ふわりと意識が浮いて瞳を開くとそこに広がるのは見覚えのない天井だった。いや、作りは似ているが自分の部屋の天井には星のステッカーなど貼っていない。しばらく瞬きを繰り返していると体が温かく、ずいぶんと窮屈なことに気付いた。ついでに言うなら首も動かしづらい。金縛りかと目だけで左を確認するとそこには見知った黒髪が見える。そして右にも視線を走らせて見ると白い首筋と鎖骨が見えた。瞬時に思考がフリーズしてしまったが、飛び起きることが叶わない。何故だと必死に首を持ち上げて下を見れば自分とそっくりの腕とこれまた白く長い腕が体の上で交差するように乗っかっている。
「(………動けない…)」
左右から聞こえる規則正しい寝息に声を上げて起こす気は削がれ、かといってこのままいるのもなんだか居た堪れない。どうしようかとぐるぐるしていると小さくノックする音が聞こえてきた。返事を出来ずにいると扉は当たり前のように開いてひょこっと顔が現れた。ベットの上の状態にぱちくりと目を瞬かせると次第に笑いを耐えるような表情になっていく。その変化をじっと見つめていれば音を立てないように入ってきた。枕元まで来ると顔を覗き込むように上体を倒して刹那の表情を伺ってくる。
「おっはよ」
「……おはよう…」
「どういう経過でこうなったかってのはだいたい分かるけどさ…どうしてほしい?」
「………開放してくれ」
至極楽しそうに聞かれるのへ眉間に皺を寄せつつぶっきらぼうに言い放てば「りょーかい」と間延びした返事を返された。ライルはいとも簡単に二本の腕を退けてしまうと刹那が体を起こす前にひょいとその体を横抱きにして抱えあげてしまう。慌てて首にしがみ付くとあとに残された二人を振り向いてみたが一向に起きる気配がない。とりあえず眠りの妨げにはならなかった事にほっと息を吐き出す。
ふと見下ろすと指先がちょっとだけ覗いた状態の袖が見える。見覚えのある袖をじっと見てると…それはお披露目会でニールが着ていたコートだと気付いた。ふと脳裏に着ていた服が切り刻まれた事を思い出した。あんなに恐ろしかったのに思ったより冷静な自分に驚いている内にも、抱き上げられたまま歩き出してしまった。
「二人ともよく眠ってるから起きてくるまでこのままにしてあげようぜ」
「あぁ。」
「で、あんたは俺と一緒に朝ごはんを食おうな。」
「…ジュニアが作ったのか?」
「もちろん。いつも姉さんが作ってっけど、俺だって料理くらいは出来るよ。」
さも意外だという表情をすれば小さく笑われ、抱えられたままリビングまで運ばれてしまった。テーブルと椅子の横を通り過ぎクッションが敷き詰められたカーペットの上に下ろされる。何故こちらなのだろうか?と首を傾げてライルを見上げれば微笑んで頭を撫で回された。くしゃくしゃになった髪を手櫛で直していると目の前のローテーブルに湯気の立つ器が運ばれてくる。見慣れない料理をじっと見ていると横にライルが座った。
「椅子よかこっちのが楽だろ。で、胃に優しい野菜スープとトマトのリゾット。冷めないうちに召し上がれ。」
「………」
「いただきまーす」
「………頂きます…」
ライルが合掌した後にスプーンで食べる姿を見てから刹那も倣ってスプーンを握り締める。正直、胃がむかむかと気持ち悪いのだが空腹感もあるので欲に逆らわず一掬い恐る恐る口へと運び入れた。温かく独特の酸味を利かせるスープはするりと喉を通り過ぎ胃にまで流れ落ちていく。じわりと胃に広がる感覚に頬が弛んだ。
「お味はど?」
「…おいしい」
「そいつは良かった。久しぶりに作ったからちょいと心配だったんだ。」
はふはふとスプーンに息を吹きかけながら少しずつ胃に収めていく。食べるのに必死なその姿に小さく笑いを漏らしながら横顔を見守っていた。ふと目元が赤くなっているのに気が付く。そっと指を添えるとびくりと両肩が跳ねた。
「ッ…なに…」
「あ?あぁ、悪い。目元がちょっと腫れてんのが気になってな。」
「………そんなに酷いか?」
「んー…まぁ俺は気になるかな」
「?…あんたの基準は分からない。」
「ははっそりゃそうだ。ま、一応冷やしておこうか。飯食っちまいな」
「…了解。」
もくもくと食事を進め、全て平らげるのに一時間近くも要してしまった。先に食べ終えていたライルが何をするともなくじっと見つめていたから余計に時間がかかってしまったのだ。
ごちそうさま、とスプーンを置いて合掌すると、お粗末様、という返事が返ってきた。目の前の食器をライルが手早く片付けてしまうと氷の入ったボールと白いタオルを手に戻ってくる。ライルの膝を枕に横になるように言われて従うと閉じた瞼の上に冷たいタオルが置かれた。
「っひゃ!」
「あー…冷た過ぎたか?」
「いや…びっくりした」
「悪い、一声かけるべきだったな。」
「…別に…いい」
しばらくそのままでいたが、時折温くなったタオルをライルが絞り直してくれる音だけが聞こえてきた。頭の下から伝わる柔らかさと嫌にならない人の体温に四肢から力が抜ける。
「なぁ…刹那?」
「ん…なに?」
双子だから、というのも理由になるかもしれないが…与えられる温もりに刹那がとろん…とし始めた。完全に体を委ね、なすがままになっている彼女の黒髪に指を絡めながらライルはそっと口を開く。
「…その…大丈夫なのか?」
「え?」
ぽつりと吐き出された質問に驚いたような返事を返せば慌てたライルが必死になって言い訳を重ねてくれる。
「いや!辛いこと思い出させようとしてんじゃないんだ!」
「あぁ、分かってる。」
あまりの必死さが伝わり、普段のライルからは想像出来ないその慌てっぷりに刹那は小さく笑う。そんな刹那にライルの肩から力が抜けて、どうやら傷つけたのではない事を知ることが出来た。それでもお詫びとばかりに頭を優しく撫でてやると口元がふわりと弛むのが分かる。
「…たださ…俺の手とか…怖くねぇの?」
「……大丈夫…」
「…ホントに?」
言葉だけでは不安になってしまうのだろう、ライルの手に己の手を重ねる。温もりを与えてくれるその手に甘えるようにきゅっと少しだけ力を込めた。
「大丈夫だ。…だって…あんたの手も…俺を助けて支えてくれる手だって…ちゃんと知っている…」
そっと重ねあわされた手にライルは胸がじわりと熱を持つのを感じていた。ついでに言うなら今刹那の目にタオルが被ってて良かった、とも。なぜなら、きっと己の顔は今真っ赤になっているはずだ。
「…そっか…」
飽きることなく髪を梳かして顔の赤みが引くのを待ち続ける。けれどそれはそう長い時間ではなかった。ライルが一つ深呼吸をすると重ねられた刹那の手に自らの手を重ね合わせる。
「…刹那…」
「なに?」
「…好きだ。」
「……え?」
突然告げられた言葉に刹那はびくりと体を揺らした。
焦って体を起こそうとしたが、ライルの手がそれを許さない。目元に当てられたタオル越しに軽く押し返されて暗にそのままでいるようにと告げられた。何を言えばいいのか分からずに真っ白になってしまった思考を忙しなく回転させていると静かな言葉が更に降り注いでくる。
「好きなんだ…刹那。」
「そ…れは…」
「うん…友達とかじゃねぇよ?一人の人間として愛してるんだ。」
表情が見えない分、相手の心が読みにくい。しかし今は見なくてもよく伝わってくる。何故なら重ね合わせた手から微かに震えているのを感じられるから…
「いきなり悪い。けど…伝えたかった。」
「ジュニア…」
「俺の気持ちを知って欲しかった。」
「…俺…は…」
「答えはいつでもいい。お前の素直な心を聞かせてくれたらいいから…」
上に重ねられた手を外されると温かく柔らかな感触が手の甲に降り注ぐ。それは手の甲だけではなく、指や付け根、手首にも降りてふっと離れていってしまった。どくりどくりと大きく脈打つ心臓に手を押し当てて甘受していると離れたところから大きな音が響いてきた。
「っ!?」
「あの二人、起きたみたいだな。」
どこかのんびりとしているように聞こえる声の呟きとともに廊下からばたばたと足音が響いてくる。近所迷惑にならないか、などといらぬ心配をしていると壊されそうな勢いで扉が開け放たれた。
「ライル!!刹那を見なかったか!?」
「今起きたらいなくなっていた!」
「はいはい、落ち着けよ、あんたらは。」
「「落ち着いてられるか!」」
「分かったから静かにしてくれ。刹那が起きちまう。」
「「え?」」
鬼のような形相をしているであろうニールと那由多の声に耳を傾けつつ自分はどうしたらいいのかとぐるぐる悩んでいると、タオルを押さえているライルの手に重ねていた手をそっと下ろされて胸の上で両手をクロスさせられる。するとタオル越しに軽く叩かれてどうやら合わせろと言っているようだ。静かに会話を聞いていれば自分は寝たふりをしていればいいらしい。一番にばれそうな顔も今はタオルでほとんど見えない。どうやら楽な方法を授けてくれたようだ。
「目元冷やしてる内に寝ちまったから。騒いだら起きちまうだろ。」
「…そこに…いるのか?」
「…そ…っか…よかった…」
「ったく…刹那がんな心配かけるような事するわけねぇだろ?」
「そうだけど…」
「とりあえず俺、動けねぇから。チッキンにある飯あっためて食ってくれ。」
「おぅ…さんきゅ…」
よほど気負っていたのか、ニールの気の抜けた声が聞こえてくる。
………その声を、治まらない動悸に耐えながらぼんやりと聞いていた。
* * * * *
いつまでも狸寝入りというのは出来ないもので…食器を洗う音に混じってディランディ姉妹の取り留めのない会話がBGMになった頃…目に覆いかぶさる温かな手にそっと触れた。
「うん?起きた?」
「………ん。」
本当はまだライルの顔を見るのが気まずいのだが、那由多とニールがいるのだから安心させてやりたいとも思う。のそり、と上体を起こすのに合わせてライルの手が遠のいてしまった。離れてしまった温もりに少し寂しさも感じる。
そんなことをぼんやり考えていると、目の前にライルの顔が覗いてきた。
「ッ!」
「んー…うん、腫れも引いたみたいだな。」
「…そう…か…?」
にっこり微笑んで頭を撫でてくれるその顔に胸の内がきゅっと締まる感覚に襲われる。けれどソレを深く考えるより先にライルが立ち上がってしまった。
「んじゃ、片付けて来るぜ〜。」
ひらひらと手を振ってボールとタオルを持って行ってしまった彼女の背に小さくため息を吐き出した。
「…刹那?」
「!?」
「?どうした?」
「あ、いや、ちょっと…びっくりして…」
ひょこっと視界に入ってきた那由多に思わず跳ね上がってしまった。不思議そうな顔をされてしまいしどろもどろに言い繕う。すると首は傾げたが、何も言わなかった。
頭をそっと撫でる手に見上げればニールが優しく微笑みかけてくれていた。
「お疲れ様。」
「…え?」
「よく頑張ったな?」
ぽん、と投げかけられた言葉に唖然とする。けれどじわじわと湧きあがる胸の奥の熱に目頭が熱くなった。
「………」
きゅっと唇を噛んで俯くと隣に腰掛けた那由多が抱き締めてくれる。その腕の温かさに決壊してしまった。
「…ぅ〜…」
小さくうめき声を立てて、ぼろぼろと零れる涙が頬を伝い落ちてコートに黒いシミを作り出す。ぽんぽん、と優しく背を叩かれて那由多の腕にしがみ付いた。ただただ泣き続ける刹那を誰も咎めはしない。それどころか、「好きなだけ泣いていいんだよ?」と言っているのか…頭を撫でられる。
髪を梳く指と、包み込んでくれる温かさに込み上げ続けた涙は漸く落ち着いてきた。小さくしゃくり上げながら那由多の肩に埋めた顔を上げると、優しい笑みを浮かべるライルがいる。その笑みに微笑み返すとそっと体を起こした。するりと離れていってしまう腕を惜しいと感じるが、縋りつきたくなるほどでもなくなっている。ひくひくと小さくしゃくり上げれば、離れていたライルの指先が目元を擽った。
「あ〜あ〜…何泣かせちゃってるかなぁ?」
「?」
「…悪気はない。」
「そうそう。思いっきり泣くってのも心の治療になるじゃん?」
両脇から聞こえる弁解の言葉にまた少し笑いが漏れる。
「まったく、もう…氷追加しなきゃいけないだろー?」
「…う…」
「…すまん…」
「ホント…いい加減にしてよねー?姉さん。」
「俺だけぇ!?」
深いため息と一緒に名指しにされたニールが「えぇぇぇ!?」と叫び出す。
「だぁって、刹那を泣かすなんて姉さんぐらいなもんじゃん。」
「あー…確かに啼かすけど…って違うだろっ!」
ライルの軽口にノリツッコミのニール…息の合った遣り取りに笑いは尚も耐えない。
「…拝啓、母上様…最近ライルがお姉ちゃんに酷いんデス…」
「今更でしょ?」
「…うぅ…」
「っと…はいはーい?」
そんな時、室内に設置された電話のベルが鳴った。どよん…と沈んでしまったニールを放置してライルが取りに向かう。項垂れてしまったミルクティーブラウンの髪を那由多が撫でていると、ほどなくして戻ってきた。
「おーい、凹凹姉さーん?」
「どこまでも酷いね、ライルさん!!」
「あー、ごめんごめん。」
「…ちっとも謝ってもらってる気がしない…」
ついには刹那の膝に顔を埋めて…しくしく…と小さく泣き始めてしまった。そんなニールをよしよしと頭を撫でて慰めてやる。
「んなことより、俺ちょっと出かけてくるわ。」
「…ふぇ?」
「だぁから。買い物に行くの。」
「……うん。」
ライルの呆れたような声にぐるりと考え込んだのか、ニールは幼い子供のようにこくりと頷いた。けれど何に引っかかっていたのか、頷いてから少しして何かに納得したようだった。顔を上げてライルを見上げる。
「ついでに夕食の材料もよろしく。」
「なんでもいいの?」
「ん、買ってきたもので考えるから。」
「りょーかい。じゃ、那由多。」
「うん?」
「一緒に来て?」
ぱちりとウィンクするライルの顔を見上げた那由多は一瞬止まって、くるりと刹那を振り向いた。じっと顔を見つめたかと思うと今度はニールを見つめる。何だろう?と首を傾げると、徐に立ち上がった。
「…相談相手が必要だものな。」
「そうそう。」
微妙な間が気になってしまうが、二人揃ってリビングから出て行こうとするので呼び止めることも出来ない。けれど、扉から出る前に那由多が振り向いた。
「刹那。ゆっくり休んでおけ。」
「あ、あぁ…」
「ロックオン。」
「はいよ?」
「刹那を頼む。」
「…おう。」
二人の返事に僅かな笑みを浮かべた彼女はライルを追って出かけてしまった。二人を見送るとどちらともなく顔を合わせてこてん…と首を傾げる。
* * * * *
「…ちょーっとわざとらしかったかなぁ?」
「大丈夫だろう…刹那はまだしも…ロックオンも気付いていないようだった。」
「…まぁ…少し鈍い感じがあるからねぇ…」
廊下に出てきた二人は戸締りをした扉を振り向きながらぽそぽそと話し合う。…というのも、那由多を一緒に連れて行く必要は本当のところないのだ。けれど、ライルが気を利かせて二人きりにしてやろうと無理矢理誘った。それを那由多が察した…といったところ。
「これからどうするんだ?」
「ん?買出しに行くんですよ?」
「……本当に?」
「うん。冷蔵庫の食材だけじゃ4人分の料理作るにもちょいと足り苦しいしな。」
「…4人…俺と刹那も合わせて…?」
「そ。もう一泊したらいいじゃん。どうせ明日も休みになると思うし。」
「…明日?…」
本日は火曜日で本来ならば学校の授業のはずだった。けれどテスト後の球技大会という事もあって、臨時休校なのだ。
例年ならば金曜に開催していたはずなのだが…天気予報通りに空はどんよりと暗く、朝から通り雨が何度が何度か降り、昼過ぎくらいから嵐の前触れともいえる強風が吹き荒れた結果、日程を延ばしたのだった。その代わりこの土曜は授業をやる事になっている。
…しかし…明日も休みというのはおかしい。
「昨日の事件さ。職員会議が行われるんだよ。」
「…職員会議…」
「学校での出来事は全て理事長に報告しなきゃいけないし、決まり事も理事長の承諾が必要となる。学校にいる職員だけでは退学どうこう…って出来ないんだよ。」
「それで…明日会議を?」
「ん。まぁ…それ以前に…理事長が世界中飛び回ってるような人だから捕まりにくくて返事が遅いってのもあるかな。」
「………緊急事態が起きた時はどうするんだ?」
「…んー…さぁ?」
話を聞いていた那由多は…無責任…と口に出さずに心の中でだけ呟いた。
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