「…なんだ…こりゃ…」

 歪に膨らむ影が黒い鞭のような塊で氷を粉々に砕き、ドラゴンキッドを電撃ごと吹き飛ばす。しばらくの間、ロックバイソンと取っ組み合いになっていたが、やはり彼も吹き飛ばされてしまった。呆気にとられている間にも影は暴走を続け、一面を瓦礫の中へと埋めてしまう。

「私達が知っているのはここまで…」
「…で…警察からの連絡が…何も見つからなかった…と…」
「そういう事よ。」
「………稀に見る強敵…だな…」
「七人掛かりでこのザマだからな…」

 虎徹と一緒にアントニオもため息をついた。同じ時期にヒーローになった二人の戦歴は似ていても可笑しくはない。そんな二人が過去を振り返ってもここまで梃子摺る相手は居なかったように思う。

「…もし…ワイルドタイガーがここにいたらどうしてた?」
「あん?」
「キャリアのあるベテランヒーローならどうやって正義の破壊をしてたの?って聞いたの」
「…あのねぇ…何も壊すのが好きなわけじゃねぇんだからな?」
「いいから。質問に答える。」
「へいへい……そうだな…」

 自分は番組プロデューサーであって、現場の戦いについて口出しは出来ない。ただいつもはタイガーが突っ走っていくのを諌めるだけだ。過去が変わらないのは分かっているが、もしあそこに彼がいたらどう変わっていたのか…そして彼はどう行動したのだろう…半分の好奇心と…結果が変わっていたかもしれない期待にアニエスは聞いてみた。

「まず突っ込むな。」
「…聞いた私がバカだった。」
「最後まで聞けよ」
「いいわ。続きをどうぞ?」

 最初の一言に盛大なため息を吐き出した。やっぱり居ても居なくても良かったかも…と思ってしまうが、なにやら続きがあるそうなのでとりあえず聞いておくことにする。もちろん聞きたいわけではなく、質問を振ってしまった自分の責任から聞くだけだ。

「ったく…まぁ、突っ込んでいくだろ?で、相手さんの能力が切れるまでやりあう」
「昨夜のバーナビーと同じね。」
「あぁ。バニーちゃんに手伝ってもらってもいいけど…ただ、『GOOD LUCK』は使わずに俺と取っ組み合いにさせるんだ」
「純粋な力勝負か?だったら俺の方が適任だろう」
「や。俺でいいんだよ。」
「…それで?その後はどうするの?」
「俺ごと氷らせてもらう」
「…え!?」
「で、念の為に電気も撃ち込んどいて貰うとなおの事いいだろ。そこまでしときゃいくらなんでも抵抗は出来ねぇさ」

 にっと笑う彼の顔を信じられないものを見るような表情でホァンはただただ見つめ、カリーナは首を振った。

「だっ…ダメだよ!タイガーまで電気を喰らっちゃう!」
「そ、そうよ!私だって!仲間のヒーローに自分の能力使うなんて嫌!」
「でもさ。羽交い絞めにするなりしとかないと捕まらないと思うんだわ、奴さんはさ」
「だとしてもあなたでなくとも僕がやりますよ」
「バニーちゃんが?それこそダメだろ」
「…何故ですか?」
「みんなの人気者バーナビーを攻撃しちゃったりしたらブルーローズとドラゴンキッドにどんなバッシングが来ることやら…」
「…そうよねぇ…作戦といってもハンサムちゃんを傷つけるのは…ちょっとねぇ…?」
「…おじさんなら良いって言うんですか?」
「良いとは言ってないわ」

 ぴりっと走るバーナビーの不機嫌なオーラにネイサンも顔を曇らせる。決して『ワイルドタイガーだから攻撃を当ててもいい』なんて欠片も思ってはいない。ただ、『バーナビーが仲間の攻撃を受ける』というのが世間的に最悪な事だけはよく理解している。

「あのさ、バニー。もしこの方法を摂るならメンバーの中で俺が一番適任なんだよ」
「…その理由は?」
「んー?まず丈夫だろ?まぁ、バイソンにゃ負けるだろうけど…
 そこんとこは一旦置いといて…で、人気最下位じゃん?そんな俺が仲間の攻撃受けても世間にゃ…
 あぁ、ドジったのか…って思われるくらいで終わるんだ。
 な?アニエス」
「……まぁ…そうなるでしょうね」
「だろ?」

 ますます眉間に深く皺を刻むバーナビーに憮然としたままのカリーナとホァン、釈然としないながらも反論出来ないほかのメンバーの中、虎徹はにっと笑みを浮かべるだけだった。重苦しい空気にアニエスは一つため息を吐き出す。

「…その件は保留。とりあえず、またあの影みたいな奴が暴れるかもしれないから…覚悟をしておいて」

 ヒーロー達の沈んだ返事が返る中、解散を言い渡された。



「…バニーちゃん?」
「………何ですか?」
「お。返事した」
「呼びたかっただけですか?」
「あぁ、いやいや…」

 廊下で目の前を歩く相棒に声を掛けると、黙殺されずに返事が返ってきた。素直に驚くとますます機嫌を損ねてしまったようだ。苦笑を浮かべて誤魔化すと、ようやく歩みを止めてくれた相棒の隣へと歩を進める。

「何がそんなに気に食わないんだ?」
「…何が?…それをあなたが聞きますか?」

 腰に手を付いて首を傾げると、きっと鋭い瞳で睨まれてしまった。その凄みのある目に思わず両手を挙げて『Lose』を示す。すると一層眉を吊り上げた彼はおもむろに左手を掴み取り、壁へと押しやった。

「え?…えと…バニー、ちゃん?」

 更に頭のすぐ右に手を付いてずいっと近づけられる顔に顎を引いて少しでも遠のくように心がける。鼻先が触れそうな距離まで詰め寄られてようやく止まった。けれどじっと見つめて来る緑の瞳は鋭さを増しているように見える。

「…貴方は自分の価値を理解していない。」
「……はい?」
「どんな風に思われているか…ちっとも分かってない。」
「…う…ん?」
「…そうやって…何もかも背負おうとするの…やめてください」
「んー…でもよぉ…」
「…何ですか…?」
「被害が最小限に抑えられるんだから…いいじゃん?」
「……………あなたのそういうところが嫌いです。」

 傷つくのが自分一人で終わるならそれでいい…そう言って笑う彼の肩にバーナビーは顔を埋めた。どこまでも誰かを守る為の盾であろうとする彼は…ヒーローの鑑と言ってもいいだろう。
 ただ、その方法が時に手荒で色々なものを壊してしまう…己の体さえも…
なのに彼はいつだって『誰か』を助けることばかりを優先させる…今もそう…凭れかかる青年の肩に腕を回して宥めようとする。

「(…いつか…その志が貴方を滅ぼしてしまいそうで…怖い…)」

 広がる言いようのない恐怖心を隠すように見た目よりも細い体を強く抱きしめた。

 * * * * *

 少し頭を冷やしてから戻る…というバーナビーと別れた虎徹は一人オフィスのデスクに戻ってきていた。ちらりと時計を確認すればもうすぐお昼の時間だ。ロイズの秘書も切りのいいところまで目処がたったのだろう、デスクの上を整理している。

「…あれ?」

 今日のランチは適当に作ったものをタッパに詰めてきたのだが…果して同居人となった少女の口に合うのだろうか?…と少々心配になりつつも件の少女の元に戻ってきたのだが…

「…ずっと座ってたのか?」

 少女は部屋から出る前と全く同じように椅子にちょこんと座っていた。周りをみるも何か弄った様子も見られない。このくらいの年頃ならば何かと興味を引かれて触るだろうと思っていたのだが…随分大人しいようだ。

「…ずっとよ」
「へ?」
「ずーっとそこに居たわよ」
「…そ…すか…」

 頬杖をついて呆れたような表情をする彼女に苦笑いを浮かべて視線を少女に戻すとじっと不安げな瞳で見上げてきた。そんな顔に小さく笑みを溢すと持ってきたお弁当の包みを掴み、少女を抱き上げる。

「お昼行ってきやーす!」
「…いってらっしゃい。」

 包みを掲げながらにこやかに告げるとすんなり送り出してくれる。
…ただ、その言葉が出るまでに僅かな空白があった事に虎徹は気づかなかった。

「…あれ?おじさんは?」
「お昼に出かけたわ」

 数分後に戻ってきたバーナビーはてっきりデスクでマヨネーズ片手に食事に励んでいると思っていた男の姿がない事に首を傾げた。すると、色鮮やかなハンカチーフで包んだランチを広げる秘書が教えてくれた。

「え?一人で?」
「んー…一人…とは言わないんじゃない?」

 そう言って彼女は両手で空中に形を描き出す。それを見てバーナビーも納得したように頷いた。

「いつお迎えしたのか知りませんけど…随分気に入っているのですね」
「ホントにね…心配までしてたみたいだもの…」
「…それはそれは…」
「…妬ける?」
「…そうですね…妬けないと言ったら嘘になります」

 素直に答えるバーナビーに彼女は笑みを浮かべるのだった。

 * * * * *

「ちょっと…日陰になるけど…ここなら誰も来ないぞ?」
「………」

 そう言う虎徹が来たのはアポロン社ビルの屋上に程近いテラスになったような場所だ。手摺が少し低いが、この少女の性格を推し量るに、その手摺から身を乗り出したりはしないだろう。その証拠に下ろしても、虎徹のスラックスを握り締めて動こうとしない。

「………」
「手摺に凭れたりしないなら覗きに行っていいぞ?」

 窺うような視線を上げる彼女ににっこり微笑みかけると、我慢していたのだろう…小さく頷いて外の見える一角へと走り寄っていった。そして虎徹に言われた通り凭れない様にと少しだけ距離を開いて手摺の隙間から見える街を眺める。

「見晴らしいいか?」
「………」

 心なしかわくわくと楽しそうな横顔に問いかけると満面の笑みで振り返ってくれた。

 * * * * *

 再び瞳を開くと穏やかに眠る少女の顔が見える。
結構打ち解けてくれた…とは思う。

 けれど…まだ一度として声を聞いていない。
一人で心細いから喋らないのか…とも思っていたが…これはもう…喋らない…ではなく…喋れない…の域のような気がした。

それに…動かない…という方もとても徹底していた。

 屋上のランチタイム…二人で仲良く食事を摂った後、しばらく彼女は興味津々に手摺の向こうに広がる景色をあちこちから眺めていた。
 けれど何かに気付いたのか…ぴんっ…と背筋を伸ばしたかと思えば虎徹の膝へと駆け寄ってくる。急にどうしたんだろうか…と目を瞠っているとちょこん、と膝の上に座って凭れかかるとそのまま動かなくなった。
 ますます首を傾げていればバーナビーが昼休みの終了を知らせに来た。

 それらから察するに…虎徹以外誰かの存在があると固まってしまったように動かなくなるらしい。

 コレは果して…人見知り…と呼べるのだろうか?

 喋れない事からも考えて…もしかすると虐待などの精神的ショックがあったかもしれない。
 ショックから声を失い…虐待から身を守る為に人形のふりをする…
…在り得なくもない…
 だとしたら人の存在そのものがストレスになっているかもしれない。
明日からはヒーロー専用の待機ルームで待たせる方がいいだろうな…
そしたら…仕事の合間を縫って様子を見に行って………

 ぐるぐると考え込んでいる内に睡魔が襲ってきたようだ…
瞼が重くなり、思考が鈍くなる…ゆっくりと沈むように意識が溶けていった。



……

………

 静寂が部屋の中を包み込む。僅かに聞こえる寝息だけが部屋の中を満たしていた。

「………」

 穏やかな寝息を立てて眠る虎徹の横で少女が体を起こした。投げ出された手にそっと手を重ねて両手で包み込むように触れる。けれど虎徹は昏々と眠り続けていた。

「… … …」

 小さく開かれた唇から零れ落ちた言葉は音にはならず…暗がりの闇に解けていった。


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