―幸―
―キィ……
「……おや。お人形はお出かけしましたか」
おかしそうな声とつばの広い帽子の下から覗く笑み。
先程までそこに座っていたはずの『お人形』はどこかへと行った後だった。
* * * * *
外へ出ると、遠くに雷の音が聞こえていた。空は重い雲で覆われている。
目的もなくふらふらと歩いていると電気屋の前に来た。ガラスに映るのは髪が少し伸びた己の姿。髪は全て下ろしてあり、服装もDr.ジャッカルの物を拝借してきた為、黒のスウェットに黒のコートといった服装 ウィンドウにはテレビが何台も置かれていて、あの歌を歌っていた。ぼんやりと見入っていると……
「危ない!」
女性の声が聞こえたと思ったら何かがぶつかりその場で倒れてしまう。辛うじて頭は打たなかったので、かけているサングラスもなんともなく。ただぶつかってきた何かが横に転がったままだった。
「っつ……」
「もう!ちゃんと前見ないから」
思い切り打った右肩を抑えて上体を起こすと、横に転がった何かも起き上がる。そうして慌てたように立ち上がった。
「ほら謝らないと……銀ちゃん」
……『お人形』の体が震えた。
―銀ちゃん?
「うわぁ!ごっごめんなさい!!怪我してないですか!?」
俯き座ったままの体を助け起こそうと、その腕を掴み上げた。振り払おうとしたが、戸惑ってしまった為に振り払えず、意図したままに引き寄せられる。その瞬間銀次と目が合ってしまった。
「……蛮……ちゃん?」
「っ!!」
「え?蛮くん!?」
目が合い、名前を呼ばれた瞬間蛮は腕を振り解き走っていた。銀次の声が聞こえないので何ともなしに歩いていたのだ。
……だがここは新宿からは目と鼻の先。
そんな場所に銀次やヘヴンが来ないとは限らないのだ。
―何故気をつけなかった?
蛮はただ夢中に走り続けていた。
―今のは……蛮ちゃん……
「銀ちゃん!追いかけなきゃ!!」
「!」
あまりの驚きと嬉しさと苦しさで銀次は呆けてしまっていた。だが、ヘヴンの声で瞬時に我に返る。そうしてまだ数メートルしか離れていない蛮の後姿を捉え、弾かれたように走って行く。
二人の姿が視界から見えなくなった所でヘブンはその場に座り込んでしまった。
「おい?」
「あ……士度くん」
「どうした?立てるか?」
「私はいいから!銀ちゃんを手伝ってあげて!」
「銀次がどうかしたのか?!」
「今……蛮くんが……」
「美堂がいたのか?」
「それで……銀ちゃん……追っかけて……」
「分かった」
ぽろぽろと涙を流し始めたヘヴンの言葉を一通り聞いたところで士度は二人が走っていった方へと駆け出した。同時に獣笛を吹く。
「士度!」
人ごみの中をすり抜けていると横道から声がかかった。振り返ればそこには花月がいる。それでも走りつづけていたら花月が並んで走り始めた。
「もしかして見つかった?」
「あぁ……今銀次が追っているらしい」
「今の銀次さんに追いつけるかな?」
「どうだろうな……」
「士度……動物達を使って二人を誘導出来るかい?」
「何か手立てがあるのか?」
「あるにはある……けど卑弥呼さんの助けもいる!」
「なるほど……時間稼ぎをしろってことか?」
「頼む」
「さっさとしろよ……体力がもたねぇ」
「ありがとう!」
* * * * *
走り続けていた。黒いコートを翻しながら。黒い髪をなびかせながら。その後を一定の距離を置いて金髪の持ち主が追う。付かず……離れず……見失うこともなく……
そうして蛮の行く手に度々動物が道を塞ぐ。それが士度の仕業であるなどすぐ想像がつく。
息が上がる。呼吸が忙しくなり、周りの風景など気にしてもいられない。ただ走っていた。たとえ霧の中に入ったとしても、走り続けた。
「!」
霧を抜けて現われたのは無限城。瓦礫の積み重なるロウアータウンの一角。蛮が銀次と初めて出会った場所。銀次が蛮と戦った場所。
蛮は不意にコートに付いた香りに気が付いた。微かに匂う、記憶にある香り……卑弥呼のポイズンパフューム。
―っ……やられた!
自らの不覚に気付いた瞬間蛮が立つ瓦礫に電撃が弾けた。足元を掬われた状態になり瓦礫の山から転がり落ちる。
「……いっつぅ……」
「……捕まえた」
右肩への二度の強打により蹲ってると銀次が側まで近づいてきていた。耳に届くその声に体を震わせ立ち上がろうと体を翻した。が……
「逃がさない」
翻したとともに銀次が乗ってきたのだ。蛮の背を跨ぎ、両手を地に縫い止める。コンクリートの上に広がる黒いコートの裾を踏んで体を固定した。
「逃がさない」
「……っ」
「……逃がさない」
蛮が暴れようと試みた矢先、銀次の声が耳へかかり首筋に唇が落とされた。……耳に……髪に……首に銀次の息がかかり、蛮は息を飲む。体に伝わる熱も重なる手も、よく知っているもの。
「……蛮ちゃん」
下に押さえ込んだ体はよく知っている体。掴んでる手首も、唇に触れる肌の感触も、重ねた体から伝わる少し低い体温も……ずっと取り戻したかったもの。あともう一つ。欲しいものは……声。
「蛮ちゃん……どこにいたの?ずっと……ずっと探してたんだよ?」
「………」
「ずっと……帰ってくるの……待ってた」
「………」
顔を見せないように、見られないようにコンクリートへ額を押し付ける蛮に、銀次が語りかけた。そっと囁くように耳元へ声を吹き込み、縋るように白い首へ頬を擦りつける。蛮を血が沸騰しそうなほどの感覚が襲う。
「……蛮ちゃん……俺のこと嫌いになった?」
「……っ……」
「……ね?蛮ちゃん……俺のこと、もういらない?」
「っ……」
「蛮ちゃん……俺といるの嫌になった?」
「……っ!」
首筋に熱い息がかかる。真摯な言葉に蛮は震えることしか出来なかった。それでも、自分の気持ちを誤解されたくない。その想いがようやく行動に反映する。
「……っっっ」
「……蛮ちゃん?」
蛮がふるっと頭を左右に振っている事に銀次は気付いた。首筋に顔を埋めていた為にその事に気付けなかったのだ。捕まえた手首の上、白い手が強く握り締められている。銀次の瞳が徐々に光を帯びてきた。
「蛮ちゃん?……俺が……言った事……違うの?」
「………」
沈黙は肯定を意味する。銀次が蛮と共に過ごして得た蛮の表現方法。口が素直ではない蛮の、精一杯の表現。
握り締められた手に己の手を重ねる。
「答えて蛮ちゃん……違う?……違わない?」
「………違う……」
少し震えてて、小さく吐き出されたのは、はっきりとした否定の言葉。今まで銀次の中で蛮がいなくなった事の不安材料が全て流されていく。自らを戒めていた思考が消されていった。
そして残ったのは……蛮の行動に対する疑問。
「……じゃあ……どうして?」
「………」
「どうして……俺を置いて出て行ったの?」
「………」
「言って?蛮ちゃん」
「………」
また、蛮の首が横に振られる。今度は『嫌だ』という意味。
「蛮ちゃん……ずるいよ。そうやって何も俺に言ってくれないよね?」
「……」
「何も言わずに全部自分でしようとして一人で傷つくんでしょ?」
「……」
「前にもこうやっていなくなっちゃったよね?
あの時は……俺に関する事だった。今回もそう?」
「……」
「ね?蛮ちゃん……俺に関する事は俺にも言って
俺なりにも考えるから……」
「……」
「蛮ちゃん……顔、見せて?」
「……っ」
「……俺は信用ない?」
「違う!」
信用はしてる。すぐにでも側に行きたくても我慢出来るほど、信用してる。
それだけでも……信じて欲しくて、蛮は声を荒げ、とっさに振り返る。振り返った先にあるのは、柔らかく微笑む銀次の笑顔。
「……やっと……顔見れた」
押えつけたコートと手を蛮が振り返るタイミングに合わせて緩める。そのおかげで勢い良く振り返った蛮を体ごと振り返らせる事が出来た。振り返った蛮の頬を両手で包み込んでその瞳を覗き込む。頬を包んだ銀次の手首に蛮の手がかかった。
「俺の好きな瞳……顔……唇……」
個所を慈しむように呟きながらキスを落とす。最後の個所には深く永くキスを落として惜しむように離れていった。
「蛮ちゃん……一人で傷つかないで?一人で抱えないで?もっと俺に頼って?俺に出来る事ならなんでもするから」
頬を包み込んだままの手に暖かい水が伝う。重力に従って地に広がる黒髪にも届き、少しずつ濡らしていく。
「蛮ちゃん」
「……銀次が……いなくなる……から……」
「……俺が?いなくなる?」
「紅い……黒い夢の中でいなくなるから……」
見開かれたラズライトの瞳から止めどなく涙が溢れてくる。銀次と同じく、心の奥深くにしまい込んだ物を一気に押し流すように、言葉とともに涙が出てきている。
「……エリスも……邪馬人も……いなくなったから……」
「……蛮ちゃん……」
「……銀次も……いなく……っ」
「……もう、いいよ……蛮ちゃん」
「……ん……っ……」
今にも泣き叫びそうな蛮の声を銀次は自らの口の中へと収めてしまう。少しでも落ち着くように、少しでも心が和らぐように、少しでも……安心出来るように……
しばらく重ねたままだった唇を離すと蛮の口から吐息が出される。未だに瞳は濡れたままだが、先程よりは幾分落ち着いたようだ。
「……ね?蛮ちゃん……いつも俺を守ろうとしてくれてるのは分かってる」
「……ん」
「……だけど……俺は蛮ちゃんが側にいないと『生きて』いけないんだよ?」
「でも」
「俺が今こうして蛮ちゃんを追っかけたのも、こうして捕まえていられるのも、蛮ちゃんが帰ってきた時ちゃんと『おかえり』って言えるようにする為だよ?ちゃんと笑顔で迎えられるように……がんばったんだ」
「……銀次……」
「でもね?みんなには分かってたみたい。無理してるって」
「………」
「ヘブンさんには散々痩せたって怒られちゃった
……ね?蛮ちゃん。俺、少しも平気じゃなかったんだ」
「………」
「蛮ちゃんがいないと……ちゃんと……笑えないんだ」
「銀っ……」
頬を包む手が離れたと思うと、それらはすぐに蛮の体に回された。大地との間に腕を差し入れ、強く抱き締める。
「誰かを亡くす痛みは俺も知ってる」
「……銀次」
「……俺よりも蛮ちゃんの方が多いから……すごく怖いんだって分かってる
でもそんなの関係ない。亡くした痛みはみんな同じ。亡くした時の気持ちも同じ……」
「……」
「痛くて……苦しくて……どうしようもなくて……」
「……辛くて……何も見たくなくなって……閉じこもりたくなる……」
「うん」
「何も出来ないって分かってても……何かしないと狂いそうで……一人で足掻くんだ」
「うん……でもさ、蛮ちゃん」
「……ん?」
「俺は『今を蛮ちゃんと過ごせない』方が辛いんだ」
「……どうして?」
「だって『蛮ちゃんはここにいる』のに『一緒にいられない』んだよ?」
「!」
「俺は蛮ちゃんを失ってない。まだ、失ってないのに……一緒じゃない。だから……すごく辛い
蛮ちゃんに捨てられた気分になる」
「っんなわけねぇだろ!」
「分かってるって。でも……側にいなきゃ、そんな事ばっかり考えちゃう……」
蛮が声を荒げた事で銀次の顔に笑みが宿る。
「蛮ちゃん……たとえ……本当になっちゃう夢を見ても、俺は蛮ちゃんといたいよ?」
「っ……」
「いつかはいなくなるかもしれないけど……こんなに近くにいるんだから、側にいる事を選ぶよ?」
「……銀……」
「もし……蛮ちゃんがこの腕の中でいなくなっちゃう事になっても……俺の側にいてくれるなら。それでもいい……」
「……銀次……」
「蛮ちゃんは……いや?」
首が……横に振られる。
「俺の側では幸せを感じない?」
さらに強く振られる。
「じゃ……夢見ても……俺の側でいてくれる?」
蛮の腕が銀次の首に回され、引き寄せられる。強く唇が合わせられ、更に深く、と求められる。その行動に答えるべく銀次の腕が更に強く蛮の体を抱き寄せ、呼吸を絡ませていく。
それは、側にいる事の約束。可能な限る続けられる誓いの儀式。
「……っは……」
「……ごめん……がっついちゃった」
「……いや……別にいいけど……」
「じゃあもう1回♥」
「調子に乗んな!」
「けちー」
「んな問題か!」
言葉通りに顔を近づけてくる銀次の頭を抑えながら怒りのオーラを纏う蛮。だだっ子のように口を尖らせる銀次。……それは『いつも』と変わりない光景であって、自然な空気が流れている。
「あ!!」
「な、なんだよ?」
今の今まで締まりのないでれでれとした顔をしていた銀次が突然大声を上げる。どこか驚愕に震えているようにも見えるが…
「ば、ば、ば、蛮、ちゃん?」
「あ?」
「……これって、赤屍さんの、コート……だよね??」
倒れたままの蛮に覆い被さる銀次が今にもたれそうな顔で聞いてきた。
「あ?……そうだな。確かジャッカルといたんだっけか……」
「服……は?」
「さぁ?」
「『さぁ?』?!」
「し……しゃーねぇだろ?頭ん中一杯で何も考えらんなかったんだから」
「で……でも……それって……」
蛮が困ったように眉を寄せて呟くと銀次の顔色がさーっと青くなっていく。そして……
「蛮ちゃん!服脱いで!」
「は?」
「全部脱いで!」
「なっ!」
「蛮ちゃんが食べられてないか調べるから!」
「ばか!んなとこで出来るか!」
「門徒不用!!」
「問答無用だ!!」
瓦礫の上でもめる二人を背に使者達が微笑み、帰っていく。
二人が一悶着起こしている遥か上空。曇っていた空から光が漏れていた。
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