「さ。着いたわよ。」
そう言われて辿り着いたのは喫茶店でも営んでいそうな一軒家。しかしメニューも看板もおかれていないその建物は、ショッピング街に隣接していながら、あっさりと通り過ぎてしまうような外観だった。扉を開いて中に入って行くスメラギに続くも…屋内もごく普通の玄関。ただ、ニホンにしては珍しい欧米式なのか、土足のまま入って行くらしい。目の前にまっすぐ伸びる廊下をすたすたと歩くスメラギの後を追う。
今通っている廊下を見てもやはり普通の家にしか見えず…小さな額縁に入った風景の写真や、白い犬の写真が掛けられている他には何もない。「アトリエ?」と思わず首を傾げたが、突き当りにある扉を潜った瞬間、広がる空間に圧倒された。
ダンスホールかと思うほど広いフローリングのフロアにトルソーマネキンがいくつか置いてあり、大きな作業台の上には布が積み上げられている。ホワイトボードにもスケッチが貼られてあり、白い面に所せましと文字が書き込まれていた。
「こっちへどうぞ。」
指示されたのは部屋の隅に置いてあったソファだった。そのテーブルにも紙が山積みにされているが、横に避けてスペースを作ってくれる。
「紅茶でいいかしら?」
「あ、はい。大丈夫です。」
「すぐ持ってくるわね。あ、それからちょっと待っててもらえるかしら。」
「はぁ…」
「ちょーっと無断で出てたから部長にフォローを、ね。」
「分かりました。」
「じゃ、急いで行ってくるわねー。」
まるで旧知の友人のような対応に思わず唖然としてしまう。また逆にそういう態度を取ってくれていることで、変に緊張をせずに済んでいた。部屋の奥にある扉から出て行ってしまったのを見送ると、刹那が隣で興味深そうにボードを見つめている。
「…何か気になる?」
「気になる…というか…」
「うん?」
「知識を目で認識していくのは不思議な感じがして…」
「あぁ、言葉と現実のギャップってやつかな。」
文字や言葉で聞いて知ると多くの事を知る事が出来るが…実際その過程をこなしている空間にくると、いかに時間を、人力を費やし、多くの意見を交わしているかが見てとれる。それはホワイトボードに凝縮され、何人かの筆跡によって試行錯誤の経緯まで知る事が出来た。
それに感動するとともに、企業秘密に関わるんじゃないのか…と少々恐ろしい気分にもなる。
「あれ?お客さん??」
「「!」」
二人してボードに見惚れているとスメラギが出て行った扉から女性が入ってきた。急速に夢心地から現実へ引き戻された感覚に鼓動が早まっている。ぱちりと瞬く間にも人懐っこそうな笑みを浮かべる彼女は近くまで寄ってきた。
茶色のふわふわした髪をバレッタでまとめ、キュロットにもこもこしたセーターを合せてある。そのセーターごしにも分かる豊満な体系に、この会社の女性はみんなナイスバディな人ばかりなのだろうか…と思ってしまった。ちらりと下を見ると、細い腕には不釣り合いな大きなバッグを二つも持っている。ケースのような素材の真四角のカバンはメイク道具が入っているらしく、所々に鮮やかな色の粉が付着していた。
「んーと…どちら様かな?」
「あ、あの…」
「クリスティナ・シエラはいるか?」
首を傾げる彼女に経緯を説明しようとした矢先新たに人が入ってきてびっくりしてしまう。そのまま言葉を詰まらせた。
入ってきた人物はピンク色のカーディガンに白シャツとスラックスを合せ、インテリっぽい眼鏡をかけていた。濃紫の髪は肩で切りそろえられ、こちらも脇に不釣り合いな分厚いファイルを2・3個ほど抱えている。
「あー、ティエリア。どうかしたの?」
「彼女が戻ってきたとリンダに聞いたから来たのだが…誰だ?」
つかつかと歩みながら説明をしていくティエリアはクリスティナと呼ばれた女性の前までくると二人の存在に気がついた。ついでにくっきりと深い縦皺が眉間に刻まれる。
「ここは企業の所有地だ。子供の遊び場ではない。」
「あ…の…」
室内の気温が一気に下がったのかと思うほどに鳥肌を立てながら、綺麗な見た目に反して鬼のような気迫を纏う相手にニールは声が出なくなってきた。早く弁解しないとつまみだされてしまいそうな気さえする。
「申し訳ない。」
どう言えばいいだろうと言葉が見つからずに目をぐるぐる回していると刹那の凛とした声が助けてくれた。
「所有地に入り込んだのは申し訳ない。しかし。」
「…なんだ?」
「この部屋に来たのは、そちらのノリエガ女史に見学に来ないかと誘われての事だ。」
「ノリエガ…だと?」
「スメラギさんのお客さんなの。」
「さきほどまで一緒にいたが、部長に会ってくると言って退室されたところだ。」
「あちゃー…入れ違いになったんじゃない?」
「…まったく…」
説明が終えると眉間の皺が一層深くなってしまった。横にいるクリスティナは苦笑を浮かべている。その様子からどうもスメラギという人間はトラブルメイカーなのかもしれないと考えた。するとタイミング良く扉が開かれる。
「あ、いたー。」
「いた、じゃありません。無断で遅刻しておいて。」
「あは、ごっめーん。」
二人のやり取りから、部長というのは目の前にいるティエリアという人間の事らしい。見た感じ、刹那と年齢が変わりなさそうに見えるし、一見したら女性にも見える。人は見た目によらないのだなぁ…としみじみ関心してしまった。
「それで?こちらの二人は?」
「うん、前に話してた子達。」
「これが?」
「これってのは失礼でしょう?」
ずっと不機嫌そうな顔をしていたが初めて変化を見せた。とはいっても驚いた表情になっただけで近寄りがたいには違いないのだが…
「ま、とりあえず話しもしたいし、座りましょうか。」
ますます居心地の悪くなる中、なんともないのだろうスメラギの声に素直に頷いた。
「まず、ざっと紹介しましょうか。」
ひとまず腰を落ち着けると、カップを目の前に置いてくれながらスメラギが切り出した。
並んで座った二人の左側に腰掛けたのはクリスティナ・シエラ(当人曰く、クリスと呼んで。だそうだ。)。彼女はヘアメイクをしており、この会社だけではなくあちらこちらのモデル事務所やテレビ局にも出向いているそうだ。
真逆の右側に腰掛けたのはティエリア・アーデ。このアトリエの中心人物であり、商品の企画開発、また商品テーマの発案などをしているらしい。
最後に目の前のソファに寛ぐ、スメラギ・李・ノリエガ。元は別のアパレル関係の会社にいたらしいが、本人の意思で退社してこの会社に来たそうだ。彼女も企画開発を手掛けているが、このアトリエの責任者にあたるという。
「で。お二人には見学って事で来てもらったんだけど。」
「はぁ。」
「………」
「君をモデルとしてスカウトしたいの。」
「「…は?」」
ぴっと彼女が指さしたのは刹那。だが、それとともに投げかけられた言葉にニールと刹那の声が綺麗に重なった。見学というから試作のデザインを見せてもらったり、そこに辿り着くまでの行程を聞いたり出来るものだとばかり思っていたからだ。
「…裏業界への勧誘?」
「違う違う。」
「…悪徳商法?」
「だから違うっての。」
「スメラギさんが強引過ぎるから変な誤解されるんですよー。」
あまりの混乱によからぬ方へと想像が走ってしまう。ちらりと見上げた先にいる刹那も思考停止してしまったのか、固まったままだ。
「私たちの会社はシュヘンベルグ・グループの一端なの。」
「!それって、イオリア!?」
「うん、イオリア。」
イオリアは宇宙開発を手掛ける会社の創始者にして有名な研究者の名前だ。つい最近も宇宙で咲く花の開発に成功し、宇宙ステーションに運び出しているそうだ。近い将来、宇宙ステーションに大規模なコロニーを建設し、中を地球の環境と違わぬ空間にして外観にも花を群生させるのだという。
その会社…実は世間に知られていないだけで、さまざまな分野で活躍している。衣食住はもちろん、飲食業やエンターテイメントにも着手しており、芸能でもアイドルグループや俳優、芸人と事務所を構えているらしい。
その中で、このアトリエはファッション部門のニホン支部であり、近年出来たばかりだそうだ。今はまだ準備期間にあたり、ブランド名も未発表だという。それというのも、世界にニホン支部の他にヨーロッパ支部とアメリカ支部が存在しており、3拠点同時に発表する予定になっているのだ。他の2拠点はすでに制作する服の方向性も、デザインも、モデルも固まっており、残るはこのニホン支部だけだった。
「そ…そんな会社が…どうしてスカウト?」
「むしろそんな会社だから、よ。」
「すでに名の売れているモデルの起用は断固拒否している。」
「はい?」
「そりゃトップモデルやアーティストを使えば一躍有名でしょうね?でも、その人自身のすでに持っている『ブランド』が私たちにとっては邪魔になるのよ。」
「我々の目指すものは万人受けするより近い存在。しかしそれだけで興味を惹くにはあまりに弱い。」
「そこで欲しいのが、『神秘性』。」
つらつらと流れるような説明に必死についていこうとするニールににっこりとほほ笑んでスメラギは続ける。
「すべてを包み込む大きさ、広さ、深さ。けれど決して孤立していない…そういったオーラ。…漠然な言葉で申し訳ないんだけど…それらをあなたは持っていると思うの。」
苦笑を洩らすスメラギだが、ニールにはその言葉がとても理解出来た。
刹那を初めて見た時にも思ったが…一見近寄りがたい雰囲気を纏っていながら、小動物に好かれる素質を持っている。実際一緒に過ごすようになってからいろいろな面を見てきた。まっすぐで素直で…優しくて…少しあどけなさの残る少年のような…けれど深い哀愁のような悲しげな影も背負っている。むしろその悲しげな影が邪魔をして刹那の本質を隠しているような気さえした。
きっとスメラギが感じたのもそういった雰囲気だろう。
「…分かる気はします。」
「ホント!?良かった!」
素直に肯定の言葉を返せばほっとした表情に変わっていった。けれど当の刹那はきょとりと意外そうな表情をしている。
「それで、どうかしら?受けてもらえないかしら?」
そう問いかけたのはもちろん刹那の方へだ。年齢を考えてもニールを待たずに先に業界へと入っておいてそれなりの実績を積み重ねておいた方がいい、というのは常日頃から考えてはいる。しかし、やはり置いて行かれるという気持ちも拭えなくもない。子供のわがままだと十分に理解していても面白くない気分になるのは止められなかった。けれど、それと同じくらいに、刹那には少しでも前に進んでもらった方がいいという気持ちでも一杯である。
どう考えても8つの年齢差は大きいな…と、スメラギに対する刹那の返事を半ば憂鬱な気持ちで待ち続けた。
「決めかねるようなら何日でも待つけど…」
「…その必要はない。」
「え…じゃあ!」
「断る。」
「えぇぇぇッ!!!?」
あまりの簡潔な刹那の言葉に絶叫を上げたのはニールだった。
「ななななななななんで断ってんの!?」
あまりの驚きに思わず立ち上がってしまっているニールに刹那はきょとりと見上げるばかりだ。もちろん驚いたのはニールだけではなく、静観していたクリスも唖然とした表情になり、その正反対側では血管がぶち切れるのではないかと思うほど青筋を立てたティエリアが静かに座っている。それこそ嵐の前の静けさのごとく…
「…理由を聞かせてもらおうか?」
しかしその静けさは長続きはしなかった。地の底を這うような声が尋問を始めようとしている。
「そうね。それなりの理由があるんでしょう?」
冷や汗だらだらのニールをよそに、刹那は涼しげな表情のまま変わらない。スメラギもティエリアのこの雰囲気に慣れっこなのか、平然としていた。
「理由はなぁに?」
「ニールが義務教育を修了していない。」
「え?!」
「にーる?」
突然名前を上げられて思わず声を上げてしまうと一気に視線が集まってしまった。その中でもティエリアの方向をちらりとでも見るのは相当勇気が必要となる。いや、むしろ向かなくても空気によってどういう状態かが分かってしまった。
「君がニール君?」
「…はい…」
「ふむ。じゃあ、どうして彼が修了してないとダメなの?」
「義務教育を修了していなければ働けないのだろう?」
「まぁ…普通はそうね。」
「この少年が働けないと何か不都合なのか?」
「ニールは俺のプロデューサーであり、マネージャーだからだ。」
「…ほぉ…」
きっぱりと言い切っていく刹那の言葉に眩暈を起こしそうだった。状況がまさに…穴があったら入りたい…消えてなくなりたい…という気分でいっぱいになる。おトイレ逃亡作戦もティエリアの激しい視線によって釘刺されてしまっていた。
「この少年のどこにそこまで委ねられる要素があるんだ?」
さらに続くティエリアの詰問にニールの耳も大きくなる。刹那がそこまで言い切ってしまうほどのものが自分にあるのか、と不安になっているからだ。
「俺の事を誰よりもよく理解してくれている。」
「それだけか?」
「いや…メンタル面にもある。」
「メンタル?」
「彼は俺の支えとなり、迷うことなく向かう先を指示し、その場所へと導いてくれる…そう信じているんだ。」
穴があったら入りたい…今度は先ほどとは違う心情ではあるが本気でそう思う。恥ずかしすぎて死にそうだった。尚もじっと見つめるティエリアの瞳がまるで品定めをしているかのようで居心地も悪い。必死に俯いて赤い瞳から意識を反らし続けた。
「…なるほどね。」
「あぁ。スカウトしてもらえたのは嬉しいが…あと最低3年は動くつもりがない。」
「そう…残念ね…」
「…いいのか?刹那?」
「うん?」
「こんなチャンス、2度とないぜ?」
「あぁ、俺に迷いはない。」
そう言ってほほ笑んでくれた刹那に、思わずほっとする。本当ならば安堵してはいけないかもしれないのだが、埋められない年齢の差をいとも簡単に取り払ってくれる彼に一層頑張らなくては…と意志を新たにしていった。
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