彼も中断させることなく一通り耳を傾けてくれた。その上、自分が考えていた事も正確に汲み取ってくれる。

「それに…僕もともと捨て子だったので…」
「お荷物がなくなって良かった…って?」
「………」

 はっきり言葉にされるとやはり悲しかった。
 拾われたのも、男手を期待しての事だったというのに…その期待に応えられず…反物に綺麗な模様を施せると言っても、短時間で大量に作り出せるわけではないので、穀潰しに近い立場だったはずだ。屋敷の人に直接言われたわけではないが、きっとそう思われていただろう…と俯いてしまう。

「悲しむ人が全くいない…なんてことないだろ?」
「…はい…同じ歳の友達とその親御さんが…逃げるようにって…準備してくれてたんですけど…断りました」
「死ぬかもしれないのに断ったのか?」
「はい…怖くなかったなんてことはなかったんですが…初めて頼られたから…」
「やり遂げたかったわけね…」

 話し合いの結果、イワンが生贄に選ばれた時…一番に心配してくれたのは唯一無二の親友エドワードだった。小さくて引っ込み思案だったイワンをいつも勇気づけてくれていた友人だ。彼の親も自分の子供同然に扱ってくれて…生贄になるのを反対してくれていた。後の事は何とでもなるから逃げろ、とまで言ってくれた親子だ。
 けれど…その気持ちだけでイワンは満足だった。例え逃げたとて行くあてなどない。それに、拾ってくれた屋敷の主人にも迷惑がかかってしまうだろう。

「…ま、事情は分かった」
「………」
「かといってお前を食うつもりはない。」

 やっぱり…と予想通りの言葉にがっくりと肩を落としてしまう。ついでに項垂れてしまった。すると額に、ごつり…と硬い物が押し付けられる。びっくりして目を開くと神酒を入れていた陶器の底が目の前に写っていた。

「こら。人の話は最後まで聞け。」
「…は…はい…」

 呆れた表情をした彼は大げさにため息を吐き出すと、びしり、と鼻先に指を突きつけてきた。その爪先に瞳をぱちぱちと瞬かせる。

「ったく…いいか。食うつもりはない。けど、ちゃんと『貰って』やる」
「…え?」
「ただし、『供物』じゃなく、『使い』として貰ってやる。だ。分かったか?」
「…『使い』…ですか?」

 使用人…と同じようなものだろうか?…でも神の使いとなると少し違うかもしれない…首を傾げてみると腕組をし直した彼はにっと笑みを浮かべる。

「要は俺の身の回りの世話だ。出来るか?」

 噛み砕いた説明にぱぁっと表情が明るくなる。

「は…はい!掃除も洗濯も得意です!…あ…でも…」
「うん?」
「…りょ…料理は…ちょっと…」

 拾われてから屋敷の中で出来ることを少しでもやって迷惑をかけないように…と片っ端から手伝っていた。その為に掃除も洗濯も一人前にこなせる。しかし…食事だけは奥さんの仕事なので野菜を洗ったり、皿を出したりといった事は手伝っていたが、包丁は握らせてもらっていない。

「あぁ。じゃ、飯は俺が作ってやる」
「でも…それじゃあ…」
「割が合わないって?そんなことねぇだろ。掃除なり洗濯なりして自分の食い扶持を稼ぐんだ。妥当じゃねぇか」
「…そう…ですか?」
「あぁ。もちろんそれ以外にも用事を言い渡したりするからな。充分成り立つだろ」
「よ…よろしくお願いします!」
「おう。こっちこそよろしく。」

 とんとん拍子に進む会話…いや、契約…といった方が正しいか…すんなりとまとまりをみせ、イワンは神虎の使いとして召し上げられる事となった。

 * * * * *

 供えられた酒樽をあっさり消してしまった神虎は再び虎の姿へと戻ると、神域へとイワンを招き入れた。脱ぎ落とされた着物を手にイワンは恐る恐るついていく。お堂の奥に祀られた岩の裏に光の穴が出現する…それが神域への扉。先の見えない場所に踏み出すのは怖かったが、神虎がぴたりと寄り添ってくれたので足を運びいれる事が出来た。

 柔らかな草を踏みしめる感触に閉じた瞳を開くとお堂よりも何倍もある建物が聳えている。2階建てのその建物は、生い茂る木々の中に紛れそうな柔らかな緑に着色されており、凝った彫刻が施された欄間が覗き見える。真っ白な壁が月に照らされ、まるで薄絹を纏ったような優しい雰囲気に包まれていた。

「…っ………っ…」

 あまりの美しさに…ほぅ…と深呼吸すると喉の奥が詰まるような感覚に襲われた。思わず口を押さえ胸元を握り締めると、変化に気づいた神虎が見上げてくる。

『…大丈夫か?』
「は、はい…」
『はい、っていうような顔じゃねぇな…息苦しいのか?』
「…そう…ですね…空気が…薄い感じが…して」

 眩暈すら起こり始めてその場に膝をつくと、神虎が顔を摺り寄せてきた。すると僅かに呼吸が楽になる。

『…ふぅん…なるほどね…』
「…え…?」

 納得したような声音に顔を上げると、虎はいつの間にか男の姿に変わっていた。するりと伸ばされた手が両の頬を包み込む。手から伝わる温かい体温にほぅ…と息をついた。

「おい、あーん、ってしてみろ」
「…へ…??」
「あーん。」
「…あ…あー…」

 じっと見下ろしてくる金色の瞳を見上げていると、簡潔な指示を言い渡された。戸惑いに瞳を瞬かせていると、指示を重ねられるだけ…おずおずと口を開けると柔らかく微笑まれた。

「はい、おりこうさん」
「ッ!!?」

 するり、と頭を撫でられると開いた唇を蓋してしまうように、深く口付けられる。あまりの事に硬直していると…ぬるり…と舌が入り込んできた。僅かに広がる酒の味…けれど、それを凌駕してしまう甘い蜜のような味にもっと、と無意識の内に舌を絡ませてしまう。
 口内に溜まったどちらのものとも知れぬ唾液を喉の奥へと流し込む。互いの喉が…こくり…と小さな音を立てると、名残惜しげに舌が解かれ出て行ってしまった。

「んっ…」
「っはふ…」

 完全に離れてしまう間際に、ちゅっと音を立てて口付けられる。閉じていた瞳を開くと、頬に朱を差した艶かしい表情がすぐ目の前にあった。

「どうだ?」
「ふぇ?」
「息苦しさ。治まったか?」
「え?…あ…はい」

 薄く笑みを浮かべる男の貌にクラクラとする中、問いかけられた言葉を必死に考える。胸に手を当てて呼吸を繰り返してみると、さきほどのようなつっかえもなく、清々しい空気が肺の中を満たしていった。

「…お前さ…」
「はい?」
「拾われたの…赤ん坊の頃だろ?」
「え?…どうして…」
「どっから連れてこられたかは分からないが…呪いを掛けられてるんだ」
「…呪い…」
「相当根深くて…生まれる前からかもしれないな…となると…母体にも影響が出ていただろう…」
「…じゃあ…お母さん…は…」
「…お前を庇って亡くなった…かな…?」

 考えれば考えるほど、悲しい考えしか浮かばない母の存在を…まさかこんな形で明らかになるとは思ってもみなかった。捨てられていたのだからてっきり『いらない子』だと思っていたのに…じわりと浮かぶ涙で視界がぼやけていく。

「まぁ…確かなことは分からないけどな…」
「…はい…」

 呟く声はとても優しく、頭を撫でてくるてもふわふわと柔らかく心地よかった。冷たく沈む心が少しずつ解れていく。

「…この呪いさ…もしかしてお前の発育不良の原因かもしれない」
「…え?」
「お前がちっこくて細っこい原因。呪いが成長を妨げてるのかも…」

 腕組みをして少し考えていた神虎の言葉に目を見開いてしまう。

「ま、安心しろ。俺が呪いを解いてやっから」
「ほっ…本当ですか!」
「おぅ。すぐに…とはいかないが…」
「いえ!ぜひともお願いします!」
「…ん、オッケー。任せとけ!」

 イワンの土下座に近い会釈に対して返されたガッツポーズにほっとする。神に仕えるようになる身で呪い持ちなど…またお荷物になってしまうところだ。けれど、解いてくれる、というし、小さいまま成長が止まった体も大きくなるかもしれない。今度こそ役に立てるようになる…という思いにイワンは意志を新たにした。
 それとともに…現状にも気づいてしまう。

「ッ!!!」
「うん?」
「わっわっわっわぁっ!」

 慌てて手に持っていた着物を目の前の裸体に被せると抱きつくようにして包み込んだ。そんな大慌てなイワンに対して神虎は平然としている。

「は…破廉恥ですっ…」
「ん?…あぁ、そっか…人は裸だと恥らうもんだもんな」
「は…はい…」
「でもさ?同性だろ?」
「どっ、同性でもです!」
「ふぅん?」

 神虎の体に魅入ってしまうから、とは到底言えず…それでも一応は納得してくれたらしく、被せた着物に腕を通してくれた。紐は持っていないので緩く前を合わせるのみになり、隙間からちらちらと胸元が覗くのだが…真っ裸を見せ付けられるよりはずっとマシだ。

「あぁ、そうだ。お前、名前は?」
「え?…あ、イワン、です。イワン・カレリン」
「ん、分かった。じゃ、イワン、もう一回やっとくか」
「…へ?」

 言葉の意味が計り知れずに首を傾げると、少しすぼめた唇をとんとんと指先で叩いてみせる。その行動に一拍置いて顔が真っ赤になった。

「あ…あの…」
「呪いを解く手段の一種なんだよ。俺の体液を注ぎ込んで呪いを薄めていくんだ」
「そ…そう、です、か…」
「ま、気持ちよかったってのもあるけど…」
「っ!ひ、卑猥です!」
「ははっ!卑猥、と来たか。」

 思わず叫んでしまった言葉に失礼だったか、と思ったか、彼はただただ笑うだけだった。怒らせてはいないんだ…と内心ほっとしていると、艶めいた笑みを浮かべて貌を寄せられる。途端に跳ね上がる心臓が苦しい。

「残念ながら、俺らは聖人じゃないんでな。人並みに性欲もあるんだよ」
「…ぁ…ぅ…」
「いいだろ?気持ちよくて呪いも薄められるなんて…一石二鳥だ」
「…うぅ…」
「もしかして気持ち悪かった?」
「そんなことないっ…です、はい…」

 少し悲しげに寄せられた眉に慌てて否定をすると、すぐににやりと笑みを浮かべられて…やられた…と悟った。はっきりしないイワンから言葉を引き出せた神虎は頬を擦り寄せてくる。

「…イワン…」
「…は…い…」

 鼓膜を優しく甘く震わせる声に体が絡め獲られていく。頬にちゅっと軽く口づけられて瞳を閉ざすとそろりと動く気配と、唇に柔らかくて温かな感触が広がった。互いに開いた口からそれぞれの舌を差し出すと、舌先が擦れ合いじんっと熱を帯びる。首に回される腕に応えて背中を抱き寄せると体を凭れさせてきた。思ったよりも軽い体重に驚きつつ、後ろへひっくり返らないよう、なんとか踏ん張りながらも絡められる舌に意識を奪われていく。

「んっ…ぅ…」

 とろり、と舌に広がる濃厚な蜜を吸い上げると、抱きついてきた体がぴくりと跳ねる。頭の芯がじん、と痺れるような感覚に体がもっとと強請っていた。背に回していた手を移動させて首の後ろを持ち上げると更に深く交わる。吐き出される呼気さえ呑み込んで積極的に舌を絡ませれば、首に回された腕が小刻みに震えてずるりと落ちていった。

「…ん…んっ…」

 離れそうになる唇を追いかけて崩れ落ちる体を夢中で追いかける。ずるずると落ちていく体を支えながら絡められる舌を存分に味わった。覆い被さる体勢になっても尚絡め合う舌と唇…混ざり合う蜜を呑み込んでいない神虎の唇の端から溢れそうになるそれを僅かにずらして舐め取り、震える舌を貪欲に追い求める。うっすらと開いた瞳で間近にある貌を盗み見れば、閉ざされた睫毛が意外に長いんだ…と気づいた。切なげに寄せられる眉…目尻まで赤く染まるその貌に喉が鳴る。

「…っふ…ぅん…む、ぁ…」

 熱い口内に差し込んだ舌で上顎を撫でれば、体の下で跳ねる四肢…どくり、どくり…と大きく脈打つ心臓の音が伝わりそうできゅっと瞳を閉じた。


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