「この建物の8階から上はぜーんぶ、撮影スタジオなのよ?」
「8から上…えぇ!?」
軽く説明されてちらりとボタンの数字を見るとこの建物は10階まで存在していた。建物の3フロア全部が撮影の為のスタジオに当てられている、ということだ。
「そんなに驚くことじゃないでしょうに…」
「えっ…だって結構広いよね、この建物…」
「うん、広さはあるね。でも一軒まるまる撮影用にしてるとこもあるし…普通じゃないかな。」
「…そう…なんだ…」
カルチャーショック…かもしれない…と呆気にとられるニールを余所にエレベータが到着を告げる。扉が開いた先には聞かされた通り、スタジオと呼べる空間が広がっていた。フロア全体が見渡せるような…がらん…とした空間…けれど、壁には色が塗ってあったり、板張りにしてあったりと変化がある。更に天井を見上げるといくつものレールが存在しており、辿っていけば、壁際にパネルが並べられているところへと辿りついた。どうやらこのパネルでも背景に変化を持たせる事が出来るらしい。
「あ、お疲れ様ー。」
「あ、ちょうど良かった。今まさに呼びに行こうとしてたんですよ。」
すぐ傍にあった小部屋の扉が開かれた。そこから出てきたのはクリスで…どうやらここでメイクの仕上げをしていたらしい。彼女の後ろから刹那が出てくるのかと思えば、姿を現したのはエミリーくらいの少女だった。
「?」
「あ、スメラギさん!」
「お疲れさま。大変だったでしょ?」
「はいぃ…初めてのお引きずりだったので上手くできるかどうか…すっごく不安でしたぁ…」
「しかし君の事だ。綺麗に仕上がったんだろう?」
「はい!もちろんですぅ!」
近くに移動したティエリアの言葉に少女の顔がきらきらと輝きを増した。その変化から彼女がティエリアの事が好きなのだとすぐに理解出来る。しかし驚いたのは…ティエリアの顔も柔和な微笑みが浮かべられた事だ。その上そっと優しく頭を撫でる様子にますますきょとりと瞬いてしまう。
「…あぁ…ニール。」
「!刹……………な???」
二人の様子から目を離せずにいると刹那の声が聞こえてきた。はっと我に返り振り向くと…確かにそこにいたのは刹那…なのだが…姿がニールの時間を止めてしまう。
きりっと上がった眉…目力を強調した黒のライン…その目を縁取る睫毛は長く切れ長に見えるように少し斜めに流してあるようだ。目元をラベンダーのアイシャドウが色を添え、唇はしっとりとしたイメージのあるワインレッドが妖しさを醸し出す。
少し首を傾げた刹那の動きに合わせて顔を縁取る黒髪がさらりと揺れる。頬の半ばの高さで切りそろえられた髪が滑らかな肌の上に散らばった。そろりと視線を更に上げるとサイドを残したアップヘアに仕上がっており、意外に細い首の後ろから肩にかけて長い黒髪が流れる。
その毛先から更に下がっていくと口が開いて塞がらなくなった。
紺色の地に角度によって七色に変わる…深緑を連想させる色の楕円が並んでいる。ゆっくり…恐る恐る視線を動かしていくと、想像通り、正面で布がクロスしていた。その合せ目から下に下りれば白地に銀糸で模様を描いた帯上げが黒と緑のグラデーションを描く帯の間に挟まっている。帯の中心で結ばれた銀色の帯締めにそろそろと後ろに下がって全体を見てみれば…堂々としたクジャクの姿が描かれた裾の長い着物だった。
「ニール?」
「なっ…なっ…なんっ…!?」
赤くなるやら青くなるやら…刹那のその姿はついさっきスメラギとティエリアとで話していたコーディネートそのものだ。違う所を挙げるとすれば…頭に簪がないくらいではないだろうか?
「そんなに驚くことないでしょうに。」
「え!?だっ、て!???」
「君がコーディネートしただろう?」
「いや、さっき話してたけども!」
「だから刹那に着て貰ってるのよ?」
「え?でもっ…これ…既製品であるの?」
「あるわけないだろう?そんなデカイクジャク柄。」
「えぇ??じゃあ…これは…?」
「ついさっき出来上がったのよ?」
「…はぁぁ???」
どこか得意げな表情のティエリアに、自信満々な雰囲気のスメラギ。他の面々もほくほくとした表情で訳のわかっていない刹那と呆然としているニールの方が異様に感じてしまう。そうした中で腰に手を当てたスメラギはVサインをつきだしてくる。
「我々の総力を挙げればこれくらい当然の事よ。」
顎が外れる思いだった。
「老体を欠片も労わってくれないがな。」
「!?」
突然頭上から降って来た声にニールは驚き思わず飛びのいてしまった。振り返ってみると金髪のおかっぱにサングラスをかけた男が立っている。
「あら、モレノ。間に合ったんだ?」
「間に合うも何も…ちょっとした細工とメンテナンスで終わるからね。」
「それは良かった。」
「まったく…老体に無茶させんでくれよ。」
「あら。でもこうしてきちんと仕上がってるって事はついてこれるってことでしょ?まだまだ若いって証拠じゃない。」
「物は言いようだな。後でイアンに何か差し入れしてやってくれ。」
「イアンに?」
「パパさんがどうしたですかぁ?」
「燃え尽きて今リンダとフェルトに看病してもらっとる。」
「あ…それで受付にいなかったんだ…」
呆気にとられている間にも何気なく会話がなされていて、このモレノという男もメンバーなのだ、と感心してしまった。人は見かけで判断してはいけないんだなぁ…とぼんやり見ているとスメラギと視線が合う。思わずびくっと肩を跳ねさせると笑われてしまった。
「何も取って食うわけじゃないんだから。」
「は…すいま、せん…」
「彼はジョイス・モレノ。もちろんメンバーの一人よ。」
「よろしくな。」
「あ、よ、よろしくお願いします。」
「それから後回しになっちゃったけど。この子、ミレイナ・ヴァスティ。さっき話してたイアンの娘さんで、メンバーの一人でもあるの。」
「初めましてですぅ!ミレイナ・ヴァスティ、春に小学2年になりますですぅ!」
「…え?今…小1?!」
「そ。これでも着付けのプロなの。」
「ぅえぇ!!?じゃ、じゃあ刹那の着物…」
思わず刹那を振り返り着せられている着物を見上げる。衿の抜け具合、合せ目に見える襦袢の幅、帯の下に出来ている端折…どこを見てもきっちりとバランスよく着つけられていた。これをこの自分よりも小さな少女が着付けたのだというのだ。
「…すげ…」
「でもでも、ミレイナ1人では無理なので、セイエイさんにもクリスさんにもお手伝いしてもらっちゃいましたぁ。」
「いや…それでも…十分だよ…」
どれだけ幼く、子供であろうが、技術、知識、経験…それらがすべて揃えばれっきとしたプロ、ということだ。その事実を目の当たりにし、会社の方針がいかに実力主義であるかを見せつけられた。
「あ、そうだ。先生は先生なので。これからよろしくお願いします。」
「…えへ…お姉さんになって気分ですぅ。こちらこそよろしくお願しまぁす!」
ぺこり、と丁寧にお辞儀をして業界の大先輩に礼儀を通すと擽ったそうな表情で微笑むミレイナも元気よくお辞儀を返してくれた。
「さて、モデルさんの頭を少々弄らせてもらうか。」
「よろしくお願します。」
「………ほぅ。」
モレノが手に提げていた箱を担ぎながら放った言葉に刹那がいち早く反応を示した。服装と髪型に気を払っている為か、ゆるりとした動きのお辞儀に彼は感嘆を上げる。そして顔を上げた刹那をじっと見つめた。
「ど?モレノ??」
「うん。なかなかの上玉だな。」
「でしょ!!」
「あぁ。クリスもミレイナも楽しかっただろうに。」
「も、すっごく!楽しいのなんのって…ね!?」
「はいですぅ!」
「だろうなぁ。私も楽しみになってきた。では仕事にかかろうか。」
「ミレイナ!椅子と机を準備よ!」
「がってんしょーちですぅ!」
仲良し姉妹のようなやりとりに顔がほわっと緩んでしまう。ぱたぱたっと走り去る二人の後にモレノが続き、首を僅かに傾げたままだった刹那に手招きをした。それに従い、刹那も後へ続く。
「では、あとはセッティングの方ね。」
「…もしかして…屏風とかも…」
「うん、バッチリ出来上がってると思うわよ?」
「…そ…っか…」
もうここまで来たら何が起こっても驚かない気がしてきた。その上、よくよく考えれば、この会社は…あのイオリアグリープの一端なのだ。何より…あの着物をたった1・2時間で作り上げてしまうほどの技術を擁する組織なのだ。いちいち驚いていては心臓がいくつあっても足りないだろう。
「お、きたきた。」
「準備はどーお?」
「チェック入れてくれてOKですよー?」
フロアを進んだところにある黒い空間に…思った通り、赤い絨毯と屏風らしき板が立てかけられてあった。ただ、予想を上回っていたのは…絨毯が4種類ほど並べられている事だ。
「っ…!」
驚かない、と決めた矢先にさっそく驚いてしまい愕然としてしまう。
「絨毯の色…どうですかね?」
「…うーん…」
「一応原色寄りと暗めの赤を選んで来たんスよ。」
「この2つは同じ色に見えますが?」
「あぁ。毛足の長さが違うんだ。」
「なるほど。」
黒のジャージを着込んだアレルヤ並みのマッチョが意見を伺いに来た。ラフなジーンズにTシャツを合わせた青年も一緒に聞きに来る。その様子から、どうやらこの2人がセッティング担当なのだ、と推測出来た。
「んー…私としては暗色の方かな…どう思う?ティエリア。」
「そうですね…原色ではそちらの方が着物より目立ちそうですね。あと毛足は長い方にしてください。長時間撮影だと足が辛くなる。」
「りょうかーい。」
ぽかんとしている間にも決定したらしく、絨毯の大移動が行われる。その間にちらりと立てた板を見上げた。思った通りの屏風である。薄い茶色に小さな四角に切られた金箔が散らされ、思ったよりも上品で華やかに見えた。
「わぁ〜、雰囲気あるぅ〜。」
「大人な空間ですぅ。」
楽しげな声に振り向くと刹那に付き添ったクリスとミレイナがきらきらと輝いた瞳でこちらに近づいてきていた。長い着物の裾を一緒に持って上げているらしく、さながらウェディングドレスのヴェールを持つ子供のようだ。二人にエスコートされ、ニールの傍まで来た刹那を見上げると黒一色だった頭に金色の髪飾りが付いている。透かし細工のような小さなプレートがいくつか連なったお下がりとアメジストの珠が付いた簪。さらに、扇の形をした透かし細工にラインストーンをさりげなく散らした簪が左右に広がり、ポニーテールに縛り上げた部分には帯のような布が巻かれていた。
「…どこかおかしいか?」
「え?あ、いや…その…綺麗だなぁ…って…」
「あぁ。鏡で見たがとても華やかで美しいな。」
率直に、心のまま呟いた言葉に刹那はそっと手を上げて黒髪に挿した簪を軽く触れて見せた。その行動にニールは苦笑を浮かべる。
「…簪のことじゃないんだけどな…」
「え?」
「ん、なんでもない。」
「?」
「刹那ー?入ってくれるー?」
言葉を濁したニールに首を傾げたが、セットの近くに立っていたスメラギが呼んでいる。憮然とした気持ちはあるが呼ばれている方へ行くしかない。歩き出した刹那の背を見つめているとスメラギはニールにも手まねきをしていた。
「とりあえず絨毯の上に乗ってくれるかな?」
「了解。」
「ミレイナー。」
「はいですぅー。」
スメラギの横まで行くとアレルヤが指示を出していた。その光景に少し首を傾げると今度はミレイナを呼びよせる。
「…あれ?カメラマン?」
「今頃気付いたのか?」
いつ用意したのか、アレルヤの首から一眼レフカメラがぶら下がっていた。近くに置いてあった鞄を見遣ると蓋が開いているから間違いではないらしい。ぽつりと呟いているとティエリアの呆れたような声が降ってきた。
「え?ホントにカメラマン?」
「カメラを首からぶら下げる仕事が他にあるのか?」
「あ…うん…ない、と…思うけど…」
「けど、なんだ?」
「メイクの色の話してくれて…」
「それはそうだろう。色の発色について詳しくなければ写り具合を調整したり出来ない。」
「あ…そっか。」
引っかかっていた事を素直に挙げれば答えをくれた。そういえば「色を混ぜてもっとたくさんの色を作れる」…と、クリスに聞いたと言っていた。色に詳しいだけでメイクだと決め付けてしまっていた自分の浅い知識に思わず頭を抱えてしまう。そんなニールの様子にスメラギが声をかけてくれた。
「まぁ始めから詳しいわけじゃなかったし、経験を積まないと分からないことだからね。」
「はぁ…」
「まだまだ若いんだから、これからうんと吸収していきなさい?」
「はぁい…」
「…しかし…」
スメラギなりの慰めを受けている目の前では、セットの前に立つアレルヤの横にミレイナが立っている。その奥では刹那がポージングの指示を受けていた。アレルヤの声に耳を傾け手の角度や姿勢を調節していっている。さらに刹那の方からも何か聞いているらしく言葉のキャッチボールをしているようだ。
「あの廊下の写真で気付かなかったか?」
「んー…でもあれはさ、使わなかった写真だし。」
「…マルチーズの写真?」
「そうそう。あれにセリフを書いて絵本にしてあるの、見たことない?」
「…絵本…」
「絵本というか、写真集だな。」
「…写真集…」
「ハンプティのプリアニ。」
「!るぅや・A・ハンプティ!」
『るぅや・A・ハンプティ』とはここ1・2年の間にブームとなった動物写真家の名前だ。動物の愛らしい写真ばかりではなく、猛獣の勇ましい写真もしっかり映し出している。何より注目を浴びているのは、合成もなく肉食獣と草食獣が同じ空間で、しかもじゃれ合っている様子を撮ってしまうところにある。そしてそれらの写真を単なる写真として綴るのではなく、日常の1コマに仕立てて親しみやすい絵本調にして発行していた。
さらに記憶が正しければ、文学賞を取っていたはずだ。
著者であり、写真家であるハンプティは一切顔を出さなかったが、報道番組やバラエティでも紹介されていた。何よりも、エイミーが『るぅや・A・ハンプティのプリティアニマルシリーズ』、略して『プリアニ』の熱心なファンである。
「何だ、フルネームで知ってるんじゃない。」
「あ…や、妹がファンで…」
「わぁ…妹さんがファンなのかぁ…ありがたいなぁ…」
思わず叫んでしまった為にアレルヤがこちらの話題に気付いたらしく、照れた笑いを浮かべて振り返っている。そんな彼の姿を見てニールは座り込んでしまった。
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