刹那は珍しく混乱していた。
なぜかって…今、置かれている状況になった経緯が全く分からないからだ。
「………??????」
大量の疑問符を浮かべながら寄り添う温かな体温を見下ろす。自分の腕がすっぽりと包むように回っていることから、どうやら己から望んだ状況らしい。すやすやと心地良さそうな寝息を立てる少年に己は何を言ったのだろうか?と記憶にない時間を必死に思い起こそうとした。
「…失礼しまーす…」
控えめなノックの後に静かに開かれた扉から、これまた控えめな声が聞こえてくる。聞き覚えのある声に頭だけ動かして見てみると、見慣れた色彩を持つ女性が入ってきた。足音を立てないようにと入ってきた女性は枕元までくると、刹那が起きていることに気付いてくれる。
「あ、おはようございます。」
「…おはよう…ございます…」
朗らかに掛けられた挨拶に、どもりながらもなんとか返すと柔らかな笑みを浮かべてくれる。起き上がろうにもニールを起こしてしまいそうでどうにも出来ずにいると、そっと伸びてきた手が額に当てられた。
「うん。熱は下がったみたいですね。」
「あ…はい…」
柔らかな白い手にうっとりと瞳を細めると、ようやく彼女が誰か分かった。ニールの母親だ。彼は母親似なのだろう、髪の色も瞳の色も瓜二つで顔のパーツも所々似ている。
「…んん…」
「あら。ニールったら。」
「あ…」
刹那が少し動いたので起きたのか、ニールが小さい声でうめく。けれどまたすぐに穏やかな寝息が聞こえてきたので、起こしてしまったわけではないようだ。けれど病人のベッドに潜り込んでいる息子に呆れた表情を浮かべた母親が、これまた呆れ果てた声を上げた。
「まったく、病気の人のベッドに潜り込むなんて。」
「あ、いや。これはたぶん…」
「たぶん?」
「俺のせいなので。」
記憶にはないが、きっと自分から我儘を言ったに違いない、と慌ててフォローをしておく。でないとニールは理不尽なお説教をされてしまうだろう。
「…あぁ、風邪をひくと人恋しいって言うものね?」
「…はぁ…」
風邪をひいた経験はないので素直には頷けないが一応同意をしておいた。
「そうそう。起きていたからちょうどよかったわ。お食事、作ったのだけど。」
「あ、すいません…わざわざ…」
「いいのいいの。それで…どうしようかしら?こっちで食べる?それとも、大丈夫なようだったら下に降りる?」
「あ、下へ行きます。…ニールが起きたら。」
「ん。分かったわ。」
快諾してくれる彼女に、どうやら寝込んでいる間に食事の世話になった事に気がついた。何せ、この家の住人でまともな料理が出来るのは刹那だけなのだ。アリーに任せようと思えば間違いなくお湯を注ぐだけの代物が出てくるし、マリナに至ってはまず包丁の使い方から教えなければならないだろう。
確認したかった事が済んだ彼女はもう少し寝ておくようにと言って部屋から出て行こうとする。その背中にそっと声をかけた。
「あの…ホントにすいません…ご迷惑を…」
「いえいえ。いつも息子が世話になってるんだから。気にしないで?」
ふわりと笑う顔はニールの笑顔に重なって見えた。親子というのもあって本当に似ていて、こちらまで和んでしまう。小さく会釈して静かに扉が閉められた。
しん…と静まり返る部屋で刹那はふと視線を落とす。
「…あたたかいな…」
自分よりも一回り以上は小さいのに、腕の中に収まる体はとても温かかった。ふわりと広がる体温がまるで包み込む様だ。
「…人は…こんなにあたたかい…」
空気をゆっくりと吐き出す自然と体中から力が抜け落ちていく。まるで体に纏わりつく鎖から解き放たれたような気分だった。
瞳を閉じて深呼吸を繰り返す。
胸元で繰り返される呼吸とシンクロするようにゆっくり…深く…
「……」
ニールとともに目指す世界…
調べれば調べるほどにそれは遥か遠く…辿りつけるとは到底思えない世界だった。
けれど刹那は不思議に思う。
ニールと一緒ならば、遠くに霞んで見える世界も、明るく、はっきりと見えるのだ。
「…頼りにしてる…」
本当は本人が起きている時に言えばいいのだろうけれど…きっと苦笑を返されるだけのような気がして…そっと…聞こえないように呟いた。
「…うん…」
「!」
寝ているはずのニールから返事が返ってきた。あまりに驚いてしまい、体が強張る。けれどそれに続いたのはさきほどまでと同じ安らかな寝息。
そっと、起こさないようにと顔を覗き込んで見るとやはり瞳は閉じられていた。タヌキ寝入りをしているのかも…と頬をつついてみるが、反応がない。
「……ふふ…」
どうやら返事だと思ったのは寝言だったようだ。あまりのニールらしさに思わず笑い声が零れてしまう。
改めて小さな背に腕を回して寄り添うように近づく。今は小さなその背がいつか自分の背を預けられるようになるのだろう…とそう遠くない未来を想像して静かに瞳を閉じた。
* * * * *
月日が過ぎるのはとても早く…今日からは冬休みに突入だ。
待ってました、とばかりにニールはまた、夏休み同様、朝から刹那の部屋へ行く気満々だ。もちろん親にも許可は取ってあるし、刹那も断ることはなかった。
ただ、本日は少々趣向を変えて、街中を歩くことにしている。ウィンドウショッピングといってもいい内容だ。
もちろん、遊びではないし、残念なことに…デートだ!…と喜ぶ内容でもない。
目的はトレンド調査と、目を養う事だ。
そして一つ実験も兼ねている。
「う〜…楽しみすぎる…」
実験というのは、今日の刹那の服装。事前にネットショップでチョイスした服で街に赴くのである。今後の事も考えて気回し重視で選んであるのだが…今のニールのレベルを知る為でもあった。ニールのコーディネートで回りの人の反応を知ろう、というのだ。
もちろん、好反応があるとは思っていない。むしろ、変に浮いていないかが重要だったりする。何せ、コンセプトは『イマドキ彼氏』(ニール案)。浮いているとマズイのだ。
「…あ、やべっ…急がないとっ!」
思わずニヤニヤとしてしまっていると、重大な事に気がついた。
ウィンドウショッピングというのもあって、今日は刹那の部屋には行かず、いつもの公園で待ち合わせをしている。
しかし…朝いつものように服を選んで出て行こうとしていたところを、ライルに止められた。そうして着ていた服をバッサリと「ダサイ。」の一言で切り捨て、総着替えになってしまったのである。それゆえに間に合うはずの約束の時間に間に合わなくなってしまった。
この所の悩みでもある…自分の服装がどうにも上手く決まらない…という事を改めて突きつけられて深くため息を吐き出した。
「刹那の服だったらいっぱい考えるられんだけどなぁ…」
自分の事となると興味が湧かない為か疎かになるらしい。業界を目指すならこれではいけない、と己の為でもある今日は自然と気合が入った。
少し駆け気味になっていると、ようやく芝生公園の入り口が見えてくる。速度を上げて公園へと駆けこむと、待ち合わせにしたベンチを一目散に目指す。と、予想通り、足を組んで優雅に腰掛けている刹那が確認出来た。これも事前に打合せておいたことなのでその出来栄えによしよし、と微笑んでしまう。遠目にも服装のチェックを入れてみた。黒のライダースにグレーのブロックチェックのマフラーを巻き、細身のデニムを合わせてある。少し緩めた胸元はV字ネックの黒いシャツが覗いていた。
我ながらなかなかのイケメンに仕上がったんじゃない?と自画自賛してしまう。
「…ん?」
しかし、刹那は独りではなかった。
座ったままの刹那の正面に女性が立っている。軽く様子を伺う限りではナンパ…という雰囲気ではない。首を傾げつつ近づいていくと、刹那が振りむいてくれた。
「ごめん!遅くなった!」
「いや、構わない。」
すぐ傍まで走り込むと刹那が立ち上がって迎えてくれる。僅かに上がった呼吸をなんとか鎮めようとしていると、急がなくていい、という言葉の代わりに頭を撫でてくれた。一つ深呼吸をしてちらりと第三者を見上げる。
「どうも。」
「あ、えと…こんにちは…」
さきほどまで刹那に話しかけていたらしい女性は一言でいえば迫力美人。大人の魅力たっぷりのボディに少し吊り気味の猫を思わせる好奇心旺盛な瞳。しかし、浮かべられた気さくそうな屈託ない笑みに毒気を抜かれてしまう。
ただ、ニールが気になるのはもっと別のところ。
見た目で年齢を推測したところ、刹那と同じくらいか、少し上のようだ。二人一緒にいても全く違和感のない雰囲気だった。むしろ、自分が邪魔になっている気さえする。
「えーと…知り合い?」
「いや、今会ったところだ。」
刹那とずっと一緒にいるわけではないのだから、ニールの知らない知人もいるだろう…と問いかけてみると違ったらしい。では何だろう?とますます首を傾げてしまった。
分からない人にはついて行くな、がディランディ家での鉄則である。何だか訳の分からない雰囲気に二ールはじりじりと刹那に近寄った。
「あー…っと…俺達これから出かけるので用事がありましたら…」
「あら。お出かけするの?」
「うん、はい…」
「随分軽装だし…この時間帯からってことは街中かしら?」
「う…はい…」
「ショッピング街とか?」
「えぇ…その…」
「奇遇ね。私もその方向へ行くから一緒に行きましょう!」
「…あ…う…」
そういうつもりではないのだが、彼女の巧みな問いかけに自分たちの予定が暴露されていっている気がする。しかも半ば強引なお誘いまで付いてきた。違うとは思ったが、やはり逆ナンだったのだろうか…と、しどろもどろになってしまっていると、頭に軽い衝撃があった。
「?」
「すまないが。」
ふと顔を上げるといつも通り涼しげな表情の刹那が、頭に手を乗せてきていた。きょとりとしている内に話し出してしまう。
「俺達が貴女と共に行く理由がない。」
刹那なりに断ってくれたようだ。けれど聞いてる方には言葉遣いが随分冷たいような気がする。強引な誘いが気に障ったのか少し機嫌が悪いような感じもした。
「あぁ、そうよね。ごめんなさい。言う順序がなってなかったわ。」
けれど彼女はそんな刹那を気にした風もなく、新たに切り出してきた。
「私はスメラギ・李・ノリエガ。ショッピング街近くにあるアトリエの責任者なの。」
「………」
「…は、ぁ…」
「で。見学に来ない?」
「…え…っとぉ…」
質問が堂々巡りしてしまいそうだった。新たに紡ぎだされた勧誘文句に頭が痛くなる。いっそのこと割り切って行ってしまおうか、とも思うが付けられるのも嫌だし…と踏みとどまる。
「そのアトリエっていうのはアパレル関係を手掛けているの。」
その言葉にニールの思考が停止する。
「来年から新たに発信するブランドのね。」
「!」
にっこりとほほ笑む彼女が言った言葉がニールを釘づけにする。
新たなアパレル系ブランドとなれば…トレンドに対して非常に敏感になっているだろうし、目指す業界と深く関わりがある。しかも新ブランドならば、固定観念や先入観に捉えられることなくあるがままの物を受け止めることができるだろう。
「〜!」
「…本当にお邪魔していいのだろうか?」
「えぇ、もちろん!私の方から誘ってるんだし。問題ないわよ!」
「ならば見学させていただく。」
あまりの幸運に感激しすぎてしまった。思わず硬直してしまっていると、刹那が承諾の返事をしてくれている。その横顔をきょとりと見上げると淡い微笑みを返された。
* * * * *
「…刹那?」
「ん?」
二人から承諾をもらえたことで上機嫌なスメラギ先導の中、ニールはぽつりと話しかける。いつもと変わりない声音にそっと顔を見上げた。すると、視線に気づいたのか、刹那も目を合わせてくれる。
「…良かったの?」
「?何が?」
「…んと…見学。」
てっきり、前から計画していた目を養う為のウィンドウショッピングへと行くかと思っていたのだが…まさかの承諾。ニールにとっては意外な展開だった。行きたかったことは行きたかったのだが…刹那の勉強にならなくなる。何せ、ニールはウィンドウショッピングで目を養うのが目的だが、刹那は人間ウォッチングが目的だ。街中に貼られているポスターや人を見てポーズや動きの参考にするつもりだったのだ。
それらを踏まえて刹那をうかがうと小さく笑って返される。
「人の観察ならばこうやって移動している間にもできる。」
「…そう?」
「この見学は必要なんだろう?」
「え…うん。」
「…間違えてなかったな。」
「…へ???」
どこか安心したような声にニールはきょとりと見上げる。するとその視線の先にある笑みが苦笑に変わった。
「ニールの表情がマリナに似ていたから。」
「マリナ先生?」
「マリナが真新しい店を見つけた時の表情だ。」
「うぇぇ!!?」
見に行きたくてうずうずしているが言い出せずに我慢している顔…自分ではまったく気付かなかったがそんな表情をしていたのか、と恥ずかしくなってくる。赤くなる顔を必死にマフラーへと埋めて俯いてしまった。
すると、前を歩いていたスメラギが歩道の信号で立ち止まった。
「ずーっと話しかけたかったのよねー。」
二人が横まで来たのを確認するとぽつりと話しだした。悪戯っぽく笑う彼女の顔を二人して見つめる。
「公園の隅でさー、一冊の本に二人頭突き合わせて談笑してるの。見てるだけでも楽しそうだったんだよね。」
「え。そんなに目立ってた?」
「私の目にはね?」
彼女の言う…公園で本を見ていたというのは6月の梅雨になるかならないかの頃だ。半年も前の事を覚えているということはとんでもなく目立ってしまっていたのか、と心配になれば違うのだという。
「平日はずっと来てたわよね。夕方。
でも…いつだったかな?雨が降る様になるといなくなっちゃって…
8月頃に見たけどどっちか一人だけだし。
やっと二人揃ったって思ったらまた次の日から来ないしさー。
もういっそのこと跡つけてやろうかしらって思ったけど世間体悪いしやめたのよねー。」
「………す…」
「ストーカーじゃないから。」
つらつらと並べられる言葉の羅列にうっかり口走りそうになった言葉は彼女によって否定された。けれどにこりとほほ笑む顔が少々うすら寒く顔を逸らしてしまう。
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