕える身として主を呼び捨てになど出来るはずもなく…たとえ本人がいい、と言ってもイワンとしては無理だった。…しかし…せっかく本名を教えてもらったのに、あだ名で使われている方を採用してしまった自分に少し後悔してしまう。

「イワン」
「は…い…!?」

 名前を呼ばれて顔を上げれば唇に…ふにゅっ…と温かく柔らかな感触が広がる。…まさか…と思うまでもなく、焦点の合わないほど近い位置に虎徹の顔があることから口付けられたと分かった。半開きだった唇から舌を差し込まれて、背筋がざわりと騒ぐ戦慄に襲われるが…呪いを解く為だ、と心を改めてじっと耐える。甘い蜜のような濃厚な味に押し倒そうと指先が何度も跳ねるが、ギリギリで保った理性で押し留めた。

「っふぁ…」
「……ぁ…」

 ちゅく…と小さく音を立てて唇が解かれる。覚悟していた以上に短い交わりに思わず唇を追いかけてしまった。けれど、その唇に触れる事は叶わず、人差し指に止められてしまう。

「…今はここまで。」
「!…あ……、すいません…」

 無意識にがっついてしまった事に気付き顔が熱くなる。押し留めていたはずの手もやんわりと頬に滑らせている事に気付いて慌てて引っ込めた。そんなイワンを咎めることなく、虎徹は頭を撫でてやると腰を浮かせる。

「色々頼んで悪いんだけどさ。折鶴、あと5つ作ってくんね?」
「…5つですか?」
「おぅ。俺の式神は12体いるんでな」
「え!じゃあ全然足りなかったんじゃ…!」
「まぁ、交代で使ってるから1体でも不満はないんだけどな?
 今から巡廻に行くんで、お供を連れて行きたいなぁ…ってさ…」
「す、すぐ作ります!」
「ん。俺も準備があるから、そこまで慌てなくていいぞ?」
「はい!」

 元気よく返事をしてさっそく折る作業へ没頭し始めたイワンに笑みを浮かべると、虎徹は居間から出て衣を着替えに自室へと向かう。巡廻する時は虎の姿になる為、何か着ていてもすぐ脱ぐのだが…『人』がいるので出かける間際まで羽織る程度のものを探し始めた。お誂え向きな浴衣を探り当て、早速袖を通すと腰を組み紐で緩く縛っておく。
 次は庭に出て結界を張り始めた。イワンの呪いの種類は詳しく分かっていないが…解き始めたのだから、その気配を察知して呪いをかけた張本人が接触してくる可能性を考えたのだ。未然に防ぐ為にも結界を張っておいて留守中の奇襲を防いでおく。

「………」

 結界を張り終えて、虎徹は自分の手を見下ろした。軽く握ったり開いたりと繰り返す。

「(…やっぱ違うなぁ…)」

 自分の体に負担をかけない範囲で一日に何度か呪いを薄める為の口付けをするつもりではいる。呪いによっては自身で修復してしまうような厄介なものもあるので、なるたけ短期間の内に薄めて浄化してしまおうと思っていた。その為、いつもの見回りの前に軽く口付けておこうと…仕掛けたはいいのだが…

 昨日のように躯内を蝕む熱は沸き起こらない。

 それどころか、四肢をじわりと温めるだけで幾分体が軽く感じる。今も術を行使した直後だというのに気だるさは微塵も感じられなかった。

「(良薬、過ぎれば毒となる…ってか?)」

 信じ難い事ではあるが…イワンから取り込む体液は、虎徹に力を与えているように感じる。ただ、一定量を超してしまうと媚薬のように体中を嬲るような熱を醸し出してしまうようだ。

「(…まぁ…それはそれで気持ちいいからいいんだけど…するとしたら夜に限るかな…)」

 あとは就寝するだけの状態でなければ一日中あの甘く疼く熱に浮かされそうだ。…そう考えた瞬間、体の芯がぞくりと震える。頭の中では呪いを解く為の行為だ…と割り切っているのだが…欲望に忠実な躯は甘美な熱を欲して疼きだしていた。思わず荒い呼気を漏らしそうになる口元を手で伏せて深呼吸を繰り返す。

「(冷静になれ…冷静に…)」

 心の中で念仏のように唱えていると、頬を風が撫でた。ふと目を上げると、イワンの作った折鶴に乗った式神が窺うように回りをふわふわと飛び回っている。手を差し出せばちょこんと乗る折鶴へ笑みを浮かべて振り返ると、縁側に面した居間が襖の隙間から見えた。その中で宙を飛び回る折鶴が見えるが…事付けておいた数よりも遥かに多い。…どうやら式神全員分を作っているらしい。

「…これで…12!」

 丁寧に折り終わった鶴の羽やくちばしを整えて手を離すと、すぐに飛び上がる。その様子に…ほっ…と顔を弛めて飛んでいく方向を見ていると開かれた障子の間から縁側に座る虎徹の姿が見えた。

「…タイガーさん」
「おぅ。全員の分作ってくれたんだな」
「はい。早く使ってもらいたくて」
「うん。ありがとな?」
「…はぃ…」

 腰掛ける虎徹のすぐ傍に座り込むと、頭を撫でてもらった。とても擽ったくて、嬉しくて…心地よくて…イワンは瞳を細めて甘受する。一頻り撫でていた虎徹がおもむろに立ちあがった。

「んじゃ、巡廻に行ってくら。」
「はい」
「二時間くらいで帰ると思うから。留守番よろしく」
「承知しました」

 しっかりと頷くイワンに笑みを浮かべた虎徹は庭の中心へと歩むと腰紐を解いてしまう。何をするつもりなんだろう…と内心はらはらしながら見つめていると、淡く輝いて滑り落ちた浴衣の後に現れたのは虎の姿になった後ろ姿だった。ぐっと身を縮めると大きく跳躍して空へと飛び上がり駆けていく。その後を折鶴が6羽追いかけて行った。

「………」

 虎徹の姿が見えなくなるまで見送ってようやく上げたままの顔を下ろす。庭の真ん中に脱ぎ捨てられた浴衣が無造作に落とされていた。その周りに残りの折鶴が飛び回り、持ち上げようとしているのか袖や裾を突いている。
 そろりと庭に下りてくしゃくしゃになった浴衣を広いあげると、僅かに残る香りに瞳がとろん…と落ちてきた。

「(……甘い…)」

 心臓がどくどくと早鐘を打ち、頭の芯が…じん…と痺れる…先ほどもらった口づけの余韻が強く感じられ、顔を埋めて大きく息を吸う。

「………(いけない…これじゃあ…変質者みたいだ…)」

 ふと我に帰って慌てて顔を引き離すと両腕に抱えたまま居間へと戻っていった。机に山積みになったままの反物をみて、抱えた浴衣を見る。仕立てる…と言っていたものの、サイズが分からないな…と思っていたが…

「…作れるかも…」

 ぽつり…と呟くと、イワンはさっそく単で仕立てられる反物を掴み取り、裁断を始めた。


−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

←BACK NEXT→


『少年と虎』Menu

TOP

テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル